旅する少女の憩

 

 

 沼田元氣著、『旅する少女の憩 箱根・湯河原編』。

京都書院による199810月の発行、ご存知アーツコレクション文庫の第219巻になります。アーツコレクションって一体何巻まで出したんでしょうね。すべての表紙画像を掲載した目録の巻もあるんですが、そうした文庫の常で目録発行のあとにも平気でどんどん続刊していました。なので今となっては最後が見えない。この文庫をコンプリートしようとしたら心を傷めそうですから、老婆心ながらご注進()。私はなるべく忘れるようにしてます。


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この本は著者による旅行写真と短文を混成した、写真集というよりは写真文集でしょうね。短文は高柳絵里子という方のものも半分ほど含まれているようですが、よく分かりません。テキストのゴチック体パートが沼田氏、明朝体が高柳氏と解して読ませるようでもありますが。まああまり厳密に意識する必要もないでしょう。「少女」とされる女性が小田急ロマンスカーに乗り、安息というか憩いを求めて湯河原や箱根の鄙びた観光スポットを遍歴する。そんな内容みたいです。

 

本文は多色刷りアート紙の写真ページが約130頁、後付けの単色文字稿約15頁となり、画主文従ということもあってスタバのソファなんかでブレイクしながら一気読みのできる分量ですね。

 アーツコレクションには珍しい横開きで、本体にカバーを誂えない代わりなのか、厚手のコート紙を表紙に使いかつ見返しのノド付近まで深く折り込むという特徴的な造本デザイン。対照的に構造、印刷共に大変華奢な筒箱に納めてあります。時折古書店で見るこの本は半分ぐらいの確率でこの筒箱を失っていて、裸んなった本冊もガジガジというかズリズリんなってて悲しいです。

通常は元号表記な奥付の出版年月日を本書では西暦に、表紙には「フォトスーベニル文庫 箱根・湯河原編」などという独自の表記もあり、本全体としての装幀設計が他の巻とは隔離された異例な構成に思われます。異例というよりは、反逆?アーツコレクションの普通が縦ならこちらは横、表記が日本語ならこちらは横文字、箱が無いならこちらは付ける、などなどなど。所詮は正があってこそ成り立つ「逆」なのですが、とにかく熱意を感じて恐れ入る次第です。またそれをそのまま出版してしまう版元も奥深かった。

 

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目次はなく、見返し部分からいきなり巻頭言のように文章が始まり、画文最終頁まで散発的にポエム風なキャプション風な雰囲気で、写真と連携しつつ掲載されてゆきます。「ポエムグラフィー」という表現が奥付にあるのですが、つまりこうゆう頁進行のことをそう呼ぶのでしょう。私的には馴染みのない言葉ですし、著者オリジナルの造語なんでしょうかね。

全体的にいわゆるレトロムードの漂う画面構成です。なにしろ関東では最も手磨れして手垢のこびり付いた観光地で、歴史ある老舗旅館の古色蒼然としたような佇まいを舞台としての撮影行ですからね。なのに枯れ寂びたムードとほどよい時代遅れ感をこれでもかとギトギトに押し出してくるところが微妙なギャップというか、著者の若さと勢い、と受け止めておくべきなのかな。ちょうどこの箱根湯河原一帯が最も栄えた昭和高度経済成長期に合わせてアナログ感たっぷりに画面を作り込んでいます。

モデルさんにしても、「これが少女といえるのか?」みたいなツッコミは余裕でできるんでしょうが、だからってそれやっちゃう人はまだまだ青いですよ。昭和時代の家族写真とかスナップに切り取られた当時の普通の「少女」という生き物が、今見るとびっくりするほどダサい服着て無表情でおばさんっぽいという、悲しくもムゴい事実。恐らく著者の沼田氏は、そんな深層の部分にまで真のレトロを探究しているのでしょう。なんつって。以前に取り上げた望月峯太郎氏のコミック『バイクメ~~ン』を想い起こさせます。

結果、本書はレトロでチープシックなムードの中、昭和時代のオトナの公然の秘密「温泉街だけで買える土産本」的な一種のいかがわしさまでも身に纏うことに成功しています。

 

最初に旅行写真と書きましたが、この本の場合は写真家の私的な旅行備忘録みたいなのとも少し違う感じです。どこがどうとピンポイントで突っ込めるワケじゃないんですが、なんとなく「作ってる」っつうのかな。既定のストーリーっつかシナリオみたいなものに沿って撮影を進めてゆく濃厚な作為みたいなものが、どの頁からもオバサンの香水みたいにぷんぷん匂ってまして。故に不自然な印象が残ります。いえ、そもそもモデルさんを使っているワケですから自然不自然なんて口にするのはナンセンス?軽い気分でぱらぱらやってる分にはどっつこともないんですが、私の場合は一旦それに引っかかっちゃうとどうしても頁を繰る指が止まってしまう。「作ってる」じゃなくて、ソコ「狙ってる」なんでしょうかね。

その印象の原因は奥付のこと細かなクレジットを読んでみて理解できました。そこには普通に著者名の記載があるだけではなく「キャスト」、「スタイリスト」、「ヘアメイク」、「アートディレクション」なんて肩書がこれでもかっつぐらいに羅列されています。おまけに舞台となった箱根湯河原の老舗旅館やらお土産屋やらの屋号が「協力」なんつう括りでズラズラと()

要するに企画もんだったというワケで、パブリシティーに絡めながらの撮影だったのでしょう。企画書死ぬほど書きまくったのかな。

でもって、テレビのお散歩番組さながらに、写真家さんとかメイクさんとか何々さんとかが固まりんなってワラワラと温泉街を練り歩いていたのかもしれませんね。


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一冊の文庫版写真文集に、そこまでやる必然性があったのか否か。は別として、読み終わってから徹頭徹尾コテコテに作り込んだこの本を玩弄していると、なんとなく本というよりはダサカワイイ温泉土産を眺めているようで、気持ちがなごんでくるのを感じます。

「憩」ですもんね。 

それで良かったのかもしれない。


 

 

 

 








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黒い狼

 

邦光史郎著『黒い狼(くろい れーさー)』。大光社による19677月の出版。画像は原装完本の書影になります。

ミステリーや歴史物を中心として非常に多作だった小説家・邦光史郎(くにみつ  しろう)の、初期作品。

作家的には圏を踏み越えた異色作、だったのでしょうかね。今のところwikipediaの書誌に本書の名は見られません。 

 

 

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B6判、本文およそ290頁。いわゆる厚表紙装幀に近い製本法かと思います。外見は仮綴じの軽装本と変わりありませんが、本書の場合は見返し紙まで含んだ束を、極厚のアート紙でできた表紙カバーに背の部分だけペッタリと糊付けして一体化している点が異なります。でそれに対して書名を大書した帯を巻き、厚手のビニールカバーで保護してありますね。

私の中で厚表紙装というのは、飽くまでも見返し紙は表紙カバーに糊付け固定されている製本法でした。なので、本書のように表紙カバーと見返し紙が完全に離れている場合はジャケット装なんて言い方をしてきた記憶があります。

本当はどうなのかな。厚表紙と書いてしまった今、ちょっぴり不安です。

 

半世紀も前の文芸書と考えれば、活版刷りの本文用紙を折丁糸綴じ仕立てにしていることに全く違和感はありません。ただ一個のクルマ本として見た場合、厚手のビニールカバーまで奢っていることにちょっとした驚きはありました。

この頃は仮綴じなど軽装な本にビニールカバーを掛けて高級感を演出するブックデザインが流行ったみたいで、クルマ本でも『栄光への5000キロ(荒地出版196611月刊・笠松剛三)』とか『国産モーターサイクルのあゆみ(八重洲出版・昭和四十七(1972)年六月刊)』など同様なビニールカバー付きで刊行されたものは多いです。そして現在、その全部が年経たビニールの収縮につられて、表紙が波打ったり皺になってしまっています。買ったまま大切に読み管理してきたが故に却って本を傷めてしまったという、悲しい愛書事例といえるでしょう。

あまり原装だの完本だのに執着しすぎるのも一種の妄執で、本にとっては迷惑なケースにもなり得る、という教訓ですね。

 

 日本初のサーキット(自動車競技用閉鎖走路)である鈴鹿サーキットが完成、第一回日本グランプリが開催されたのが1963年。本書はその直後から、1966年富士スピードウェイで第三回が開催される辺りまでの事実に材を取った、フィクションです。レースやラリーに題材を求めたオリジナル小説として、大藪春彦『汚れた英雄』や梶山季之『傷だらけの競走車』などと相前後して発表されているところに、時代性を感じることはできるかもしれません。

 

 日本の自動車メーカーがサーキットを舞台に敵愾心と競争心を剥き出しになりふり構わず驀進した空前絶後の1960年代は、一種の社会現象としてクルマに無縁な市井の人々にも強い印象を与えました。モータリゼーションの渦中でもあり、自動車レースとはメーカー同士が行う「真剣勝負」なのだという、ちょっぴり歪んだ認識が広まります。町にはクルマやバイクでスピードを競う自称スピード狂が溢れ、タクシーはカミカゼタクシー、死亡事故の急増に「交通戦争」などという無神経な造語までが現れる。自動車が発揮するパワーとスピードに市民が震撼した時代の幕開け、といってもよいかと思います。

 そんな中で、すでにミステリー作家としての地位を固めつつあった邦光が、版元の勧めで書き下ろしたのが本書『黒い狼』でした。邦光は自転車にすら乗ったことがないほど乗り物に無関心だったそうです。

 

 なので、本書は自動車関連図書というよりは一個の企業小説、ビジネス文芸書と考えた方がよいかと思います。稀少なことは稀少なんですが。

 エンスージアストが往時を偲んで読むような内容にまでは、至ってないかな。

 

 

  

  

 

 

 

 

 

 

 

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To be, or not to be continued


台風一過のトある朝早く。この、人工林の中のカフェテリアから、私の一日は始まりました。

私が探し続けているものの「答」って、なんですか?

 

 

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カフェの一般席では始業前のサラリーマンが輪んなって、今日の営業先とか社長の動静とか、情報共有っつんすか?そんなことやってます。上席者らしきオバハンが小出しにするお知らせを、首からIDカードぶら下げた面々がしゃっちょこばって拝聴してました。見ようによっちゃ癒し系とかネズミ系サークルの勉強会?北の国の首領様?。やってることが昭和です。

目付きが尋常ではございませんぞ、そちらの御一統さん()

 

私も狂った目付きをしていたでしょう、この朝は。

ろくすっぽ喫ってもいないピースを次々ともみ消して、消した傍からまた次を点けている。モーニングセットのハンバーガーには味がなく、コーヒーを飲めども渇きは一向に癒えず、目は何処かを見ているようで何も見ていなかった。

心ここにあらずです。

電車の時間が気になりはじめていたんでしょうね、多分。近くの駅から私を乗せてどこか北関東の農村を目指す列車が、入線して来る時刻でしたから。

 

降りるべき駅は、決めてありました。でもそこから先、自分がどこへ行って何をするのか、正直何も分からない情況。手にしていたのは、やたらに長い住居表示が一行だけ書かれたメモ一枚。

この日の天気予報は晴れ~晴れ~晴れ。油照りの炎天下、一体どんな移動になるのでしょう。厚手のハンドタオル、三枚。バンダナ二枚、着替えのポロシャツと携帯用フレグランス。果たしてその程度のことで収まるのでしょうか。

そしてなによりも、そこまでして辿り着いた先に何があり、どんなヤツが手薬煉引いて私を待ち受けているのか。

 

分からないことだらけ。

ミステリー・トレインかっつの。

 

 


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 ある晩、個人名で短いメールを受け取りました。

全く覚えのない名前とYahoo Japanの吊るしのメールアドレス。

変だな。へべれけに泥酔して記憶を無くした翌日、知らない女からメールが来るパターン?いえ、ロマンの予感は微塵も感じられません。それにどうやらこの相手が昔っから私のことをよく知っているかのような文面だったんです。

「答、ここにありますよ」

友達同士のように素っ気ない、こんな書き口。

んー分かんねいな、何言ってんだこのヒト。新手のフィッシング?

俺ってなんかを探してたのか?答がそこにある?そこってどこよ。なんでそんなこと断言できるんだ。

さてこそ面妖。

そもそもこのメール主、男か?オンナなのか?

あんたは一体何者なんだ。

深夜その一行だけのメールを何度も読み返しながら、きっと私はそんな風に呟いていたのでしょう。

そして数日後に届いた二度目のメールには、今度は北関東の聞いたこともない番地と送り主の直近の予定が、なんの説明もなく記されていたんです。 

・・・、その場所にその「答」とやらが置いてあるのでしょうか。或いはメールの主が私に直接答を告げるため、そこで待っていてくれるのか。

相手は何かを知っていて、それが私に深く関係しており、こちらからその場所へ赴かなくては話が始まらない、ト。いずれにせよ、私は招かれているのだと考えざるを得なかった。なのに当の私にはなんのことやらさっぱり見当が付かないという、てんで間抜けな展開()

 

Google Earthで検索してみるとその場所は、私の暮らす街から70㎞以上も離れていました。しかもその周囲10㎞以内に駅はなく、ただただ茫漠たる稲作地帯が広がっている様子。 

歩くのか?10㎞つったら、江戸時代なら二里半か。100mも歩けば頭の周りを星がぐるぐる飛び回るこの老体に、見知らぬ日陰もない土地を夏の盛りに徒歩でそこまで到達できるポテンシャルが、果たして残されているんだろうか。

去年熱中症で意識を失った記憶、フラッシュバック。

「ここにあなたの求めていた答があります」

って、ちょっと強引すぎないか。あんた。


そうして私は短い返信メールで日時を約すと、交通手段を探しはじめたのです。

 

 

 


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 駅のホームに降りた所で一枚、何気なく撮ってみました。遠くには入道雲が立ち上り、その下は赤城山?榛名山?まあなんかその辺なのかな。やたらに蒸し暑くて草いきれが聞こえてくるという以外、特に感慨らしきものはありません。

ごくごく普通の、関東平野周縁部によくある駅のひとつでした。

 案内所のおばちゃんに勧められた蕎麦屋に這入り、時間潰し半分で盛り蕎麦なんか二枚ほど頼んでみます。汗が止まらない。

ト何気なく目を留めた冷蔵ケースの中、見覚えのある一升瓶が鎮座しているじゃありませんか。『純米特別生酒 霧筑波』。ラベルの懐かしい絵柄もあの頃のまま。

ああ、あの蔵まだあったんだ。あのひどい時代を生き延びていたんだな。嬉しさと共に冷ややかに冴えて軽快な吞み口と、抜けのよい木香が蘇ってくるようでした。 

 関東一円の銘醸蔵がバタバタと音を立てるように廃業していった時代、時勢と競り合うようにして蔵元回りをしたものです。ネットのない時代でしたから、評判を頼りに訪ね当てた酒造場は何年も前に更地となり、苔むした石臼だけが転がっていた、なんてこともありましたっけ。「この冬で造り納めでした。残りわずかだが是非試してほしい」と、ラベルも貼らない上澄み酒を分けていただいたことも。みな忘れられない経験です。

 

 『霧筑波』かぁ。

ほとんど無名に等しい小さな浦里酒造を訪ねた時は、正直なんの期待もなかったな。というか、偶然近くの蔵で紹介されただけ。

ところが蒸米の煙突も見えない遠くから辺りに馥郁とした麹の香が漂いはじめ、この蔵が強靭な蔵付き酵母をたっぷりと蓄えていることに気付かされたのです。大変驚きました。よほどの銘醸蔵でもこれほど強い香は放ちません。まして地産地消で東京などには決して流通のなかったこの浦里蔵、正に秘庫の門を推す予感がしたものです。

頼み込んで蔵内で利かせてもらった純米『霧筑波』も、生酒特有のふんわりと柔らかな口中香から軽く切れの良い喉越しと、木桶を連想させるスッキリした木香で最後を締める絶品としか言いようのない酒でした。

 突然現れた私でも親切に接遇してくれた娘さん、今も元気かな。

下手すっとひ孫の顔まで見る歳でしょうがね(笑)。

 

 


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「What's Goin' On」の世代なんですワタクシは。

今まで色々な出来事に興味を抱き、その場所を徘徊し、声もなく埋もれてしまった主人公たちを探し出し、時代の証言を集めてきました。

手ぶらで棒立ち、なんのバックもなく対峙するカバ男に彼らが語ってくれた言葉は、誠実で重かった。みな要領よく通説化されたストーリーとは異質の、深い内容ばかりでした。

勿論すべてにハッキリとした答が得られたワケではありません。探そうにも手掛かりひとつ得られずに途絶してしまった案件の方が、実のところ過半を占めていたでしょう。所詮は変人趣味人の行動ですから限界もあります。

怖い思いもしましたが、決して無理はしなかったしね。

いやはや、勘が鈍ったかすっかり。

鈍りもするさ、この十年余りは何もしていなかったからな。

 

今日私を待ち受けているのが誰で、そこに何があるのか。そもそもそんなことに拘泥する必要なんかなかったんです。いずれは過去に探索を試みた何かに関連する誰かなのでしょう。今はその程度で充分。

ともかくその人物が「答」を持っていると私を名指しで呼びかけてくれていて、そこへ行かなくては得られないのなら、行くだけです。

今が昔だったとしても同じこと。私を呼ぶ声が北関東からでも南の島からでも関係ありません。行くだけです。

ゴリゴリした太い田舎蕎麦を江戸前のツユでずるずる突っ掛けながら、ようやくあの懐かしいリズムを思い出しました。


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 リンリンリン!

「あーこちら丸の内署のカバ男だがね。わはは冗談、忙しいとこわりいわりい。

 今、駅前でバス待ってっとこよ。

 うん、行くよ。とにかく会ってみる。

 あのホラ、昔ファン・リーファン(黄麗華)とかいう女の行方を追っかけたの憶えてる?あんときみたいな始まり方よ。・・・ん、長引くかもしんないな。

 

 んへへ、お互いもう老い先短いし、あと幾つ終わらせられっかねえ。

長引くようならさ、ひさしぶりにまた手え借してよ。

んへっへへ、もうこの歳で無理はしねって。

でもいまさらよ、元にも戻れねいぜ。

『鉄塔武蔵野線』みたいにさ。

 

じゃあな、バス来たから」。







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名もなきダイバーウォッチ

 

毎度おなじみ、オモチャ腕時計です。

 愛着もあり頼りにもしていたスピマスが太くなってしまった手首に巻けなくなり、善後策を色々とやってみるのですが、これといった方策も見いだせず一旦お休み。間に合わせのつもりで手当てしました。

 

 ミリタリー・インダストリーズ・USAとかいうメーカー製ですね。でも形ばかりの保証書をよく読むと、所在地はカナダ。

もしかしたら企画とファンド(資金調達)だけの一発屋、の作品といった方が良かったかな。デザインから販売まですべてのプロセスを外注でコストダウンしつつ、製造物責任リスクもヘッジしーの利益はキッチリ回収しーの。なんてね。

リーマンショック以降製造業で盛んになってきたやり方ですよね。

ご覧の通りのお寒いパッケージやロゴマークなどからは、そこはかとなく中華の香が聞こえてくるよう。部品なんか下手すっと広東語やタガログ語が飛び交うような亜細亜の片隅で作られてんのかもしれません。 

 

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ところで「オマージュウォッチ」とかいうカテゴリーが、ここ数年の腕時計業界では流行ってるみたいですね。元々存在する有名な時計に敬意を表し、その顰に倣うという意味なのでしょう。サイズ感や各部の微妙な造形、デザイン要素などを少しずつ過去の名作から引用しつつ新規に制作することを、オマージュと表現するみたいです。またそれを買う顧客にも一定の素養を期待し、作品に籠められたデザイナーの密やかな思惑に響き合い、楽しんでもらう趣味という意味合いも含まれています。

思うに西銀座あたりのスカした宝飾品店で、売り手と買い手がそのオマージュウォッチを挟んで対峙しながら

「ふうーん。んあッ?、・・・あ、はぁーなるほどねえ」

「お気付きになられましたか。ククク」

「でもって、ここは・・・っと来て、おお!!これはまさかの」

「んさっすがお目が高い!!ブラボー!!」

なーんてオカマバーのコントみたような応酬を楽しむとかね。腕時計マニアの世界は底が知れません。つうか、気が知れないですよ。

 でも文学や絵画などアートの世界では、文脈なき引用はオマージュに非ず剽窃なりというのが常識みたいですから、その意味では用語の使い方は誤っていないのかな。

 ・・・、なんか、寒くなってきましたよ()

 

 まあさんざ小馬鹿にしといて言うのもなんなんですが、コイツも一種の「オマージュウォッチ」かな。そういえばどことなく有名ダイバーウォッチなんかに似てなくもないし。半端なファッションオヤジだったら脊髄反射のままに「おおっと、ロレのクリソツ?」なんか口走っちゃうかもしれませんし。

 西銀座でブラボーなんつうオマージュに較べたら捨て値みたいなもんなんで、恐れ入っちゃいますけどね。

コイツはまた売り方も安っぽくて、本気で「もうロレックスは必要ない」とかボケたコピーをかましてくれるもんだから、リアクションに困っちゃう。素人に毛の生えたようなバイヤーが突っ走っちゃってるんでしょう。

 でも売り手には申し訳ないんですが、私はコイツの向こうにロレックス・サブマリナーの姿を見ていません。ベゼルのデザインやラグの造形処理など、コイツのモチーフは恐らく1970年代のダイバーウォッチ、「ベンラス・ウルトラディープ」だったんじゃないかと思われるからです。

今ではほとんど忘れ去られているのですが、この時代、同社は深海という過酷な世界を舞台にオメガの名機「シーマスター300」とシェア争いをしており、その頃のフラッグシップモデルがウルトラディープだったそうですよ。

どことなく惹かれるものがあったのは、そんな因縁感じたからなのかな。

 

このオモチャ腕時計を仔細に観察していると、オマージュを捧げる名もなきデザイナーの確信犯的な仕掛けが見えてきます。時計の蘊蓄なんか大して知りませんが、無謀を承知でちょっとその仕掛けを解剖してみましょうか。

例えばオリジナルのウルトラディープはこんなに大きくない。もっと小さく薄く、潜水服やウエットスーツの袖に埋まり込んでどこにも引っかからないような配慮がされていました。そのやや小振りだったオリジナルを、敢えて現代ダイバーウォッチの世界標準であるロレックスのサイズに近く拡大してリメイクしています。でその大きくしちゃった時計に対してロリポップ(棒付きアメ)風のドットインデックス(時字=ときじ)とか大型トライアングル(12時位置のインデックス)とか、主にロレックスファンが喜ぶデザイン要素を盛り込むことで、ベンラスの影を上手に消していますね。剣形ハンドルも稀少な軍用タイプのサブマリナーに採用された、特徴あるデザインに近いです。

そうして色々と在りもののデザインをニコイチ的に取り混ぜて、よく分かんないけど軍用機材的な武骨さ?のある時計として纏めたのがこのオモチャ腕時計(商品名がないのでこう呼ぶしかないのです)ということになるんでしょう。

まさかコイツを相棒に過酷な潜水作業をしようなんて無謀なダイバーなんかいるワケないので、もっぱら見てくれ見栄え重視の成り立ちと思われます。ト同時に、特定のメーカーからコピー商品として訴えられる危険もそのごちゃ混ぜデザインで回避しようとしています。

オマージュウォッチが制作される本当のモチベーションというか底意は、恐らくここら辺りなのでしょうね。怜悧です。

 

そうゆうワケで、こうしたビジネスモデルをそこそこ成功させるには、逆説的ながらオリジナルとした名作に「よく似てる」けど「似過ぎてない」きわどいラインを堅持するデザインがキモになんのかな。やり過ぎたら単なるピーコのパチモン時計になっちゃうワケですから、デザイナーの矜持というか自制というか、コントロールは難しい面もあるのでしょう。

ただ最近は金儲けだけでからきし節操のない例の中華系「スーパーコピー」メーカーが、軒並み看板代えでオマージュを標榜しはじめてる様子。低価格帯のオマージュウォッチ市場がコピー時計とごちゃ混ぜのカオスになってて笑わせてくれます。大昔からよろず迫真の偽物を作ることに創造を超えた価値を認めている民族だから、止められないでしょうなぁ、この流れは()

 

名無しのオマージュ、ぼちぼち使いはじめて一箇月ぐらいかな。自動巻きの腕時計なんか初めて使うので戸惑うことも多々ありましたけど、段々慣れている最中です。今度George(横濱のオートバイ乗りで古いロレックスには詳しい)に見てもらおうかな。

デスクの上に一日置き忘れると翌日止まってるとか、常に秒針が動いていて見入ってしまうとか、無意識に左腕をぶるぶるさせる癖がついたとか、ちょっとした新鮮さや不便さを楽しんでいます。当分は例によってベルトなどで目先を変えながら、(壊れなければ)使ってゆきましょう。

でも、文字盤には一応200m防水の表示もあるけど、さすがに実質ノー・ギャランティーの時計をそのまま風呂で試す気にだけはなれません。

防水性能まで「オマージュ」だったら目も当てられませんからね。

くっくっく。

 

 

 

 

 

 


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夏草憔悴


 

 んー。

 困ったなぁ。

 九月は一度もエントリーできなかった。

 つうか最後にアップしたのが八月の四日らしいから、都合丸々二箇月もお休みとは。

 こうのすけさんにカツ入れられちゃうのも致し方ないよなー。

 

 文書記事のストックはあるんだが、見直すたびに気に食わない所が多々出来してくるんだ。だから、いつまで経っても完成しないし。

 でその内元のポリシーがどうだったのかも分からなくなり、迷走つうか漂流?が始まり、やがて疲れて続ける気が失せてしまう。

 セッティングを追い込めば追い込むほど遅くなるノービスのTZみたようなもんだよこれじゃ。抜け出せない。

 どーすっか。

 

 言葉が、言葉が、出て来ない。

 無理矢理書き続けても自分の文章にならないし、書きたい事からどんどん内容が離れてすこぶる居心地がよろしくない。

 一体どうしてしまったんだろう。

 んー。ぬぬぬ。




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◆ヒグマの「おぢさん」です。

 お手上げでフテ寝中。




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