刃物の見方

 

 岩崎航介遺稿集『刃物の見方』。昭和四十四(1969)年二月、三条金物青年会刊。A5判丸背本クロース装、本文153頁。加えて略年譜あり。

書影は、一般的な実費頒布に先立ち故人の関係先宛に寄贈された、未頒布所縁(ゆかり)本。そのまま永く死蔵されていた原装完本である。私は三十代の頃、たまたま全く繙読された痕跡のない極美本としてこれを手に入れ、一読したのち書庫深くに秘蔵していた。そのため藍色のクロースには一点の灼けもなく、ここに刊行当時そのままの書容を公開することができるのは幸と思う。

 

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 巻頭口絵一葉は岩崎氏のモノクロ近影で、今しも研ぎ上がったばかりの新身を手に厳しく吟味の趣。しかしその横顔は優し気で、学者かといえば学者、苦労人と言われればさもありなんという自然体な風情が窺える。

 続いて本文。ここには長短合計11篇の論考が収められている。遺稿集ではあるが、生前最後に行った講演(「刃物の見分け方」)やラジオ放送(「日本刀と私」)の文字起こし稿を含み、これらに一般誌紙などへの既発表分を合綴した体である。

古刀をベースにした非常に特殊な冶金分野の論考でもあり、既発表とはいえこの一冊で過去に散発的に著された氏の文章を通読できるのは、なかなかに有難い。遡って広く散らばった氏の文章をひとつひとつ丹念に取り集め、体裁を整え、一本に編んだ青年会の労苦が偲ばれる。

 

 岩崎航介氏は、古刀復元の世界では伝説中の人物らしい。

氏は明治三十六(1903)年一月、新潟県三条市に誕生。中学校教師の傍ら、古刀の切れ味と鋼の秘密を解き明かすことに一念を凝らし、全生涯をカタナに捧げたといっても過言ではない人物のようだ。その過程で千代鶴是秀をはじめとした名工知識を一々歴訪、鍛冶技法・秘法を丹念に聞き取り調査して、科学的な目で文章化している。戦前の足跡は優良な鉱物資源を求めて遥かモンゴルにまで及び、胃潰瘍で危篤となるもなお調査を止めなかったとされている。

一方早くから輸入カミソリの優位性を痛感し、南無八幡大菩薩われにゾリンゲンを打倒させしめよと宿願しつつ、三条刃物の品質向上にも深く関与していった。岩崎氏の、経験則だけで火造ることが主流であった当地の鍛冶職集団に科学的な見方の有効性を広めた功績は、大きい。本書に備わる「推薦のことば」冊子を読めば、当地政財界の歴々が自然と「鬼才」「偉人」「先生」付きで氏を呼んでいることからも、その技術コンサル的な活躍が窺えるのである。

昭和四十二(1967)年八月、癌の再発により他界。六十四歳と。

刃物金物の町として知られる新潟県三条市の資機材販売会社「角利産業」によってご子息紹介『岩崎重義の世界』が公開されているので、これ以上の贅言は控えることにしたい。

 

 刃物といえばせいぜいキッチンで安物の包丁を研ぐぐらいが関の山の、門外漢の私である。しかし、この本は面白かった。中でも千代鶴是秀(加藤廣)との対話は、短い中にも本人の口調をありありと伝えて非常に印象深かった。米沢上杉家御抱え刀工の血を引き神格視された名人道具鍛冶と、古刀に魅入られ東京帝大の大学院まで出た冶金工学者とのやりとりは、剽悍な中に侍の真剣勝負にも似た火花が散っている。この時の会話、はたまた平成182006)年に出されたムック本『千代鶴是秀』の中で解明されてゆく低温鍛接の技法など、是秀の経験則と岩崎氏の冶金理論とが驚くほど合致しているのも面白い。

 また古刀鍛錬の技法伝承者を訪ね訪ねてついには熊本に至り、あばら家のような野ざらしの鍛冶場で十文字槍の秘法伝承者と巡り合う件(くだり)など、さながら民俗学のフィールドノートを読むようだ。そして二人の言葉の応酬は、飽くまでも古風で雅。能の一場を見るような幽玄の味わいに、その数頁だけを何度も繰り返し読み重ねるほどだった。

 

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 念のためとネット検索したところ、本書はどうやら慶友社という版元から2012年に新版が出されていたようである。私はこの版元を知らない。どの程度の校訂が施されているのだろうか。重版の形跡もなくとうに絶版している様子だが、今でもAmazonあたりなら売っていないともかぎらない。およそ書物という物の最良の版は最新版であるという鉄則、この新版にも当てはまっておればよいのだが。


 昭和五十(1975)年以前に産業の各分野で旺盛に試みられた、科学者による伝統技法の継承と解析数値化については、改めて回顧考察してゆく必要性を感じているところなのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

角利産業株式会社様より同社ホームページ及び『岩崎重義の世界』に関するリンクの許可と真情あるコメントを頂きました。御礼申します。

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Tank empty

 

 Silver Shadow といえば、クルマ好きの答はただ一つ。

 

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 冬の間私の身を包んだ甘い香水は、すでにない。


その昔グランドツアラーに装備されていた革バンド掛けの燃料タンクを模した、そのデザイン瓶、100㎖きれいサッパリすっからかん。

 

 あばよ、チバよぉ、サヨナラよぅ。秋の扇、春の Davidoff Silver Shadow なのである

 捨てて顧みず。

 

 でもなぁ。戦後版のうえに応力外皮なんだよね、SilverShadow って。

 

 

 

 

 

 

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時局玩弄

 

 小人閑居して不善を為す。

 

 ニッポンの小人共が片っ端から自主的な閑居を強いられるこの時局下にあって、マスクもかけず高笑いしながら地元をノシ歩いている私である。

 でも、人並にちょっとは強いられてみようかな、と思った。プチ蟄居。

そのための退屈しのぎと何心なく買い求めた、二冊の本。

 

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沼口ゆき『使いこなしで、現地の味もいつものご飯も思い通り 台湾調味料 いただきます手帖』20197月。

台湾大好き編集部『台所にお邪魔して、定番の魯肉飯から伝統食までつくってもらいました! 台湾かあさんの味とレシピ』201611月。

いずれも誠文堂新光社による料理本。なんちゅう長ったらしいタイトルか。


古い世代のクルマ好きなので、誠文堂新光社は『新しい自動車のメカニズム』とか『ボルボ スウェーデンの雪と悪路が生んだ名車』など、時流に棹差さぬ良書でお世話になった版元というイメージがある。だがそれもある時期からパッタリご無沙汰、倒産の噂も聞こえたような気がすれど、どっこい今時は「台湾」で当てていたのか()。いやいやご同慶の行ったり来たりで。

しかし、通りすがりにさくっと抜き取ってきた本の二冊が二冊とも「台湾」。は良いとしてどちらも中身が「料理」とは、一体どこに目を付けて書店徘徊していたものか。

このカバ男に料理の本など真実無縁。『随園食單』と『美味禮賛』の二冊があれば、それ以上は必要ないのである。なので、現在のところどちらも未読。

でもまあ写真もキレイでオシャレだし、しばらくは代わる代わるに弄び、しのごうか。


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ところで、最近は途中に句点を入れたり「!」マークまで付けたサブタイトルが流行っているのだろうか?

 

 

 



 


 

 

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Meck大叔

 

Meck大叔さんのYouTube動画。from臺灣。

 

 「メックだあすう」さん、と呼ぶのかな。毎回動画のオープニングは必ず「こーみょうだーはお、すーメックだあすー(ごきげんよう、Meck大叔だよ)」みたいな決まり文句から始めているので。

Meckさん、七~八年も前に家族の思い出的な動画をYouTubeに上げはじめたのが始まりのようだが、食レポ動画としてスタイルが決まったのも早かったようだ。台北市とその周辺でご本人がその日食べた美味しい物を毎日アップしていて、中華軽食の奥深さ満載。この半年毎日視聴しているがまったく飽きず、興味が尽きない。

 

『Meck大叔』 in YouTube

 

 これは生粋の台湾人であるMeckさんが同じ台湾人視聴者に向けて、地元のグルメを紹介する非常にローカルな動画。当然ながら中国語オンリーであり、言葉を解さない私は100%推測と妄想を頼りに動画を楽しんでいる。もっとも映像自体はMeckさんチョイスの料理一品がモニター狭しと大映しになっているシークエンスが中心で、私はフレームの外から現れた箸やレンゲが皿に盛られた食材を次々とどこかへ運び去る(つまりMeckさんが食べてゆく)のを、ただただ見入るだけ。バックにはMeckさんの中国語による熱いインプレッションと店内に響くTVニュースの音声。ちゃんと実食していることをアピールするために半分わざと立てている、Meckさんの咀嚼音。或いは店の子供が大泣きする声()などが響くのみ。

 じっと見ていると、段々自分が食べているような感覚に眩暈を覚える。

 最初の二~三回はなんて単調な動画なんだと呆れたが、今では完全にハマッてしまった。


 箸が触れただけでスルスルと肉が切れる豬脚(醤油味のトンソク)だの皿に盛られたまま自重でゆっくりと崩れてゆく牛肉煮込みだのが、なんということもない普通の小店で普通に出される台湾小吃の凄さ。老闆(店主料理人)にも客にも誰に聞いても例外なく自己の料理へのポリシーを滔々と開陳してくる、美食趣味の層の厚さ。そうした日台食文化の歴然たる違いを、Meckさんの動画を通して目の当たりすることはこのうえなく楽しい。

 Meckさん時にはオシャレにワッフルなんぞも食すのだが、上手に切れず戸惑うフォークの先にこちらがハラハラ。などなど。我ながら感情移入が尋常ではないと思っている。

 それで余りにも入れ込みすぎて、ご本人には無断で(つっても言葉が通じない)ご紹介。


 気い悪くしないでね、Meckのアニキ!

 

 

 

 

 

 

 

 

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世界の銃器●コルト拳銃編 S&W銃器編

 

 KKワールドフォトプレス刊の、実銃資料二冊。「カラーの大迫力で見るWildMook」シリーズの内で、巻次は飛ぶが内容装幀とも姉妹篇としてよいかと思う。

 昭和551980)年11月発行、巻次46R.L.ウィルソン監修『世界の銃器●コルト拳銃編』及び昭和561981)年2月発行、巻次48R.G.ジンクス監修『世界の銃器●S&W銃器編』。

 いずれもA4判無線仮綴じ製本、150頁余り。


S&W編を下敷きにしているのは私がオールド・コルトのファンだからである以外これといった意図はないが、ご容赦願いたい。コメント欄からオーダーして頂ければ、別途『S&W銃器編』の画像を追加することは一向吝かではない。

 

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 コルトの方が「拳銃編」でS&Wは「銃器編」となっている。コルトもメーカー初期にはサイドハンマー式のリボルビング・カービン(リボルバーの機関部に長銃身と肩当てを組み合わせたアメリカ独自の連発式軽快銃)を強力に販売していた歴史があるのだが、本書ではほとんど触れられていない。対して『S&W銃器編』ではメインのカラー写真頁再末尾にサブマシンガン(けん銃の弾を撃つ極軽量の機関銃)S&WM76とその他の長物ラインナップが二頁に亙って掲載されている関係上、版元では「銃器」の表現を採ったのだろう。

 どの巻も過半の頁を実銃各モデルのカラー写真と解説に費やし、後半はモノクロ文字稿。各々に監修として名のあるコニッサー(広大な視野と深い造詣を持つ通人)は、主にこの写真頁にあるキャプションを担当したと思われる。

 次いで木村譲二氏によるメーカー発展史、片瀬礼二氏による詳説『コルト社以外で作られたコルト.45オートM1911/A1(コルト編)』『S&W拳銃の系譜(SW編)』に続き、実銃のシリアルナンバー・リストが掲載されている。

 『S&W銃器編』には別に小橋良夫氏の『坂本龍馬・高杉晋作とS&W 日本維新にも登場したS&Wリボルバー』の小論考が添えられている。これは坂本龍馬が持っていたけん銃が高杉晋作より贈られたS&Wのモデル1系であったとする巷説を紹介した短文だが、本書で発表されたことによってわが国の若いガンマニアには通説として広く流布することになった。

 

 この二冊を手にした頃、すでに私はモデルガンという脳内補正の無限ループから解脱し、バイクやバンドといった実質的な趣味の世界を楽しんでいた。つまり「MGCのコルト」とか「国際のS&W」とかいうモデルガンマニアなら普通に口にするワケの分からないダブルネームに違和感を抱き、「ここには本当は撃針の通る小穴が開いている」だの「このパーツが折れるのは亜鉛ダイキャスト製だからで、本当は鍛造の鋼だから折れない」だのといったモデルガンに特有な絶えざる脳内補正が、私には馬鹿馬鹿しくなっていた。

 オモチャはオモチャ、本物ではない。そのオモチャに”COLT”なんてマークが入っていたとしたら、(当時は)弁解の余地もないイミテーションなのだ、という事実を受け入れた。例えばクルマ趣味の世界で「トヨタのフォルクスワーゲン」とか「ヤマハのMVアグスタ」なんてものがありますか?腕時計で「セイコー製のロレックス」なんて通用しますか?という、至極簡単明瞭なレトリックに気が付いて、興醒めしていた。

 それでも実銃、ことにけん銃という器械に対する興味は一向に衰えず、知りたいこと調べたいことは尽きていなかった。なので、この二冊はなんら躊躇なく買い求め、数年ぶりに書架に挿す銃関連図書となった。展覧会図録や写真集などが楚々と並ぶ本棚の片隅に挿されたこの異色の姉妹本、どことなく肩身が狭そうにも見えたものである。

 

 この二冊、要所となる写真頁のキャプションは、当時も今も読むたびに何かを教えてくれる。数行の短文をそれからそれへと読み繋ぐうちに、やがて疑問が解けてゆく面白さ。本物のけん銃をコレクションすることが、いや僅か一挺たりとも、いやいや部品すら持つことが許されないニッポンに住む私にとって、楽しい読書の時間を齎してくれる愛読書といってもよい。

 しかしその楽しさは、慣例に従い当ブログでは語らない。それはこの二冊を求め実際に手にした人だけが、それぞれに得られる楽しさなのである。今でもAmazonあたりなら売り物もあるかと思うが、どうだろう。


 本当のことを言うと、1981年当時ですらS&W M44オートは生産数10挺と『S&W銃器編』に明記されているにも関わらず、私もこれだけはちょっと信じ難かった。古いアメリカの『Gun Digest(銃全般のカタログ年鑑)』にもこの44オートは数年に亙ってラインナップされていたし、MGCのモデルガン「44コンバットオート」などは空前のヒット作だったのを目の当たりにしていたから。

 ん~MGCのコンバットオートはまさに名銃だった・・・って、あの頃の私の「解脱」もなかなか中途半端だったようなのである。

 

 

 

 

 

 

 

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