マン・アンド・マシン 飛行機と車に挑んだ人びと

 

 佐貫亦男『マン・アンド・マシン 飛行機と車に挑んだ人びと』は、講談社から昭和六十(1985)年四月に発行されていた、飛行機と自動車を構成する多彩な要素技術の開発/発展エピソード集である。


 四六判無線仮綴じ製本、単色刷り本文は253頁。四六判というやや小振りなサイズの制約からいずれもひどく縮刷されているものの、非常に多くの写真や設計(特許)原図が文中に挿入されている。一々数えたワケではないが、帯に印された「図版400点収録。」の惹句は充分に信ずべき数値と思われた。250頁程度の本に400点の図版は、機械モノの書籍としてはかなり奮発した部類とみてよろしかろう。

各表紙と奥付に漏れなくサブタイトルと思しき「飛行機と車に挑んだ人びと」の文言が表記されており、当ブログは書名としてここまでを採ることにした。「はしがき」末尾には本書が雑誌『メカニック・マガジン』の連載記事「マン・アンド・マシン」を再録したものである旨、刊行経緯への言及が見出せた。見えているのは外装カバーと帯が巻かれた状態である。

 

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奥付にある略記によると著者の佐貫氏は明治四十一(1908)年生まれ。東大・日大の教授を歴任したほかに日本航空学会の会長を務めたとある。戦前は東京帝大を出てから専ら航空機の技術導入などに携わり、戦後になって教壇の人となったらしい。

お名前に強く引っかかるところがあり、他の著作も読んでいなかったかとwikipediaなどに就いてみたものの、挙げられている著書名で覚えのあるものはひとつもなかった。尤も本書『マン・アンド・マシン』も同サイトの著作目録になかったので、もしかしたら他にもある未掲の著作を私は読んでいたのかもしれない。


 本書は巻頭でいきなり「人間あっての機械だ。この断言を徹頭徹尾追求したいと考えてこの本を書いた。」という佐貫氏の宣言から始まる。人と機械の主従関係を明確に示し、同時に自分自身の立脚点を明らかにする、明晰このうえない執筆宣言である。その後「目次」に続いて十六の章に分かたれた本文が、言葉通り人を主役にして精力的に展開されてゆく。

  記述の分量は前段の飛行機後段の自動車と、ほぼ二等分されている。しかしさすが佐貫氏は道一筋の専門家なだけあり、航空機に関する記述は微に入り細を穿つ大変詳しいものである。

まずライト兄弟の史上初飛行を起点としてその前後の様相から順番に記述を進めているのは、始まり物語としての定石で特に目新しいものではない。しかしその知見はマニアックなどという生易しい表現を受け付けないほど範囲が広い。フライヤー一号は何故人類史上初めて離陸に成功できたのか。その構造的な内容の解説から、兄弟が機体を設計した当時の思考経路にまで鋭く筆が及ぶのである。

そのまま息吐く暇もなく、佐貫氏はライト兄弟以降に怒涛のように続いた航空機械の進化を、素材や構造の革新を成し遂げた技術者を中心に据えて詳しく辿りはじめる。カーチス、ファルマン、モラーヌ・ソルニエ、ユンカース、異端のダンなどなど、複葉機時代の名機が次々と現れる。どれも特徴ある新機軸のイラストや原図が文中に小さくも巧みに配置されているのが嬉しい。これなら、メカ好きであればなんとか著者と情報を共有できる感覚のまま読んでゆけるだろう。

やがて筆は航空機開発の中心となった複葉式戦闘機の解説に移り、佐貫氏は搭載する機銃の開発史やその戦闘機を撃ち落とすための高射砲にまで果てしなき蘊蓄を開陳してゆくのであった。なにしろこの御仁、飛行機の開発史を語りながらフランツ・シュナイダーの機銃同調装置(自分の撃った弾が自機のプロペラに当たって墜落してしまうのを防ぐための安全発射メカニズム)やパラベルム(パラベラム)機関銃の開発、有名なドイツ軍のフラク・アハトアハト(88㎜高射砲/汎用砲)にまで平気で同じ密度で記述を拡げてしまうのである。

 

思うに、この著者は間違いなく筋金入り。日本航空学会の会長まで務めた方にこの評価は失礼すぎるかもしれない。しかし、いかに飛行機が専門とはいえ、ジュラルミン(金属製機体に用いられる軽合金)を史上初めて生産した会社だというだけでドイツのデュレナー・メタルヴェルケ社まで思い付きで行ってしまう人はそういないはず。しかもその会社がすでに倒産してしまったことを知っていながら、敢えての見物行なのである。

また航空機以前の翼人であったオットー・リリエンタールの面影を慕って史跡や墓を歴訪し、あまつさえ最後の飛行地点である共産圏東ドイツ(当時)のゴレンベルク丘に行こうとまで画策していたらしい。国境の鉄条網を越えた先には一定間隔でMG42(場合によってはMG34)マシンガンが並び、不審者は問答無用に射殺していた時代である。並みの趣味好奇心でやれることでは到底ない。これは重度なエンスージアストが共通して示す並外れた行動力と考えねば、ちょっと理解を超えるものがあった。

 今回も自動車編を含め余りにも濃厚な内容にふうふう言いながらなんとか再読を進めてみたが、最後は「風車」「ハンググライダー」と拍子抜けする長閑なテーマの短い章でホッと一息。ようやくプロフェッサーの集中講義は終わるのであった。にもかかわらず読後感は先のエントリー『失われた動力文化』を思い起こさせ、爽快感すら伴っていたのが不思議ではある


今の私は西五反田のクアアイナでハーフパウンドのチーズバーガーと大盛ポテトのセットにB.L.T.サンドとLサイズのコーラを追加して一気食いした気分なのである。お腹いっぱい。

当分は残留応力だ張力だと講釈を述べる気には、ならないね。

 

 

 

 

 

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紅白 V

 

 寒い季節に咲く花あり。

 

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 冬空に建つ高層ビルあり。


 みんな経済死んだとかホザいて思考停止してっけどさあ、やる奴あ黙ってやってるぜ。

 次に備えなきゃ、ニッポン。


 違うかい?

 

 

 

 

 

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バイク伝説の神様たち

 

 米山義男『バイク伝説の神様たち』の出版は19903月。あの狂躁を極めたバブル経済に留めを刺す「不動産融資総量規制」が突如として大蔵省より発せられる、ほんの二週間ほど前のことであった。

 本書の発行元は勁文社。A5判無線綴じの軽装にカバー掛けで、本文はザラついた手触りの紙に単色刷りで253頁。バブル景気が膨らみきった頂点での出版とはとても思えない、質素な成り立ちである。目次裏の頁に表紙写真・都築郁夫、装幀・柳沢光昭、本文写真・中川隆司のクレジットが小さく印されていた。

 

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 三十年ぶりに読み返そうと本を開いたところ、本文用紙はマージン(頁の中で文字を印刷していない周囲の余白部分)はおろか版面(頁の中央にある文字稿印刷領域)にまで空気曝露による変色が及んでいた。僅か三十年でここまで酸化が進んでいたところを見ると、用いられているのは当時でも書籍にはほとんど使われなくなっていた酸性紙なのであろう。そう思うとたしかに特有の匂いはするが、さしもカバ男の慧眼でも新刊当時にこれは見抜けなかった()

 

 本書はわが国オートバイ産業の草創期から活躍してきた有名人十五名への取材を基に構成した、バイク業界人の列伝である。序跋の類がなく刊行の経緯を窺う縁も覚束ないが、巻末にCBSソニー出版の雑誌『サイクル ワールド』に連載した「咆哮の勝利者たち」を大幅に訂正加筆してタイトルも改めた由の短い表記があった。初出記事との校合はしていないので各篇の加筆程度は分からない。ただ紙数一杯余すところなく本文を展開しているのを見ても、本書に賭ける著者の意気込みは熱く感じられる。独立した単行本とみて差し支えないであろう。


採り上げられているのはレーシングライダーを筆頭にチューナー(市販バイクをレース用に再構成する技術者)、老舗輸入車店経営者、工業デザイナーなどなどとバリエーションに富んでいる。お古い表現で恐縮だが本書はいわば二輪産業の諸職往来ともいえる内容で、総花的ながら次々と読み進む軽快感が楽しかった。

平均すれば取材対象の一人当たり二十頁にも満たない紙幅でその強烈なバイク人生を語り尽くすのは、もとより至難の業である。しかし著者の米山氏はしっかり構え、ある時は現役を終えてショップ経営者となったレーサーのオフィスを訪ね、或いは共に往年のテストコースに立ち、話を聞き出してゆく。すでに押しも押されもしない大御所となった人物の放談めいた言葉でも、時代の社会情勢やレース記録などに当たって地道に検証しつつ正面から向き合って書き繋いでいるのがよく分かる。

 

取材対象はみなインタビュー慣れした有名人。持ち出されるエピソードの多くは自伝や雑誌ルポで何度も取り上げられたものばかりで、新味が乏しいと言うこともできよう。だがこの本で米山氏が試みているのは「ニュース」を提供することではない。既知の断片的な情報を敢えてまとめて反芻しながらも、来し方を語る相手の言葉遣いや対話の中で生まれる呼吸のようなものを捉えることで、人間性を浮き彫りにしようと努めているように思われるのである。その点で米山氏は出来事よりも人そのものに一層の興味を抱くルポライターだったのであろうか。

専門誌出身のライターが用いるような業界誌的文法は、この本には殆ど見られない。バイク業界からは一歩退いた目線と普通人の言葉で綴ってゆく文章の読後感は、バブル期に塵埃のごとく濫造されたバイク本の一冊とは到底思えないほどに謙虚であり、潔かった。

 

 

 

 

 

 

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念念不忘 Keiji Lives

 

 節分が過ぎ、晴れてさえいれば陽射しは明るい。

 

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 南中の太陽は、名も知れぬ公園のベンチにくたばったカバ男にも、隔てなく暖かさを与えてくれる。

 だがその力はまだ弱く、一陣の北風でたちまち身は凍え足跡は吹き消されてしまう。恃むのは胸に消え残った小さな炎のみ。


 心に問う。

 歩み出せるか。時はまだ、尽きていないか。


 春まさに、遠からじ。

 

 

 

 

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眷属他行

 

 路地裏のお稲荷さん。

 よく見るとなにやら神名の彫られた石が立っている。コイツがご神体になんのかな。

 ビルや仕舞屋やが隙間もなく立て込んだ町中なんで、土地も高いし申し訳ねいけど参道は省略(笑)。しかも稲荷のくせに狐が一匹もいねっし。

 神さんの用向きで使いに走らされてんでしょうかね、狐ども。夜んなったらまた帰って来んのかな。んへへへ。

 

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 昔はこうゆうちっちゃなリアル鳥居がどこの路地にも普通にあったもんだ。場所がないと人ん家の板塀に貼っ付けられてたりね。でまたソイツがガキどもの恰好の標的となり、前を通ると自然と催してきちゃったりして。

 「お行儀悪い!」とか「おチン○ン曲がっちゃいますよ!!」なーんかしょっちゅう叱られてたっけな、ガキの頃。

 通りがかりの知らない職人に黙って頭を張り飛ばされたりね。


 思えばね、あったかい時代でしたよ。

 

 

 

 

 

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