ピーターが持っていたM16用の、20連ボックスマガジン(自動給弾式箱型弾倉)。映画用プロップ(小道具)を個人が再現製作したレプリカ品だという。なんでも『ゾンビ Dawn of the Dead 1978』というカルト的なスプラッター(血飛沫びしゃびしゃ)映画の名作があり、これに深く関係するモノであるという説明を受けた。
先日数合わせで招かれたオフ会で披露されたものを、持ち主の許しを得てワンカットだけスマホに収めておいた。とあるガンスミスの隠れ家にて喧々囂々、飲んだくれの胴間声がわんわんするような中のショットなので、多少のピンボケは許されたい。
見えているこのレプリカは「ゾンビ映画とモデルガン趣味」という珍しい組み合わせを専攻している某マニア氏の、秘蔵中の秘蔵アイテム。名も知れぬ日本人クラフトマンが件のアメリカ映画をリスペクト(讃美)して製作したと思われるのだが、氏に言わせると相当な逸品らしい。素材がいずれも合法な市販モデルガン用の部品なのは言うまでもないことである。
なるほど新品のM16用とコルトM1911(軍用けん銃)用のマガジンを使い、剛性を損なわずに精密な入れ子構造を再現しているのがよく分かった。
そもそもその映画からしてよく分からなかったので、動画検索などに時間を食われてしまった。でも、おかげで少しこのプロップマガジンについて分かってきた。
ゾンビの集団からヘリで逃れたピーターたち一行は、給油のために着陸した民間飛行場で再びゾンビの襲撃に遭う。
民間人の警護に疲れたピーターも、小休止しようと入った近くの小屋でゾンビ親子のアンブッシュ(待ち伏せ)を受けてしまう。大人ゾンビに続いて襲いかかる二人の子供ゾンビ。あどけなさの残る小さな身体でピーターを餌食にしようと執拗に飛びかかって来る。
食うか食われるか、殺るか殺られるか、生ける屍であるゾンビに対して情は無用だ。ゾンビの出現ですべてが変わってしまったアフターワールドでは、それだけが生き残るための判断基準。ピーターの動きは素早く的確だ。
このあとM16軍用アサルトライフル(中距離戦闘用歩兵機銃)の全弾掃射で虎口を脱したピーターが半ば茫然自失の様子でリロード(弾倉交換)をするシークエンスの中、僅か0.3秒ほどのシーンにこのマガジンを見ることができる。
ここは、リロードの遅れがちなピーターが仲間の隊員から何度もバックアップ(援護射撃)で救われるというストーリー冒頭の伏線が効いてくる、前半の山場にもなっていた。
が、しかし・・・。
1970年代終わりに作られ、そのまま忘れ去られてしまった超B級スプラッター・ムービーの、誰もが見逃してしまった一瞬のシーン。そこに見えたか見えなかったかの奇妙な小道具を手間ヒマかけて調べ上げ作り上げ、ネットオークションに出したクラフトマンが一人。そのオークションで幾らまで値が跳ね上がるかとドキドキしながら終了を待っていたものの、自分以外の誰も入札せず開始価格のまま落札してしまったマニアも一人。
作り手と求め手の両者が両者とも人並み外れて『ゾンビ』を知り、冷静沈着なピーターの姿に惚れ込んでいたことは疑いない。そして一個の純粋なマニア魂の結晶が運命に導かれるようにしてこの世に生まれ、納まるべき所に納まっていった。まさしくコレクションとしてこれ以上望むべくもないほどの理想的なストーリーは、聞いている私の胸を強く打つ。
それなのに、そこまで熱く一途な『ゾンビ』の系譜を目の当たりにしても尚、打ち消すことのできないこの虚しさは、なんなんだ?
夜は更け、オフ会とは言い条あたりはまったく収拾のつかない暴動状態に陥っている。グラスの酒は見る見る消えて行き、マニア氏の熱い語りは延々と続く。
ゾンビとは、ピーターとは、真の漢(をとこ)とは何か?私はプロップマガジンを固く握りしめながら、じっと耳を傾ける。薄い鉄板で組まれたそのマガジンは汗でぬめり、生暖かくなっていた。
聞きながら考える。かの超B級ゲテモノ映画がマニア氏のスピリットに残したもの、それはなんだったのか。最高の仕上がりで生み出されたこのプロップマガジンは、しかし材料代だけでも落札価格の優に十倍は下らないはず(しかも送料は出品者負担)。既存のモデルガンのどれにも使うことができないし、当然元に戻すこともできなくなっている。
収まるべき銃を求め得ないマガジン。現れる世界を間違えてしまった救世のヒーロー。それが今握っているムービープロップ「ピーターのマガジン」ということなのか。すなわちこのマガジンに命を吹き込むことができるのは世界にただひとつ、ピーターの持つプロップガンM16しかないのである。
映画『ゾンビ Dawn of the Dead』の中でこそこのマガジンは真に機能を発揮して、押し寄せるゾンビ集団に向かって火を吹くことができる。ピーターと共に戦うことができるはずだった。
そうか。そこなんだ。私は卒然として悟った。
マガジンを握り直し、持ち主に向き合いながら私は徐に口を開いた。
「Albert(アルベルト)さん、今ようやく私にも理解ができました。貴殿のそのスピリットとプロップマガジンが本当に必要とされているのは、ここじゃないということを。この狭く愚かしい現代ニッポンなんかじゃないんだ。誰もが見えない何かに怯えたように小さくなって生きているこんな卑屈な世界に、ピーターはいない。彼は目の前にゾンビが群れとなって現れても、一切動じなかったじゃありませんか。殺られることを恐れなかった。恐れるはずがないんだ、ゾンビなんて有象無象の化け物を。ピーターは最初からゾンビなんか歯牙にもかけていない、上手を行っていたからだ。そうさ、それが男の、勇者の生き様というものなんだ。上手を行かなきゃいけないんだ。みんな聞け、おいお前ら聞け聞けぇ!『ゾンビ』とはな、ただのチープなホラー映画なんかじゃない、漢の生き方を見せつける本物のハードボイルドだったんだよ。どうだ、諸君の中で俺と共に立とうというヤツは、いるか?共にゾンビと戦おうという勇気のあるヤツはいないのか?俺は三年待った。最後の三年間は熱烈に待ったんだよ。聞け、聞けぃ!静聴せい!!男一匹が命を賭けて諸君に尋ねているんだ。一人でも共に立とうと言うなら良し。どうだ、いないのか?いないんだな、よおし分かった。諸君は俺と共に立たない、立たないんだ。今そう決まったんだ。・・・そうか。さあ、Albertさん、マガジンをお返しします。私と一緒に立ち上がりましょう。そして銀幕の中へ、1978年の『ゾンビ』の中へ飛び込もう!二人でピーターと一緒にゾンビ共を撃って撃って撃ちまくり、アフターワールドの新たな秩序を打ち立てて行くんだ。スクリーンの中のバトルフィールドだけが俺たちの本当に生きる世界。それ以外に選択の余地があるだろうか?いや、金輪際ない!!」
少し喋りすぎてしまったかもしれない。
なんだか腹でも切りたい気分である。
Albert氏を見たが、もう他のマニアと次の話題に興じているようだった。
そうして私は椅子に座り直し、ロッテのチョコパイ(お徳用パック入り)を出してひと口ほおばるのであった。