秋田の大工職人

 

 佐々木藤吉郎『秋田の大工職人』の書影を公開。

 昭和四十八(1973)年三月、秋田文化出版社刊。菊判カルトン角背、本文133頁。巻頭にモノクロオフセットの口絵4頁が綴じ込まれ、明治期以来の職人振りを偲ぶ縁となっている。

カバー掛けの一見してどこにでもある薄冊軽快な成り立ちながら、七つ道具の挿絵を見開きに刷り込んだ見返し紙など、心の籠った造本である。カバー題字は著者佐々木氏の直筆で、本扉ともに副題「一老大工の渡世おぼえがき」の一行が添えられている。

 また巻末近くには大工道具の一覧表(別紙図解付き)、子弟関係系譜、名棟梁の遺作解説など、懇篤に意を尽くした資料稿あり。殊に本文の中でも随所で触れられている(執筆当時の)現存建築作品群のかずかず。これなどは古建築探訪の愛好者にとって非常に有効なフィールド資料であったことは想像に難くない。

 

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 著者は明治三十一(1898)年生まれ。十四の頃から徒弟となり、以来明治大正昭和の六十年を斯道一筋に出精してきたと、略歴に記されている。まさに生え抜きの秋田棟梁大工である。その佐々木氏が、生い立ち前後から筆を起こして古き時代の暮らしぶりや大工渡世のあれこれを、当事者の目で誠実に書き残している。

 今日私たちが目にする大工という人々は、実は単なる建築作業者であり、大工という職業体系が本来持っていた役割の内ごくごく僅かな部分を継承しているに過ぎない。本来の大工(棟梁)とは、施主に応じてどの木材をいつの季節に山から切り出すのかから始まり、普請地の地型盛りのための岩石選び、盛り土の雪締めと家造りのあらゆる工程を差配する者なのである。また原木から一枚一枚巨大な手鋸で板を切り出し、杉の皮で何百枚という杮(コケラ)を作り、徹夜で竹釘を準備するという過酷な仕事に携わる者でもあった。その過程で季節ごと段取りごとに特有の祭礼があり、禁忌や仕来りを忠実に実行する。大工の世界というのは、家屋建築を中心とした一種の固有民俗世界そのものだったのである。これを当たり前のように淡々と、各章ごとに著者が綴っているのには目を見張らされた。

 

秋田大学・半田市太郎教授の序によると、そもそもは著者が手控程度に作ったガリ版刷りの手記があり、これが関係者の目に留まり本書へと発展したものらしい。その過程で民俗学関係、建設関係と多くの後援があったものとは容易に推察される。書縁と云わんか、そのままでは風呂の焚きつけにでもされて終わったはずの手稿が辛くも有識の人物に採り上げられ、公刊書として成立。以来地方出版物として何年もかけて地域に伝播流転してゆく中、どこの町でか青猫書房・阿部氏の慧眼に晒され、そのまま東京へと招来。そんな過程を想像するだけでも出版本来のスリリングさを感じ、心が躍る。

 本書は古建築や手仕事手業に興味のある人なら誰も、実に汲めども尽きぬ造詣を存分に堪能できる、またとない良書と私は思っている。先に当ブログで紹介した『わが町の建築遺産』や『飯能スケッチ帖』など現代の類書へと連なる、というよりもそれらの知識的な背景として立つ、奥深い内容である。また『洋式帳簿製本の変遷と思い出』同様に、道一筋の人物が自らを語る言葉からは強烈な知的刺激が感じられる。

 この本は初版刊行の五年後に、同じ版元より『シリーズ秋田の民衆史』叢書に再録された模様。版元も近年秋田文化出版と改組し、当地で今も盛業の由。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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堅信者の告白 或は内臓脂肪の服飾美学に及ぼす影響に就いて

 

 前置きなしにメンクラなんつうと、メンヘラとかボンクラとかと間違われる向きもあるかもしれないので心配だ。え?オレはテレクラと間違えた?なんすかテレクラって()


 メンクラとはすなわち、往年のアイヴィ/トラッドファッションを先導した月刊ファッション誌『Men’s Club』のことなのである。

私は、自分はメンクラ世代のつもりで今もいる。学生時代にライフスタイルのカタログ雑誌『ポパイ』『ホットドッグプレス』と相次いで創刊され、それなり読んではいたのだが、やはりちょっとばかり古めかしくてスノッブなメンクラの誌面が、一番馴染んでいたと思う。

なので、ことファッションに関するかぎり、必然的に私は「ねばならぬ」世代でもあるのであった。

 

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 見えているのは、かれこれ二十年ほども使い続けたレザーベルト。アメ横ガード下に古くから店を張る石原商店で買った、35㎜幅のごく普通のオイルド・タンだ。ここら辺りがスーツのベルトループに過度な負担を掛けない、限界の幅かと思っていた。お気に入りで登場機会も多かったこのベルトだが、ご覧の通りアイレット部分に深い亀裂が無数に入り、そろそろお引き取りかなという今日この頃。


 よく見てほしいのだが、五つ穴の中央、第三アイレットだけを私は使い続けている。当然バックルの跡も一箇所だけにしか付いていない。残りの四つは、したがって単なるデザイン上の飾り穴、というワケだ。そして二十年も締め続けたというのに、アイレット(位置決めの穴)がほとんど伸びていないことにも注目していただきたい。

メンクラ世代(というよりも近代オーセンティック・メンズファッションの世界)にとって、ベルトというのは実用品ではなくアクセサリーの扱いである。パンツのウエストに弛みなく巻き付けこそすれ、作業ズボンのようにベルトで腹を締めるような真似は決してしてはならない。服飾美学の歴史的風俗文化的な考察はこの際さておき、このセオリーは問答無用で厳守せねばならないのである。これがカバ男風、というかメンクラ世代の洒落者共が今も死守する正しいベルトの着用法、「ねばならぬ」なのである。

もうお分かりだろうか、このベルトが意味するところを。すなわちこの二十年間私はベルトのサイズを変えていない、という厳然たる事実。繰り返すが四十から六十まで、男が最も肥え太る危険な二十年を一貫して、なのである。んへへへへへ。

 

 しかし私とて一個の生き物。生きていれば日々メシを食い、年年歳歳腹の周りがたっぷりと寛いでくるのは止められぬ。ことにこのベルトを手に入れた四十代以降、ジム通いを止め暮らしもずいぶん変化して、まあ要するに太る一方のこの身体なのである。

「ここには脳に納まりきれない知恵と賢さが詰まっている」

など腹をさすって嘯いてはみるものの、傍から見りゃただのデブには違いないのであった。

 は?何言ってんだお前、話の辻褄がてんで合わねいだろ。ですか。

んへへへへ違ってませんて。私は嘘は申さない。ただ最初の話はベルトの話、その次は腹周りの話だったという、初歩的なレトリックだ。腹は太ったがベルトは変わらず。変えたのは、ご覧の通りバックルさ()

 

 いやはや、たった一本のベルトに合わせたバックル、ちょっとクローゼットに頭を突っ込んで探したら、果せるかなこんなにたくさん出て来た。もう金銀財宝ざっくざく。丸いの四角いの、片引きやらシーソー式やら開いた口が塞がらぬ。しかしここで私が言いたいのは数や形のことではない。その、バックルどものサイズ、なのである。

 およそバックルという品物は、ご存知の通りまずベルト本体に連結するためのシャフトがあり、次にベルト側のアイレットに通して位置を決めるピンがあり、畢竟ピンからアイレットまでの距離で実質的なベルトのサイズが決まってくる。つまり選んだ穴が何番目か、イコール腹周りがどれほどか、というワケだ。したがって普通の感覚なら、太ったり痩せたりすれば躊躇なくピンを挿すアイレットを変えて調整することになるだろう。当然アイレットは一つずつ順番に、腹圧を受けて変形してゆくことになる。

しかし私は古きメンクラ世代の掟を死守しようと、堅信の誓を立てた身だ。たとえ太ったからといって、そこいらのオヤジのように唯唯諾諾と穴をずらしながら「もう後がない」なんてヘラヘラ顔でほざくワケにはいかなかったのである。ではどうしたか。

バックルの長さを、誰にも気付かれぬよう密かに少しずつ伸ばしていったのである。

 

ピンとシャフトの間隔、実はバックルのデザインによって長短バリエーションが非常に豊富なことは、あまり知られていない。述べたようにベルトの実質サイズ(腹周り)はバックルのピンからベルトの穴までの距離で決まってくるのだから、連結シャフトとピンの間隔を延ばせば、つまり長いバックルに付け替えればベルト本体を伸ばしたのと同じ結果になる。そうして5㎜1㎝と少しずつ長いバックルに換装しつつ、私はこの二十年を太るに任せてきたというワケだ。

それでいて他人の腹をじろじろ眺めながら「太ったか」だの「だらしない」だのと失礼なことをほざく友人共にはベルトを抜き、黙って一箇所しかないバックルの跡を見せつけた。同じように堅信を誓ったほどの伊達者連中なら、黙らせるにはそれだけで充分だったのだ。

 くっくっく、これが真相。ベルトはそのままバックルだけすげ替えてここまで来たったあ、おシャカ様でも気が付くめえ。

 

「ずるいぞ。それじゃそのバックルを替えるたびに、お前は長いベルトを新調していたのと同じことになるんじゃないのか」

「その通り。土台、ベルトで腹を締めてはいけない、ベルトの飾り穴を実用に供してはいけないっつうのが『Men’s Club』の不文律。だがな、頭をCOOLにしていろよ。バックルを長いのに替えてはいけないなんて『アイビー特集号』のどこにも書いちゃいないんだ。くろすとしゆきだってそんなこと絶対に言わなかった」

「貴様謀ったな!そういうのをペテンというのだ。恥ずかしくないのか」

「ペテンじゃねいよ、こいつはマジック。見えない所で苦労をしても人前では超然と振舞うのが、バルベー・ドゥルビリー以来連綿と受け継がれてきた真のダンディズムというものだ。ダンディズムとは、男が実生活の中で緻密に仕組んだ、死ぬまで終わらせられないマジック・ショーなのさ。タネを見抜けなかったヤツらの目が節穴だったというだけで、恥ずかしいのはあいつらの方だろう」

むう、と唸ったまま対手は黙った。んへへへへ。

 しかしねキミたち、こうしてオイルレザーのベルトにくっきりと一箇所だけバックルの跡を付けるには、二十年もの時間が必要だったんですよ。バックル探しったってネットでほいほい通販できる時代でもなかったし。そこんとこ、ちょっと考えてみてくんねいかな。とは言わず、私はクウーンと反り身になって顎を突き出していたと思う。

 

 え?カバ男さん、ダンディなんですね?

 どういたしまして。私はどこにでも転がっている、ただの暑苦しいデブ。ダンディズムなんて全身全霊を傾注する大芝居なんざ、この歳でとてもじゃないが演じる元気などございません。

 ただ気まぐれにつまらん持ち物自慢だの長広舌だのをブログで繰り広げる、知ったかぶりのヤなジジイなんですよ。

くっくっく。

 

 

 

 

 

 

 

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春暖彷徨

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 目黒不動の水垢離場。

 

 門前に路線バスが着くような町場のお寺の一角に、今も江戸の昔から細々と続く信仰修養の場が残されている。このお寺もともと目黒川の河岸段丘にあり、荏原方面からの台地が切れる断崖からは夏でも枯れぬ豊かな湧水が滝となっていた。信心深い江戸町民、近郷の農民などが滝壺の傍らに寝起きしながら宿願成就を祈念したのが、恐らくはこの場の始まりなのではなかろうか。

アングラ劇団「究竟頂(くきょうちょう)」のテント芝居を追って私が初めてこの地に足を踏み入れたのは、1980年代の半ば。その頃この水垢離場は江戸期そのままに寂れ廃れ、鬱蒼たる森に囲まれた幽玄な祈りの場も、少々以上に不気味な場所だった記憶がある。とっぷりと日が暮れた森厳な境内に、こちらも奇怪な姿の芝居小屋。小暗いようなその仮設テントで肩を寄せ合うようにして観るアングラ芝居は、得も言われぬ重さを持っていた。

 

 とはいえ季節は春。四月の陽気にシャツ一枚羽織ってついフラフラと、実は小腹が減って迷い出たというのが事の真相。どこからともなくハラハラと舞い落ちて来るサクラの花びらなんか楽しみつつ、向かった先がここ目黒不動尊、這入った蕎麦屋が老舗の海老民だったというワケだ。

暖簾をくぐれば意外や逼塞の暮らしに飽き果てた地元の客で店内混雑。見れば「櫻そば切り」なんか早速始めているところなど、流石海老民如才のないところ。アレはまだ食えるのかいと席に通した給仕のおばさんに念を押してみる。

「じゃなんにしましょう」

「おうおう今念を押しただろ、櫻のそばっ切りさ。盛りで二枚」

「櫻切り、盛りで二枚。大盛じゃなくて二枚ですか」

「二枚っつったら二枚だぜ」

「じゃ櫻切り、盛りで二枚ですね」

「そうです」

甚だ手強い。まったく年寄りは掛け合いがくどくていけない。それでも出て来た蕎麦はそこはかとなく花の香で、最初はツユの塩気も良かったが、途中からそのまま突っ掛けてアッという間に平らげた。大猪口になみなみ二枚分のツユは濁りもせずに、徳利から注いだままテーブルの片隅に。

 その蕎麦猪口をひっそりと一瞥、さっきのおばさんが盆を下げようとするところに「んまかったぜ」と声をかければ、不意を突かれたか若かりし頃を思わすウブな笑顔で莞爾と笑う。あとから持って来た蕎麦湯は綺麗な上澄みで。いやはや、こりゃ二枚どころか三枚も四枚も上手のお手並みで恐れ入りました。

 

 トまあ、そっから話は最初に戻って腹ごなしのお不動さん。胸突き八丁の階段を手摺りにしがみつきつつ、ハアハア息を切らせて本堂までなんとか這い上がり。お参り済ませて振り返れば、まだ四分咲きにも届かぬ櫻ながら目に染みた。

 

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 さて、ふんじゃこれから目黒川まで出て、川っぷちの櫻でも見ながら帰りましょうか。

 いやいや時は金なり、クルマはないか。

 

 

 

  

 

 

 

 

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The Last of Us

 

 おかしな話なのである。

 アメリカのスーパーからもマスク(と何故かトイレットペーパー)が消え、アフリカと北朝鮮以外の全世界が新型コロナヴァイラス・パニックの真っ最中というこの時局柄、なのにだ。


 健康増進法の徹底遵守圧力と嫌煙運動の(喫煙者側の)敗北によって生まれたあの奇怪な「分煙コーナー」とかいう隔離施設。そこでは何もなかったかのごとく四六時中不特定多数の人間が入れ替わり立ち代わり、ドアの把手だの壁だのベタベタ触りながらせわしなく煙草を呑んでいる。狭い空間の中、短時間で効果的にニコチンを効かせるべく深呼吸を繰り返し、見知らぬ誰かの吐いた息をそのままほかの誰かが全部吸い込むような、濃厚接触きわまりない環境。そこはヴァイラス・キャリアとの最も危険な遭遇施設といっても過言ではあるまい。

 なのに、この分煙コーナーだけはあたかも絶対安全地帯ででもあるかのように、どこも平和そのもの。今日も今日とて喫煙者共はこの楽園に駆け込み、束の間のリラクゼーションに身を委ねている。その定まらぬ視線や半開きの口は池でアップアップする鮒そっくりだ。いやはやご同慶ご同慶。ともいえないか?

 

 すっかり客足が途絶えた駅前のホテルで「新型コロナウイルス感染の影響でランチタイムのサラダバー、ドリンクバーはご提供できなくなりました」なんつう但し書きのメニューなどぼんやりと眺めながら、私はこのことを話題にしようかどうしようかと迷っていた。目の前にチョコンと座るマヒロは、今、どの料理が一番お得なのか真剣な表情で検討中。かつ、彼女は強硬な喫煙有害論者。彼女にとって塩気の濃い食事とタバコは死に直結する害毒、不倶戴天の仇敵なのである。そして私は中学以来のスモーカー。少なくともこの件に関して二人は永遠に水と油、ハブとマングースの関係なのであった。

 ふと駅前の雑踏に目を落とす。行き交う人たちはほとんど全員がマスクをかけ、他人と近づき過ぎないよう間合いを測りながらスクランブル信号を渡っているようにも見えた。と、一台のママチャリが赤信号を駆け抜けてゆく。乗っているのは花粉メガネにマスクとガッチャマン・バイザー(紫外線除けの巨大な半透明バイザー)で完全に顔を覆ったブキミな中年女。ああ、日本人は全員ジャイナ教に入信してしまったのか?マスクは日本人のユニフォームになったのか?何故これほど品不足だというのに、日本人は使い捨てのマスクに執着するのか。そもそもあの紙マスクなんてものになにがしか防疫上の効果なんか期待できるのか?次から次へと馬鹿気たイメージが脳裏に浮かんでくる。

 

 「カバちゃん、何にするかもう決めた?」

屈託のないマヒロの声にようやく我に返り、視線を戻す。すでに彼女の傍らには説明好きないつものウエイトレスが立ち、二人で私の答を待っているようだった。

「んー、じゃま、肉のコースにでもしとこうか。イベリコの方にしてチョ」

新型コロナウイルス感染の影響で云々侃々、サラダバーとドリンクの分はお値引きさせて頂いておりますと言い残して、ウエイトレスは下がって行った。後には我々二人だけが、ガランとしたフロアにぽつんとテーブルを囲んでいるのだった。

マヒロは意外だという表情でこちらを見ている。

「カバちゃんホホ肉食べないの?あっちの方がお肉たくさんだよ」

「うん、なんかお腹が中途半端なんだよね。豚で結構」

「ふーん、でもバフェットがないからお腹空くんじゃない。ドルチェもう一個たのもうか」

それからマヒロは今日あった面白い出来事や、仕事で見聞きしたちょっぴりオフレコなエピソードなどを楽しそうな口調で話しはじめた。最初は生返事を繰り返していても、つい口調につられて少しずつ気分も晴れてくる。

 やんぬるかな、まあ分煙コーナーの話は止めとこう。そんな話題を持ち出してせっかく和らぎかけた会話に水を差すなど野暮の骨頂。メシはリラックスして友好的に食うべきだ。

 

 それに、「俺たち喫煙者は、日頃から呼吸器系を燻蒸消毒しているから、コロナだかブルーバードだか知らねいがヴァイラスなんかにゃ絶対にヤられねいぜ」なんか自慢が効くような相手じゃないしね。まあ、「新型コロナウイルス感染の影響でこの喫煙コーナーは(今頃恐縮ですが)ご利用できなくなりました」なんて貼り紙がどこか喫茶店の一軒ででも出来したら、マヒロには話してみよっかな。
















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〇×式 クルマ選びのハッピー&ブルー

 

 小沢コージ著『〇×式 クルマ選びのハッピー&ブルー』。19984月、発行:アスキー、発売:アスペクト。四六判軽装カバー掛け、本文206頁。

 

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 新進自動車ジャーナリストの小沢氏が当代各メーカーの代表車種三十種余りのオーナーに取材した、異色の愛車生活ルポルタージュ。そのクルマを買って良かったこと残念なことをオーナーのストレートな言葉で対比してゆくことで、少しずつ一台一台のキャラクターが炙り出されてくる構成になっている。

 多くの自動車関連ジャーナリストと同様、小沢氏にも詳しいビブリオグラフィー(著作目録)は作られておらず、今のところその著作の全体像ははっきりしない。しかしカバー末尾の紹介文に既刊の著書が挙げられていない点や、巻頭にはご両親への献辞もあることから、もしかしたら本書は小沢氏の第一著作なのかもしれないと私は考えている。

 

 「本のこと」カテゴリー前回エントリーの『クルマで見抜く性格と運命』は、黙って座ればピタリと当たる的というか、ある種の韜晦さのような感覚が人によって読後感を分ける内容だった。しかしその前年に同じアスペクトから出された本書は実に単純明快、変にこね回したような所がなくスカっと読み飛ばせる。なんというか、著者の小沢氏はクルマも人も分け隔てなく好きな方なんだろうなと思わせるネアカ(死語)な文章といえようか。高度経済成長とモータリゼーションのダブルでアゲていた1970年代のクルマ本を読んでいるように、言葉の端々に巧まざる多幸感が溢れているのである。

 加えて巻末には本文で採り上げきれなかった八十五車種の〇×まとめ分析、先輩自動車ジャーナリスト徳大寺有恒氏との妙にヤンチャな対談と、多彩な構成にお得感が満載だった。

 まあ、ひとつ騙されたと思って読んでごらんよ。そんな風に無条件で誰にでもお勧めできる、数ある自動車関連図書の中でも珍しい本だったといえるだろう。

 

 表紙奥付にはクレジットされていないが、各車の頁には中野豪氏の勘所を押さえたイラストがキッチリ良い仕事をして、小沢氏のレポートに視覚的な面白さを加えている。そのセンスは帯に再録されているので、上の画像でチェックして戴きたい。

クルマ愛の本に中野氏のイラストを載せるのは、いわばカンフー映画の絶招(必殺)技。勘所を押さえるというよりはもう、秘孔を突くに等しい組み合わせなのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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