One way Hippoman
人が住む限界地点、川崎市川崎区小田栄(おださかえ)。
JR南武線(なんぶせん)・浜川崎支線(はまかわさきしせん)の小田栄駅は、無人駅である。
頭上には労働者の絶望を映したような鈍色の大空が広がり、バラックめかした建屋の奥からは、そこはかとなく猫足プレスの音や鉄錆の塩っぱい匂いが聞こえて来るようだ。
この先の駅が貨物駅も兼ねている浜川崎という終着駅。そこに人の暮らしはない。見渡しても高度経済成長期なら「命と交換」などと恐れられていた過酷な肉体労働の場が、今は小綺麗に様変わりして静かに佇むのみ。
その昔京浜工業地帯のど真ん中に立ち尽くし「春は鉄までが匂った」と嘯いた旋盤工の名は、なんと言ったろう。
品川で京浜急行に飛び乗り、私は急ぎ南を目指していたはずだった。それが何故だか八丁畷(はっちょうなわて)などという鈍行だけしか止まらない駅で南武線に乗り換えて、こんな辺境に降り立った。なにやってんだオレ。
さてこその昼飯時。この荒廃した土地柄を見れば、目を剥くような美味いもんなどあるとは思えない。
二十年前なら、軒先に素焼き作りの獅子を並べてテビチだのラフテーだのを出すショボい居酒屋など、ちらほら見受けられていたと思う。看板を出さず木造アパートの二階でひっそりとケジャンクッ(Dog soup)を食わせるような商売も、何軒かは知っていた。しかし今やそれらは全て大津波のような仕舞屋の進撃に蹂躙され、絶滅したという。
これで気候が良ければ「セメント通り」とか「日本鋼管通り」など重厚長大産業華やかなりし頃の名残りを訪ねてフラフラと徘徊もできようが、生憎今は夏。足は一歩も前へ出ない。
そんなワケで私は目的を完全に見失い、即時撤収と決め込んだ。
同じ道を通って帰ることのできない私は、さてどう帰ろう。終着駅まで行って別線の鶴見線(つるみせん)に乗り換えれば、安善(あんぜん)、弁天橋(べんてんばし)、国道(こくどう)などの駅を通ってJRの鶴見駅に辿り着けるはず。
西口の中華「満州園」はまだ美味い平打ちの湯麵(タンメン)を出しているだろうか。
あるいは逆の終着駅である尻手(しって)まで戻り、南武線本線に乗り継いで矢向(やこう)、鹿島田(かしまだ)、向河原(むかいがわら)と辿り、武蔵小杉(むさしこすぎ)で「ステーキあさくま」の学生ハンバーグでも食うか。そこから湘南新宿ラインに乗り直せば、眠っていても北へと帰ってゆけるはず。
どうすっか。右か、左か。
ああ、腹が減りすぎて頭が回らん。
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