怠慢上等

 

 人がジョギングしながらドライアップする(日干しになる)というネヴァダ州で、この曇り空は珍しい。朝からどんよりとして、だが心なしか喉が湿り気を得て呼吸が楽に感ぜられる。四つ角の植え込みに隠れて喫うピースのケムもほどよく湿り、重く良い感じに効いていた。

 だが、この先これ以上の曇りはない。まして雨など期待するこそ無駄なこと。あと一時間もすれば、例によって銀河系まで突き抜けるような青空と目を射る日光、熱く乾ききった風が絶え間なく吹き過ぎる日常が戻って来るに違いない。

この時私が立っていたのは、ネヴァダもネヴァダ、世界中の田舎者と博徒が集うラスヴェガス。かれこれ五年は前のことである。

 

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 今月はブログも書かず、本も調べず、ただただだらしなく終わるのであった。

 しかして医者嫌い健康嫌いのこのカバ男、どうした風の吹き回し、人生初めて人間ドックでも入ってみようかと理性がよろめく。フラフラと日本橋辺りの施設に這入り、見たこともない器械に縛り付けられて手も足も出ずに嬲られ放題。腹の中身を見られる血を取られる。若い女にパンツをズラされたのはイイとして、少しは身体を気遣っちゃあどうよと小姑よろしくネチネチ詰られる。揚げ句の果てはご褒美に食事券だのお菓子だの沢山持たされて子供の使いと同じあしらい無念無念。

さてそののちは国禁によって散り散りばらばらに分断された仲間との、楽しい再会のひと時(要するに飲み会)。これだけは唯一の慰めでもあった。みんな元気で良かった。

 

 主催者さん、ありがとう。次回も夜露支狗()

 

 

 

 

 

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スバルの歴史

 

 『スバルの歴史』という、薄冊。昭和451970)年1月に、出版社ではなくスバル製造元の富士重工業(現在は株式会社SUBARU)から発行された私家版である。

 

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 奥付には著者の名前がなく「Produce/太田克人」「Copy/永田欣功」「Design/森琢爾」などとクレジットされてもいるのだが、その意味するところは今ひとつ判然としない。大きさは普通の出版物に見られないタテ195×ヨコ210㎜の変形判で、子供向けの絵本などに時折見られる判型といえば分かりやすいだろうか。見えているように別紙のカバーや箱などを持たない、裸本で完本と思われる。

表紙には画像のとおり「The mini history of SUBARU 360」とだけ印刷されている。表紙と背表紙の境目あたりを慎重に観察したところ、「針綴じ/平綴じ」などと表記される些か珍しい製本法が行われていることが分かった。これは本文用紙の束を大型ホチキスのような器具で綴じ付けた上から表紙を貼り付けるやり方で、書籍よりも雑誌などを製本する場合によく用いられていた、簡易な技法である。年月の経過とともに軟鉄製の針から赤錆を生じ、甚だしきは本文用紙を焼き切ってしまうため、書物の保存性を尊ぶ現代でこの技法は敬遠されるようになっている。

本文は奥付まで含めて84頁。全頁モノクロ印刷で、文中にはアート紙の口絵頁が数箇所綴じ込まれている。同じく奥付には「非売品」の三文字が明記され、裏表紙には気付かぬほどの小さな文字で「34-17F4a (45.1)」の表記を認めることができた。この謎の文字列は妙に分類符号のような匂いがし、私のようなクルマ好きの感性にはどことなく、メーカーが発行するディーラー向けパーツカタログの部番(部品番号)を連想させるのであった。

これらの痕跡からして、どうも本書は富士重工の社内報的な出版、あるいは特定のスバル360関係者・OBなどに向けた記念出版のような代物だったのではなかろうかと私は推察している。すなわち刊行直後に所定の納め先へと頒布してしまえば、あとは積極的に広報もせず部用品のレファレンス経由で請求された場合だけ供給する方式だったのかもしれない。レース用パーツの供給と同じである。刊行の事情を断定はできないが、本書『スバルの歴史』は実際非常に稀少な本で、古書街を何年かほっつき歩いた程度で発見することはまず不可能と断言してもよかろう。

二年ほど前にマツダの整備用パーツカタログを採り上げた際に提起しておいた問題を、この『スバルの歴史』にも全く同様に認めることができる。つまり出版業でもない自動車メーカーが版元となる書籍の場合、積極的に刊行を告知も宣伝もしない傾向が強い。当然クルマ専門誌の埋め草「新刊図書」コーナーなどに採り上げられる可能性も低くなる。結果優れた内容の自動車専門書が、そうして人知れず編まれかつ消えてゆく、という大問題である。クルマ本のコレクターとしてこれほど厄介な存在はない。しかしこのようなメーカー発行の図書は、市井のクルマ本好きにとっては刊行後の早い時期に察知して販売店経由で入手するほかに、まったく手立てはなかったのである。

そのような隘路を抜けて当時のスバリストに渡った極少数の本書。歳月と共に流転し、繙読された形跡のない良形サンプルとして偶然にも「廃墟・自動車図書館」の書架に収まった。かれこれ二十年ほども前の出来事である。

 

 内容はスバル360の開発経緯を中心とした、富士重工業の戦後発展史といった趣。帝国時代には世界的な航空機メーカー(すなわち巨大軍需産業)であった中島飛行機に源を発する富士重工の、戦中戦後の苦闘から本文は始まっている。中島飛行機の財閥解体と再編はG.H.Q.の強い占領施策であり、実際分断されたまま結集再起を望む各社にとっては思うに任せぬ苦しい年月が続いたのである。その間にも各社各様に情況は変転し、スバルの名を冠した乗用車の誕生もこの変転に呑み込まれ翻弄されてゆく。やがて念願の大合併による富士重工の誕生。自動車メーカーとしての方向性を見つめ直す中から生み出された軽自動車「K-10」計画。これがのちのち大ヒットしたスバル360へと進展してゆくのであった。

 本書には夥しい量の証言が盛り込まれている。一台の軽自動車を生み育て次代の機種へとそのフィロソフィーを承継してゆく営為の随所で「その時その場にいた人物」への丹念な取材と、私家版であるが故か忌憚のない言葉による証言。K-10がスバル360へと結実してゆく過程での、周辺事情へのつぶさな言及。これが本書『スバルの歴史』の真価と言っても過言ではなかろう。

まず登場人物の言葉つきからして雰囲気が違う。本書の場合、私家版としての打ち解けた情況で漏れてくる証言者の言葉の端々に驚かされ、新世界を力強く開拓していった人々の自己肯定に感銘を受けることが多かった。それでいてハードな証言集とはせず、メーカーならではの広報写真や実証試験写真など盛沢山に配され、視覚的に楽しい読み物ともなっている。

本文末尾は爽やかな余韻を残し、フルモデルチェンジによる「スバルR-2」の登場で結ばれている。大変に凝縮されてエンスージアスティックな本として、時代を超越したクルマ好き必読の書という読後感であった。

 

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 本書『スバルの歴史』は、再版されるべきではないだろうか。エンゾ・フェラーリの自伝が長らく新刊不可能になっているのと同様に、本書も刊行元であるスバルが動かねば、スバル自身が内容の価値を再認識しなければ、再び光を浴びることはない。自動運転の実用化によって、ベンツの三輪自動車以来初めてクルマという機械が本質的な変革を遂げようとしている時代が今なのである。ヒトがクルマの運転を完全に放棄する瞬間を目前とした今であるからこそ、逆にこの本の輝きは増しているように思われる。


文化事業出版『スバルの歴史』は、しかるべき姿で新装再頒布されるのがよろしかろう。ト他人事ながら夢想する私なのであった。

 

 

 

 

 

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