1.5ℓ

 

 いくらリフィル・フリーだっつったってさ。ファミレスで料理も出ない内から冷たいドリンク5杯も飲むやつぁ、なかなかいねいよな。

 

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 しかも全部青汁。


 ははははは、初夏ですな

 



 

 

 

 

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JEEP JEEP JEEP ウィリスMB、フォードGPW写真集

 

 大塚康生(編)『JEEP JEEP JEEP ウィリスMB、フォードGPW写真集』は、ホビージャパンから昭和581983)年2月に発行されていた写真集。

 B5判無線仮綴じ、カバー付き。本文総アート紙単色刷り221頁余。見えているのはほとんど読まれた形跡のない一冊である。

 

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 本書はタイトル通りJEEPの写真集である。

JEEP(ジープ)というのは第二次世界大戦中に連合国軍が使用した汎用軽車輛で、アメリカンバンタム社が開発した常時四輪駆動式のオープンカー族の総称。本書はその改良型として圧倒的な大量生産で戦場を支えたMB/GPW型にフォーカスした内容となっている。

表紙に「1」とあるのはシリーズの巻次かと思われるのだが、続刊したか否かは定かでない。奥付には「ホビージャパン昭和582月号別冊」と冠が掛かっていた。

 

本扉が目次となり、めくって見開きの頁から紙幅を惜しむかのようにジープ、ジープ、ジープ。全くタイトルそのもののジープ責めなのである。ここには世界中の戦場で様々な改造を受けながら戦うジープの姿が次々と鮮明なモノクロ画像で再現され、繙く者に強く迫って来る。僅か二百頁余りの紙数、随所に大塚氏の手になろう軽妙なイラストが配されているにも関らず、ちょっとソファでごろ寝しながらパラパラ眺めるようなムードにはならない凝縮感が凄い。

 

実質的な総著者の大塚氏がワシントンの国立文書館をはじめ多くの蒐集資料から見出した大量のジープ写真を引用し、驚異的な観察眼で構図を解説している。また同氏のメモを基にマニラ在住のジープ研究家 A.J.Makalintal Jr. 氏が独自に執筆した英文のキャプションが併記されている。ほかに五十嵐平達、黒岩政明、岡本正人の各氏による各論的なコラムが配され、読んだだけで痛風を発症するほど内容が濃い。いや大塚氏の単独執筆であっても充分に濃く、はなはだ手強い博覧強記の人物と舌を巻いた覚えがある。

 

 銃、ミリタリー、クルマと趣味が重なれば、必然的にジープにも一定の興味が湧いてくるものだ。その過程で若い頃にこの本を手にしたワケなのだが、なぜこれほど詳しく熱心な本が模型趣味の出版社から出されているのか理解できなかった。というか、つい先週あたりまで私は全ッ然理解できていなかったのである。

 最近ネット上で「大塚康生」という名を頻繁に見るようになり、なんとなく気になって本書を脇につらつらと検索などしてみて、ようやく理解できた。胸ポケットにコンドー▲あいや眼鏡を忍ばせて彼女と観た『ルパン三世 カリオストロの城』とか、K’z Gunshopの店内に転がっていた馬鹿でかいジープMBの模型とか、この本のこととか、アレとかコレとか。一人のお名前で一気にすべてが繋がったのである。

 

 亡くなられて初めて大塚康生氏の業績を知るとはいかにも迂闊。

 来し方、私はこの人の大きな足跡とも知らず、あちこちで躓いたり自分の足を合わせてみたり。していたようであった。

 遅蒔きながらお礼を申し上げたい。


 

 



 

 

 

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桃里さん、ごきげんよう。

 

 桃里さんがブログを閉じられた。

 

 FC2ブログを根城にしている『カバ男のブログ』だが、いつもアメーバブログ桃里さんのブログを読むたびに、不思議とありもしない古里に帰って来たような寛ぎと安堵を感じていた。

 

 三里四方、豊かこのうえない土地で自給自足を目指していた桃里さん。

 去年の夏は田んぼに畑に出張にと大変な苦労をして収穫にまで漕ぎ着けた。炭を焼き、土器を発見し、忘れられて崩壊寸前だった唐箕や縄綯い機のレストアに知恵を絞った。

 正に岩波新書『失われた動力文化』の世界。憧れだった。

 

 いつも読むたびに若い頃を思い出し、「あの時サイコロの目がひとつ違っていたら、俺は今、桃里さんのように心豊かな暮らしをしていたのかもしれない。いや少なくとも目指してはいただろう」とそう夢想してもいた。

 

 今朝なんだか不穏なエントリーがあり、電車の慌ただしい乗り継ぎで感謝のコメントもままならず。昼過ぎにはもう、アカウントが消えていた。

 

 桃里さん、お互い生きてりゃ色んな事があります。何があったか分かりませんが、今までの真心こもったブログとコメント、ありがとうございました。短い期間交流させていただき、宝を頂きました。どんな言葉でも言い尽くせない感謝の気持ち、ここに置きます。

 

 桃里さんお元気で。幸多かれ。

 

 


 

 

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浮谷東次郎 速すぎた男のドキュメント

 

 岩崎呉夫『浮谷東次郎 - 速すぎた男のドキュメント』書影。

本書は19923月に三樹書房から発行された、浮谷東次郎の伝記。A5判無線角背上製本、本文単色刷り228頁の本冊にカバーが巻かれている。


原刊本は1972年に『燃えて走れ 伝説のレーサー 浮谷東次郎』というタイトルでグランド・ツーリング社から出されており、本書はその改題新版ということになろうかと思う。

岩崎氏の文章は今日的にデータや時経列に偏重した報告書のような書き方ではない。飽くまでもご自身が数年越しで浮谷の友人知己を歴訪し、得られた証言を基に生身の言葉で書き綴られている。

 

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 浮谷が鈴鹿サーキットでの練習走行中に不慮の事故死を遂げたのが、1965年夏。そこに至る僅か二十二年の生涯に就いては本人の遺稿が多く出版されており、ここでは繰り返さない。が、中学生にして原付自転車を駆って京都往復、高校でアメリカ大陸を単独で往復横断、西海岸地区でのレース参戦などなど。彼の周囲からは常にエキゾースト・ノイズが聞こえて来るような、破天荒でエネルギッシュなイメージがある。

 時代も時代、最初期のモータリゼーションを一身に体現した人物として語られることが、事実圧倒的に多かったようだ。


 本書の刊出は『燃えて走れ』から二十年が経過したのちの事。その間にも若書き『がむしゃら1500キロ』をはじめとした数々の手記が公刊され、同時にご遺族による語り継ぎなどの継続的な努力もあり、浮谷の生き方に共鳴する若者たちは増えていった。「トージロー・ブーム」とも呼べる気付きの現象が、むしろレースやモータリングとは無縁な若い世代の中から繰り返し巻き起こり、回顧展の開催などにまで発展することもあったようである。

 そんなサイクルが一服したような情況での三樹書房による新装版なのであった。

 

 本書には巻頭に親友であった本田博俊氏の「東次を偲んで」が追悼文集から再録されており、巻末には著者による書下ろし「あとがき」が増補されている。しかして文中の全篇に亙って、関連写真が若干の異同はあるものの非常に良い状態で覆刻追補されており、かつ構図を解き明かす詳しいキャプションが添えられて内容の理解を大いに助けている。

 のちには装幀デザインも一新され、最良の版は最新版というセオリーが実行された。それとともに、本書は浮谷東次郎に関心を寄せる読者層が途絶えることのない証ともなっているようである。


またこの三樹書房版は初刊と同時に特装本(特別装幀版)も制作頒布されている。これは表紙が深い紺色の総クロース装幀となり浮谷自筆のイラストが金箔押しされた、個体番号入り250部の限定版。当時ほとんど書店に出ないまま、事情に通じた好事家の書庫に納まっている。

試みにこれらの集合書影も上げておこう。

 

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原刊本サンプルは浮谷東次郎の実姉である浮谷朝江氏による装画、半世紀を経たとは到底思えない完全状態の極美本

特装本は、刊行当時偶然にも入手できた若番本である(見えないけど)。

 

 

三樹書房ホームページ

 

 


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ギルコ・シューキーパー

 

 ギルコ・シューキーパーについて書いてみようと思う。

 と言っても、この製品について私は何も知らない。いつ頃どこで、誰が作ったものなのか。日本製なのか、はたまた外国からの輸入品だったのか。どんな商品ラインナップがあり、そのバリエーションは如何。本当のところが全く分からない謎のシューキーパーなのである。


 バックグラウンドが分からないのであれば、あとは手許の現物から読み取れる情報を基に可能なかぎり考察してゆくだけだ。

 物は何も語ってはくれない。こちらが目に映る事実を積み重ねてゆくことで何かを見出だすしかない、とそう信じて書きはじめる。四十年近くで集めるともなく集まったギルコの一点一点を、蚤の眼で睨め回してみよう。

 今回はカバ男のブログで最も長く単調なエントリーになるだろうと、相済まぬ気持ちで今の内からお断りする次第なのである。


 

 これからこのシューキーパーを回顧してゆくにあたり、少し知っていてほしいことを先に記しておきたい。 

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   シューキーパーとは、一日履いておっさんの体温と汗で柔らかくなってしまった革靴に挿し入れておく、中子(なかご)のことである。シューズボックス(下駄箱)の中でゆっくりと乾きながらだらしなく型崩れしようとする革靴を正しい形に保持するための、一種の矯正具。靴墨やブラシなどと同列のメンテナンス用品ともいえようか。

海外の高級な靴メーカーがアクセサリーとして用意するシューキーパーの場合、自社の靴に対応して細かくサイズが設定されているケースもある。当然シューキーパーまでもが高級品で、メンテナンス用品というよりもほとんど製靴用ラスト(木型)そのもの。実用を超えた一種の木工オブジェのようで、おいそれと買って使う気にはならない。

その点ギルコはそうした靴メーカーとは距離のある一般的な生活雑貨としてのシューキーパーで、当然ながら汎用品。どんな靴にも対応し、不足なく機能し、そこそこ手頃な価格の割には見所のあるクオリティーを維持した良品かと思っている。

 

 ギルコのシューキーパーは、踵側のカムレバーにネジが入っていて、このレバーをぐるぐる回して長さの調節をする構造になっているのが特徴である。J.I.S.規格で作られる市販の靴は人の足に合わせて長さや幅が細かく設定されているが、汎用品のシューキーパーはワンサイズかごく大まかなサイズ分けだけなので、靴に合わせて最適な長さに微調整する必要があるのだ。ギルコの場合、その調整方法が最もシンプルなネジ式なのである。

長さが決まったら、靴に挿入する時はレバーを立てたままスカスカの状態で入れる。このレバーは取付けのピンが円形の中心を外して打たれているため、倒してセットすると偏心カムの原理で全長が伸び前後にほどよい張りを得て、変形しようとする革靴に抵抗する。

靴に挿入してから全長を伸ばして突っ張らせるという作動方式が、数多あるシューキーパーとは一線を画すギルコ最大の特長なのである。予めキツめに長さを調節した硬いシューキーパーをギュウギュウと靴に押し込める方式よりも、ギルコの作動メカニズムは遥かに靴に優しくかつ理に適っている。

 

IMG_1670.jpgIMG_1676.jpg  第三の特徴はラスト(足型)の方にある。

 ラストが爪先の中心から縦に真っ二つになっているシューキーパーというのは珍しいものではない。これは縦(長さ)方向だけではなく横(幅)方向にも突っ張って靴のフォルムを保持するのが狙いであるが、多くの製品では予めこの幅を拡げて固定してしまう構造になっている。しかしギルコの場合、ラストに組み込まれた小さな金具とクギによって幅方向の形状保持も自動的に行われる点にユニークさがある。

すなわち、レバーを倒すことで生じた突っ張り力が踵側だけでなくラストに仕込まれた金具にも作用し、鉄板に開けられたハの字の穴によって前後方向のベクトルが左右への張りベクトルに分散変換されるのである。しかも金具とクギのシーソー的な位置関係により、一定以上の突っ張り力を与えることで爪先側までラストの全体が開き、靴の内面に添って密着加圧できるようになっている。

ここでもギルコは金具の動き(=ラストの動き)を固定していないので、なんとなれば前後左右に小さい状態で挿入してからレバーを倒すワンアクションで、靴の内面を擦ることなく全体的に加圧することが可能なのである。

私がギルコ・シューキーパーを長年愛用しているのは、この実に巧みでかつ無用なストレスを靴に与えない優れた設計に、ある時気付いたからである。

毎度ピンボケな画像で恐縮だが、何枚か載せてみた。カラクリをご理解いただけるだろうか。


 

 

IMG_1651.jpg  二十年ほど前に入手したギルコ。深川あたりを散策中に手仕舞する靴屋を見付け、主に頼み込んで探してもらった掘り出し物である。佇まいからして、もしかしたら一番古いタイプではなかろうかと推察している。

ギルコがいつ頃から流通しはじめたのか分からないが、かなりのちの仕様であっても製造は1970年代の後半以降ということはなく、画像の個体も作られてから優に五十年程度は経過していると思われる。サイズは№2、三段階あったサイズの中ほどに相当している。

 

この個体はほかのギルコにはない特徴をたくさん持っている。一見同じようだが、詳しく見てゆくと全くの別物といってもよいくらいの差異に驚かされるのである。見えている通り、ラスト部分に捺されたマーキングは「Registered」の文字とロゴタイプの二行立て。赤で箔押しされている点が目立つ特徴のひとつで、金色の箔押しが普通であるギルコとしては、明らかに異質の感を受ける。

画像では死角になっているが、ラストの後ろ端面には湿気抜きの穴が複数開けられたうえにサイズ表示の「2」が深々と打刻されている。また踵側のレバーは充分な丸みを帯び、お椀状のヒールカップ(踵の位置を決めるため靴に仕込まれている内部部品)に広い面で接して傷を付けない配慮がされている。他方、レバーに入る長さ調整用のネジは2.0㎜ピッチ(一回転させると2㎜の移動量)でかなり粗めの設定である。ラストの造形もこの赤スタンプ版だけは爪先が鋭角的で、やや薄造りとなっている。

全体として木部の木地仕上げは別格に丁寧であり、表面は艶々と大変滑らかで紙ヤスリの目もほとんど残っていない。気付き難いがこのタイプだけはラストを二分割したあとからニスを塗って仕上げている。

 

 この№2を手に入れた時、店主から初めてギルコには№1から33サイズがあるのだと教えられ、私は驚いた。その時まで手持ちのギルコは全てサイズ№の打刻がないタイプだったので、バリエーションがあるなどと考えたこともなかったのである。私は靴のサイズが8-1/2から9-1/2の間なので、ギルコでは№12のラストが適合サイズのようだった。

現在ウイングチップなど足入れの深い革靴の場合は№1を用いているが、ペニーローファーのように甲革の短いスリップオン・モカシンには1㎝弱ラストの短い№2で、長さを合わせながら使うようにしている。モカシンに№1を入れるとラストが顔を出し、お古い言葉で恐縮だが「シミチョロ」のようで興醒めなのである。

 


 

IMG_1587.jpg  №1サイズのギルコ。今回の文書準備に先立って資料として蒐集したものの内。改めて画像を見ると、すんなりと伸びたラスト(足型)に対して小振りなカムレバーの取り合わせがバランス良く見える。

今までギルコを探して何件もの靴屋を歴訪したが、入手できた数少ないものの中にこのタイプはなかった。根拠はその程度だが、生産数はさほど多くなかったのだろうか。一足目に採り上げた赤スタンプ版から幾つかの変更点が見られるので、簡単に羅列してみたい。

 

 外見で一番目立つ変更は、やはりスタンプだろう。焼き印自体は同じ物を使い回しているようだが金色の金属箔に変えられており、それだけで随分と印象が変わっていると思う。

 ラストは形状を見直され、爪先はよりぷっくりと丸みを帯びて、どことなくアヒルやカモノハシの頭を連想させる形になった。剽軽な形である。ヒールカップに接するレバーの面加工は引き続き曲面ではあるものの、微妙に丸めきれておらず平面が顔を覗かせている。長さ調整のネジが赤スタンプ版での2.0㎜から1.25㎜(レバーを一回転させると1.25㎜の移動)にピッチを細かく変更されていることは、ポジティブな変化と言ってよいかと思う。ほかには、些細な点だが表面の仕上げはやや粗くヤスリ目も目立つようになっており、ニスもラストを分割する前に塗られている。


 これらの変更点からは、靴へのフィッティングを向上させつつ生産性を高めようとするメーカーの意図が見えて来る。生活雑貨として過剰な部分を削ぎながらも精密性を高めてゆこうと、生産技術的ともいえる足し算引き算を行った形跡が窺える。製品の実質を維持しながらもしっかりコストダウンしてゆこうと、この当時のメーカーは目論んだようである。シューキーパーひとつに対し生産者が真剣に向き合い知恵を絞ったろうことが、複数のサンプルを矯めつ眇めつ比較してみて初めて見えて来た。

 この個体以降、こうした特徴はそのままギルコ・シューキーパーの変わらぬスタンダードになってゆく。

 その他ラストの端面には変わらず湿気抜きの穴が数個開けられており、この個体に関してはかなりの深さになっている。サイズ表示の数字打刻にも変化はない。

 


 

IMG_1546.jpg 私が初めて手に入れたギルコ。サイズは№2に相当している。


学生だったある日、六角橋商店街の靴屋がちょっと乙なシューキーパーを仕入れたという噂を聞きつけて、横浜駅の西口五番街に屯する洒落者連中が競って買い求めていた。私も丁度シューキーパーという道具を知ったばかりの頃だったので興味津々、今買って来たという人にどんな品物か見せてもらうことになった。

それはメイプル材にも似た白木で出来ており、ラストは一木を削ったあと二つに割って、細部を加工しているようだった。木と若干の金属とネジで組み上げるという素材の取り合わせや滑らかな曲面には天然素材特有の温もりがあり、初めて見たのに何故かノスタルジーのようなものまでが感ぜられた。してまた手に持つと正体もなくクナクナ折れ曲がるところなど、糸の切れた操り人形のようで、些か頼りなげというか剽軽な動きも面白い。肌理の詰んだ木目がギターのネックを思わせ、多分に手工品のムードがあり、全体的にいたく好ましいものという印象だった。

思いの外値頃なので早速店に出向いたのだが、良く売れてもう二足分しか残っていないのだと、妙に名残り惜しそうな口調で返された。店主によれば、こうした靴のお手入れ用品的なものは売り切り御免が原則で、靴メーカーのアクセサリー品でもなければ長続きしないものなのだという。

もし商品として続いていても、問屋が仕入れたのをタイミングよく掴まなければ次はいつ入荷できるか覚束ないし、期待はしないでほしい。顔つきこそ済まなそうにしていたが全く取りつく島もない有様だった。

しかし若僧相手に主人が駆け引きをしているようには思えず、やむなくその二足分だけを新聞紙に包んでもらい持ち帰った。二十歳前、1979年の春と記憶している。

 

 画像から受ける印象は前段の№1と大差ない。が、よく見るとレバーの表面はかなり平面的になっており、断面形が角張りつつ変化しているのが判る。部材として白木から切り出す物の形は、恐らくずっと変わっていなかっただろう。しかし元来ヒールカップへの馴染みを考えて丸く削られていたものが、徐々に丸みを失いこのモデルになってほぼ完全に平らとなってきたことが、「Gilco」と箔押しされたレバー上面を較べてみれば明らかである。

 これはやはり、メーカーが削り加工の手間を省きはじめていたと考えるのが自然なのだろうか。

元々ギルコは、ラストを靴の内側に密着させるための二分割構造を利用して、シューキーパーでありながらも横幅を拡げるストレッチャーのような使い方までできたのである。そのためには相当にきつくサイズ調整をすることになるが、古いタイプの丸みを持ったレバーはヒールカップに優しく面接触して力を伝えていた。その余禄的な使い方がこれ以降は憚られるようになり、凝った構造だけを残して多能性を失ったギルコは、一種の「変わり種」シューキーパーとなってゆく。

そのほか、ラスト端面にあった湿気抜きの穴加工とサイズ表示のナンバー打刻もこのタイプから省略された。総じてこのタイプは各部の加工を省略することで単純なコストダウンを目論んだ仕様かと思われる。

 

とはいえ、このタイプが私にとって初めて手にしたギルコだったのである。ギルコとはこういう品物だと思い、故事来歴があるなんて考えもつかなかった。というか、今と未来しかない二十歳前のガキは、生活雑貨のシューキーパーにそこまで思い入れはしなかった。タッターソールのシャツを着たらストライプのタイは締めない。たまたま最初に見たギルコが気に入ったのでシューキーパーならギルコ、と自分の中でセオリーを決めただけの話である。

知らぬがホトケ、ここから靴を買うたびに一足また一足と、私は省略版のギルコを買い増してゆくのであった。

 


 

IMG_1641.jpg  YGIAブランドのギルコ。サイズは№2

 私が最初に買ったギルコと外形的な特徴が酷似していて、恐らくそれよりもやや遅い時期の製品ではないかと推察している。貰い物だったろうか。生憎いつ入手したのかほとんど覚えていないのだが、どこか都心の地下街にあるゴルフ用品店に転がっていたのを、偶然に釣り上げて来たような気もしている。

 ギルコは、靴メーカーとは繋がりのない会社だったのかもしれない。家具とか木工品のメーカーが手掛けて流通に乗せていたという可能性も考えられる。どの靴屋にも必ずギルコが置いてあるということはなく、新しく靴を買うと暫くの間、私はギルコを求めてあてどない靴屋歴訪をするのが常だった。

見回せばバブル全盛から急転直下銀行までもが破綻するほどの大不況、のちに失われた十年と呼ばれる空白が始まっていた。「高いのから順番に持って来い」から「お得」「節約」「縮み志向」へと時代は大きく且つ貧しげに転回し、経済の冷却期に向かう。ギルコを探して買ったことのある店を再訪しても、そこにマンションが建っているならまだ良い方で、ラーメン屋に変わったり草茫々の更地になっていたりが関の山という体たらく。そもそもカッチリとした仕立ての革靴からして、それを求める客など雲散霧消。付属の用品であるシューキーパーの需要など推して知るべしだったのである。

ビジネスマンの身形が見る見る貧相になっていったこの時代、バブル崩壊からリーマンショックまでの二十年間でギルコの姿は急速に視界から遠ざかってゆく。

私のギルコ探しは難航した。六角橋商店街の靴屋が予言した通り、いつ入荷するかも分からないギルコを偶然仕入れた店がこの広い東京に点在し、不景気で次々と潰れてゆく。それを「無ければ無いでよろしい」つもりの私が思い出したように追いかける。当然のことながら発見の確率は下がる一方、思えばこのYGIA版を手に入れたのは全く僥倖以外のなにものでもなかった。

 

見えている通りこのギルコにはラストにロゴマークの箔押しがない。レバー部分にはマークのようなものと「YGIA」「FIT FOR GOLF」の文字が金色で箔押しされているだけである。

今ネットでYGIA(イギア)を検索すると中古アイアンかパターの画像が沢山ヒットしてくるので、このゴルフブランド向けの別注(O.E.M.)品だったのは疑いのないところだろう。もしかしたらノベルティとして配布したものだったか。たしかに全体にクオリティー感のある仕上がりで、塗装は丁寧で木目も選んでいるようにも思われる。

ただしカムレバーはほぼ完全な角断面となっており、製造工程は一段と省略されているようだった。  

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 実は同じ仕様で№4とでも言える極小サイズのギルコも、私は持っている。ゴルフクラブのブランドが何故こんなに小さなシューキーパーを別注したのか分からないが、現に存在しているので画像を上げておこう。並べているのは№1サイズ。最大と最小ではこれほど違うのだが、現物は画像以上に小さくかわゆい。

いずれにせよ、ゴルフをやらない私の手にこのギルコがあるのが自分でも不思議なのである。


 

 

IMG_1548.jpg  №3サイズのギルコ。

 お恥ずかしい話だが、実は文書準備のために他のギルコと並べてみる内に、初めて私は自分がこのサイズを持っていることに気付いたのである。前段のYGIA版と突き合わせて較べたところ妙にラスト部分が小さく感ぜられ、念のため№1から順に並べてみて、実際に小さいことが判明したという次第。私は自分の迂闊さに呆れた。今まで何を見ていたのか開いた口が塞がらない。

 そういえばこれを買って来た時、靴に合わせるためにいくらレバーを回してもスカスカで苦労した覚えはある。私は普段から物事の認識が大雑把なので、ただ面倒だなと思いながらぐるぐると(述べたように一回転で1.25㎜しか伸びない)レバーを回してなんとか長さを合わせ、何も感じずそのまま使い続けていた。

この時の私はまだ、ギルコに複数のサイズ設定があることを知らなかった。この時、自分は普段よりも小さなギルコを握っていることに気付くべきだったのである。

 

これはYGIA版とほぼ同じ仕上がりになっているところを見ると、同じか少し遅い時期の製品ではないかと思っている。すなわち、私が初めてギルコを手にした1979年を起点にするならば、製品の佇まいが十年程度の開きを物語っているように感ぜられるのである。

画像の通りラストの箔押しからは「Registered」の文字が消え、到頭ロゴマークだけとなってしまった。カムレバーも丸め削りの工程を全廃、細く面取りしただけの角断面になっている。同時にこの仕様では、レバー自体が丸みを付けるための削り代を持たない薄型に変更されていることが判る。この角断面レバーは角を削って丸くする工程そのものを行わない(行えない)形状なのである。

画像で伝えることはできないが、そしてラストの手触りも悪い。明るい所で老眼鏡を掛けてよくよく見ると、紙ヤスリの粗い擦り跡からはガサガサと音が聞こえて来るようだ。そのため塗装表面に艶はない。もしや、この仕様あたりで白木ニス塗装のギルコは終わっていたのであろうか。

 この仕様が作られたのは、しかし全業種に厳しい不況が襲い掛かったバブル崩壊以後の時期だったのかもしれない。製品からは省力化の痕跡しか見ることができず、愛を見出すことは困難だ。それでもギルコ本来の面白い動きは些かも失われておらず、機能も損なわれてはいなかった。基本設計が優れている物は厳しい省力化や工程削減にも耐えるという、良い見本になるかと思う。

興味深いのはカムレバーのサイズで、明らかに小振りな部品を組み合わせている点だ。勿論基本的なサイズの違いはラストを1㎝ほど短く小さく作ることで生み出しているのだが、レバーまで短くすることで最短縮時の全長を限界まで詰め、より小さいサイズの靴にも対応しようと目論んでいる。この小型のレバーが№12に組み合わされた例を、少なくとも私は持っていない。

この小さなレバーは当然上段で述べた極小サイズのYGIA版ギルコにも使われている。畢竟、ギルコはラストに4サイズ、レバーに2サイズを準備してラインナップを構成していたことになる。これが最初からの構成か生産が進んでバリエーション展開した結果なのか、或いはもっと細かいサイズ展開があったのか、残念ながら今となっては誰も分からないことだろう。

 

もしかしたら№3というのは婦人靴にも使えるように設定されたサイズなのかもしれない。そう思いついた私はマヒロ(家人)の留守を狙い、彼女の靴にこれを入れてみた。しかし元々小学生と張り合うほど小さなマヒロの靴には、どうやっても入らない。悔しいのでYGIA版の極小モデルに持ち替え、次々とフェラガモの靴に力一杯ギュウギュウ捻じ込んだが、やはり果たせなかった。ラストの幅も厚みも桁違いなのでまったく入らない。あきらめずナイキのスニーカーでも試したが、結果は同じだった。

ギルコは全て男性用だったのである。

 

 

 

 二十歳になる年に初めてのギルコ・シューキーパーを買ってから、気付けばもう四十年以上が過ぎていた。

 これまでの文章からは私がコレクター的にギルコを探して東奔西走したような印象を受けるかもしれないが、実際は数年に一回靴が増えるタイミングで、重い腰を上げてぼつぼつと探し回っただけの話。見つからなければ見つからないで困りはしなかったのである。それで毎回新しい靴に入れるギルコを手当てし、収まりを調整したらそのまま放置。生活雑貨を探す行動にドラマはなかった。

が強いて挙げるなら、やはり六角橋商店街のあの靴屋での出会いだったろう。どこにもある町場の靴屋の雑然とした店内で見せられた、艶々したギルコの木肌に魅せられたのだと思っている。カムレバーとか分割構造とか、あとの話でしかない。サイズや仕様の変遷などを調べたのも、今回の文書準備で初めてだった。

 

 ギルコはその後も材料をシダーに変えた無塗装の仕様が売られていた。ネット情報によれば、それは中国製だったという。似て非なる製品だったといえるのかもしれない。

ほかにも、ラスト以外の部品がすべて金属製のタイプもある。これには偏心カムレバーがなく、踵側には可動式の二本の金属板が付いている。この金属板をへの字に折ったブカブカの状態で靴に挿入し、関節部分(への字の頂点)を上から押し下げると尺取虫が伸びをするように全長が伸びて突っ張るという、単純な構造。百年以上も昔の初期自動銃に用いられていた「トグルロック」と全く同じ作動原理なのが面白い。

 

 ギルコに関する私の能書きはここまで。モノクロームの眼で製品を見詰め続ければ何かが見えてくると信じてここまで書いてきたけれど、結局それは物体の外側を睨め回しただけで終わったのかもしれない。

 最初の赤スタンプ版とそれ以降の間には相当な違いが見られることは書いた。もしかしたら、ギルコという木工製品の運命にこの時、例えば輸入していたものを国内生産に切り替えたとかの大きな変化があったのかもしれない。ギルコは元々ドイツの製品だったと、ネットのどこかに書かれていたような気もする。ドイツ製品であれば当初の調整ネジが2.0㎜だったことも、ラストが奇妙に薄い造りなのも、一個のシューキーパーにここまで凝縮した機能を纏め上げていることも頷ける。

このシューキーパーがある時期は大変な人気を博した商品だったという人もいる。けれどファッション業界などとは縁の無い普通のおっさんには、まるで実感のない話。

私にとってシューキーパーの数はすでに足りていて、ほとんど消耗などすることのない道具であるからして、今後とも増えることはなさそうである。これまでの情況からしてニス塗り時代のギルコに関する情報が増えることも、残念だが期待できない。


 今は「日本人が日本製品を有難がる」狂った時代。ギルコのような優れた木工雑貨が再び当時と同じクオリティーで世に出る望みは、ないであろう。

 誰がいつ頃どこでこの面白い生活雑貨を作っていたのか。その運命を握っていたのは誰で、どんな終焉を迎えたものなのか。ギルコに関して私の知りたい事はそこに尽き、残念ながら現物から答を得ることは叶わなかった。

物は何も語ってはくれなかったのである。



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 今回の文書準備ではFC2ブログ『をかしの庭』を主宰されている大通Shin’s氏に貴重な知見をご教示頂いた。まさに目から鱗、感謝申し上げる。




 FC2ブログ『をかしの庭』





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