ピザと雲

 

 ちょっと食い過ぎたかな。そう思いながら店を出た所でパチリンコ。夏の雲がムクムクと湧き上がり、私の腹も絶賛膨張中。

 

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 「見た見た。でも輪っぱになってなかったよ」

「すっごい音がして線が五本出てた」

「写メ送るんで!!」

みんなスマホ片手にナニ言ってんの?と思ったが、すぐ察しがついた。今日はブルーインパルスの日、もとへ世界体育大会の開会式当日だったじゃん。さっき雲に色が付いて見えたけど、ありゃ虹とか錯覚じゃなかったワケさ。

 の割に、なんなんだこの平日感は。ははは。 

 

 肉を使わずパプリカやナス、ズッキーニが犇めき合う夏野菜ピザが思いの外美味く、皿に落ちたベイジルソースまでキレイに拭き取って平らげた。

 オリーブオイルは香と苦みを抑えた品種を選んだようで、野菜の風味を最大に引き立てようとする料理人の心配りが嬉しい。山盛りの野菜はしっかりと火が通っていながら些かもジューシーさを失わず、それでいて生地にはまったく水っぽさがなかった。五色の雲より私にはそっちの方がはるかに多幸感。満足満足。

 今時これほど堂々と重くしっかりしたピザを出して来る店は貴重な存在なのである。


 私の世界はこの範囲。難しい事なんか、抜きさ()

 

 

 

 

 

 

 

 

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Peter's magazine

 

 ピーターが持っていたM16用の、20連ボックスマガジン(自動給弾式箱型弾倉)。映画用プロップ(小道具)を個人が再現製作したレプリカ品だという。なんでも『ゾンビ Dawn of the Dead 1978』というカルト的なスプラッター(血飛沫びしゃびしゃ)映画の名作があり、これに深く関係するモノであるという説明を受けた

先日数合わせで招かれたオフ会で披露されたものを、持ち主の許しを得てワンカットだけスマホに収めておいた。とあるガンスミスの隠れ家にて喧々囂々、飲んだくれの胴間声がわんわんするような中のショットなので、多少のピンボケは許されたい。

 

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 見えているこのレプリカは「ゾンビ映画とモデルガン趣味」という珍しい組み合わせを専攻している某マニア氏の、秘蔵中の秘蔵アイテム。名も知れぬ日本人クラフトマンが件のアメリカ映画をリスペクト(讃美)して製作したと思われるのだが、氏に言わせると相当な逸品らしい。素材がいずれも合法な市販モデルガン用の部品なのは言うまでもないことである。

 なるほど新品のM16用とコルトM1911(軍用けん銃)用のマガジンを使い、剛性を損なわずに精密な入れ子構造を再現しているのがよく分かった。

 

そもそもその映画からしてよく分からなかったので、動画検索などに時間を食われてしまった。でも、おかげで少しこのプロップマガジンについて分かってきた。

 

ゾンビの集団からヘリで逃れたピーターたち一行は、給油のために着陸した民間飛行場で再びゾンビの襲撃に遭う。

民間人の警護に疲れたピーターも、小休止しようと入った近くの小屋でゾンビ親子のアンブッシュ(待ち伏せ)を受けてしまう。大人ゾンビに続いて襲いかかる二人の子供ゾンビ。あどけなさの残る小さな身体でピーターを餌食にしようと執拗に飛びかかって来る。

食うか食われるか、殺るか殺られるか、生ける屍であるゾンビに対して情は無用だ。ゾンビの出現ですべてが変わってしまったアフターワールドでは、それだけが生き残るための判断基準。ピーターの動きは素早く的確だ。

 このあとM16軍用アサルトライフル(中距離戦闘用歩兵機銃)の全弾掃射で虎口を脱したピーターが半ば茫然自失の様子でリロード(弾倉交換)をするシークエンスの中、僅か0.3秒ほどのシーンにこのマガジンを見ることができる。

 ここは、リロードの遅れがちなピーターが仲間の隊員から何度もバックアップ(援護射撃)で救われるというストーリー冒頭の伏線が効いてくる、前半の山場にもなっていた。

 

 が、しかし・・・。

 1970年代終わりに作られ、そのまま忘れ去られてしまった超B級スプラッター・ムービーの、誰もが見逃してしまった一瞬のシーン。そこに見えたか見えなかったかの奇妙な小道具を手間ヒマかけて調べ上げ作り上げ、ネットオークションに出したクラフトマンが一人。そのオークションで幾らまで値が跳ね上がるかとドキドキしながら終了を待っていたものの、自分以外の誰も入札せず開始価格のまま落札してしまったマニアも一人。

 作り手と求め手の両者が両者とも人並み外れて『ゾンビ』を知り、冷静沈着なピーターの姿に惚れ込んでいたことは疑いない。そして一個の純粋なマニア魂の結晶が運命に導かれるようにしてこの世に生まれ、納まるべき所に納まっていった。まさしくコレクションとしてこれ以上望むべくもないほどの理想的なストーリーは、聞いている私の胸を強く打つ。

 それなのに、そこまで熱く一途な『ゾンビ』の系譜を目の当たりにしても尚、打ち消すことのできないこの虚しさは、なんなんだ?

 

 夜は更け、オフ会とは言い条あたりはまったく収拾のつかない暴動状態に陥っている。グラスの酒は見る見る消えて行き、マニア氏の熱い語りは延々と続く。

 ゾンビとは、ピーターとは、真の漢(をとこ)とは何か?私はプロップマガジンを固く握りしめながら、じっと耳を傾ける。薄い鉄板で組まれたそのマガジンは汗でぬめり、生暖かくなっていた。

聞きながら考える。かの超B級ゲテモノ映画がマニア氏のスピリットに残したもの、それはなんだったのか。最高の仕上がりで生み出されたこのプロップマガジンは、しかし材料代だけでも落札価格の優に十倍は下らないはず(しかも送料は出品者負担)。既存のモデルガンのどれにも使うことができないし、当然元に戻すこともできなくなっている。

収まるべき銃を求め得ないマガジン。現れる世界を間違えてしまった救世のヒーロー。それが今握っているムービープロップ「ピーターのマガジン」ということなのか。すなわちこのマガジンに命を吹き込むことができるのは世界にただひとつ、ピーターの持つプロップガンM16しかないのである。

映画『ゾンビ Dawn of the Dead』の中でこそこのマガジンは真に機能を発揮して、押し寄せるゾンビ集団に向かって火を吹くことができる。ピーターと共に戦うことができるはずだった。

 そうか。そこなんだ。私は卒然として悟った。


マガジンを握り直し、持ち主に向き合いながら私は徐に口を開いた。

Albert(アルベルト)さん、今ようやく私にも理解ができました。貴殿のそのスピリットとプロップマガジンが本当に必要とされているのは、ここじゃないということを。この狭く愚かしい現代ニッポンなんかじゃないんだ。誰もが見えない何かに怯えたように小さくなって生きているこんな卑屈な世界に、ピーターはいない。彼は目の前にゾンビが群れとなって現れても、一切動じなかったじゃありませんか。殺られることを恐れなかった。恐れるはずがないんだ、ゾンビなんて有象無象の化け物を。ピーターは最初からゾンビなんか歯牙にもかけていない、上手を行っていたからだ。そうさ、それが男の、勇者の生き様というものなんだ。上手を行かなきゃいけないんだ。みんな聞け、おいお前ら聞け聞けぇ!『ゾンビ』とはな、ただのチープなホラー映画なんかじゃない、漢の生き方を見せつける本物のハードボイルドだったんだよ。どうだ、諸君の中で俺と共に立とうというヤツは、いるか?共にゾンビと戦おうという勇気のあるヤツはいないのか?俺は三年待った。最後の三年間は熱烈に待ったんだよ。聞け、聞けぃ!静聴せい!!男一匹が命を賭けて諸君に尋ねているんだ。一人でも共に立とうと言うなら良し。どうだ、いないのか?いないんだな、よおし分かった。諸君は俺と共に立たない、立たないんだ。今そう決まったんだ。・・・そうか。さあ、Albertさん、マガジンをお返しします。私と一緒に立ち上がりましょう。そして銀幕の中へ、1978年の『ゾンビ』の中へ飛び込もう!二人でピーターと一緒にゾンビ共を撃って撃って撃ちまくり、アフターワールドの新たな秩序を打ち立てて行くんだ。スクリーンの中のバトルフィールドだけが俺たちの本当に生きる世界。それ以外に選択の余地があるだろうか?いや、金輪際ない!!」

 

 少し喋りすぎてしまったかもしれない。

 なんだか腹でも切りたい気分である。

 Albert氏を見たが、もう他のマニアと次の話題に興じているようだった。

そうして私は椅子に座り直し、ロッテのチョコパイ(お徳用パック入り)を出してひと口ほおばるのであった。

 

 

 



 

 

 

 

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熾火と皿

 

 「お待たせいたしました。特上カルビの追加でございます」

ゴト。すたすたすた。


 「おいおいおいおいおい!これ二千円も払って肉がたったの四切れかよ?!!どうなってんだ」

「まあまあまあ。ここら辺りで随一の名店なんだから、これぐらいはするだろうそれと消費税込みだと二千二百円な」

「ハマっ子だと思って足元見てんじゃねえのか?大体カルビの切れっ端が一枚五百円たあボッたくってんだろどう見たって」

「まあまあ大人げない。ここにはね、あの力道山が肉を一噛みした途端に“アイゴーアボジィ!!”と叫んで泣き崩れたという美しい伝説が残されてんだ。それと肉一枚分なら消費税込みで」

「分かった分かった。ふん、食おうぜ。食ってやらあ」

「焼き過ぎんなよ」

 

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 その後の記憶はない。気付いたら、私は腹をさすりながらJR川崎の駅前にいた。ヘイトスピーチと民族差別を糾弾する人々が熱く蝟集していた。

 私はあの肉を食ったのだろうか。


 スマホの中に残っていた画像を確認する。そこに肉は一枚も写っていなかった。肉だけではない。ナムルもカッテギもサンチュも飯もすべて消えている。残るは皿と消し忘れた熾火だけ。


 私は本当に肉を食ったのか。あの「名店」で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ザ/ガン

 

 岩堂憲人『ザ/ガン』。

本書は19618月に池袋の国文社から発行されていた、実銃に関する解説書。B6判とも四六判ともとれる折衷的なサイズで、カルトン角背仕立て(背表紙を表紙平と同じ堅紙を用いて平らに成型する技法)の表面をゴム引き風な堅牢クロースで巻いた上製本。総アート紙190頁余りの本文は図版とも単色で活版印刷とされたうえ、糸を用いて本式に綴じつけてある。

目次裏に「レイアウト 吉岡晋一郎」「写真 鳥居良禅」「本文写真 岩堂憲人」のクレジット、および「資料提供 警視庁」の表記が認められる。この本冊にカバーが巻かれているのは画像のとおりだが、その他の附属物については残っておらず、分からない。

 1961年は和暦に直せば昭和三十六年。先のエントリー『世界拳銃百科』と同年で三か月ほど遅い出版でしかないことに、私は驚かされている。

 

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本書は当時一世を風靡しつつあったガンブームなどどこ吹く風、大変に落ち着いた筆致で詳しく実銃を解説しており、際物出版物特有の阿った軽はずみなムードは一切ない。

本文は火薬と射出投擲器具の起源をたずねる「火器銃砲のおこり」から始まり、以下「近代的銃器への脱皮」「米国新大陸への移入とその発達」「わが国への伝来とその発達」「現代の銃」などなど十の章に分けられている。この中で岩堂氏は歴史的な考証を加味しつつ、銃器の発達過程をひとつひとつ丁寧に解き明かしてゆくのだった。

年表を含めても200頁弱の紙幅に於いて、本書の場合およそ半分が原始的な「てつはう」から近代銃器に至る長く険しい試行錯誤についての記述に費やされていることが分かる。就中火薬の発明(発見)からタンネンベルク・ガン(銃床を持たない銃身だけの武器)を経てサーペンタイン・ロック(銃床にS字形の火縄挟みを取り付けて挙銃・照準・発射を一人で行える初の構造)が発明されるまでの最も原始的な段階を詳述することに一章丸々費やしているのは、特筆に値するであろう。

これは銃そのものに関する蘊蓄もさりながら、著者はそれが成立してきた社会環境や個々の発明家の人となりを可能な限り正確に説明しようと努めた結果とも読み取れる。こうすることで、銃が暮らしに必要不可欠な道具という必然性をもって人と共にあったことの、自然な理解に導く書き方となっている。畢竟、銃を中心に据えた技術文化史の書といった趣なのである。

 

 岩堂憲人氏は、後年相次いで創刊された銃専門誌を舞台に大変な健筆を揮われた方。殊に国際出版の月刊『Gun』を中心とした寄稿活動が長く、著者としても深く関与した世界兵器図鑑シリーズなども忘れることができない。私同様実銃に興味を抱く昭和時代のガンマニアなら、知らない者はいないほどのビッグネームなのである。

 岩堂氏は本書の「あとがき」で、戦後復員ののち、平和な市民生活に戻りながらも散弾銃による銃猟を始めたと記されている。銃の所持使用が今よりはるかに健全であった戦後間もなくとはいえ、物資窮乏の中で辛くも銃を手許に置く暮らしをされていたとは、やはりお好きだったんだなと嬉しくなる件である。

 書き遅れたが、恐らく本書『ザ/ガン』が少なくとも銃関連の図書としては氏にとって初めての著作だったかと思われる。

 

 私は岩堂氏のことを、その著作経歴から、内外の資料を駆使して著述する書斎派の銃研究者だとばかり思っていた。雑誌寄稿記事なども海外文献からの翻訳や測定データの解説などが多く、その言葉使いにもくだけた所が一切ない、お堅いイメージだった。

 しかし実際は散弾銃を肩に野山を渉猟し、新南部式けん銃(警察・自衛隊向けの純国産けん銃)各種や自衛隊向けの新式短機関銃(けん銃の弾を撃ち出す小型軽量の機関銃)開発などにも関与し、基地内のレンジで行われる試作銃の実射テストなどにも立ち会うほどの行動派だったのである。とても意外。しかし初期の専門誌誌面には、溌剌として射場に立つ氏の姿などが写真図版として残されている。市井の銃研究家と警察・自衛隊が隔てなく接せられた時代でもあったのである。

 もしかしたら、あの六人部登氏が秘蔵のモーゼルKar98/kで参加した伝説の月刊『Gun』主催射撃競技会などにも、この岩堂氏の姿はあったのかもしれない。

 

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