『原田 崇写真集 [ル・マン24時間 1991]』は1991年11月に発行されていた、47頁立ての可愛らしい小型本。現物の佇まいやブックデザインなどからは駆け出しの写真家が名詞代わりに配って回る作品サンプル帖のようにも見えるが、本書の出版経緯は今ひとつハッキリとしなかった。
奥付には著者である原田崇©氏のほか、AD(アートディレクター)武井尚武、PD(プリンティングディレクター)新木恒彦、企画飯島清の三氏が制作スタッフとしてクレジットされている。印刷および発行所は光村印刷株式会社でISBNも振られており、全体的には売価表記のある公刊体の出版だったと考えてもよいのだろう。たしかに私は本書を、専門店ではあるが新刊書店で購入していた。
総多色刷り170×182㎜の横開き桝形本は、無線仮綴じの本冊を多色刷りカバーが巻いているだけの簡素な成り立ち。カバーを外すと全くなにも印刷されていない白表紙の本冊が現れ、写真集らしい尖ったブックデザインを期待していると逆に驚かされる。
カバーの背部分に「Bee Books 123」と刷られているのはシリーズと巻次を表しているようでもあるが、同様な表現はほかのどの部分にもなく、これが表すものが何なのかは判然としなかった。
ダメもとで検索した光村印刷のサイトによれば、この「Bee Books」というのは高品質な私家版写真集の制作をリーズナブルに行う同社のセクション、あるいは制作された写真集全体をシリーズとして扱うブランドということになるようだった。1987年に開始され現在も続いているということは、一種の企業メセナに近い出版活動なのかもしれない。これで本書の成立経緯については少し腑に落ちたのである。
見えているのは新刊時に一度しか読まれないまま書庫深く眠り続けた極美状態の完本。書影撮影のためにぱらぱら開いたところ、グラビア印刷特有のインクが強く匂って懐かしかった。
本書は二十四時間に亙って大排気量のレース用スポーツカーが激闘を繰り広げるルマン耐久レースに取材した、心なごむ写真紀行である。
カバー袖に「ル・マン24時間・1991」と題された巻頭言がある。附け足り然というか後付けのような文言が並んでいるが、これによれば、写真家として初めて訪れたフランスのルマン二十四時間耐久自動車レースで偶然にも著者は日本車初の総合優勝を目撃することになった模様。新人カメラマンとしては大変な僥倖といってよかったかもしれない。
1991年のルマンはレギュレーション(レース車輛の製作要綱を規定した競技規約の一部)の改訂に伴う混乱があり、新規格車と旧規格車の混走が行われた。この改訂によってヴァンケル式ロータリー・エンジンにとっては出場が認められる最後の年ともなっており、唯一ロータリー車を走らせるマツダ(マツダスピード)にとっても1979年の公式な初挑戦から十三年目となるこのレースがまさにラストチャンス。残された最後の二十四時間だったのである。
その結果ワークス車輛「マツダ787B」55号車は単独トップでゴールインし、わが国の自動車メーカーとして歴史上初めてルマン二十四時間耐久自動車レースに優勝する栄誉を獲得することとなった。および戦前1923年から続く歴史あるこのレースにとっても、一般的なレシプロエンジン以外の内燃機関を搭載した車輛の優勝は、史上初。マツダは一度の優勝によってサルト・サーキットに二つもの歴史上意義深い記念碑を打ち建てることとなったのである。
しかしこれほど日本のクルマ好きにとって天下分け目の決戦場であったルマン1991を取材した本書なのだが、ワクワクしながら読みはじめたもののその点に関する記述はほとんど見出せなかった。プレスデーに撮られたらしきレナウン・チャージ・マツダの787Bとハイレグ・ギャル(古!)の写真は見開きで掲載されているものの、五十頁にも満たない薄冊の中に展開されているのはプラクティス前らしき小綺麗で平和そのもののピット風景ばかり。排気ガスとトレッドコンパウンドで真っ黒にノーズを汚したマシンや必勝の殺気に目だけギラつかせながら不眠不休で戦う疲れ切ったピットクルーの姿など、何ひとつ写されてはいなかったのである。そして長いレースウイーク中に著者が目にした長閑な観戦風景の数々。まるでただの旅行好きが偶然立ち寄ったレース会場で撮り集めて来たスナップ写真をそのまま合綴した記念アルバムのような趣に、初見当時の私は思い切り肩透かしを食ってしまうのだった。
ルマン二十四時間の決勝は六月に行われ、十一月の本書発行までに情報を集める時間は充分にあったはずなのにも拘らず、「国産自動車悲願のルマン初優勝!!」の情報補正は一切行われなかったようなのだ。この違和感がどうにも決着を付けられず、結局その後三十年の間一度も再読せず今に至ったという次第。
レース関係者が屡々口にする「空力(空気力学)」の意味を知らずに「クーリキ」と外来語表記してしまうほどの原田崇©氏だったのである。本書『ル・マン24時間・1991』は、この著者が初めて目にする色鮮やかなマシンに目を奪われたりベンチュリー開度全開でユノディエールを駆け抜けるエンジン音に耳を塞いだり、びっくりしながらもピクニック気分でエンジョイしていたルマン二十四時間レースの記録。その同じ二十四時間を共有しながら、マツダチームの全員はメルセデスやジャガーなど名うての強豪チームを相手に一触即発の心理戦ともいえるプレッシャーの掛け合いを100%ノーミスで戦い抜き、誰よりも早く55号車をゴールに押し込んだ。最終スティントを務めたジョニー・ハーバートは極度の脱水症状によってマシンを降りることもできず、そのまま医務室へ担ぎ込まれて表彰台に立つことは叶わなかった。述べたようにマツダに、ロータリー・エンジンに最後に残されたルマンの二十四時間。なにがなんでも優勝するという不退転の死闘がそこにあり、それ故の特別な1991年だったのである。そして原田氏にとっては、まあ普通の海外レース、だったのかな(笑)。
1991年のルマンがどんな情況だったのか。ヴァンケル機関のレシプロ排気量換算比率とか830㎏の最低車重規定とか、周辺の情況が理解できていた事情通ほど逆に本書を楽しめたのかもしれない。
思うに本書は『ル・マン24時間・1991』なんてシリアスなレースレポっぽいタイトルだから良くなかったのであって、「ルマンの車窓から」とか「ほっこり旅景色・ルマン編」「お前とルマンとサーキット」とかソフトムードにしておけば、レースに興味のないアート志向の読者などにも訴求できた可能性はある。いやむしろ、いっそのこと潔く自動車関連図書とは縁を切って、旅ものカテゴリーに全振りでもよかったのにと思う。
結果、残念なことだが三十年後の今日では古書目録から本書の姿も原田崇©氏の名前も見出せなくなっている。古書としての稀少性だけなら本書は二村保『The Rally』のクラリオン非売限定版と同程度、すこぶる付きの珍しい本となってしまった。国立国会図書館には架蔵されている模様。