下目黒にて

  

 「 ロイホしか勝たん!! 」

 

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 と、アニメ声で言ってみる。wwww

 

 




 

 

 

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あんたとスパゲッティ

 

 ピザが美味しい、元祖・生パスタの店。まあ地元の名店てとこかな。

 

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 「お決まりですか?」

 「ピッツァ・クワットロ・アルマジロ。ランチのセットだな」

 「はい。ピザ・クワトロ・フォルマッジョをランチでですねー。かしこまりました」

 「クワトロ・アルマジロ」

 「え?クワトロ・・・、フォ」

 「アルマジロ。クワトロ・アルマジロだよ」

 「あー、えーはいはいクワトロでアルマジロ。かしこまり~」
 すたすたすた


 ワケわかめって顔してたなあのネエチャン。んへへへへ。


 ぱたぱたぱた 

 「銀行混んでたわー、もうオーダーしてくれた?」

 「うん。俺はクワトロ・アルマジロのセット。キミはスパゲッティ・ボロモーケのランチで、ドルチェはピスタチオのオペラにしておいた」

 「ありがとカバちゃん。てあんた、バッカじゃないの毎回毎回お店のコが困るようなこと言って。そのうち激辛ミートソース出されて泣くわよ」


 んへへへ。

 

 

 




 

 

 

 

 

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実物拳銃写真集

 

 鎌倉の啓明社という書肆が発行していた小冊子『実物拳銃写真集』。今を遡ること六十有余年、なかなかに古い本である。

この本は、発見に満ちていた。

 

 A5判平綴じ横開き、本文総アート紙単色印刷60頁。貼り込みの奥付は薄葉ながらも奉書紙風の和紙に活版刷りで、昭和三十六(1961)年七月と発行日が明記されている。一枚ものの本文用紙をホチキスのような軟鉄の針で綴じ付けた製本法が平綴じで、各葉は両面印刷。
 また巻頭の数葉には、モノクロの原版に手彩色した疑似カラー写真を基にした多色刷り印刷が奢られていた。

 大東亞敗戦の痛手も癒えきらず諸物資窮乏の続いたこの当時にあって、見えている通り本書の表紙は艶のある大変に良質なコート紙が用いられている。しかして本文用紙も当時の美術品図録などに劣らぬほど高価なアート紙に稠密なオフセット印刷。同じ年に南青山の本流より上市される杉江博愛(のちの自動車評論家・徳大寺有恒)氏の超豪華版外車写真集『SPORTS CAR WORLD』にも劣らない高級な紙使いからは、版元が本書に賭けた意気込みのほどが伝わってくるようである。

 

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 本書はタイトルそのままに、真正けん銃だけを取り上げた異色の写真集。本文は巻頭に度量衡と実銃取扱い方法の短い解説があるのみで、あとは一頁に一点のけん銃写真と簡潔なキャプションだけで構成されている。ノンブル(頁番号)が一切振られていない点はのちほど一考してみたい。

「全て、実物より直接撮影(外国雑誌等よりの複写は一枚もありません。)」と裏表紙に特記されているように、冒頭の操作解説画像をはじめ掲載されている真正けん銃はすべて国内で個人が所有していたコレクション品。本書では愛蔵家を歴訪しつつ独自に取材し、鮮明な撮り下ろし写真集として成立させている。文中「此の写真は、米軍々人の御好意により撮影した」とか「愛銃家の所蔵品らしく、華麗な彫刻が施されて居る」「此の写真は、特にドイツ大使館の御好意により、最新式のモデルを撮影する事が出来た」といった添え書きが頻出しており、各銃の出所が概ね明らかとなっているのが微笑ましい。
 その主なラインナップは4in版ボロ・モーゼルから始まりS&W.357レジスター・マグナム、ルガー・ブラックホーク.357マグナム、コルトM1911A1など有名どころの大半を網羅しており、あまつさえリャマ.22オート、サベージ1906など玄人好みのマイナーモデルまでもが60頁の薄冊にぎっしりと納められる憎さ加減。爆発的なガンブームのさ中とはいえ、専門誌の一冊すら発刊されず頼れる情報源など求めようもない情況下で達成されたこの内容は、掛け値なしの驚異でしかない。
 本書の編集が相当老練な銃器エンスージアストの主導によるものなのは火を見るよりも明らかであり、その主が六十年経った今の目で見ても正確そのものの本文および画像キャプションのすべてを執筆した無名氏であったのは、まず間違いないと考えてよかろう。

 

 本文を引用しないのが当ブログの原則ではあるが、今回にかぎり引き続きその味のあるキャプションを幾つか紹介してゆこう。

「戦前流行した事があり、昭和5年頃、銀座の洋品屋で5円位で売って居た(豆ピストル)」

「戦前我国に最も多く輸入され、ブローニングと言へば自動拳銃の代名詞の様に思われた時代もあった。戦前派には懐しい銃である(ブローニング32径=M1910)」

「値段は確か昭和15年頃85円程度で、ブローニングより10円程高かったと記憶する(コルト32径=M1903)」

「写真は、この銃を射撃用に改装したもので、装着された照門はこの銃本来のものでなく、ボマーの射撃用照門である(コルトガバメントモデル)」等々。

 齋藤昌三氏の愛書趣味を引き合いに出すまでもなく、戦後に復興した趣味の世界はみな戦前からその系譜を途切れさせることなく連綿と繋がっている。そのことを思い出させるキャプションである。戦前は奢侈税などを別納すれば民間人でも自由にけん銃を所持することが可能であり、商用などで大陸方面に出張する部下に「油断は禁物」などと上司が会社備品のポケットけん銃を貸与することもあったとされている。そんな時代を謳歌したであろう無名筆者の記憶の片鱗が文章の端々に伺えて興味が尽きない。

 またガバメントモデルは複数の掲載があるのだが、キャプションにもあるように、すでにこの時期には固定サイトのナショナルマッチに飽き足りないシューターがアジャスタブルサイトを用いたマイナーカスタムの途に進んでいたトレンドが見て取れる。そして少なくともその最先端の一挺が間違いなくわが国々内に存在していた事実までも、企まずして本書は記録していたのである。

 

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 啓明社という出版社は時期を隔てて首都圏に三社ほど存在していたようである。最初は明治期の木版和綴じ本から始まった、東京麹町の啓明社。これは社会経済関係の専門書を主体として戦争時代の最末期まで継続していたが、敗戦によって途絶した模様。次に現れるのが本書を出した鎌倉の小書局。戦後すぐの頃から文芸書や戦争回顧ものを出していたようだが、本書を出版した頃には社業も相当に低調となっており、ほどなく廃業したと思われる。1980年代に東京で子供向けの学習副読本などを中心に出版を始めた啓明社は、これも短命だった印象がある。この三つの書肆になんらかの関係があったのかは不明である。

 

 実は本書の最終頁には本流株式会社洋書部及び同玩具部の見開き広告が掲載されており、玩具部の頁に掲載されている多くの玩具ピストルの中で唯一ヒューブレイ・オートマチックだけはオリジナルのメッキシルバーではなく黒色仕上げの物らしいことが分かる。そして本流の方でも、当ブログで何度か取り上げた刊行年不明のカタログシリーズ二点の内「第二輯」の巻末に、バーター広告のようにして本書『実物拳銃写真集』の取次広告を載せているのである。啓明社の系譜もさることながら、私としては啓明・本流両社の親密な相関に大変好奇心を掻き立てられる。

 またこの当時は玩具ピストルを取り扱う販売店の広告に屡々「実物拳銃写真」として数枚組のペラもの写真セットが掲載されていたことも分かっている。思うに啓明社は本書『実物拳銃写真集』の版下を使ってそのまま単葉ブロマイドのセットを大量に印刷、業者に卸していたのだろう。本書の頁にノンブルが振られていないことには、もしかしたらそんな理由があったのかもしれない。

 

 

 







 

 

※今回のエントリーは銃器関係図書という事柄の関係上、煩瑣を避けて細かい用語の解釈を併記しておらず、些か解りづらい面があるかと思います。お気付きの点はコメント欄などから忌憚なくご教示くださると幸です。 

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