桂木洋二『苦難の歴史 国産車づくりへの挑戦』一冊本書影。
本書は2008年12月にグランプリ出版によって刊行された、国産自動車に関する歴史探訪書である。A5判サイズ、本文用紙を折丁に作らない無線仮綴じの軽装本。この本冊に多色刷りコート紙のカバーが掛けられている。写真挿絵入りの本文は単色刷り220頁。目次頁をめくって本文第一頁の対向に「装幀:藍 多可思」のクレジットを認めることができた。
タイトルの通り、内容は戦前のわが国で行われていた自動車国産化の動向を述べた詳しいレポート。舞台が戦前だからなのか、『敵討肥後の駒下駄(かたきうちひごのこまげた)』とか『蔦葛木曽棧(つたかずらきそのかけはし)』などといった当時の大衆文芸書を敢えて踏襲したような大仰なタイトルに、繙く前から否応なく激動のドラマを予感させられた。
巻頭に「はじめに」として各章の内容と執筆方針を概説した、著者自身によるオーバービュウ三頁がある。続く本文は「第1章 国産自動車への最初の挑戦」から始まり、おおよそ時間の流れと共に自動車国産化に挑んだ開拓者と企業の興味深いエピソードで八章に大別され、各章の中には小見出しまで設けられている念の入れよう。本書に賭ける意気込みがひしひしと感ぜられる一方で、しかし段々と現代の書下ろしであることを忘れて戦争直後に書かれた回顧資料の覆刻版でも読んでいる気になってくる。ハタと気付き、なるほどこの面でも懐かしい大衆文芸の手法に倣ったかと、つい頬が緩むのであった。
わが国に於ける自動車国産化の挑戦は1911年の快進社創業あたりから徐に事業化への胎動が兆し、それ以前1898年のテブネ氏による自動車初上陸から十年余りというものは、その準備期間とでも呼ばざるを得ないほどに低調であった。これはそもそも当時の民間には自動車に対する理解もニーズも薄く、かつ高度な総合技術品である自動車を独力で設計製作できるほどの工業力がほとんど存在していなかったのが原因である。明治末葉のわが国は殖産興業とは名ばかりで、産業革命にすら完全に乗り遅れていた。
もちろん中規模な工場設備を構えた初歩的な製造業は存在していたものの、使われる工作機械は全て輸入品、機械の維持管理から操業面の大半も外国人技術者のノウハウに頼らざるを得なかったのが実情である。当然高精度な機械工業はなく素材に関する知識すら乏しく、技術立国とはほど遠い有様であった。いうまでもないことだが、陸上の交通輸送は江戸時代そのままに牛馬や人間が担っていたのである。
しかしそんな中にも輸入したエンジン付きシャシーに木造のボデーを架装することから始まり、曲がりなりにも「国産自動車」を標榜すべく何人かの起業家や技術者が苦闘を始めていたことが、「第2章 先駆者ゆえの国産化の苦闘」あたりまで読み進んでゆくとよく分かる。その後は「第3章 大企業による自動車事業への進出」、「第6章 フォードとゼネラルモーターズの日本進出」など、わが国の初期自動車工業界にあった大きな転換点を中心として、前後の事情が詳らかにされてゆく。
先のエントリー『日本自動車史年表』でも述べたように、事実の累積は整備された年表を読むことで大きな流れとして掴むことができる。そしてそこに秘められた人間ドラマも、事実と事実の関連を読み込むことで相当自由な推察が許されるところに楽しみがあった。しかし、無味乾燥とも言える年表の箇条書きを睨みつけながら想像力MAXで往時の社会や企業の動静をイメージし続ける読書というのは、実際のところ疲れる作業でもある。その点で本書は、2006年に発行された『日本自動車史年表』の戦前部分を一定のストーリーに沿って敷衍してくれる副読本のような読み方もでき、重宝だった。
出来事を知るという意味では、自分の脳内で情報を繋ぎ合わせながら想像を膨らませてゆくよりも、やはり文章の流れを追って読んでゆく方が正直なところ楽である。その分気付きや発見も多い。遅蒔きながら、歴史ものの読書は楽が一番だったと正直に認めたい。
本書の内容でとりわけ私が興味深いなと思ったのは「第5章 軍用保護自動車制度による国産化」の部分で、この章では1918(大正7)年に施行された「軍用自動車補助法」の成立経緯とその実施事例が詳しく述べられている。
わが国の自動車産業が帝国陸軍の主導によって産業としての自立を始め、自動車の純国産化は軍用を主体としたトラック生産の本格化によって初めて営利事業としての活路を見出せたという事実。自動車大国ニッポンを強烈に起動したのが帝国陸軍であったという揺るがぬ事実。これを正面から忌憚なく取り上げたという点で、本書は過去に市販された自動車関連図書の中では一頭地を抜く非凡な事例になり得たといえよう。
帝国陸軍は日露戦争(1904)に於いて初めて近代的な総合火力戦を経験し、続く第一次世界大戦では中国青島(チェンタオ)にあるドイツ軍要塞への飽和攻撃(1914)成功によって大規模集中火力の有効性を確認。その教訓から非常に早い段階で、軍用トラックによる物資輸送の大量高速化が戦場の雌雄を決するとの確信に至っていた。
しかし見渡せば国内には自家製大型トラックを製造しているメーカーなどどこにも存在せず、乗用車はまったく輸入車の一辺倒で、要は大正時代になってもまだわが国の運輸交通は不毛な情況が続いていたのである。そこで政府に対して強力に働きかけ、軍用のトラックを製造してくれた国内企業に補助金を出す仕組みを法制化。それでもなお名乗りを上げる企業は乏しく、困った陸軍は自ら研究用に輸入していた実車をはじめ設計図面から各部品の製造用治具鋳型から一切を提供したうえ技術武官まで派遣して、ようやく数台の純国産軍用トラックを製造してもらったという始末。
そうして軍によって蒔かれたトラック国産化の種は紆余曲折しつつ小さな芽を吹き、これがゆくゆくは技術経済大国日本を世界の舞台へと登壇させる基幹産業として大きく花開いてゆくのである。忘れられたこの事実が生半可な戦争アレルギー抜きで詳述されているこの第5章を読めるというだけでも、本書には手許に置く価値が十二分にあると思う。
その後も種々と興味深い戦前の出来事が続き、やがて本書は「第8章 「自動車製造事業法」とトヨタ・日産の登場」として威風堂々戦後への余韻を曳く大団円へと進んでゆくのであった。
本書は、読むほどに遥けくも険しい自動車国産化の道程である。しかしようよう百年余りもかけて辿り着いたその結論が「電気自動車」で「自動運転」とは、嗚呼やんぬるかな何処へ向かうや自動車ニッポン。この先に果たして打つ手はあるや否や?もの作り製造業の前途や如何に?!
続きはまたのお楽しみ。
さあさあ、どちら様もお代は見てのお帰りだ。ででんでんでん・・・