ミッドシップスポーツカー
折口透・舘内端『ミッドシップスポーツカー』一冊本、書影。
この本には本体束のどこにも刊行年月日の表記がなく、辛うじて外装カバーの袖(巻き込み部分)に1984年1月17日と小さく印刷されているのが認められた。版元はグランプリ出版。本文束に奥付頁は存在しているので、そのまま刊行年月日を印刷するのになんら障害はなさそうなのだが、それをしていないのがまったく不可解である。
仮に図書館などが本書に価値を認めカルトン(板ボール紙入り)表紙の書籍として架蔵すべく再製本に出したとする。注文を受けた業者が良心的な製本家ならば、外装カバーを捨てず丁寧に合綴するだろう。しかし図書館用製本はルリユウルのような手製本ではないので、小口を化粧裁ちするプロセスで唯一刊記の刷られたカバー袖は切り離され、間違いなく脱失する。折角堅固な装幀を与えられ保存性が飛躍的に向上したのに、そのサンプルは書物としての出自を語る最も大切な刊行時期が記された基本情報部分を失ってしまうのである。仮令今買ったばかりの新刊本であったとしても、カバ男のような乱暴者の手にかかれば瞬く間に巻きカバーなど取り払われ、結局は刊記のない裸本となってしまうのだ。
物言えぬ書物に対するこの編集手法にはまったく愛がない。そのうえ、自らが編み出した書物が世紀を超えて読み継がれるであろうと確信する矜持がない。グランプリ出版に限らず自動車関連図書を出す出版社は当たり前のように同様な杜撰さで本を作るが、書物という物体の成り立ちに関する根本的な不勉強を露呈しているとしか言いようがないのである。
ぼんやりと本書の奥付を眺めていると、ミッドシップスポーツカーという颯爽としたタイトルにも関らず「棚卸資産勘定」とか「図書再販制度」などという全然颯爽としない言葉が脈絡もなく浮かんでくる。それが編集とはなんら関係のない意図から発したことであれ、こうした成り立ちを書籍に与えることは、常に書誌的な無知を晒して将来に混乱の種をばら蒔いていると非難されても反論できないのである。プンすか。
しかし憤慨してばかりでは先に進まないので、内容を見てゆこう。
本書のサイズはA5判。本文200頁、無線仮綴じ軽装、(刊行年記入り)カバー付き。グランプリ出版の自動車関連図書としてはごくスタンダートな成り立ちといえよう。年代的にまだブックデザインのフォーマットが固まる前なのか、表紙にはたくさんのミッドシップカーがイラストであしらわれ、些か児童向け図書のようにほのぼのとしたムードがある。
内容はエンジン・ミッドシップ(おおむね車体中央付近にエンジンを安置する駆動形式)を採用する物理的なメリットや、レーサーや市販車への採用実例に関する考察。「第1部 ミッドシップの理論的考察」「第2部 ミッドシップの歴史」と大別され、それぞれテーマが各論に分解されつつ展開してゆく。執筆担当は第1部が舘内氏、第2部が折口氏。
第2部は一種のミッドシップカー・カタログであり、過去に存在していたモデルをひとつひとつエピソードなど交えながら解説しているのが特長といえようか。ミッドシップカーの早い実例は(ベンツ1号車を除いて)レーサーに多く、時代が下るにつれて一般市販車への採用が見られるようになる。したがって前半には多くレーサーの開発ストーリーが盛り込まれ、続いて主たる市販ツーリングカー、スポーツカーなどを順次解説している。
第1部は自動車の多様な駆動形式を踏まえつつ、その一形式であるミッドシップマウントの得失を解き明かす内容。舘内氏は数式などで物理学の法則を援用しつつ、各駆動形式を持つ自動車のダイナミック(動的)な挙動を取り上げて比較考察を進めてゆく。
しかし現代の市販車は駆動形式の如何によらず、メーカーの開発段階で特徴的な走行キャラクター(動きの癖)を巧みに抑え込んでいるのが普通である。そのためコーナリングの常用領域で致命的な破綻を生じにくく、ドライバーは駆動形式毎のキャラクターの違いを感じられなくなっている。またタイヤやホイールオフセット及び四輪のトータルアライメントを変更することで、同じ車体であっても驚くほど挙動が変わってしまうものでもある。
もし誰かが本当にここで解説されているような違いを実証したくなったら、鋼管スペースフレームでテストベッド(実験用車体)を組み、一基のエンジンを前後に積み替えながら野球場ほどの広いアスファルト平面上で乗り較べてゆくことになるだろう。しかし、たしかスバルEA71エンジン時代の入門フォーミュラFJ1600で市販ローリングシャシーが400万円弱だった記憶があるので、このやり方はまったく現実的ではない。故に第1部のタイトルが理論的考察となっているのであり、この部分は普通のクルマ愛好家にとって中国の怪談本よりも現実感の持てないパートになっている。クルマ趣味の教養座学、そんな趣といえばよいだろうか。
そもそも物理学的な論考というのは考えるべき要素を最小に限って進められるものなので、現実の首都高などをブイブイ走り回るクルマ好きにとってはまったく雲を掴むような絵空事になりがちなのである。致し方のないところだろう。
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