THE SKYLINE Symbol of 25 Years of Quality(Since1957)

 

 講談社編『THE SKYLINE』は、昭和581983)年8月に刊行されていた図説。サブタイトルとして「Symbol of 25 Years of QualitySince1957)」の文言があり、これが表紙平や奥付など随所に明記されているのが分かる。装飾的な意味合いが多分に認められる本扉や表紙だけならいざ知らず、まったく奥付にまで同じサブタイトルを長々刷り込んでいる編集者の気は知れない。バブルの前後頃までは、このようにタイトルにイミフな英字だけダラダラ並べたクルマ本、結構流行っていたのである。

 しかし自分で決めたことなので、書名としては尋常ならざる冗長さだが、当ブログ(=廃墟自動車図書館)ではタイトルとしてそこまでを採ることにした。まさか本書の編集者は、あの長いタイトルが身上の誠文堂新光社出身だったのではあるまいか(笑)

 

見えている通り本書は横開きの珍しい桝形変形本で、外形実測値(ヨコ×タテ)255×240㎜もある準大型本。本文は多色刷り総アート紙の無線綴じで、通しノンブル217頁建て。紙質のせいもあり見た目より相当に重く、かつ横長横開きのブックデザインもあり、気を付けて取扱いはしてもなお頁の脱失や背固めのホットメルト割れなど心配の種が尽きない。なるべくなら書架から出したくない本なのである。

とはいえ書架から出さねば緻密な本調べなど覚束ないワケで、出したついでにパラパラ漫画よろしくばらばら捌いて頁の間に新しい空気を送り込んでやる。これを二三回繰り返すだけで、グラビア印刷された厚口アート紙の頁同士が貼り付いてしまうのを防ぐことができるのだ。

今回改めて色々ネット検索してみたが、別紙カバーや帯といった外装附加物を纏った同書の画像は見出せなかった。

 

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いつ頃手に入れたのかはっきりとした記憶のない蔵書だが、手許に来てから二十年余は優に経過しているはず。あれは・・、あれは名古屋あたりの古本屋だったか。そこそこお疲れのコンディションに似合わず強気な値付けをしていたものだから、『勝負とスピード』とか『中京自動車夜話』とか、当時はすっかり忘れ去られて二束三文だった珍しいクルマ本と一纏めにして値切った記憶だけが残っている。I.T.革命()前夜、古本商いの世界はまだまだ情が深かった。値切るといっても「旅の者です。少し面倒みてもらえませんか」「お手許不如意でしょう、お食事代にもなりませんが」など阿吽の呼吸で応じてくれる店もたくさん残っていたのである。

 

 本書は昭和321957)年のデビューから二十五年が過ぎたスカイラインへの、記念出版的な意味合いの濃い企画と思われる。

スカイラインはもともと、プリンス自動車を合併して成立した富士精密工業という自動車メーカーからデビューした乗用車の、マスコットネームである。それは1,500ccエンジンを積んだ4ドアのセダンだった。その後富士精密が「プリンス自動車工業」と社名変更され、わが国に突然のモータリゼーションが巻き起こる中でのレース参戦。国産の一般乗用車が純粋なレーシングマシンであるポルシェ・カレラ4を抜き去った「スカイライン伝説」によって、プリンス・スカイラインは一躍モータースポーツの世界にその名を轟かすことになる。そのプリンス自工が今度は日産に合併されるという流転の中で、本来なら併合される会社の商品ブランドなどかき消されてしまうところ、圧倒的なモータースポーツ・イメージに価値を認められて固有モデルとして継続されてきたのである。

 述べたような経緯を持つスカイライン、本書は主としてそのコンペティション・フィールドに於ける生成発展を、膨大な写真と多士済々な寄稿によって跡付ける図説。スカイライン伝説を生んだS54シリーズから始まり、ツーリングカークラス50勝(49連勝含む)の大記録を打ち立てたPGC10およびその後の各モデルを経て、刊行当時まさに発売直前だった通称「鉄仮面」R30RSターボで締められている。同時に記述の流れはプロトタイプレーサー「R」シリーズ、スーパーシルエット(国際規格Cクラス相当)と、市販乗用車スカイラインの開発と密接不可分の関係にあるレーシングマシン群にも同じ比重で及んでいる。

 

写真はすべて同時代の記録画像。サスペンションを深々とストロークさせながらまさに死闘とも言える激しいレースを展開する各モデルの雄姿が、銀塩の荒れて殺気すら感じさせるアナログ画像として、すべての頁に定着されている。

桜井真一郎氏をはじめとして寄稿やインタビューに名の現れる諸氏もまた、各モデルの開発に実際携わられた方々ばかり。その時その場にいた者の言葉が本文の随所で輝いている。そして刊行当時は存在が確証されていなかった幻のレーシングマシン「ニッサンR383」の実車写真と詳しいスペックの公表も含め、非常に時代性の濃い記述が縷々続いてゆくのであった。

 

 



 

 

 

 

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書鎮玩弄

 

 使いみちがよく分からない金属製の物体。

 

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積み上げた本を象っていて、小振りな文鎮のようにも見える。あるいはデスクの片隅に置いておくマスコットなのかもしれない。実用を期待して作られた品とも思えぬし、そもそもその点からして不明なのである。

 見えている画像で左右方向が長手(長辺)、大体11㎝くらいはある。および手前から奥への妻手(短辺)が7㎝ほどだろうか。一番厚い部分は2㎝強といったところ。

 

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 裏面の陽刻は「博文館三十周年記念」「光雲」と読めるが、古代の漢字を模しているので訓に自信はない。これが戦前の大手出版社・博文館の記念品だとすると、その創立三十周年は1917(大正六)年になるのだが。

 蝋型の精巧な銅鋳物ながら、蜜蝋を捏ねた一点製作品ではなく数物である。ほぼ新品の状態で、無傷でほとんど手擦れがない割に、伝統技法の鉄漿(お歯黒)掃きに似た黒染めの佇まいは重々しく時代がある。なので自分では勝手に百年以上も昔の品と敬って、日頃は貴重書キャビネットの奥深くに安置している。

 

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 象られているのは本の姿をした何か。三冊が三様の成り立ちを示しているのが面白い。見立てを試みてみよう。

まず一番上の一冊はカルトン背継ぎ丸背の半革装幀本で、書籍。背革には深シボの本革を用いており、表紙平との接ぎ目には二本の金線を箔押しし、デザインを兼ねた革の剥がれ止めとしている。四六判の大衆文芸書ででもあろうか。

 二冊目はB5判大の洋式帳簿。背角革貼りで、深シボの背革が平と継がる部分には帳簿製本特有の深溝が設けられている。背革部分に艶鏝を当てずシボのまま使っている点、背の天地には飾り背バンドに見立てた二重線を金箔押ししている点など、さほど高級な品ではないことが分かる。

 一番下で半ば風呂敷に隠れてしまっているのは、A4判ほどの大きな和本である。四ツ目綴じ薄冊の二巻本を一帙に纏めて収めている。帙(ちつ)には緩みも歪みもない初(うぶ)な様子を見てみれば、もろ屋に綴じ直させた江戸期の歌本などに後補で誂え合わせた体かと推察できる。だが、この帙の仕立てもごく尋常で百年前なら高級品とはいえない。

 これら三冊の書籍帳簿が今しも風呂敷包を解かれた様を、このマスコットは縮小された世界で表現していると思われた。

 

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 春の日のひねもす窓辺に陣取り、片目にはルーペを嵌めてこの文鎮マスコットを表から裏から矯めつ眇めつ。時々資料を引き出しては読み耽り、また歯ブラシなんぞで細かい隙間の埃を払ってみたり。

世間無用のカバ男。忙中閑のこんな遊びもまた、そこはかとなく雅で面白かった。

 

 

 





 

 

 

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初櫻遙拝

 

 西五反田。

 環状6号山手通りで信号待ちながらの青空鑑賞。毎度ヌケの悪い絵面でがっかりだけど、街中じゃあせいぜいこんなもんか。


 あの空の向こうにゃ桜の代紋・警視庁がある。開花宣言の目安になる桜が植わった靖国神社もある。お濠の桜がキレイな宮城もある。

 もうすっかり春の色ですな。

 

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 EARTHWIND、・・・・て ” and FIRE ” が抜けてないかあの看板。

 

 あ、賃貸業でFIRE(火事)はマズイのか。ははは

 

 

 



 

 

 

 

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蒲田駅西

 

・・・・・

神保さん、僕のコマンダー、どうしたんでせうね。

ええ、夏、蒲田から下丸子へゆくみちで、農業用水路に落としたあのコマンダーですよ。

 

神保さん、あれは好きなモデルガンでしたよ。

僕はあのときずいぶんくやしかつた。

だけど、いきなりオート三輪が飛び出してきたもんだから。

・・・・・

 

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 蒲田駅西側、東急池上線と多摩川(旧・目蒲)線の集合ホームの賑わい。両路線ともにここが始発駅となっており、線路はここから発している。

 

 1961年。あの夏、このホームはもっともっと賑わっていたのだろう。高度経済成長の波に乗って、京浜工業地帯のど真ん中。朝夕の通勤時は若い男女の工員でごった返し、わんわん爆発するような活気に溢れていたはずだ。

 そしてこの地で生まれたばかりのモデルガンは瞬く間に巨大産業へと成長し、Made in Japanと誇らしげに刻印された製品群が世界中へと拡散していった。


 1961年、夏。Modelgun Age の始まり。

 それをこの目で見たかった。

 

 







 

 

 

 

 

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自動車に生きた男たち

 

 刀祢館正久『自動車に生きた男たち』書影。

本書は、わが国の自動車業界に於ける企業人列伝であり証言集で、昭和611986)年1月に新潮社から発行されていた。

 四六判無線綴じの本文は写真版とも単色刷りで、通しノンブル239頁。カバーを外して現れる本冊は、一見ありふれたカルトン丸背として見過ごしそうなほど素っ気ない仕立て。しかしよく見るとその表装には手漉き風の洋紙が用いられ、古めかしげな紋章と意匠で半革装幀のような雰囲気が醸されている。略式の花布と栞紐も卒なく備わり、茶系で纏めた色彩計画を含め、洋装本のセオリーに則った雅味はクルマ専門書の及ぶところではない。

 巻頭に別葉のタイトルページが合綴されており、めくって「はじめに」六頁建てから目次へ。本扉の裏に「装画 中島敬」の別記が見出せる。「装画」とはカバーに半調で再現されている各車のイラストを意味していると解釈しているのだが、実際にはどうなのだろう。

 

 見えているのは販売促進用の帯までが残存している完本。数年前の神保町散策で入手したこの個体にはレシートが保存されていて、昭和6127日に大手町ビルの紀伊国屋書店で販売されたことが分かっている。奥付に記された発行日は120日なので、取次経由で配本された直後にはもうお買い上げとなっていたワケだ。或いは新聞の新刊案内などに呼応して予約注文されたものだったのかもしれない。

いずれにせよ、丸の内に次ぐ格式のビジネスセンター地区でこの本が発売早々に売れていた。その事実を知ってしまったことが、なんとはなく私には嬉しかった。

 

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 「あとがき」によれば、本書は朝日新聞に昭和六十年まで連載されていた「20世紀の軌跡」というシリーズ記事の内の自動車パートをベースに、ほぼ全面的に加筆訂正を施したものだという。加筆に当たっては関係者への聞き取りなどを行い、採録した大量の証言を軸として文章を再構成した模様。

 私はこの連載記事を読んではいないのだが、そもそも新聞の連載企画ものというのは粗密の開きが大きく振り返っての通読に堪えないクオリティーのものも多いので、アップグレードされた本書を読み通せば事足りるものと思っている。

 本文は「第一章 草分け時代」で1904(明治三十七)年にあった山羽虎夫氏による国産第一号自動車の製造とその公試(公式試運転)から筆が起こされている。続く戦前部分を自動車工業会『日本自動車工業史稿』及び自動車工業振興会『日本自動車工業史座談会記録集』からの引用。戦後に続く部分は各社社史などの資料を援用しながら、独自取材による証言を多く紹介する構成となっている。ただ本書の執筆趣意は証言集なのであり、文書資料に多く依存せざるを得なかった戦前篇の記述には残念ながら精彩を欠いている印象も否めない。全体の分量からすると十四章に分かれた本文の冒頭三章分ほどが戦前篇、プロローグということになるのだろうか。

著者の刀祢館氏は飽くまでも自動車工業に携わる「男たち」の人間描写を目指しており、戦後部分は彼らが創業(所属)した各メーカーの動向に沿って記述されている。そのため読書の進捗に応じて時代はやや錯綜しながら、国民車構想とか自動車輸出の開始、排気ガス規制など折々のトピックに纏わる自動車人の活躍が描かれている。その意味では、刊行時期は相前後するが桂木洋二氏の『苦難の歴史 国産車づくりへの挑戦』を時経列的に承けて好一対を成すといえるかもしれない。

 

 戦前は技術も資金もほとんどない情況からいきなり純国産車の製造に挑む、生みの苦しみ。戦後は資本も調いようやく軌道に乗るかと思ったのも束の間、貿易の自由化による輸入車攻勢、戦後初の自動車輸出、排ガス規制、オイルクライシスなどなど。わが国の自動車事業に順風満帆四海波静かの時期など長続きしたためしもなかったのである。国産自動車の歴史は、常に克服不可能と思える課題への挑戦の歴史。技術的経済的な課題をブレイクスルーするたびに、日本車は国際市場からの絶賛とバッシングを受けながら成長してゆくのだった。

しかしメーカーが課題を克服するためには、活路を求めて苦闘した「男たち」がそこに必ず存在していなければならない。本書はそのことを、彼ら自身の言葉によって生々しく思い起こさせてくれる構成なのである。惜しむらくはこの面白いクルマ本が初版から続かずに現在絶版中らしきことだが、試みにAmazonや古書販売サイトを覗けば珈琲一杯ほどの値段で結構な数がヒットしてくる。

粗削りだがパワーに溢れていた昭和時代を懐かしむ自動車ファンにとって、望めばこのような本がまだ手に入るという点では、まだ救いは残されていると言い切ってもよろしかろう。

 

 

 

 

 

 

 

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パンダとビートルズ

 

 ビニールレザーのソファで足伸ばしてふんぞり返れて、ビートルズのレコード四六時中の垂れ流しが聴けて、席でそのまま煙草が喫えてボタンひとつでパンダカプチーノが運ばれて来る。夢のようだ。客もいない。

 天国か?

 

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 上野アメ横は摩利支天徳大寺の地下にある、二木喫茶部にて。

 昔っからパンダ推しなんだよねココ(笑)。そのパンダ愛は純愛。清らかな無償の愛。


 あ間違い間違い。無償じゃなくて、パンダカプチーノは700円だった。

 

 

 

 

 

 

 

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