増補版 朝鮮上代建築の研究
米田美代治著『増補版 朝鮮上代建築の研究』は慧文社から平成19(2007)年12月に発行されていた、建築考古学の学術論考集である。新刊当時ほとんど告知らしき動きもなかったようで、斯界の学究ならいざ知らず一般の読書家にその存在を認知されることもないまま、無慮十年以上もの歳月が過ぎてしまっていた。かく言うカバ男も先のエントリー『Korean Buddhist Sculpture』の文書準備で本書の刊行を察知してはいたのだが、相前後して原刊本の良いサンプルを得たため購入を先延ばしし続け、今に至ったという始末。日頃から最良の版は最新版などとホザいているにも関わらず、まったく面目次第もないのである。
三冊見えている本の二番目が原刊本『朝鮮上代建築の研究』で、大東亜戦争も敗色濃厚となりつつあった昭和拾九(1944)年八月に物資窮乏の中辛くも刊出された限定本。こちらは後段で別途述べてみたい。
改めて慧文社『増補版 朝鮮上代建築の研究』書影。A5判糸綴じ、丸背カルトン堅牢クロース装、挿入箱入り。本文308頁は通しノンブルで、タイトル頁以降の巻頭口絵や巻末の資料まで全てカウントしている。
新漢字新かな遣いをベースに詳しい校訂を行い、いうまでもなく版組みは完全に一新されている。口絵写真と測量図表はすべて原刊本から覆刻されているが、最低限の画像補正をかけたとみえて鮮明で見易い。また原刊本で随所に綴じ込まれている大判の実測図や正誤表などは薄葉で取扱いに大変な注意を要すべきものだが、本書では手際よくすべて本文頁に納められており、資料本としての乱雑な繙読に耐えて脱失の恐れがなくなった。堅牢クロースで表装した丸背造りも含め、すべてが図書館などで長年に亙って酷使されることを想定した造本計画。新装版ならではの心遣いとして版元の誠意を感じられるのであった。
本書は、朝鮮総督府の嘱託技師として荒廃の極みであった当地の古蹟調査事業に携わり、将来を嘱望されながらも昭和十七(1942)年に四十代半ばの若さで夭逝した米田美代治氏の、遺稿集である。
口絵写真に続いて「慶州石窟庵の造営計画」「仏国寺の造営計画に就いて」「仏国寺多宝塔の比例構成に就いて」ほか、現地に於いて同氏が実測調査を行った寺址や遺構に関する詳細なレポートが続く。みな考古学や建築学関連の機関誌に発表済みの論考ながら、氏の急逝を受けてその散逸を惜しんだ同学知己が取り纏め一本に集成したものであった。これが原刊本の刊出より六十年余りを経て、新訂によって大変に読みやすく現代に蘇ったものなのである。
増補に当たって、原刊本では採られなかったエッセイ風の一篇「もぐら家業者の小さな願ひ」が新たに発見収録され、米田氏の業績の全容をほぼ網羅することになったといえよう。及び、巻末には東京文化財研究所文化遺産国際協力センター研究員の芹生春奈氏による労作「米田美代治の研究と生涯」が新たに収録され、内容の理解を大いに助けている。
この中では、調査報告書や論考では見えてこない米田氏の私的な側面が丹念に調査され、これまで不明であった生年や出生地などまでもがほぼ特定されたのである。この一文によって初めて読者は人間米田美代治をありありとイメージすることができるようになったと言って過言ではなく、記述は硬いが人を人として蘇らせる温かな仕事かと心なごむのであった。
述べた通り、米田氏は主として朝鮮南半に存在する仏教史跡の調査実測を行い、各誌にその結果報告を寄稿していた。
当時の朝鮮は李王朝末期の長年に亙る経済破綻と無政府状態に疲弊して、あらゆる文化史跡はその存在自体をまったく忘れ去られ、荒れるに任せていたのである。ここに朝鮮総督府が近代的な統治の手を差し伸べ、巨額の国費を投じて朝鮮民族の文化遺産に復元修築事業を施した。土に還らんとする瀬戸際の廃寺や遺構を舞台に米田氏が嘱託として実測調査に携わっていたのは、正にその文化事業の最盛期の渦中であった。
本書の各論考を通読して面白いと思ったのは、その特殊な方法論。米田氏は荒れ果てた遺構に立ち、最初に地面を見ながらそこに遺されている礎石類が果たして創建時からのオリジナルか否か、後補や移動はないのか、慎重に見極めることから実測を開始する。次に可能なかぎり精密な方法でかつ多方向から測量を行い、平面上の位置関係を克明な実測値付きの見取り図として記録する。その後、得られた数値が示す構造物同士の相対的な比率や照応関係を探り出し、その建物が創建された当時にどのような地割(建物の幾何学的な配列原理)が適用されていたのかを復元しようと肉薄してゆく。現代の物作りでは欠かすことのできないコンピュータ援用のリバースエンジニアリングとまったく同じ方法論を、すでにして戦前の建築考古学で、米田氏は独自に構築実行していたのである。
このやり方によって、実は本人も気付かぬ内に寺院建築の最奥義である規矩法を解き明かし、あまつさえ秘仏の造像儀軌(仏体各部の造形ルール)までも数値化して後学に遺すこととなった。
巻末の略年譜によれば、米田氏が朝鮮総督府付の嘱託となったのが昭和八(1933)年。当初は幾つかの寺院修築工事などに助手として参加し、初めての調査報告「慶州千軍里双塔再建と寺址調査」が同十三(1938)年半ばに発表されている。そして腸チフスで世を去ったのが述べたように昭和十七(1942)年の末。論考を世に問うていたのは実質四年間でしかなかったのである。その間で現在判明している氏の報告や短信は全部で十九篇。世を去る直前に内地へ発送したとされながら行方が分からなくなっている最後の論考を含めても、僅々二十篇。建築史家として濃密な期間であったのかと思う反面、如何にも早過ぎた死であったと惜しまれる。
原刊本『朝鮮上代建築の研究』は昭和拾九(1944)年八月十五日、2000部の表記で大阪の秋田屋より発行された限定本。戦前の印行にかかる限定本としては相当に遅い時期のサンプルとして差し支えなかろう。A5判カルトン角背半クロース装幀及びカバー掛け。本文223頁に加えて口絵写真と、巻末に編者村田治郎氏による「跋」が添えられている。どこを探しても一切表記は認められないが、本書は米田氏の早過ぎた死を痛切に悼む追悼出版で遺稿集である、と断じてよいかと思われる。
増補版にある芹生氏の調査によれば、本書は初出誌の文章を正確に再現しているのだという。再録精度の高さが確認されたことや売価が表示されていることで、この原刊本が尋常の論考集として結構を整え、正々堂々世に問われていた情況が見えたとも言い替えられよう。刊出に奔走した歴々のその冷静さが、却って故人への哀惜を浮き彫りにしているようである。
韓国は慶州石窟庵内に安置されている謎めいた推定阿弥陀如来坐像に興味を抱いて渡韓した際、偶然買い込んだ英文資料『Korean buddhist Sculpture』。ご存知のとおり日本語すら満足に使えないこのカバ男なのだが、つらつらこの本を斜め読みしていたところ、著者のKang Woobang(姜友邦)氏が「深く影響された建築史家」として挙げているYoneda Miyoji の名に強烈な違和感を覚えたのである。
姜氏によれば米田氏とは石窟庵と呼ばれる人工石窟全体の構造解析と修築に偉大な業績を有する人物であるらしいが、無知な私にとっては初めて目にする名であった。韓国側の仏教美術史家によってこれほど絶賛に近い表現を与えられる日本人が存在するという事実を知り、それが直ちに米田氏への興味に変わり、帰国後早速に資料を探求しはじめたという次第。この一事だけでも姜氏には感謝したい。
画像の原刊本は、しかし米田氏の資料を探求しようと何気なくネット古書店のサイトを開いた最初の売り出しから購入したもの。まったく呆気ないものであった。古書探索の常として大阪の出品店へとまず一報、東アジア関係の研究室から出たものであることと正誤表が保存されていることだけ確認して「買い物カゴに入れる」をクリックしただけである。
しかして届いた本は、ご覧の通り外装カバーこそ些か時代となってはいるが書容矍鑠、全く繙読された形跡のないものであった。巻頭に挟み込まれていた正誤表の紙片を慎重にずらしてみたところ、そのままの形で頁に染み付いた跡が現れたのである。読まれない方が普通である戦前の文芸稀覯書などでは屡々経験することではあったが、研究室で読み倒された資料本という先入観のままミントな本を落掌してしまった衝撃は、大きかった。
昭和十九年、ニッポン・ラストディッチ時代の本なのである。
すでに勝ち負けを論ずるというよりも「どう負けるか」が囁かれはじめたような時局であった。出版事業など戦意高揚に資するもの以外は極端に抑圧されて開店休業、もしくは自主廃業。そもそも本を作ろうにも紙の手当てからして覚束ない情況に追い詰められていた。当時の出版家は本を作るために常磐炭鉱から亜炭を買ったというエピソードがあるほどなのである。すなわち製紙会社に代金ではなく操業用の燃料を提供しないことには紙を頒けて貰えない、そんな文化的最終局面でもあった。
なので本書にも使われているのは厚みも一定しない薄葉の脆い酸性紙。折り込みの実測図などは一度でも開いてしまえば自然に切れてしまうほどの粗悪な紙である。男手はほとんどが戦地に取られ、働ける女子供は悉皆銃後の生産に駆り出される、そんな切迫した国情での「遺稿集」の刊出にはいかほどの苦労があったのか。事実ある頁は文字も擦れ、或いは紙の薄い部分はインクが裏にまで染み通り、ぎりぎりなんとか本としての体裁を繕えたという書容が情況を感じさせて余りある。2000部の限定とは言い条、それも時局柄戦争遂行になんら益するところのない朝鮮建築史の論考集を2000部「しか刷りません」という内務省出版検閲へのエクスキューズと読めなくもない。むしろ本当にそこまでの数を揃えられたとは到底思えない惨憺たる限定本なのである。
そこまで真情を隠してようよう出版に漕ぎつけたところに、携わった関係者の強い弔意が見てとれると言っては、言い過ぎになるのだろうか。
この原刊本、慧文社増補版に出会う前のこととて非常な注意を払いつつ一度は読み通してみたものの、今後読み返すことはない。良いコンディションを保つサンプルもそう多くはなかろうし、架蔵者としての責任は重いのである。すなわちあと十年も書架の奥で管理したら、またしかるべき読書家へと伝世させる義務が私にはあるからだ。
今回書影公開の用を足したので、米田美代治著『朝鮮上代建築の研究』原刊本、再び休眠保管の基本に戻す。
最良の版は最新版、私には慧文社版があればよいのである。
- 関連記事
-
- 別冊1憶人の昭和史 昭和自動車史 (2021/01/23)
- MGCをつくった男 (2021/01/05)
- 増補版 朝鮮上代建築の研究 (2020/12/31)
- 慧文社行 (2020/12/17)
- 失われた動力文化 (2020/12/14)