したじき

 

 下敷が9枚。

以上、紹介終わり()

 

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 とはいうもののカバ男の分際がそう簡単にエントリーを切り上げるワケにもゆかないので、多少解説を試みてみよう。

 これらの下敷は、関東運輸局管内自動車標板協議会という団体が発行し、無料で配布したものと思われる。セルロイドもしくはポリカーボネイトの単板でB5判両面多色刷り印刷。厚みもあり靭性も高く、下敷としてのクオリティは非常に高い。改訂を重ねていて、発行年月の表記がある版とない版がある。見えている中で最も古い期日は平成61994)年3月とあり、それ以前と思われる期日表記のない版も一点含まれている。

 これらは次に紹介するクルマ本をごそごそ探していて、本棚の奥から発見したもの。しかしこの手の品は古書店などで取り扱わないし、入手した経緯や時期などまったく記憶に残っていない。

 

 どの下敷にも「関東運輸局管内自動車標板協議会は関東運輸局管内に於ける自動車登録番号標交付代行者及び同製作者で組織している団体です。」と書かれている。つまりこの長ったらしい名前の団体は、関東運輸局の管轄する車検場でクルマに貼るナンバープレートの発給を代行する業者や、プレートの製造業者で結成していた任意団体なのだろう。そしてこの下敷は、彼らが存在をアピールするために作って配った、一種のパブリシティーグッズなのかと思われた。

「官」だの「局」だのずらずらと並べ立てた民間団体は運輸行政のあちこちで見かけるが、どの団体を見ても、いかにも利権擁護団体でございますという胡散臭さが特徴である。実際この協議会も団体名でネット検索などしてみれば、真偽はさておき天下りの受け皿云々をはじめ色々ネガティヴな情報に満ち溢れている。

なにしろ関東運輸局の陸運行政は東京・神奈川・埼玉・群馬・千葉・茨城・栃木・山梨の八州にそれぞれ陸事(陸運支局自動車検査登録事務所)を有し、車検や名義変更などクルマに関するあらゆる事務を行う大規模なものである。そのすべての陸事に加えて軽自動車の検査協会にまでミッチリ食い込んで、ナンバー交付の実務を一手に請け負っていたのがこの協議会なのだろうから、それはそれは大きな利権に違いない。現在では全国自動車標板協議会と発展的に改組しているらしい。

 

 手許にある下敷は、表面に「検査・登録関係手数料」「自賠責保険料」の早見表、裏面には「重量税」「自動車税」早見表が記されているものが多い。そして手数料や租税公課の改訂があるたびに、下敷の方も律儀に改訂新版を発行していたようだ。察するにこれらはクルマ屋や自動車保険を扱う保険会社の事務員などを想定し、書類作成を支援する体のお役立ちグッズ。あのペテンのように複雑怪奇な自動車事務に精通するプロならいざしらず、ペラい聞きかじりと口先だけの私には、残念ながらその真価は計れない。今となっては諸手数料の変遷を知る面白い回顧資料として、それなり価値もあるのだろうか。薄い物なので本棚の片隅に立てておいても邪魔にはならない。

 

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それとは別に、ナンバープレート現物の種々相や車輛との相関を示す絵解き版、道路標識一覧図などの版もある。こちらは陸運行政とは直接なんの関連もないのだが、「あんぜんな自転車の乗りかた」など交通安全の啓蒙的な版もあり、協議会が運輸と警察の相互連携を翼賛するポーズを示している(その割には42-49=死に死苦の番号がやけに目立つ縁起の悪い絵面ではあるが)。私は数字ばかりの早見表なんかより、こちらの方がずっと面白くて好きなのである。

これのおかげで、地元でも頻繁に見かける青地に白文字で「外」「領」「代」と記されたナンバーのクルマなどを私は警戒しなくなった。それらが単なる外交団雇員の乗用車であり、警戒すべきは外交官本人や領事が実際にリヤシートでふんぞり返っている「マル外」「マル領」など丸囲いナンバーの車輛であることを、この下敷で学んだからだ。

ほかにも路面電車の停留所などに立てられた「安全地帯」の道路標識など、関東では大昔に絶滅してしまった懐かしいものも載っている。自分の物なのに見はじめると新鮮で、時を忘れて楽しかった。


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 画像検索してみると、ネットオークションでは、これらと同じ下敷で平成21990)年あたりの版も出品実績があるようだった。なのでこの協議会下敷の時経列的な全貌はいよいよ分からない。現在に至るまで連綿と改訂増刷を繰り返しているようにも思えるし、ほかにももっと面白い絵解き版などがあったのかもしれない。


まあなんのかのと悪評嘖嘖な発行元はさて置いて、下敷自体の目指す処はいたって健全真面目なワケで、思わぬ退屈しのぎで楽しめたところをヨシとしたい私なのであった。

縁があるのかな。も少し集めてみっか(笑)。

 

 

 

 



 

 

 

 

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自動車屋錦寿の警告

 

 松村茂平著『自動車屋錦寿の警告(くるまやきんじゅのけいこく)』書影。本書は多摩陸事(陸運事務所)車検場の常連で「神様」と敬愛された自動車整備業者、比留間錦寿氏の半生記。叢文社より昭和五十九(1984)年二月に発行されていた。

B6判カルトン丸背クロース装、単色刷り本文264頁。クロース装というのは、紙でくるまれるのが普通な書籍の表面を製本用クロース(裏打ちされた布帛)に換え、品位と質感を高めた装幀のこと。刊行案内で「上製本」などと表記されているのは、おおむねこのクロース装と考えてよいだろう。これに図案を施したカバーが掛けられている。

画像にはないが新刊当初はアイキャッチのための帯が巻かれて配本されたらしく、たしかにカバーデザインも帯が前提のように見える。

 

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 比留間錦寿氏は明治四十一(1908)年六月三十日、所沢に生まれる。空前の大不況がわが国を襲った大正十二(1923)年に尋常高等小学校を卒業し、同じ所沢の帝国陸軍気球隊自動車工場に就職。初めて与えられた仕事は軍用トラックのエンジンにこびり付いた泥を拭き取ることであったという。

「職工見習い」として始まった氏のメカニック人生は、自動車整備一筋と心に定めた猛勉強が天性の鬼才を触発し、花開いてゆく。しかし決して順風満帆といえるものではなかったようだ。気球隊の千葉移転に伴う失職と民間への転職、家族の死、戦争、と自らどうすることもできない大波に比留間氏は翻弄されてゆく。主人公のこの険し気な歩みとは、戦中を生きた日本人の誰もに通ずる辛苦といってもよいだろう。

それでも著者である松村氏の筆は不必要にドラマチックな脚色をせず、一技術者としての比留間氏の歩みを詳細かつ淡々と綴ってゆく。その結果本書260頁余りの紙幅は過半を戦前編に費やされ、余が戦後復興編となった。

 

この本は飯も碌々食わずに通読した記憶がある。

わが国自動車産業の黎明期、その中心はたしかに帝国陸軍であった。日清日露の戦役を経て、高度に機械化された近代戦の遂行を念頭に軍が要求する運転技能や整備技術の進化が、わが国に於ける運輸交通全般の水準向上を強く促していたことに疑いの余地はない。

本書を読みながら、私は戦中戦後を一貫して歴代首相車輛のドライバーを務めた柄澤好三郎氏の証言録『バックミラーの証言』を思い出していた。この柄澤氏も大正十一(1922)年に帝国陸軍入営。直ちに自動車隊に配属されたことが、のち総理大臣付ドライバーとしての活躍に繋がってゆくのである。


本書には、大正半ばから大東亜戦争の敗戦まで資料や記録の亡失が最も著しい時代の自動車整備や航空機(爆撃機)生産の様子が、たいへん具体的に描かれていて面白い。もとより一篇の小説として上梓されてはいるのだが、著者松村氏の周到な取材による言葉の採録が、整備工場の活気や比留間氏の人間性を輪郭鮮やかに浮かび上がらせているようだ。ことに陸軍内部に於ける極初期の自動車整備の実態。ここに現れる軍用車輛の車種や運用の情況を語る比留間氏の言葉は朴訥ながら、その時その場にいた者でなければ決して語ることのできない重みを感じさせている。

比留間氏が初めて軍用車輛という機械に触れた大正十二年、自動車国産の実態は東京の白楊社がようやく小型乗用であるアレス(オートモ)号の生産を始めた程度の心細さ。それ以前にあった自動車国産の試みは悉く水泡に帰しており、純国産の軍用大型トラックを生産することなど夢のまた夢といったお寒い情況だったのである。

そのような中で、不況のため心ならずも帝国陸軍気球隊自動車工場~無給のブリキ鈑金職人~石川島飛行機(爆撃機の製作)~再び陸軍飛行学校の自動車班と短い期間で流転を余儀なくされた比留間氏。しかしその経歴はひとつとして無駄とはならず、かつご本人の整備に対する強烈な好奇心とセンスで自然と自動車関連の役職を引き寄せてゆく過程が愉快だった。

 

比留間氏が「鬼才」を謳われつつ自動車整備の世界で頭角を現してゆくのは、奇しくもわが国に於ける最初の自動車大増殖期とシンクロしている。除隊した柄澤好三郎氏が民間では数少ない運転技能者としてたちまち政・官界からの取り合いに巻き込まれていったのと同じような情況が、軍の車輛整備に於いてもあったと考えてよいだろう。ご両名ともに「腕(ぶら)一本」の気骨で斯界の先頭を走り抜けた、現場のパイオニアとでも評すべき存在だったと思われる。

そして困難な自動車仕事に集中を続ける鬼才であっても、黙ってそれを支える周囲の女性連には到底敵し得ないことまでが似通っていて、これもまた面白かった。

「私がつれてくるから、しっかり腹くくっておくのよ。偉くなったからって、私らには威張れないのよ」

脊髄カリエスで妻を亡くして抜け殻のように茫々と日を送る比留間氏に、後妻を勧める従姉がぴしゃりと決めつけるこのセリフ。読んでいる私までついシャンとしてしまう。

 嗚呼、ベルタ・ベンツ夫人のロングツーリングからこっち、クルマの世界を支配する本当の黒幕はオンナなのである()。トホホ。

 


 

 カバ男のブログ旧エントリー:『バックミラーの証言』

 

 




 

 

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力道山のロールスロイス くるま職人想い出の記

 

 中沖満著、グランプリ出版発行『力道山のロールスロイス くるま職人想い出の記』書影。山海堂を発売元として昭和571982)年6月に発行されている。

四六判カルトン丸背作り、無線綴じ単色刷り本文222頁。見返しの次に厚口アート紙で飾りタイトルが挿入されており、その次のタイトル頁から通しノンブルが起こされている。これにカバー掛け。

表紙に硬いボール紙芯を用いたカルトン仕立てと呼ばれる製本法であり、束の天地には略式の花布(はなぎれ)が貼られ、スピン(栞紐)もきちんと綴じ込まれている心遣いは嬉しい。惜しむらくは本文用紙が軽装本に近い網代(無線綴じ)で綴じられている点だが、ここまで手堅く纏まった書籍を敢えて半革装などに改装するような好事家もいなかろうし、妥当としたい。

目次頁の末尾に「カバー装幀 藍多可思」「カバー及び本文イラスト 榎本竹利」のクレジットが認められた。

見えているサンプルは同タイトルの書籍として初めて世に問われた、原刊本である。状態からして古本として入手したものと思うのだが、生憎仔細はきれいさっぱり忘れてしまった。この状態で完本かとも思えるが、下半分がスカスカのデザインは、或いは帯などがあったのかもしれない。

 

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 本書は、自動車関係の塗装工であった中沖満氏の自叙伝。氏は玄人筋では名の知れた市井の職人でありながら、熱狂的なモータリストとしても飾らない人柄で広く敬愛を博した人物。その中沖氏が来し方を、仕事で触れ合ってきたクルマや人を軸として淡々と書き綴っておられる。サブタイトルで本来なら「思い出」とするところを「想い出」としているあたりに登場人物やクルマに対する深い共感とそこはかとない情趣が漂い、繙く前から好もしい印象があった。

 中沖氏には遡る昭和551980)年9月に、恐らく初めての著書と思われる『ぼくのキラキラ星 沢山のオートバイと仲間達と』がある。この本は多くの読者を得ながらも早々に絶版となっており、三年後グランプリ出版から大幅に加筆された増補新版として復刊されている。

 その復刊『ぼくのキラキラ星』の著者紹介によると、中沖氏は1948年にわたびき自動車工業という整備工場に入社以来、一貫して塗装職一筋に歩まれた人物。一方プライベートでは1975年にライダーズミーティング(決められた日時にオートバイ乗りが集結して同好の誼を通じる会)の草分けである浅間ミーティング・クラブを設立。月刊誌『ヤングマシン』『ライダースクラブ』などへの寄稿と、主に旧車と言われるちょっと古めのバイクを中心としたエンスージアスティックな活動が目立っている。単独の著書だけでなく、共著なども多い。

 またあまり知られていないところでは、あの河口湖自動車博物館の塗装担当者として、貴重なハラダコレクションの修復保存活動にも携わっておられたことを特記しておきたい。

 

 『カバ男のブログ』では、これまでにもクルマに関する職業で活躍された方々の自伝を縷々採り上げている。本書『力道山のロールスロイス』は、中沖氏がクルマに纏わる思い出を糸口に、折々の暮らしぶりや仕事に勤しむ職人振りを寸描しつつ自らの歩みを語ってゆく構成。エントリー記事としてラインナップしているクルマ人自叙伝の中では、徳大寺有恒氏の『ぼくの日本自動車史』などが近いかもしれない。

 徳大寺氏の場合はワークスドライバーから有為転変を経て当代随一の評論家となってゆく、どちらかといえばクルマを客体視するユーザーに近い視点。中沖氏は道一筋の塗装職として自動車という機械の裏表を赤裸々に取り扱いながら、一方では純粋なモーターファンとしてクルマバイクに対する憧れに近いような心をずっと保ち続けていた方のようにお見受けする。

 お二人とも著書では華々しいエピソードだけでなく、恐らくは忸怩とするような外聞の悪い出来事にもキチンと向き合いつつ記されている。それはご自分の生き方に対する自負の表れでもあろうが、好きな事に対する真剣さとか正直さがそのまま文章になっているようで、読む側にしてみれば著者の「想い」をより身近に感じることができる嬉しい部分なのである。

 数年前、本書が同じ版元より復刊されている。刊行以来何十年という時を経て一個の自叙伝を蘇らせるという版元も版元である。ここにも「想い」があるのだろう。

 

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 古いエントリーで述べたように、徳大寺氏の『ぼくの日本自動車史』はたしかに優れた自動車人自叙伝でありながら、忘れられたモデルガンの源流を訪ねる私のような変人にとって、実はほとんど決定的といえるほどの証言が秘められている本であった。

 同じようにこの『力道山のロールスロイス』にも、読む人によっては驚くような記述があるのかもしれない。クルマとは縁のない誰かにハタと膝を打たせる証言が含まれているかもしれないと思っている。

読者に応じて内容の生かされ方が大きく違ってくる。優れた自伝を読む楽しさとは、月並みなようだが、読むたびに予想外の発見が潜んでいるそのような楽しさかと思う。


 

 

カバ男のブログ旧エントリー:『ぼくの日本自動車史』

 

 

 



 

 

 

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晩夏蟷螂

 

 バスの中、ちっちゃな無賃乗車を見つけたよ。

 

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 コイツったら注意をしても聞いてない。

 てか、よそ見してっし。

 

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 飛びかかって来た()!!

 

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 ははは。

 夏も終わりだねぇ。

 

 

 

 

 

 

 

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ライダーのためのバイク基礎工学

 

 和歌山利宏著『ライダーのためのバイク基礎工学』は、グランプリ出版によって1987年6月に発行された、バイク趣味の本である。

A5判サイズ。軽装本ながらも糸使い仮綴じの束にカバーを掛けてあり、単色刷り本文は214頁。純白地のカバーに図案を簡素に配するデザインはフォーマット化されており、この版元自家薬籠中の物といった感がある。


本書が出された1987年といえば80年代もいよいよ大詰め。全産業に亙って商況上向き、ベンチュリー開度全開のパワフルな時代であった。しかしバブルに向かって社会全体が「麺硬め・味濃め・脂多め」の三拍子でギトギトとヌメッてゆくのとは対照的に、あっさり味の外装で揃えられたグランプリ出版の刊行物が書店のクルマ本コーナーで目を惹くようになっていた。私などボンヤリ書店散策をしていてこの白っぽい軽装本が目に入ると、よくフラフラと誘き寄せられ、中身も確かめずレジに並んだものだ。そのため非常に屡々同じ本のダブり買いをしてしまい、統一されたブックデザインのサブリミナル効果に戦慄を覚えるのであった。

グランプリ出版が共通するデザインテイストを押し通していたのは、もしかしたらこの当時は自動車関連図書の大きな叢書を構築しようと考えていたのかもしれない。

目次頁の末尾に「装幀:藍多可思」「表紙イラスト:鴨下示佳」「本文イラスト:村井 真」のクレジットが記されていた。

 

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 巻末の略歴によると、著者の和歌山氏はヤマハ(ヤマハ発動機)の開発ライダーであり、のちには契約ライダーとしてレースにも参戦されていた方だという。ライディング理論などに複数の著作をお持ちで、同じグランプリ出版のホームページには『タイヤの科学とライディングの極意』というタイトルも見ることができた。これが一番新しい著書かと思われる。

開発ライダーという職業は、一言で言えばオートバイの育ての親。プロダクション(市販)バイクであろうとファクトリー(メーカー自製)レーサーであろうと、先ず開発ライダーがテストコースで試作車を走らせなくては始まらない。

設計者はこれから作るバイクの完成イメージを強く抱きながら図面を引いてゆく。その図面を基に作られたバイクが本当に想定通りのパフォーマンスを発揮できているか否かを開発ライダーが評価し、試作車に変更が加えられる。この繰り返しが、一台の新型バイクを優れたマシンに玉成するためには欠かせないのである。なので、察するに開発の現場では相当に辛辣な評価と反論の応酬などもあるのだろう。逆に自らの評価に対する信頼を得るためには、開発ライダーも充分な工学的素養で理論武装しながら設計者と対峙することが必須なのかもしれない。

畢竟、開発ライダーの感受性と走行理論にユーザーの生命がかかっているのであるからして、雑誌記事のように「速いサイコー!」だけで評価を済ませるワケには到底ゆかない、厳しさのある職業なのだろう。

 

 本書はタイトル通りオートバイに関する工学書。出版全体の流れから見れば、当時徐に盛んとなりつつあった「読む工学書」の圏内ではあろう。従来からあるメカニズム解説本の系譜を離れ、力学の世界へと深く大きく踏み込んでいる。それまで専門誌のコラム記事などで散発的に紹介される程度のバイク工学だったが、これが一冊の書籍として纏まった形で刊出されたのは、本書が嚆矢に近いと思われる。

本文は六篇に分かたれ、順に「バイクの操縦安定性」「ディメンジョン」「シャシー剛性」「サスペンション」「ブレーキ」「エンジン」と進められる。操安から入ってパワープラントが最後になるところは、さすが「エンジンよりもフレームの方が速い」と称賛されたヤマハ流の伝統といえようか。


和歌山氏はこの本の中で、走行中のバイクが発生する力とバイクに影響を及ぼす力の両面から、その発生メカニズムと効果を力学的な視点で解説するという試みをされている。なので、物理の専門用語や数式を非常にたくさん用いて、ビシビシと情け容赦なくガチの論考が続くのである。当然、文系ライダーだった私は初手から無抵抗で白旗を上げつつ、数式は全部スルーして読み進むことになった。

なにしろオートバイという乗り物は車体を傾けてバランスを取りながら旋回する(ホントは直進状態でも傾いている)ものなので、その特性を幾何学的な言葉で説明することはなかなかに難しい。しかもスタティック(静的)な状態よりもダイナミック(動的)にバンクしながら旋回する局面でより複雑な力のやり取り(バランス)が行われる関係上、言葉や数式だけの説明では理解する方にも限界がある。いや、それ以前に本能に任せて突っ走るだけだった当時の私にとって、バイクと物理というものがなかなか結び付かず読解の障害となっていた。

それでもライダーの側から語られる和歌山氏の文章自体は語彙も表現力も豊かで、実際のライディングに則した解き明かしの部分はたいへん分かりやすかった。理の論のを抜きにして経験的に頷ける内容も多かったと思っている。村井氏の驚異的な本文イラストも、この複雑な力の関係を直感的に理解するための大きな助けとなった。フルバンクで旋回中のバイクをその中心点からやや角度を取って俯瞰しつつ、接地点上でジオメトリー的に働く力の関係性を描くという、驚くべきイラストが描ける人だった。

 

 この本が自動車関連図書として際立った特色を持っている部分のひとつ、それは力を解析する手がかりとして「瞬間中心」という考え方を初めて提示した点かと思われる。

物体が空間の中で運動(移動)するとき、ほぼすべてのケースでそれは完全な直線運動になり得ず、常にある曲率を持った円運動の連続になる。そのため、ある瞬間、その運動体は空間の中のどこかに目に見えない運動の中心点を持つといえる。中心点(着力点)と作用点が存在すれば、作用点に於ける力の方向と大きさを割り出すことが可能になる。しかし運動体の軌跡は必ずしも真円の円弧を辿るワケではないのだから、中心点も運動(曲率の変化)につれ常に移動し、一定はしない。ゆえにその中心点は一瞬で遷移してしまう「瞬間中心」となる。私は朧げながら瞬間中心の意味をそのようにイメージしつつ読み進んだ。

 JAF出版の『レーシング・フォーミュラ入門』などを読むまでもなく、本書以前の自動車図書では、力学的な解析の表現はすべてスタティックが前提であった。すなわち1G(接地面に自重のみが伝わり車体が静止している状態)だけを前提に、ロールセンターなどの位置を割り出して事足りる式の手法である。しかし実際の走行で車体は(物理的には正しくとも)全く予想外の挙動を示し、ことにレーシング状態では設計上あり得ない(設計者の想像を超える)トラブルが頻発することから、三面図を基にした1G解析はほとんど意味を持たなかった。

 和歌山氏がこの本で瞬間中心の概念を紹介されたという事実は、静止していた力学的解析の世界にこの当時「瞬間」という時間の観念が必要とされはじめていたことを意味している。この概念はたいへんに画期的というか、バイクの設計開発分野に非常な変化を招くことになったと思われる。

 ある部品の可動範囲内に於ける任意の位置をいくつか選び、各々の位相に於いての瞬間中心と作用点絡みの力を割り出すことで、設計者は連続的な荷重(応力)変化の軌跡をイメージできるようになった。構造解析の世界で初めて車体が生命を吹き込まれ、動き出したのである。

あとは考慮すべき要素を限定し、任意点の数をどんどん増やしてゆけば、動きのイメージはよりスムーズになってゆく。スーパーコンピューターを援用したグラフィック三次元解析処理を行うまであと一歩、いや半歩の距離にまで、1987年の『バイク基礎工学』は詰め寄っていたのだろう。

 

 

カバ男のブログ・旧エントリー『レーシングフォーミュラ入門』

 

 

 

 

 

 

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河口湖自動車博物館 ⟪ハラダ コレクション⟫

 

 株式会社ユーティーワイ企画編、収蔵パーマネント・コレクション図録『河口湖自動車博物館 ハラダ コレクション』。199110月発行。館内で販売されていたものだが、現在も在庫があるかは分からない。


 発行人に原田信雄氏の表記があり河口湖自動車博物館を発行所としてある。すなわち同館による私家版(広く流通経路に乗せることを予期せずに発行した出版物)の展示車輛図録なのだが、そもそもこの博物館を含めた一帯は館長である原田氏が悉皆所有されていると思われるので、ここで私の公のと論ずる意味はない。

 A4判無線綴じ、総アート紙全頁多色刷り54頁。一枚刷りの仮表紙を除き本文束はすべて通しノンブルとされている。たいへん良い紙に丁寧な印刷が施され、ルーペを用いた細部の確認にも充分に耐える仕上がりが嬉しい。

 

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 本書の書名は不安定で、当ブログで採ったのは奥付の日本語表記である。ここに「KAWAGUCHIKO MOTOR MUSEUM THE HARADA COLLECTIONの文字も添えられているが、単純な英訳表記と判断して採らなかった。また本来のタイトルページには「自動車の歴史一〇〇年。」とだけあるものの、出版の意図を表したものと考えてサブタイトルとしても採らなかった。公刊本の世界では書名の確定できない本はそもそも販売不能だし、図書館などでも検索のための書名を共有できないといった大問題に発展することは必定。しかしこれらの事象は飽くまでも私家版であることを前提とすればさしたる問題にはならない。

 

 本書は自動車の成立以来百年を過ぎたことを記念した出版と思われ、述べたようにタイトルページにも大書されている。原田館長による巻頭言も、もとより自動車誕生百年を基調とした内容である。

50頁余りの図録本文は1886年のベンツ1号車(恐らくはファクトリー・リプロダクション車輛)から始まり、館蔵の稀少な車輛サンプルが一頁に一台、おおむね年代を追って掲載されている。台数こそ僅かではあるが、その画像の随所に籠められたエンスージアスムは見れば見るほど読者に強く訴えかけ、たいへんに奥深い内容となっている。


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 本書の紹介はこれで終わりである。より詳しい解説や車輛サンプルに対する細見は、各自が河口湖自動車博物館に赴かれ、館内で思う存分驚いたり感心したりしていただきたい。遠くても近くても、興味があってもなくても、行けば必ず心に触れる何かを持ち帰ることができる施設に違いない。

 

 





 

 

 

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