袁枚(えん ばい)著・青木正児(あおき まさる)訳『隨園食單』。昭和三十九(1964)年六月刊の、隨園による私家版。四六判丸背、背継ぎ厚表紙、本文257頁。この版は国立国会図書館にも収蔵されておらず、関東方面ではなかなか見掛けないので、書影だけでも公開して本好き好事家の参考に供したいと思う。
巻頭に袁枚直筆書翰の写真版(影印)とその翻訳、および大判で隨園全景図の折り込みがある。また本文のあとには、翻訳者である青木氏が私家版刊行の縁起を書き留めた「後序」、続いて山口大学図書館が所蔵している小倉山房版(乾隆任子鐫)原刊本の全頁縮刷影印が合綴されている。『隨園食單』の邦訳書としては贅沢すぎるほどの資料を具備しており、まず過剰なほど申し分のない構成と言ってよいだろう。
『隨園食單』原刊本の周辺を簡単に整理しておきたい。この原刊本は中国清王朝時代の高級官僚・文人にして大富豪だった袁枚による著作で、中華料理の古典的なレシピ本である。
若くして巨万の富を築いて退官した袁枚は、南京にて荒廃していた隨氏の邸を庭園ごと買い取る。彼は隨氏を敬ってその庭を「隨園」と名付け、自らも袁隨園と愛称されながら、ここを根城に終生文人趣味の隠居として過ごしたという。その袁隨園が多種多様な中華料理の調理メモを、食材や関連人物の背景など織り込んで集成し、1792年頃に小倉山房版として自家出版的に上市したものが原刊本(乾隆任子鐫)『隨園食單』なのである。
隨園に於ける袁氏の賓客接遇と絶品料理は夙に知られていたので、この私家版原刊本は大変なベストセラーとなって版を重ねた由。
さて、今回の題材である昭和三十九年版の邦訳本『隨園食單』もまた、書誌のスペックとしては原刊本と同じように「隨園私家版の隨園食單」と表記せざるを得ない生い立ちで、非常にややこしい。以下、本書に挟まれていた挨拶状と翻訳者による「後序」から、大まかな刊行経緯を記しておきたい。
畢竟するところ、本書は中華料理店の開業記念に配られた贈呈本、としてよいかと思う。
梁信昌氏率いる大阪の中国料理店「北京」で創業以来支配人を務めてきた李吉兆氏は十年を汐に円満独立し、南区(当時)で「本邦最大のスケールと設備」を誇る大型中国料理店を開業する運びとなる。李氏は屋号の考案を『華国風味』『隨園食單』で知られた中国文学者の青木正児(あおき まさる)氏に仰ぎ、齎された三つの案から「隨園」が決定された、という流れのようだ。それで、開業のお披露目と挨拶を兼ねた記念品として、名付け親として縁を結んだ青木氏の翻訳『隨園食單』が制作されたものと見える。当然新訳ではなく、六月社から出された昭和三十三(1958)年初訳を底本とし、資料部分の細部を出版目的に合わせて加減している。
つまり本書を隨園私家版と表する場合の「隨園」とは、かつて中国南京に存在していた富貴な荘園風豪邸のことではなく、大阪に出現した大規模中華レストランの屋号を意味しているのである。しかしてその装幀などは十束ひと絡げに私家版と言えるものではなく、なかなかに憎い所も多く、隅には置けない。
まず表紙平にカルトン(ボール紙)芯を使わず、見返し紙に直接極厚の用紙を貼り合わせて靭性を持たせた軽快な造りとした点。これを背表紙を巻いてきた色違いの製本用合皮とノド元で背革風に貼り継ぎ、美観と共に強度を持たせている点。外箱には入れず、外装には外れ止めを設けたビニールカバーを掛けている点、などなど。装幀デザインの痕跡からは、すべて本書が繰り返し繙読され、持ち運ばれ、酷使される実用書たるべきことを前提とする明らかな意志が見て取れる。料理店の開業披露で配る料理書という出版の意図を正確に理解した、装幀家の優れた造本計画なのであった。
反面、この隨園私家版に直筆書翰とか原刊本の写真版資料までも合綴する必要性が本当にあったのかな、という点が疑問であり惜しいなとも思う。同業者料理人がハンドブック的に実用するための『隨園食單』であれば、ここは翻訳された本文だけを読みやすく検索しやすいレイアウトで綴じ付けてあれば事足りるのではなかったろうか。贈られた方もまた、それ以上を必要とはしていなかったはずかと思われる。それは先行する六月社の青木氏初訳でも同じことで、そもそもの出版意図は中華料理ハンドブックであり、袁枚研究書の刊出ではなかったのである。にも拘わらず簡潔な原文に対して原著の成立背景とか翻訳の経緯などを滔々と述べ加えているのは、筋違いの愚以外のものではない。この点が、優れた翻訳を成し遂げながらも中国文学研究者としての自意識過剰に陥ってしまった青木氏の蛇足としか言いようのない部分であり、本書がその蛇足をそのまま受け継いでしまったのは残念なことだと思っている。
ほかに残念、というか興味深いというか、この版特有の面白い情況も指摘しておく必要があるだろう。それは文言の訂正なのだが、文中の中国を表す「支那」という文字をすべて「中国」と刷り込んだ極小の紙片で貼り替えている点だ。まだ出版法が存在していた大東亜戦争以前なら、思想風俗出版では稀に見られた懐かしい手法である。それは危険部分を伏字か脱字にして検閲を逃れて出版した本に、回復用の文字を刷り込んだ別冊を付録とし、読者が一文字一文字手作業でこれを切り貼りして本文を復元してゆくという気の遠くなるような手法であった。本書の場合はその出版経緯が示すように、恐らくは配本前に隨園側でその差別的な「支那」を徹底的に訂正したものと推察される。大変な労苦とは思うし、翻訳者の青木氏はこのことをご存知だったのだろうかと考えると、複雑な気持ちになってしまう。
実はこの隨園私家版『隨園食單』、つい最近になってようやく入手できた本なのである。数年ぶりでネット検索「日本の古本屋」というサイトを使い、偶然にも関西の売り出しから見出すことができた。昔からの習性でまず書店には電話で一報、在庫確認と同時にブツを押さえてもらう心算だったが、先方開口一番「ああ、あおきまさるの」を聞いて不見転で即決した次第。今時翻訳者の青木正児氏を「あおき まさる」と正しく読める古書店も少なくなった。あまつさえ即答、この相手なら心配無用と踏んだワケなのである。
これで十年を越えた執着に一区切り、気が晴れた。ちょっと嬉しい。
それで、恐縮なのだが、内容に関しては岩波文庫を読んでください。ブックオフあたりなら100円で売ってると思いますから(丸投げか)。