生田耕作『ダンディズム 栄光と悲惨』は、当時神戸にあった高踏派出版局の奢灞都館によって一九七五年十一月に初めて世に問われた、エッセイ集。
A5判カルトン角背上製本。本文219頁、カバー付き。上製本とは言い条、その本表紙は二色の紙を背継ぎで用いたうえその接ぎ目に金線を引き、背表紙には「ダンディズム 生田耕作」とのみ刷られた別紙題箋を象嵌風に貼り込んでいる凝りよう。コブデン・サンダスン式に、まったく簡素なデザインながらも意を尽くし手間を惜しまない成り立ちが、文化的に荒廃し尽くした現代の目には眩しい。
見えているのは同じ『ダンディズム』が三冊。下積みの二冊は新刊読了当時に私が自ら奉書紙を裂いて慎重に包んだ保管用、書影は今回Georgeにプレゼントするためその包を解いた一冊である。こんな事でもなければ再びこの本を開いて文書準備することもなく、この連中も書架の奥で惰眠を貪るがままであったはず。本はやはり人に読まれなくては、働かせなくては生きないのである。
本書には述べた通りサンダスン風な装幀美学に基づいて、恐らくは著者の生田氏ご自身によって徹頭徹尾整合された、アングロサクスン的美意識が反映されている。
用いられている紙はおよそ四種類。本文用紙として薄口のレンケルレイド風洋紙(挿絵にアート紙)、外装と見返し及びカバーにサックスブルーの吸取紙風、背は局紙風白紙。これにか細い金線一本を引いただけでここまで清潔かつ超然としたアピアランスを実現していることに、装幀計画者の鋭いセンスが窺えるのである。その発想の根源を想像するに、戦前よりケルムスコット・プレスとアーツ・アンド・クラフツ運動の熱烈な信奉者であった壽岳文章氏の強い影響を見ることは難しくない。京都に残る工芸文化の底流、といってもよいかと思う。本文のレイアウトもまったくこのセオリーに則っており、逸脱はない。
本書の奥付には花文字で“Dandyism”とだけ書名が記されている。サブタイトル風な「栄光と悲惨」の文字は本扉と外装附加物であるカバーにしか認められず、頭の中で混乱が生じていた。私としてはこの陳腐で安っぽい文言はタイトルから排除したかったのが本音である。しかし本扉が折丁に含まれていること、「後記」の中で著者自ら本書をサブタイトルで呼んでいることを根拠に、当ブログでは書名としてここまでを採った。
頁番号は本扉の次から始まる通しノンブルで、中ほどにあるアート紙挿絵も本文として数えているので、本書をルリユウルの練習台に使う場合は注意が必要である。
本書には、始祖であり神格化された十九世紀の英国人ジョージ・ブライアン・ブランメルに関する評伝四篇を中核とした、ダンディズムに関する論考が合計六篇収められている。各篇のタイトルは「ボー・ブランメル」「落日の栄光」「ブランメル神話」「冷たい偶像」「ウィリアム・ベックフォード小伝」「ダンディズムの系譜」。これに「後記」が続く。
他の著者によるダンディズムに関する本は、同時代では牧神社『ボウ・ブランメル』、私家版『アルフレッド・ドルセー小伝』などを数えることができる。いずれも現在では忘れられてしまった本ばかりであるが、本書『ダンディズム』だけは生田氏の高名もあり、阪神淡路大震災を契機に版元が京都へ移転したのちもたびたび再版された模様。
また今回採り上げた本書は普通版であり、別途本文用紙からして異なる特装本が五十部だけ刊行されていることは贅言しておきたい。こちらは版元最初期の特装本でもあり、事情に通じた好事家の間を変遷するだけで、ほとんど市場には現れない。
古いエントリー『堅信者の告白 或は内臓脂肪の服飾美学に及ぼす影響に就いて』でも述べた通り、私にとってダンディズムというのは一種の街頭演劇かマジックショー。その時その場にその人物がいなければ成立せず、ダンディが退場してしまえばそんなもの魔法のように消え失せ何も残らない現象、というほどの認識でいる。それはある種の伝道会と言い換えてもよいかもしれず、その意味に於いてダンディズムには栄光も悲惨も存在しないと言えよう。
神と崇められたダンディに就いて考えを巡らすことは、とても知的で面白いことではある。しかしダンディの行状を書物で読み耽り振舞いを真似るなどという行動はいかにもダンディズムに反する行いであり、不粋。飽くまでも書物に書かれているのはジョージ=ブランメルの、バルベー・ドゥルヴィイーの、アルフレッド・ドルセーの、執筆者のダンディズムであって、自分にとってのダンディズムは自分自身で決めてゆかねばならない。そうしてこその「イズム」なのである。
本書は後年中公文庫に加えられたということで、図書館でも収蔵しているやもしれない。興味が湧いたら足を向けられることをお勧めしておこう。尤も、世間無用のカバ男が勧める本なので、内容もまた世間無用であることは真実請け合える。