一貴三妖秋天に途を失うこと
今日ようやく『洋式帳簿製本の変遷と思い出』のエントリーを投入した。
七月の読書で読んですぐに書きはじめ九月末に文書投入という、我ながら辛苦の道程であった。今もなお公開当日までの数日を利用して推敲と加筆を続けている。
今回のエントリーでは間野義光氏の労作私家本を紹介しつつ、失われた高級洋式帳簿の世界をも垣間見せる内容を考えていた。
戦前のわが国で大量に作られていた洋式帳簿は、頁に用いる白紙を折り畳むところから完成品の表紙に保護用ハトロン紙を巻くまで全ての工程が手作業で行われた、驚異的な物体である。しかも明治初頭から大正末頃までの時代なら、その全工程がたった一人の親方によって完結されることも稀ではなかった。
パッセ・カルトンのルリユウル工芸製本と同じかそれ以上の作業量を注入した100%手工品である帳簿が、驚くべきことに戦前のわが国では些末な事務用品として日々消費されていたのである。
古本でもなくアンティーク小物としても取り扱われない古帳簿の世界。今書き遺さねば、オレが書かねば本当に跡形もなく消え去って何も残らない。その気概だけでなんとか書き通したつもりだが、草稿を読み返すたび悪文に茫然とする毎日だった。
まとにかく、今はなんとか月明けの公開を待つ心境にまでは辿り着けた。
ちょっとコーヒー飲んで来る(笑)。
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