錦秋仰天

 

長雨の合間にようやく切り取れた、秋の一枚。

 

贅言無用。

 

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 そちらの秋は、どうですか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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世界のモータースポーツ

 

小野吉郎著『世界のモータースポーツ』の、書影ご紹介。B6判本文総活版刷り194頁、折丁仕立ての仮綴じ本といった構成です。

昭和451970)年10月に山海堂より出版されたもので、主にレースとラリーの広範囲に亙る歴史人物概観の内容になります。

概観とはいえ本文写真ともに稀少な情報をたくさん含んでいて、大変に密度の濃い本。殊にわが国のモータースポーツ史など、著者の小野氏が丹念に原資料を渉猟されたと思わせる、説得力のある記述が続きます。埋もれていた自動車資料の発掘再評価が進んだ現在の目で見ても、いえ現在だからこそ、その凄さが分かる本じゃないでしょうかね。三樹書房の近刊『トヨタ モータースポーツ前史』にも参考資料として挙げられています。

半世紀近い年月が出版から経過しているにも関わらず、今も私の心を楽しませる、貴重な情報源です。

 

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 写っているのは私が三十代の終わり頃、文芸の稀覯書や豪華装幀本の蒐集と並行して、少しずつ自動車関連図書を集めはじめた頃に入手した本です。ご覧の通り原装極美本で、手擦れの形跡はまったくありません。

例によって古書店の雑本の中から、なんだコレ的なインスピレーションを感じて摘み上げ、何気なく開いてみました。するといきなり見開きカラーで「切手にみるモータースポーツ」なんかが出てきたもんだから、正直コケました。クルマの本で切手きゃよ!!ちょっとムカつきながら、やれやれまたハズレだったかと下積みの山に戻そうとしたんです。

しかしよくよくその切手のチョイスを見るにパナール・フェニックス、ウォルター・クリスティ、プジョーと戦前派レーサーの渋いところが並んでいるではないですか。パナールなんてクルマは戦前どころか前世紀(この時はまだ二十世紀だった)末に自動車レースというものが始まったばかりの頃のファクトリー・レーサーで、そんな自動車原始時代のクルマ誰も知らない。子供向けの甘い入門書かと思いきやの、初手から妙にエンスージアスティックなチョイスに違和感が高まりました。

思えばこの瞬間が、広大で底の知れない古書の海からこの『世界のモータースポーツ』がサルベージされるかされないかの、分かれ目だったんでしょうなぁ。言い方を変えるなら、自動車関連古書というカテゴリーに対して「目」が利いたか否か。そのまま元あった場所にポイと戻して立ち去ってしまえば何も起きず、この本は再び膨大な古書の堆積に埋もれ、忘れ去られていったことでしょう。

切手コレクションと忘れられた名レーシングマシンのミスマッチに尋常ならざるものを感じながらも、しかし踏み留まった私は、恐る恐る頁を繰りはじめたのです。

 

「全日本自動車スピード大会で事故を起こした本田兄弟」のキャプションで、不鮮明な写真が一枚掲載されていました。薄暗い古書店の蛍光灯を頼りにじっと目を凝らすと、フロントエンジンの明らかな戦前型プロトタイプレーサーが空中で裏返り、そこから何かが振り飛ばされているような激しい構図です。がしかし画像が不鮮明すぎてそれ以上は判らない。

戦前のレースといえば、木場の埋め立て地か洲崎多摩川辺りに作られた仮設サーキットか?全日本大会?本田兄弟って・・・。たった一行のキャプションに籠められたマニアックな情報を嗅ぎ分け、私の心は再びときめきます。しかしいくら考えたところで答えなんか出るワケがありませんでした。

その時です。

「・・・当時は洲崎や木場でレースを行いまして、クルマは等級分けされておりました。ダットサンとも外車とも戦いまして」

ああ、あの声は青木五郎氏の声だ。まだ私が駆け出しだった頃、六本木にあった某科学研究所の奥深く座り心地の良いソファーに掛けて、問わず語りに語られていたまさしくその肉声が、天啓のごとく空っぽな頭蓋骨に響きました。

そうか。戦前のレースで本田といえば、のちの本田技研工業創業者・本田宗一郎氏しかいないだろう。ということは、この写真は氏の伝記などで夙に知られていた、手製マシンでのレース参加と大クラッシュ事件の決定的な瞬間なんじゃないのか?あれって法螺ばなしじゃなかったんだ。じゃこの、クルマから飛び出しているのが本田氏ご本人?しかし「兄弟」というのは何を意味しているのか。そしてクルマはこれまた伝説のレーシングマシンとして名のみ知られるあのカ・・・、カア・・・。いえ、「浜松号」でした。

 

トまあ、その辺まで開いたところで私はそっとこの本を手の内に収め直し、稀少な図書を扱うのと同じ注意を払いつつ自宅まで大切に持ち帰ったというワケです。あれからずいぶんと長い間楽しめたし、自慢蘊蓄のネタ本として深夜のロイホで知ったか競べをする友人に対して、大いなるアドバンテージとなりました。感謝感謝。ただひとつだけ忸怩とすべきは、旧HP『廃墟 自動車図書館』で解説を先送りにしたまま、最後まで採り上げるチャンスを逸してしまったことでした。なので今回、謹んでのご紹介。

余談ですが、述べた浜松号の大アクシデント写真は2017年に三樹書房が発行した『日本の自動車レース史』という回顧資料本で非常に鮮明な画像として紹介されています。興味のある向きは、是非ともご一読。

ま、深夜のロイホにぶいぶい集まって夜通し口先バトルなんて時代でもありませんが、秋の夜長を過ごすお伴には良いかと思いますよ。

 

 え?ロイホもう終夜営業してないの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ベンツと自動車

 

 ダグ・ナイ著、吉井知代子訳『ベンツと自動車』の書影紹介です。

 20165月、「世界の伝記 科学のパイオニア」シリーズの最終巻として、玉川大学出版部から発行されました。A5判カルトン丸背上製本、巻末の索引までを含む本文124頁。本冊やカバーは小平彩見氏によるアイボリーを基調とした優しいタッチのイラストで装われ、初めて手にした時からリラックスした和みを感じられるブックデザインです。

旧HP『廃墟 自動車図書館』や当ブログにてすでに紹介した川上顕治郎訳1997年版『ベンツと自動車』と原著を共有しながらも、玉川大学出版部が新しい翻訳者を迎えて判型から全て一新した、新版ですね。一冊の自動車関連図書を同じ版元が異なった翻訳で出版し続けているという、ヒッジョーに珍しい事例といってよいでしょう。加えるなら、先の版は全七巻の「原図で見る科学の天才」シリーズ、今度の新版は述べたように「世界の伝記 科学のパイオニア」全十巻シリーズの一になります。こんなとこもパワーアップしてますね。

 

「売れたんだろうねー、んへへへ」なんつう下衆の勘繰りはさておいて、高潔を旨とするカバ男のブログ()では努めて冷静に、かつ簡潔に新版を見てゆきましょう。原書に当たらず翻訳書を語るとゆう作業は正直心許ないですが、まあその辺は大目に見てちょ。


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 吉井氏の新しい訳文は、文節の区切りなどが良い意味での逐語訳(原文の言葉遣いを並行的に日本語に置き換える翻訳)的で、その分言葉が寛いでいる印象かな。言い回しを穏やかにしているだけではなく、多くの漢字にルビ(ふりがな)を振っているのも特徴的でした。

 川上訳、吉井訳、二冊とも総頁数は同じです。四六判というやや小振りな旧版に対して新版はA5、一回り大きくなっているワケで、自動的に使える枚数(昔は四百字詰め原稿用紙換算で枚とカウントするのが慣例だった文字量)には充分な余裕が生じる計算ですよね。吉井氏はこのマージンを有効に使い、誰にでも親しみやすく自然な言葉遣いで論旨を繋げている。トそうゆう印象です。そして図らずも最初の翻訳者である川上氏のご苦労を、本書を読んで初めて理解したという次第。

この新訳を読んだから言える能書きなのですが、振り返って旧版は、やや抄訳・意訳に近い記述が多かったように思います。川上訳を改めて読み直してみれば、原書では一連の複文節だったものを取りまとめ、かつ内容を端折ることない簡潔な訳文を組み立てるという、難作業に心を砕いている気配がします。ダグ・ナイ氏の博覧強記な記述をなんとかあの小さな本に漏れなく押し込めようと格闘した。そうゆう力技で言葉を纏めてゆく翻訳法ですからして、いきおい無駄を削ぎ落した硬めな文章になるのも頷けます。

でも、そもそも最初のシリーズは一定の工学的な素養を持った読者を想定した、教養書みたいな性格の出版でした。なので、クルマ好きメカ好きな読者にとってそれはそれで充分楽しく、様々な発見ができたに違いありません。その功績は大いに評価されるべきだと思ってます。かくいう私にしてみても、頁を繰りつつしきりと頷きかつ驚き、楽しい気付きの多い本でした。

 

 吉井氏の新訳で読む本書は、親切な本だなという印象でした。

 もともと原書自体が歴史的な事実に忠実で、誤解されにくいよう気を配った書き方なのでしょう。ベンツといえば自動車の、始祖とはいえないまでも、生みの親ですからね。そして百年以上も前にあった自動車事始めを文章で説明するワケですから、そこは慎重。当時の特許申請事情とか、初めて公道に現れた自動車という騒々しい機械を巡る警察のトンチンカンな対応とか、あるいは巨大な利益に目を付けた資本家同士の先陣争いとか。そうゆう込み入っていて説明に苦労するような内容を、ダグ氏は歴史的文化的に広い視野の中で誠実に説き明かしているようです。

この文章にばら撒かれた専門用語や特有の言葉遣いを吉井氏が丹念に拾いつつ、分かり易い言葉の訳文に置き換えているのが見て取れます。論旨や意味内容が正確に伝われば善しとする姿勢を越えて、文としての親しみやすさから読者の内容理解を誘うような、より文芸書的な翻訳のアプローチを試みていると言い替えても良いのかな。現代のクルマとはちょっと(相当に)変わったベンツ第一号車のメカニズムについての説明や図版キャプションも、旧版に較べて一層具体的になっています。

 

ルビの多用やブックデザインなど全体からして、本書は旧訳よりかなり年齢の低い読者を想定しているようです。シリーズ名に「伝記」とあるように、小学生あたりが最初に繙く世界偉人伝、みたいな位置付けで出版計画されたものなのかもしれません。でも、吉井氏の訳文は欲と道連れな産業資本家や投資家の諍い、主人公カール・ベンツ自身の頑固でネガティブな性格など、決してオブラートに包むことなく綴っています。子供をナメてない。翻訳者として子供にきちんと向き合っているというか、一個の感受性ある小動物として存在を認める姿勢には、共感を覚えますね。

そして版元の玉川大学出版部、今度もイイ仕事してますね~()。本文の折丁糸綴じは省略することなく、今回は子供の手にも優しい丸背の製本デザインを採用しています。用紙なんかも、保存性の高い中性紙だったりするんでしょうなぁ。で本書を好きになった坊ちゃん嬢ちゃんがおじいちゃまにルリユウル・工芸装幀なんかおねだりしちゃったとしても、この成り立ちだったら何も心配ありません。依頼を受けた工芸家が二つ返事で総モロッコ革パッセカルトンの作品として作ること請け合いです。しかもその場合、シリーズ中の一冊ではなく独立した著作として完成できるよう、本文束の編集も抜かりありません。 


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意外にもビブリオマニアック(愛書狂的)な出版、でもありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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秋天回遊

 

 久しぶり、秋らしく朝から良く晴れて空気乾燥。窓も玄関ドアも全開のままソファでごろごろしてましたが、風が気持ち良かったです。

昼過ぎに歯あ磨いてヒゲ剃って、ぶらぶらと五反田の街に出て行きました。世間無用のヒマ人ですから大した用事もありません。金とスマホと鍵だけ持って、ぶらぶらと。

 

バス通り渡って提灯屋のあたりから路地入ると、空気が変わります。ふっと緩むっつうか、肩から力が抜けてく感じ。

こっから東西南北四ブロックぐらいの小さな町に、信号機はありません。ここは品川区の恥部、悪名高き五反田有楽街。

昔は道を間違えて迷い込んだサラリーマンなんか、気配を察してパッと踵を返すか足早に駆け抜けるような町でした。昭和も六十年が経つというのに、まぁだバラック建ての曖昧スナックなんかが軒を連ね、半開きのドアからやり手ババアが顔出して「チュッ、チュッ!」なんかネズミみたいな音立てて誘ってましたっけね。分かりますかね、この由緒ある売春風俗。

今でもそんな下品なムードはたっぷり残ってます。

 

私はふらふらと、あてもなくこの町を泳ぎ続けます。空が高い。

「昼呑みできます」「オカマの店」なんつう手描きの看板が、台風被害もものかわ、秋風にヘラヘラと揺れてる風情が風俗街ならではのえも言われぬだらしなさ。イイ味出してます。

 

そうかと思えば、パンツが見えそうなくらい丈の短いネグリジェ(古!)にコーチのトレンチ一枚だけ羽織った女が、寒そうに弁当の立ち売りに並んでいたり。寿司屋のカウンターから板前がギラギラ刺すような視線を通りに投げていたり。二時から開ける居酒屋の前にゃ辛抱のできないサラリーマンが群れはじめていたり。町の素性っつんでしょうか、品格?なんざそうそう簡単に変えられるもんじゃありませんて。

引き続きぶらぶらと、月極駐車場の敷地だの車道だのお構いなしにノシノシ横切って私は泳ぎ続けます。交通ルールなんか守るヤツぁいないのがこの町、五反田有楽街。

 

町の中心「娯楽案内所」が妍を競う四叉路では、OLかと思うような普通の女がスマホ片手に「じゃあ五時ごろ駅前のエクセルシオで良いですか?」とか仕事の段取り決めてたり。黒服着たアンチャンと並んで雑居ビルから出て来たネエチャンも「つめシボ多めに取っといて」とか「あのコ今日遅刻したらクビ」とか、キッツイ口調で指令を発してます。なるほど、そろそろ夜の支度が始まってるんでしょうなぁ。

 

 断腸の、まさしく断腸の思いで「支那そば はせべ」の誘惑を振り切り、足早に厨房の横を通り過ぎます。刹那、味醂を効かせたスープの匂いが.44マグナムの威力で鼻孔を貫く。危ない!!

 歯と目の両方食いしばって通りを飛び越え、フト見た看板は「メンズサロン トップ」。ああっとそうだ、免許の更新が近いんだ。いっちょペテン(頭)のひとつもやっつけとくか。扉をギィー。

「ちわー、今イイすか?」

 

 この床屋も古いです。私が品川に流れ着いた頃にはあったから、少なく見積もって三十五年はやってます。向かいは居酒屋「たぬき」でこいつも三十年は下らない。床屋の脇から路地に這入ればパチンコの景品交換所だの優良店の紹介所だの、日陰の町に犇めいてますね。で表通りにゃ見渡すかぎりラブホテルの看板。看板も出さずに営業してるの含めたら、ひょっとすっとこの一角だけで百に近いチョンの間があるかもしれません。どーゆう環境の床屋ですか。

 まあ、古い古い歓楽街の、成れの果てですよ。

 

 すっぱりやっつくれ、とだけ言って、年季の入った床屋椅子に滑り込みます。出て来たのは椅子よか年季の入ったような理髪師で、何やらタオルだの前掛けだのぐるぐる首に巻き付けはじめた気配。

 バリカンのジイジイ言う音を聞きながら目を閉じれば、昔この古い町で起きた面白い出来事や人間模様が少しずつ思い出されるんです。

台風の大水で五反田駅が水没、駅前に出来た湖を「モデルン喫茶部」の客を救うために消防署のボートが行き交っていたこと。

深夜喫茶の止まり木でザラメのような結晶をこっそり煙草に仕込んでいた、あのミイラのように痩せた少女の横顔。

記録的な大雪の夜、泥酔して自動販売機にしがみついてた中年女。

生き延びたかな。みんなみんな元気に生き延びていればイイんだが・・・。

 

「ハイお待ちどおさま。サッパリできたよ」

呼ばれて反射的に立ち上がれば、鏡の中から丸坊主になったオッサンが一人。口を開けてこっちを見ています。

「お鉢が丸いからバリカンの滑りが良い」

ありゃまー。そりゃすっぱりとは言ったけど()

 今さら伸ばせったあ言えねっし。

 思い付きで床屋に入るのは、危ねえよな。

 

 さて、そんじゃ丸くなった頭なんかシャリシャリ撫でまわしながら、もういっぺん泳ぎ出しましょっか。

 美味いもんでもね。

 探しにさ。

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

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酔眼弦月

 

「発火、イノチぃ!!」

 

 「レアもんゲットだぜ~!!」

 

 「Let's go back to THE 1960s !!」

 

 「ウォッカライムを鼻で啜ったらぁ~~。げろげろげろ」

 

 おやおやおや。声と人数が合いませんな。んへへへへ。 

 



 まあ、なんですな。初秋の寂寥感に浸りつつ、気の合った者同士でしんみりと越し方行く末なんぞ語り合いましょう、ト。

 殊勝な発意で集まりゃしたんすけどね。

 

 無理だったでしょうなぁ、そんなジジむさい語らいなんか。

 枯淡の境地なんか百万光年遠くのお話ですったら。

 みんな自分を知らなさすぎ。

 

 最後は全員喉を枯らし、目は血走り、顔は脂あぶらの膝がくがく。

 夜風が身に沁みますって。

 

 

 

 どこにでもいるオッサンどもだと思ったら、ケガしますぜ。

 ツラだましい、とっくとご覧じろ。IMG_0509.jpg

 

 

 

 

 

 




 


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四畳半襖の下張





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 中途半端に時間が空いて、この雑居ビルに這入りました。

 

カバ男が品川に住みはじめたのがざっと四十年近く前。その頃すでに古ぼけてましたっけね、このビル。五反田の東口には旧東急ストアとこのビル、西口にはトラヤ洋品店のビル。その辺がボロビルのトップスリーだったかな。

「ニッカ」という撞球場があり、ビリヤード好きにはそこそこビッグネーム、なビルなのかも。

私はやらないんで、ここじゃもっぱらマンキ(漫画喫茶)の方ですな。 

 

 でもって、漫画はほどほど。ふかふかの椅子にふんぞり返って、持ち込んだ一冊の古い文庫本を読みきってから帰りました。 


 

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金阜山人(きんぷさんじん)著『四畳半襖の下張(よじょうはんふすまのしたばり)』昭和二十五年(推定)刊行會刊、です。秘文庫という文庫版の叢書。これはその最終巻で第四巻になります。 

天地こそ逆転させていますが、表紙の図案は岩波文庫を丸パクリ(笑)。

奥付もなく、ただ本文のみを活版刷りし、袋綴じに綴じ付けてあるんですよ。

秘文庫というのは、巷間書名のみ知られながら普通の読書家では入手の糸口すらないという、曰く因縁のある地下本を取り集め再録したシリーズです。当然各巻の内容は忌憚のない、濃厚描写のものばかりですね。 

戦前の秘密出版さながらに、正体不明の版元から好事家へとひそやかに手渡され、いつの間にか世に出ていました。


『四畳半襖の下張』というのは元来、大東亜敗戦直後の昭和二十一年頃にガリ版刷りの個人頒布として、東京近辺から始まりました。

地下本ですので、原刊本とか手稿などの推定は大変に難しく、のちのち書誌系譜を確定しようとした研究家は例外なく中途で敗退。したがって、なかなか信用のできるテキストがありません。

誤字誤植なんかまだ良い方で、版によっては後半の一番面白いあたりが加筆で倍くらいに間延びしていたり。或いはサービスのつもりなのか、木村荘八くずれのような挿絵だのピンボケ写真だので台無しにしてくれてたり。

その意味では、秘文庫版の本書はかなり手稿に迫る校訂を経ているのではと、信頼できる一冊なんです。もしかしたら、この頃までは最初の手稿がどこかに存在していたのかもしれませんね。 

晩年の生田耕作氏による定本がこの『四畳半襖の下張』には存在するようですが、どの程度の校合なのか分かりません。

私としてはむしろ碩学・七面堂究齋(しちめんどう きゅうさい)氏の昵懇なる鑑識を、久しぶりに拝聴したい気がします。お元気かな。

今ではこの文庫本自体が秘本のようになってしまいました。

 

最近ではこの十五丁(袋綴じなので背中合わせの二頁を一丁とカウントする。すなわち三十頁)もない薄っぺらな「わらい草紙」すら読みこなせる人が減り、「現代語訳」が欲しがられているそうですよ。

非常に洗練された美しい日本語で綴られているにも関わらず、読めないト。


国民が国語を解さない近代国家。

文盲が自ら誇る、元文化国家ですからなぁ(鼻笑)。


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◆本来ならば後補のパラピン紙を除去して書影撮影すべきなのですが、このパラピンがけは青猫書房夫人(故人)の手になる精密な細工で、破損してしまえば二度とかけ直しがききません。その手技を惜しみ、今回にかぎり見逃してちょ。

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