スマホとロンリープラネット


 スマホが壊れた。

 ブログを見ていたら充電100%だったバッテリーが突然10%になり勝手にシャットダウン。再起動したらまた100%の表示。で速攻シャットダウン。最近こんな事態が頻発し
、時間だけを空費するようになっている。

 仕方がないので渋谷まで新しい端末を買いに行った。

 アップルの店員が話す言葉は半分以上理解できなかった。私に理解できたのは新しい端末が自分の物よりも僅かに大きくなっていることと、色が五色から選べること。その程度だ。同じような形なのに値段が倍以上にもなっている点は、どうしても理解できなかった。

 店員はイケメンで礼儀正しくフレンドリー。少し早口だったが色々な確認事項やアドバイスを立て板に水で語り掛けてくれる。
 しかしすぐに私は、彼が私からのリアクションを求めていないことに気が付いた。彼は万一私がクレーマーだったり、逆に人並み外れてスマホに詳しかったとしても店頭でトラブルが起きないよう、取引上最低限伝えておくべきポイントをマニュアル通り喋っているだけのこと。子供がテディベアに話しかけるのと同じで、返事をしたら逆にビックリされた。

 領収証を寄越して来た店員は頭ひとつ下げず、結局私はありがとうの一言も聞くことなくその店を後にした。
 こんな店員なら「しえー」とか「ザース」とかでも言えるラーメン屋のアンチャンの方がまだ立派なのである。

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 ロンリープラネットの大判『THE TRAVEL BOOK』は私の愛読書。世界中の息を呑むような景色や歴史的遺産の数々が、印象的な写真と共に詳しく紹介されている。帰って来てアップルの小さな包みを置いた時、不図この本が目に入った。

 この小綺麗で得体の知れない電子機器を買う金で、私はもっと違うことができたのではないか。
 荷物をパックして、昔のようにここではないどこか、遥か遠くの土地に出かけて行って見たこともない景色と人々に触れ合うこともできたのでは?停滞していた心に風穴を開け、アップデイトできたはずではなかったか。

 私の判断は正しかったのだろうか。













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MGCをつくった男 総括編

 

神保勉『MGCをつくった男』増補版。

本書は実質的には先のエントリーで取り上げた『MGCをつくった男』の増刷版なのであるが、書誌的なスペックが混乱しており大変に紛らわしい存在となっている。そのため、今回のエントリーは便宜上タイトルの書名を『MGCをつくった男 総括編』として共通理解を得ようと思う。文書内容に於いては最初の版を「初版」、取り上げている増補版を「総括編」と呼んで記述を進めてゆきたい。
 見えているのはごく最近入手した新刊状態の完本。同じ神保氏の
MGC奇跡の終焉』が発行された折、取り寄せの電話口で偶然本書も入手できると教えられ、プレゼント用にまとめて注文した内の一冊になる。


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 神保勉『MGCをつくった男 総括編』は、20101月に発行されていた初版『MGCをつくった男』に若干の加筆と編集を行って再発行されたものと見做すことができる。一般的な書籍の世界では、初版本の存在に対して「増補再版」もしくは「新訂版」として取り扱われるべき位置にある。初版の内容に関してはすでにエントリー文書を公開しているので末尾にテキストリンクを貼り、ここでは繰り返さない。
 外観は艶のあるコート紙を用いており初版と酷似したデザインだが、普通の平滑な多色刷り印刷である。特徴的だった艶消し地に合羽刷り(かっぱずり)風の特殊コーティング印刷は、今回は行われていない。とはいえ70頁を超える本の全巻が総厚口アート紙に多色刷り、制作には初版同様に相当なコストがかけられているのは明らかなのである。
 もともと「MGC 50TH ANNIVERSARY」とあった表紙下段の文言は「MGC 60TH ANNIVERSARY」と変更されており、且つ「総括編」の表記も新たに加えられている。このため、これらの変更によりブックデザインの天地がやや窮屈になっているのが見て取れる。「MGC」の文字も初版ではシルバー風の明るいグレーだったものがこの版ではゴールド風なダークベイジュとされていた。

 この版は奥付が校正されておらず、初版と同じく「20101月」の発行年表記のままである。だが文中には20185月以降の出来事に関する記述があり、タイムパラドクス的な混乱を生じている。一体いつ頃の出版なのであろうか。私はすでに初版を読んでいたためこの「総括編」はほとんどノーマークで、残念なことに刊行当時の情況がまったく記憶にないので困った。
 試みにネット上で本書に言及しているブログなどを探すと、最も早い文書投入が2018年の12月中に幾つか確認できるので、実際の発行はこの時期だったと考えてよいだろう。初版も20101月の奥付でありながら定期刊行物風に200912月には好事家の手に届いていたらしく、ここから推して本書の奥付は「20191月発行」と表記を揃えておくのが至当なところだったと思われた。
 そして非常に興味深いのは、本書「総括編」が何度も繰り返し販売され、こうしてブログを書いている20232月現在でも新刊本として入手が可能だという点である。

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 本書は初版『MGCをつくった男』と同じく福岡にあるニューMGCから発売されていた。2019年の刊行開始当初は、やはり初版当時と同じようにまだ新刊として入手できる内からネットオークションで頒価の十倍を超えるプレミア価格での落札があり、心あるモデルガン愛好家たちはブログ等でダフ屋に対する警戒を呼び掛けていた。この時点で初版は絶版となって久しく、以降はニューMGCによって何回か「総括編」が再入荷した旨の告知とともに全国へと拡散していったものと思われる。そして現在のところ、述べた通り2022年末に新刊された神保氏の近著『MGC奇跡の終焉』に合わせて再販売が行われているという情況。
 ここでひとつの疑問がある。果たして『MGCをつくった男 総括編』には何刷が存在しているのか。普通に考えれば最初に印刷製本した在庫(増補新版の初版)が大量にあり、ニューMGCはマニアのニーズを見ながら間歇的にこのストックを放出している、というのが順当な見方。しかし異常なプレミア価格で取り引きされる人気を博した本が、果たして刊行後丸四年もの間在庫を切らさずにいられたものだろうか。この点は非常に疑がわしいと言わざるを得ない。
 『MGCをつくった男 総括編』は神保氏の自費出版と思しく、氏がいかに富裕の身であったとしても、余計な経費を投じて捌ける見込みがないほどの大部数を制作していたとは考え難い。となると、この本は一定数を売り切りながら要望に応じて何回か増刷して販売されていた、トそう考える方が道理に適っているような気がしている。
 神保氏本人は現在でも
ご自分で本の注文を直接請けるほど矍鑠とされているようで、誠意を以てお尋ねすればある程度の回答を貰える望みはある。しかし私のように書物の物質的な成り立ちを詳しく確定する趣味があるならいざ知らず、ご本人にしたら何を何回増刷したかなどという記憶は、思いもよらない枝葉末節の部分であろう。なので、そのような問題に拘泥することでレジェンドの身辺を煩わせることは本意でもなく、差し控えたい。

 奥付が初版の刊行年月を表したまま、厳密にいえば『MGCをつくった男 総括編』には制作時期によって複数の隠れた重刷バージョンが存在している。ここではその可能性を指摘するに留めておくだけでよいかと思う。

 『MGCをつくった男 総括編』は初版に対して「特集」と謳った四篇の文字写真稿が追加されている。ただし増補部分は合計8頁だが総頁数は初版の73頁と変わらない。すなわち初版に対して頁のやり繰りがあり、記事の削除やレイアウト変更も随所に見ることができ、配列もかなり変わっている。
 特集の内容を簡単にまとめると、モデルガンの始祖である神保氏とMGCが蒙った不利益と不名誉、及びその処理に関する当事者からの経緯報告とでもいえようか。断章のように短いが、新製品の盗作、取材もせずに伝聞だけでMGCの歴史を書ききってしまう専門誌、モデルガン成立の根幹である銃腔内インサート工法の発明などに纏わる核心を衝いたもので、資料的な価値の充分にある文章。当時は帷幄の人としてモデルガン業界全体の発展のために敢えて円満に納めていたものが、歳月の経過とともにデマや風説を利用して事の真相を捻じ曲げようと画策する存在を知り、資料とともに改めて鉄槌を下した形である。
 それでも本書が刊行された直後から始められたと思しき隠然たる反撃の痕跡は、今でもネットのあちこちに残されているようだが。

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 何もなかった趣味の
野原に一人、誰も見たことのない「安全なモデルガン」という松明を掲げて踏み込んで行ったのは、神保勉氏なのである。

 いやはや、仮令モデルガンの神ホトケと祀り上げられた社員がいたとしても、所詮は神保氏のMGCという器の中で泳ぎ回っていただけのこと。名前に擦り寄ってチヤホヤして来る信者などいう輩ほど無責任な連中はないと、その人物も気付かなかったワケではなかろうに。
 創業者企業の組織にあって主は主、従は飽くまでも従である。



 

カバ男のブログ:『MGCをつくった男』

 

 






 

 

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独立独歩

 

野田夏彦著、Parade Books『独立独歩~自己探求家が語る、「独立個人」の生き方とは?!~』書影。これまでも当ブログでは長いタイトルの本を縷々取り上げてきたが、一行で収まらないほど長いのは大変ひさしぶりである。このタイトルを間違えずに打ち込めただけで、今の私は、今日の仕事は終わったぜ的な多幸感に満たされている(嘘)。

 奥付に本書の発行は202210月、発行元が株式会社パレードという表記がある。同じ頁には小さく「装幀 藤山めぐみ」の名前も認められた。小B6判無線仮綴じ、単色刷り218頁カバー掛け。頁数はタイトルページから起算した通しノンブルで、本冊の束を製本した後に小口を三方裁ち放した軽装本である。
 小B6判というのは横112×縦174㎜の小振りな判型で、手に馴染みビジネスバッグやデイパックにも収まりのよいサイズ。実際低比重の本文用紙を使った本書は非常に軽く持ち回りもしやすかった。その意味で本書は版型を生かした良い装幀計画の実例になるかもしれない。
 見えているのはごく最近匿名で送られて来た新刊本で、当然完本である。とりま当ブログの本体である「廃墟・自動車図書館」宛の寄贈本として有難く新収しておいて、こうして簡単な紹介を文書投入する次第。

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 自己探求家を標榜する著者による、精神世界的な思考法への導き。もしくは啓発。タイトルページをめくると無題の巻頭言があり、続いて目次へと早速に導入が始まる。
 本文は「はじめに」「序章 自分を深く知ること」「第一章 孤独がきみを強くする」「第二章 ほんものの幸せとは」「第三章 脱スピリチュアル!! 超現実主義者を目指せ」「終章 目覚めよ、日本人!!」と進み、実質的には五
章立てで構成されている。加えて前後に数頁程度の補足的な断章が添えられている。

 見出しを読んだだけでも「自分」「孤独」「幸せ」と精神世界系には特有のキーワードが並ぶので、嫌いな向きはこの時点でガシャンなのかもしれない。そのうえ「脱スピリチュアル」とダメ押しされたら、普通の人でも控えめに言って警戒心Max()。逆に自分探しの旅に疲れ果てた流浪の民ならば、やっと安らげる本に出会えたと即買いするのかな。いずれにせよ、この目次頁が著者と読者の双方にとって最初のハードルになるとはいえそうだ。

 本文はおおむね第二章までが、幼児体験から始まる著者の精神世界遍歴の振り返り。後半は長年の遍歴から感得した自己探求の極意を縷々開陳する構成となっている。文体は平易で、読者を前に諄々と説き聞かせるような語り口は穏やか、かつ池袋西口で脱法ドラッグを売(ばい)するアニキのようにフレンドリーである。しかし、幸せは自分の外にはないとか自分という存在はないと言い切る著者のスタンスはなかなかにハードで、一歩も退かない決意も見えている。
 読みはじめるとすぐに宗教民俗学や教派神道に特有の術語がワラワラと出来し、くわえて著者の造語までもがなんのエクスキューズもなく飛び出し、心の準備もできぬ間に言葉の坩堝に叩き込まれる。これが第二のハードルか。しかし神佛にはまるで疎遠な世間無用のカバ男であるからして、ここは理解不能な数式が頻出する物理学の教本でも読むつもりで躊躇なくスキップ。委細構わずずんずん読み進んでゆく。
 スピリチュアル系の啓発本など初めて読むが、根を詰めて塙新書を精読するワケでもないので言葉ひとつひとつの解釈抜きで、「静聴静聴!」とか「言語明瞭!ヨーソロ」とか心の中で好き勝手に著者を野次り倒しながらの読書となる。冒頭自分自身を見つめて確立してと「小さな話」で始まって、最後は世界の成り立ちと神々という「大きな話」へと怒涛のように駆け抜ける本書、それにつれて脳内野次もグイグイ盛り上がる。その内黙読の文章と「論旨変遷!」「コンテクストを提示せよ!!」などの脳内ツッコミとが喧々囂々響き合い、いや騒々しいこと夥しい。傍目には身動ぎもしない静かな書見でも、わが空虚なる頭蓋骨の洞には著者の言葉とこちらの野次とが轟々と渦巻くのであった。
 そうしてバラバラ頁が繰られてゆき、二時間ほどで楽しく読了した。土台同じ国語で書かれているのだから難しいことなどないのである。

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 それで、ではお前の中に何が残ったかと野田氏に問われたら、申し訳ないがちょっと返す言葉もないのである。書かれていることは読めました。読めたけど、その内一割ぐらいの文章は覚えているけど、フィロソフィー的には限りなくゼロかな。世間無頼のカバ男には何も残っちゃおりませんて。

 心の癒しを求めて彷徨う民なら再読三読、なんとか食らいつこうと頑張るのかもしれない。もしかしたらこの本と金を握りしめて野田氏の教えを乞いに参じる向きもあるかもしれないし、そうなってもらうのが本書出版の秘められた真意なのかもしれない。
 気付かぬ内に読書を離れ金絡み精神絡みに闇落ちしてゆくこの辺の進退判断が第三の、そして一般的な精神世界系読書の本当に大変なハードルになるものだといっても過言ではない。さてこその正念場である。

 でも、幸せは自分の外にはないと断言する本書に則して言うならば、リアルな野田夏彦氏に対する執着など無意味なのであろう。知らんけど。


 

 

 

カバ男のブログ:「伊勢神宮の古代文字」

 





 

 

 

 

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ル・マン24時間 1991

 

 『原田 崇写真集 [ル・マン24時間 1991]』は199111月に発行されていた、47頁立ての可愛らしい小型本。現物の佇まいやブックデザインなどからは駆け出しの写真家が名詞代わりに配って回る作品サンプル帖のようにも見えるが、本書の出版経緯は今ひとつハッキリとしなかった。
 奥付には著者である原田崇©氏のほか、AD(アートディレクター)武井尚武、PD(プリンティングディレクター)新木恒彦、企画飯島清の三氏が制作スタッフとしてクレジットされている。印刷および発行所は光村印刷株式会社でISBNも振られており、全体的には売価表記のある公刊体の出版だったと考えてもよいのだろう。たしかに私は本書を、専門店ではあるが新刊書店で購入していた。
 総多色刷り170×182㎜の横開き桝形本は、無線仮綴じの本冊を多色刷りカバーが巻いているだけの簡素な成り立ち。カバーを外すと全くなにも印刷されていない白表紙の本冊が現れ、写真集らしい尖ったブックデザインを期待していると逆に驚かされる。

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 カバーの背部分に「Bee Books 123」と刷られているのはシリーズと巻次を表しているようでもあるが、同様な表現はほかのどの部分にもなく、これが表すものが何なのかは判然としなかった。
 ダメもとで検索した光村印刷のサイトによれば、この「Bee Books」というのは高品質な私家版写真集の制作をリーズナブルに行う同社のセクション、あるいは制作された写真集全体をシリーズとして扱うブランドということになるようだった。1987年に開始され現在も続いているということは、一種の企業メセナに近い出版活動なのかもしれない。これで本書の成立経緯については少し腑に落ちたのである。
 見えているのは新刊時に一度しか読まれないまま書庫深く眠り続けた極美状態の完本。書影撮影のためにぱらぱら開いたところ、グラビア印刷特有のインクが強く匂って懐かしかった。

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 本書は二十四時間に亙って大排気量のレース用スポーツカーが激闘を繰り広げるルマン耐久レースに取材した、心なごむ写真紀行である。
 カバー袖に「ル・マン24時間・1991」と題された巻頭言がある。附け足り然というか後付けのような文言が並んでいるが、これによれば、写真家として初めて訪れたフランスのルマン二十四時間耐久自動車レースで偶然にも著者は日本車初の総合優勝を目撃することになった模様。新人カメラマンとしては大変な僥倖といってよかったかもしれない。

 1991年のルマンはレギュレーション(レース車輛の製作要綱を規定した競技規約の一部)の改訂に伴う混乱があり、新規格車と旧規格車の混走が行われた。この改訂によって
ヴァンケル式ロータリー・エンジンにとっては出場が認められる最後の年ともなっており、唯一ロータリー車を走らせるマツダ(マツダスピード)にとっても1979年の公式な初挑戦から十三年目となるこのレースがまさにラストチャンス。残された最後の二十四時間だったのである。

 その結果ワークス車輛「マツダ787B55号車は単独トップでゴールインし、わが国の自動車メーカーとして歴史上初めてルマン二十四時間耐久自動車レースに優勝する栄誉を獲得することとなった。および戦前1923年から続く歴史あるこのレースにとっても、一般的なレシプロエンジン以外の内燃機関を搭載した車輛の優勝は、史上初。マツダは一度の優勝によってサルト・サーキットに二つもの歴史上意義深い記念碑を打ち建てることとなったのである。
 しかしこれほど日本のクルマ好きにとって天下分け目の決戦場であったルマン1991を取材した本書なのだが、ワクワクしながら読みはじめたもののその点に関する記述はほとんど見出せなかった。プレスデーに撮られたらしきレナウン・チャージ・マツダの787Bとハイレグ・ギャル(古!)の写真は見開きで掲載されているものの、五十頁にも満たない薄冊の中に展開されているのはプラクティス前らしき小綺麗で平和そのもののピット風景ばかり。排気ガスとトレッドコンパウンドで真っ黒にノーズを汚したマシンや必勝の殺気に目だけギラつかせながら不眠不休で戦う疲れ切ったピットクルーの姿など、何ひとつ写されてはいなかったのである。そして長いレースウイーク中に著者が目にした長閑な観戦風景の数々。まるでただの旅行好きが偶然立ち寄ったレース会場で撮り集めて来たスナップ写真をそのまま合綴した記念アルバムのような趣に、初見当時の私は思い切り肩透かしを食ってしまうのだった。
 ルマン二十四時間の決勝は六月に行われ、十一月の本書発行までに情報を集める時間は充分にあったはずなのにも拘らず、「国産自動車悲願のルマン初優勝!!」の情報補正は一切行われなかったようなのだ。この違和感がどうにも決着を付けられず、結局その後三十年の間一度も再読せず今に至ったという次第。

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 レース関係者が屡々口にする「空力(空気力学)」の意味を知らずに「クーリキ」と外来語表記してしまうほどの原田崇©氏だったのである。本書『ル・マン24時間・1991』は、この著者が初めて目にする色鮮やかなマシンに目を奪われたりベンチュリー開度全開でユノディエールを駆け抜けるエンジン音に耳を塞いだり、びっくりしながらもピクニック気分でエンジョイしていたルマン二十四時間レースの記録。その同じ二十四時間を共有しながら、マツダチームの全員はメルセデスやジャガーなど名うての強豪チームを相手に一触即発の心理戦ともいえるプレッシャーの掛け合いを100%ノーミスで戦い抜き、誰よりも早く55号車をゴールに押し込んだ。最終スティントを務めたジョニー・ハーバートは極度の脱水症状によってマシンを降りることもできず、そのまま医務室へ担ぎ込まれて表彰台に立つことは叶わなかった。述べたようにマツダに、ロータリー・エンジンに最後に残されたルマンの二十四時間。なにがなんでも優勝するという不退転の死闘がそこにあり、それ故の特別な1991年だったのである。そして原田氏にとっては、まあ普通の海外レース、だったのかな()
 1991年のルマンがどんな情況だったのか。ヴァンケル機関のレシプロ排気量換算比率とか830㎏の最低車重規定とか、周辺の情況が理解できていた事情通ほど逆に本書を楽しめたのかもしれない。

 思うに本書は『ル・マン24時間・1991』なんてシリアスなレースレポっぽいタイトルだから良くなかったのであって、「ルマンの車窓から」とか「ほっこり旅景色・ルマン編」「お前とルマンとサーキット」とかソフトムードにしておけば、レースに興味のないアート志向の読者などにも訴求できた可能性はある。いやむしろ、いっそのこと潔く自動車関連図書とは縁を切って、旅ものカテゴリーに全振りでもよかったのにと思う。
 結果、残念なことだ
三十年後の今日では古書目録から本書の姿も原田崇©氏の名前も見出せなくなっている。古書としての稀少性だけなら本書は二村保『The Rally』のクラリオン非売限定版と同程度、すこぶる付きの珍しい本となってしまった。国立国会図書館には架蔵されている模様。


 

 

 

 

 

 

 

 

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