カバ男のブログ 課外活動 モデルガン考古学

 

 ブログを書いていない時、私は現実の世界で何か面白い事をやっている。

古い洋式帳簿のメンテナンスとか散歩で見つけた変な国語の看板へのツッコミとか、同じ形のシューキーパーを次々と引っ張り出して些細な違いを面白がったり。思うようにトラ(旅)に出られないここ数年はそんな風に身体よりも頭を使うことが多くなっているが、それはまあそれで楽しい。


IMG_2558.jpg
 

 1970年代にサンフランシスコ近郊のガンショップOld West Gun RoomT94(帝国軍用九四式自動けん銃)を象った鋳物文鎮がドアノブとして使われていた。あれは何だったのだろう・・。そんなネット上の噂が何年も前から私の興味を惹いていた。

 それとは別に、「モデルガン考古学」をそろそろ一段階進める頃合かなとも思っていた。ヤフーブログ時代に一旦は完結していた中田商店製の初期鋳物文鎮に関する考察など、実は全てのモデルを網羅できないままでFC2側にサルベージしていたのである。エントリー公開の後に教えてもらった多くの情報を吟味しつつ、ここは他人の受け売りをしてでも残りの数点を考察してコンプリートしておくべきではないか。そんな気持ちで何か裏付けの情報などないかとネットサーフィンを始めたのが、十一月初め頃だったと思う。

 

 Lytle Novelty Co.という会社が1950年代の半ば頃からロサンジェルス市内にあり、ここがアルミで出来たけん銃形の鋳物文鎮を作っていたことは知っていた。Lytleの発音はライトルとかリトルとからしいが実際のところは分からない。ここでは仮にライトルとしておく。このライトル製鋳物文鎮は、その後1960年代の初頭になって一定の数がわが国に輸入されていたらしいことも、当時のカタログなどから明らかになっている。述べた中田製の初期文鎮は1965年の製造なので、もしかしたらライトル文鎮は何か潜在的なヒントになっていたのかもしれない。そこでライトルの商品ラインナップや具体的な紙資料などを探し出すことも、モデルガン考古学者()としては大変に重要な課題となっていた。

これらの出来事はみなわが国に「モデルガン」という概念が発生する数年前に起きた出来事と、モデルガン創成期の爆発的な業界の成長に関わる数えきれないエピソードの一端。少しずつ互いに関連しており、その内一つの疑問にさえ答が出れば連鎖的に氷解してゆくのではないか。なんとなくそんな気がしはじめた時、暦はもう十二月に入っていただろうか。しかし実際は何ひとつ足掻きが取れず、停滞が続いていた。

 

 『MGC 奇跡の終焉』という本が、その少し前に出版されていたことを知る。感じるところがあり、神保勉氏というモデルガン業界のビッグネームが書いたこの本を直ちに取り寄せて読み切った。そして神保氏が綴る追憶の端々に、私の中に欠けたままだった知見のミッシングリンクが散りばめられているのを知る。

わが国にモデルガンという名の玩具が生まれる直前の1960年、氏が興した日本M.G.C.(モデル・ガン・コレクション)協会の団体名によってすでにモデルガンという言葉が存在していた。玩具製品が世に出る前に言葉があり、言葉の前にすでにして概念が神保氏の中に確立されていたのである。その当たり前のような事実を再認識したことが、この『MGC 奇跡の終焉』を読んだ最大の収穫だったろうか。


IMG_2551.jpg
 

 九州発の老舗モデルガン史研究ホームページ『Yonyon22.site(旧・Yonyon Home Page)』で突然Lytle Novelty Co.の1956年オリジナルカタログが公開され、詳しい考証に思わず声を上げたのも同じ今月初頭。サイト主宰者のmaimai氏はさすが甲羅にコケの生えた古強者らしく、国内の絶版雑誌や広告類を慎重に援用しながら堅実な推論でLytle文鎮の、モデルガンという言葉の源流に肉薄している。それにしても、選りにも選ってこのテーマでこのタイミング。面白いシンクロ現象に、やってくれたわいと素直に拍手を送りたい嬉しさと感謝の念がこみ上げる。また一歩、モデルガン考古学の進展をみた思いだ。

 

 今月に入って一つまた一つとリンクが繋がりはじめる予感を感じている。予感といってもリンクの在り処が見えはじめた、というか形が見えてきたという程度ではあるが。

 たまたまSunny210氏に別件でメールを送ろうとしていて、不図思い立ってOld West Gun Roomについて何か思い出などないかと問いかけてみる。Sunny210氏は現在ブログ『国内規制適用外』で多方面に亙って健筆を揮っているが、元々はホームページ『ZINC PROPS』時代から一貫してわが国のモデルガンに関する考察を続けているエンスージアスト。実体験としてモデルガン創成期を知る人物でもある。そしてよくよく考えてみれば、1970年代後半からのサンフランシスコと近隣各地の情況を、これまた在米邦人として広く見聞しているはずなのであった。


IMG_2576.jpg
 

 ほどなく来た返信メールを開き、ニンマリと笑った私は頻繁に何度かのやり取りを繰り返す。
 そしていよいよSunny210氏に会うため、コートを羽織り資料を詰め込んだバッグを下げ、師走も押し詰まった東京の雑踏へと足を踏み入れてゆくのだった。

 ブログを書いていない時、私は現実の世界で何か面白い事をやっている。

 




 

 

カバ男のブログ『中田商店文鎮シリーズ』 




 

 

 

関連記事
スポンサーサイト