紅白清涼

 

 美味しいものと美味しいものを、混ぜるともっと美味しくなる。

 冷たいものと冷たいものを、合わせればもっと冷たくなる。

 

 ふん、子供やマヒロの屁理屈じゃあるまいし。大人はもっと色んなことを考えたり、新聞を読んだり電車ん乗ったり挨拶したりするもんなのさ。

 ふふん!

 

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 バニラアイスと氷いちごのダブル食い。人として、どうか。


 ガキ良い子の屁理屈にオトナが降参した日。

 

 





 

 

 

 

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国産ジープの誕生

 

 GP企画センター編『国産ジープの誕生』は、グランプリ出版の手で200012月に出版されていた。戦後アメリカのウィリスCJ型ジープを国内生産することから始まった、わが国に於ける多目的四輪駆動車の開発史概観といった趣の、回顧探訪。ウィリスCJ型というのは戦時仕様のMB型がそのまま民需対応にスライドした派生型のことで、幾つかのバージョンがある。

A5判無線仮綴じの製本で総単色刷り本文は140頁。これに多色刷りコート紙カバー。版元独自のフォーマットに則った軽快そのものの装本である。

なにしろ見返し紙こそあれ、本文束はいきなりタイトルページで始まる気の早さ。めくって無署名の巻頭言「はじめに」が一頁、次に目次も一頁。目次頁の最下段には「装丁/藍 多可思」「イラスト/立川 由美子」のクレジットまでもが押し込まれているという、なかなかきゅうきゅうに切り詰めた、いや潔く割り切った本文レイアウト。資料本としては必要充分、緊張感が却って心地よくもあった。

 

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 表紙及びタイトルページでは書名の「ジープ」に掛けて小さく「四輪駆動車」と記されている。すなわち本書は四輪駆動式オフロード車として一般的なジープという車名をタイトルに用いてはいるものの、アメリカ本国に於いて特定モデルの商品名として続いているJeepに関する内容ではない、という意図を仄めかした表現なのかと思われた。時代はすでにI.T.革命後の2000年。なんのエクスキューズもなく「ジープ」を含むタイトルのまま本書を公刊した場合、早速各方面から矢のツッコミが入る可能性は高く、先んじて動きを封じておく必要性を編集者は感じていたのかもしれない。

 2022年の今ならさしずめ「本書のタイトルにあるジープの文字は四輪駆動車全般の意味で用いられており、特定の商標もしくは云々侃々」などという文言を特記することになるのだろうか。不粋なことである。

 

 本文は第一章「戦前・戦中における四輪駆動車の開発」から始まり、続く四つの章で国産各メーカーの開発エピソードを縷々紹介する内容。「三菱ジープの誕生とその進化」「トヨタランドクルーザーの誕生とその輸出」「日産パトロールの誕生とその活躍」と続き、最終章「いすゞの全輪駆動車の誕生」だけは大型トラック、ダンプの記述に終始している。

 いずれの章にも単色刷りながら非常にたくさんの資料や写真が援用され、輻輳を極めた開発初期の様相を視覚的に理解する扶けとなっている。巻頭言で謝辞が述べられている通り仕様諸元表、各モデルの盛衰を示すフローチャートから広報写真など、メーカー肝煎りの視覚資料が盛りだくさんとなっているのも嬉しいところ。またジープタイプ車の開発とは表裏の関係で開発が進められたウェポンキャリア系の軍用車輛も鮮明な写真で適宜配置され、乗用車ベースのクルマファンにとっては新鮮な刺激かと思われた。

 先のエントリー『苦難の歴史 国産車づくりへの挑戦』でも触れたが、平時産業である国産自動車の開発に隠された軍事技術の進展であっても、それがたしかに自動車発展史の一面であるならば繋ぎ留めて忌憚なく記す。それが編者GP企画センターの面目躍如であり、あたかも歴史家の晴眼かと頭の下がる思いがする。

 

 文章は三菱に全体の半分、残りの半分をトヨタ、日産、いすゞ三社の開発ストーリーに割り振っている。取り上げられた四社の内で三菱だけが述べたようにCJ型ウィリスジープそのものをノックダウン生産することから始めており、これが軌道に乗るまでのさまざまな辛苦やエピソードが前段として含まれているから文書量が多くなったのだろう。いずれにせよ記述は客観的であり、携わった個人の証言などはなく、インサイドストーリーにはなっていない。140頁の本文でこのような記述の按分があり、そこにこれでもかというほど写真・図版が盛り込まれている情況。ややもすると皮相的なペラい文章に流れてしまうところ、そこは流石にGP企画センター、むしろ煮詰めに煮詰めた凝縮感のある文章で手堅く基礎的かつ包括的な知識を提供している。それでいて充分に読みやすい。

今改めて本書『国産ジープの誕生』を通読し、これは『テールフィン時代のアメリカ車』と同じように改訂を重ねて内容を深化させてゆく叩き台のような出版だったのかもしれない、そうであってほしいという印象も受けた。

 

装幀の藍多可思氏と並んでクレジットされている立川由美子氏のイラストは、極初期の不鮮明な車輛写真を補う意味か文中に数点が配されている。また表紙にも三菱の広報・カタログ写真から起こされたと思われるCJ3系幌車のイラストが大きく掲載されており、女性らしい柔らかくほのぼのとした筆致が微笑ましかった。

 

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 本書の下に見えているのは、笠倉出版より1991年5月に発売された新車ビデオ『パジェロ』。述べたように長期に亙ってジープ型車輛を開発熟成してきた三菱自動車が満を持して放った、乗用四輪駆動車パジェロ(二代目)の紹介クリップである。

 当時はバブル景気の余熱なお冷めやらず、国産自動車は全メーカーで新車発表ラッシュが続いていた。人気のモデルには市販直前に必ずこのようなタイアップビデオの企画があり、V.H.S.のセル版は書店の店頭を賑わしたものだ。

 

 リンリンリン。リンリンリン!

「カバちゃん?悪いね仕事中。こないだはポルシェお疲れさまでした~。大変だったよね~まさかあそこで三回転大クラッシュなんてさ」

「児嶋さんどうも。タイヤ悪いからダウンヒルは止めろっつったんすけど、どうしてもターンパイクで撮りたいってゆうんで・・」

「まあまあイイじゃん保険も掛けてあったし。それでさ、来週のパジェロ、撮り大丈夫だよね。今度はゴイスーよ」

「え?・・ああぁ・・」

「女子アナ!女子アナ押さえたから。それも二人も!」

「やだなオンナかぁ。邪魔なんすよねキャーキャー騒ぐだけで。それにツンベAMGの時だって夜んなったらこっそりホテルに男優呼んで違うチームでアダルト撮りはじめっし。でもそんな予算よく取れましたねえ」

「パジェロだぜパジェロ。ばりばりニューモデルだしバカ売れ確実、ばっちり予算もぎ取って来たからさあ。撮ろおよ一緒に」

「ぬー・・。V(ビデオ撮影)のチームは今度もブラックデルタの面々でOKすよね?」

「カメラの吉田だけまだ入院中だからチェンジしてるけどね。なんせ三回転大クラッシュで」

「ああハイハイ・・。はあ~・・。じゃ広報車輛だから田町の地下直入りで」

「二号車はまたイケちゃんの乗りだから、じゃヨロシクね~」

ガチャ!!

こんな風にプロデューサーの口車に乗せられ、サラリーマンだった私はまたもや暗澹たる気分でその年三回目の有給休暇申請書を書くのだった。

そうして気心の知れた撮影チームと共に酒匂川を渡り、真冬の須走登山道を登り、実弾射撃中の東富士演習場に無断突入し、最後は芝公園で盛大にキャンプファイアーを焚くという暴走の果てに完成したのが本ビデオ。プロデューサーの読み通りバカ売れし、実車パジェロの方も納車待ちになるほどの大人気となったのである。・・まさかこんなモノがまだ残ってたとは。

まあ、懐かしいからマヒロが留守ん時にでも回してみっか。

 

 あコレ、回すデッキが・・。




 

 

 

 

 

 

 

 

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Cheeseness Burger To GO

 

 チーズ風味を推しているハンバーガーショップ、Cheeseness Burger To GO。工事中に看板が上がった時「おおChinese Burgerったあ刈包か。珍しいなあ」なんか思っていたのだが、ChineseではなくCheesenessだった。

 Freshness Burgerなら知ってるけど、Cheeseness Burgerってなんかのパクリか?んへへ

 

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 開店当初のひと月ほどは忙しそうだったが、すぐに閑古鳥。

 無理もない。注文も決済もLINEだけしか受け付けず、しかもテイクアウトだけなんて超然たる売り方じゃ、地元の連中誰も買わんだろう。

 その内首が締まってきたか、こっそり「カード支払いOK」の小さな看板を出して来た。だが時すでに遅し、客は増えない。

 さっき前を通ったら「予約なしでも買えます」の看板まで出ていて、草生えすぎてヤギ飼える状態だった。こりゃ潰れる前に一度食っとくか、とゆうワケで誰もいない店に突入した次第。買って来たのはダブルチェダーとブルーチーズひとつずつ。味見するにゃこれで充分。

 

 まあ、パティは極粗びきで塩気もあり、不味いハンバーガーではなかったな。しかしマズくはないが、チーズの味もしなかった。

 チーズバーガー専門店のチーズバーガー食ってレタスとトマトの後味しかしないって、どうよ。爽やかすぎない?フレッシュネスバーガー食ってんじゃないんだから。この辺にゃKUA'AINAもBurger Kingもあるし、島津山の名店フランクリン・アベニューだってある。このままじゃ厳しいだろうな、Cheeseness Burger。

 と思ってネットで検索したら、この店はFreshness Burger のテスト店だった()


 草枯れ果ててヤギなんかもうどっか行っちまったよ。ははは

 

 



 

 

 

 

 

 

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念念不忘 Levi's 501

 

 初めて買った501はウエストが27インチ。ちょっとゆるくて、裾をロールアップして穿いていた。


 あれから幾星霜。ジーンズはずっと501しか穿いてない。その間にいろんなコトが始まったり終わったり、生まれたり死んだりしていった。

 キラウェア火山の溶岩を乗り越え、富士の演習場で迫り来る本物の自走砲に腰を抜かし、ネヴァダまで広島がアメリカにとっての「第二回核実験場」でしかなかったことを突き止めに行き、バンコクの路地裏で立小便をし、京都の教会で忘れ去られたブックデザイナーの全身写真を発見し、とにかくいろんなコトがあったんだ。501を穿きながら。

 

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 こいつエジプト製だって。ヘイティとかメヒコなら分かるけど、なんでエジプト?ブラックジョークか?いや、ブルージーンさ。


 リーヴァイス501オリジナル。エジプト人のせいじゃないけどすっかり形もダサくなり、リー・ライダースと区別がつかないよ。天日干ししても立たない、ペナペナで軽い普通のジーパンになっちまった。笑わせるぜ。

 だがいまだゴーマルイチ。

 

 なんか、味が落ちた老舗の蕎麦屋に通う気分だよな。くっくっく。

 

 

 

 

 



 

 

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先覚者 百瀬晋六 人と業績 スバル開発物語

 

 百瀬晋六刊行会編『先覚者 百瀬晋六 人と業績 スバル開発物語』原刊本(草稿が初めて印刷製本されて図書の形となったもの)書影。平成十一(1999)年十一月ナカムラヤ(書店)ナカムラヤ出版センター発行。

奥付に書名がないため、当ブログではタイトルページにある表現を採ることにした。A5判無線仮綴じで、本文は総単色刷り通しノンブルの192頁。見返し紙を入れず本文束に直接貼り合わせた仮表紙にのみ多色刷り印刷でデザインが施されている。見えているのは帯もカバーもない裸本だが、原刊本はこの状態が完本である。

 発行所のナカムラヤとは、Wikipediaによれば群馬県太田市で十六世紀頃に創業したとされる、歴史ある書店。試みにネット検索したところ現在でも当地で広く営業中らしく、複数の店舗画像が確認できた。地域の活字文化を支えた一種の文化拠点でもあったかもしれない。このことから、本書は元々同店を中心として出版流布されることから始まった、地方出版図書と考えてよいかと思う。新刊当時クルマバイク本の専門店であった世田谷のリンドバーグに入荷したところを偶然目にとめ、幸運にも私は本書を易々と落掌し読破することができた。以来時折書架から抜き出しては往時を偲ぶ愛読書となっている。

 

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 百瀬晋六氏は戦後大同団結した富士重工業にあって、その創業期にスバル360、同1000などの車輛開発を成功させて経営の安定拡大に甚大な貢献をした技術者である。大正八(1919)年二月生まれ、平成九(1997)年一月死去。戦前の中島飛行機出身であり、戦後G.H.Q.による解体を経て再結成された富士重工業に至る、生え抜き本流を歩んだ人物と言い換えてもよいだろう。人柄や逸話は大変多く残されており、カリスマとして後続する若い開発技術者にとっての思想的な支えでもあったとみえる。

 刊行会代表の小口芳門氏による「あとがき」が本書の成立経緯を詳らかにしているが、畢竟これは百瀬氏の物故を承けた追悼出版の体である。しかして主たる執筆者も小口氏と思われるのだが、氏の記述態度は飽くまでも奥床しく、自ら執筆者として明記した部分が見出せなかった。なので当エントリーでもその意を汲んで刊行会編というスタンスに留めておきたいと思う。

 

 述べた通りの装幀なので、仮表紙をめくると早速タイトルページが出現する。本文は「第一章 百瀬晋六氏の生い立ち」「第二章 中島飛行機時代」に次いで主文「第三章 スバル360(てんとう虫)開発物語」「第四章 スバル1000開発物語」と続き、初期スバル車の開発現場の様相を通じて百瀬氏の人となりが語られてゆく。最終章「第五章 百瀬晋六氏とその人物像」は導入までが小口氏の手になり、そこから後半はすべて生前親交のあった知己やスバルファンから寄せられた追悼文の集成である。これに序跋の類と略歴、詳細な参考資料リスト、近しい人物の提供であろう珍しい写真のかずかずが添えられている。第一から四章までの伝記編と第五章追懐文集の頁数が拮抗しており、百瀬氏の幅広い人脈や氏を慕う人士の多さそれ自体がすでにして故人の人となりを雄弁に物語っているのが驚きなのであった。

 

 本書はNDL ONLINE(国立国会図書館を中心とした蔵書情報検索サイト)でもヒットしなかったところをみると、残念ながら系列図書館での収蔵はない模様である。古書サイト「日本の古本屋」でも試したが、僅かに一冊、腰が抜けるほどの値段で売りに出されていた。記憶では原刊本はかなり早い時期に増刷されていたはずだが、してみるとそれらのほとんどは刊行後二十年以上もの間愛蔵され続けているものと思われる。自動車関連図書としては相当に珍しい現象であり、このことからも百瀬晋六氏という人物に哀惜を寄せ人間的な興味を抱く人々が如何に多かったのかが推察できるようである。まさにわが国自動車業界が生み出した草創期の巨人、技術的カリスマ。

 そういうワケなので、当エントリーを読んだ古書商いの諸彦は早速本書の在庫調べをし、あれば物惜しみせずどしどし店頭に出していただきたいものなのである。


 平成十三(2001)年には同刊行会編として『スバル360を創った男 飛行機屋 百瀬晋六の自動車開発物語』が出されている模様。こちらは家蔵しておらず内容は分からない。本書『先覚者 百瀬晋六』の改題新版なのか、あるいは全く異なった書下ろしなのか。

 

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 1960年代、「町」を出ると国道はまだ砂利道か造成中の箇所の方が圧倒的に多かった。理由は憶えていないが、私は父のカローラに押し込められて関東平野の真っ只中を爆走することが屡々あった。季節はいつも真夏。三角窓を全開にして油照りの農村地帯から山の端を土埃を蹴立てて走り回ったその記憶の風景は、常にスバルのふるさと群馬なのであった。


 『カバ男のブログ』で夏になるとスバルの本をとり上げがちなのは、あの体験があったからなのだろうか。

 

 

カバ男のブログ:『スバルの歴史』

 

 

 

 

 

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