ふたつのスピマス

 

オメガ・スピードマスター・プロフェッショナルという腕時計です。

50時間畜力の手巻き式で、ストップウォッチ及びタキメーターを装備した、いわゆるクロノグラフですね。

色々なエピソードに彩られたこのモデルは畢竟するところムーンウォッチ、人類史上初めて月面上で用いられた腕時計、として夙に有名かと思います。生憎あんまり蘊蓄は知らないんで、興味のある向きはwikipediaでもご覧ください(丸投げかっつの)。

 

手前が普通版で、カバ男の通常装備品。バブルの頃に買い、このストップウォッチにはマジで何度も命救われたもんです。当然現役現用中。で、何年か使ってみて良い時計だということが分かったので、バックアップ用にもう一本買いに行ったらガラスケースの中にあったのが、奥に写っている方です。

奥のはアポロ11号ミッション達成25周年記念版で、記念特別オーナメント及び個体シリアルナンバー刻印入りの限定モデルです。ほかにも箱とかワッペンとか色々オマケが盛沢山。細部の作りも全然違っています。

 

人類初の月面着陸ミッションは1969720日に達成されているので、この25年記念モデルは1994年モデルということになるんでしょうね。たしかに領収証にも949月某日の日付が明記されていました。

 

 

つまり月面初探査から記念モデルまでが25年、記念モデル発売からの経過年数も25年の、ダブル記念が正に今年だったということなんですね。なのに720日時点でそんな大事なことに気も付かず、太平楽に『山怪』のぉドキュメンタリーがぁかなんか講釈述べちゃってたりして。

で出遅れたからエントリー止めよっかなとも考えたのですが、今から更に25年後私はこの世におりませんので、ここは恥を忍んで一筆シタタメです。

 

スピマス、良い時計ですよ。ロレックスなんかよりは大分華奢で神経質なところもあるんですが、普通に使うかぎり信頼性も充分にあります。

普通版の方は新品の頃からトあるマイスターに整備一任、大過なく過ごしてきました。でも考えてみれば三十年ほども酷使してきたワケで、数年前にベルトはリビルトしています。すべての駒とピンを分離してから改めて組み直し、緩みをなくしながらも、当時のデッドストック品と全く見分けもつかないフィニッシュを施してありました。仕事の痕跡がどこにも残っていないのに別物になっているという、驚異的な技。さすがマイスター()

これまでの整備過程で、この普通版の方にも幾つか特異な点があり、コレクターが探し求めているタイプだったということも判っています。ですが私自身にはそもそもそういう観点がなく、最初の一年でガジガジにして泣きながらマイスターの門を叩いたという次第。

手首のこともあり、そろそろ本格的に退役・モスボールの運命かなとも思っています。寂しいな。

 

 記念モデルの方は、正直よく分かんないです。

 偶然手に入れたバックアップ用だから一度も使ったことなかったし、数日前まで忘れて仕舞い込んでたし。画像では分かりにくいですが、表面を保護するブルーのペイントすら取り除いていないんです。

ただ、普通版を退役させてオモチャ時計のグルカにも飽きたら、もしかしたらマイスターに調整してもらって使うかもしれませんが。たしか買ってすぐに調整だけ頼もうと持ち込んだ時、師は「使わないのなら調整しません。ケースのフタを開けるだけでも内部に影響があるからね」などと言いつつ鄭重に拒否してきましたけど、使うなら調整してくれるのかな。 

 

でなければ、やがて私がこの世を去ったのち、ルリユウル作品なんかと一緒くたに捨てられてしまうんでしょうね。さてこそ業も深いことです。

 

 かといって断捨離するほど精神は貧しくもないし。 

 

 

 

 

 

 

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文武さゞれ石

 

藤原英城編『文武さゞれ石』一冊本。

平成十二(2000)年一月、古典文庫の第638冊です。総頁数は222、版本と著者に関する詳しい論考が含まれています。

 

 

江戸時代は正徳年間、すなわち1710年代に流行した草紙の、復刻版ですね。類書は一定数現存しているらしいです。本書の底本(原本)は国立国会図書館に収蔵されている版だそうですよ。

 いわゆる浮世草紙、でイイのかな。武家社会の哀歓を淡白に、しかし巧妙な語り口で次々と読ませてゆきます。扱われているのは、どちらかというと中下級武士のエピソードが多い印象。仇討ちのために禄を離れて諸国を放浪したり、恋した娘がそれと知らぬ親によって違う侍に縁づいてしまったり、昔助けられた狐が侍の窮地に加勢して恩を返したりとか、大昔の東映時代劇ばりにバラエティーに富んでいて面白い読み物でした。

江戸時代には書肆(書店出版社のたぐい)の店先に積まれていたものかと思われます。またかなりの量が貸本屋の蔵書となり、消費されてゆきました。

『文武さゞれ石』の場合は大坂(おおざか)を中心に近畿地方一円で広く読まれ、やがて箱根を越えて関東に運ばれたこともあったのでしょう。

 

 狐以外にもあと二篇ほど怪異の巻があり、その内「紅葉の雨にぬれたが手柄」の巻などは逆さ磔にされた女の亡霊が仇の首を食いちぎって(逆立ちなので両手は使えない)現れるといった、なかなか怖い描写もあります。が、そこは読み物草草紙。前後に豪傑武勇伝などで結構を整え、衆道めかした趣の中に読者の興趣を誘うことを忘れません。隅に置けない著者ですね。

 

 日本古典。これからも、なるべく原文で読めるものは原文で味わいたいもんですね。私は特段古典読みの素養なんかあるワケでもないし、そもそも勉強する気なんか更更ない普通のデブ。でも同じ日本語なんですから、辛抱強く原文からひとつひとつ意味を拾ってゆけば、あるとき物語の世界が音を立てるようにして広がります。それが楽しい。高が三百年の隔たりなんかどっつことありません。

 気持ちひとつなんですよね。

  

 

 

 

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山怪

 

 ヤマケイ文庫・田中康弘著『山怪(さんかい) 山人が語る不思議な話』の、表紙画像です。山と渓谷社20197月発行で、あとがきなども含めて301頁ありますから、そこそこ束の出た(厚みのある)文庫本といえるでしょうか。

 この本はもともと同じ山と渓谷社から書籍として出されたもので、“山怪ブーム”なんつうのを巻き起こしたノンフィクション作品ですね。元版の方は現在は三巻ぐらいまで続いてるものと思います。本書はその文庫版ですからして、いずれ元版での続巻分も文庫化されてくる流れかな。

 

 

 

単行本が初めて書店に並んだときは、版元が版元ですし大したキャンペーンもなく、大きな店の趣味本コーナーなんかにひっそりと二三冊が棚に挿される程度の扱いでしたっけ。私も二三回なんだコリャ的にスルーしたあとで漸く買った記憶があります。木口(こぐち)木版画で有名な柄澤齊(からさわ ひとし)氏の装幀画にも惹かれましたし、奇談好きなことも手伝って抵抗なく読みました。

当時はすでに軽登山ブームも相当に蔓延してまして、スポーツ用品店の登山靴売り場なんかには

「沢からガレ場に上がるシチュエーションなんでぇ、ソールのパターンはぁ」

なんかほざきつつ店員を困らせる“山ガール”なんつう人種もいっぱい湧いてましたっけ。なので、山の本ならココ!というほどの老舗出版社である山と渓谷社も、この頃はすでに結構アゲてたのかな。でその潮を切らさない新企画のひとつが、この『山怪』だったのかもしれません。

ただ、山の本として、奇譚集という内容は決して本筋ではないワケで。だから最初は小当たりに様子見で出してみたのかな。やがてその一種の下手物に、ありきたりの怪談奇談に飽きたような山とは無関係の読書子が面白味を見出し、初めちょろちょろ中パッパ的に現在の盛り上がりへと繋がったんだと思います。

 

 実際に怪異を体験した人物から著者が直接取材し、その言葉を語られるがままに取り集めて一本に編む。著者は各々の証言に敢えて大仰な結構を作らず、かつ場合によっては簡単な考察を附しただけで終わらせる。いきおい一篇一篇は筋書きもなく、特に怪異そのものの描写は往々にして尻切れ蜻蛉にならざるを得ないが、その途絶感が奇談というものに特有のしみじみとした余韻を齎して、読者の記憶に深く残るト。そんな感じかな『山怪』は。

こうゆう構造で組まれた作品は、翻訳翻案を除いたら、日本的な怪異譚にはあまり見られません。まず中国清代の『閲微草堂筆記(えつびそうどうひっき)』のような、志怪(奇怪な出来事に関するルポルタージュ)の流れを汲む伝奇本に顕著な物語構造ですね。

しかし本書『山怪』の場合、ほとんどが生の証言を採集したまま可能なかぎり再現してゆく方法が採られており、『閲微草堂筆記』よりもずっと古い志怪本来の姿を思わせます。すなわち『捜神記(そうじんき)』とか『山海経(せんがいきょう)』なんてゆう原初的な志怪伝奇の、素朴であるがゆえに生々しくも暗く不気味な魑魅魍魎の世界。

古い中国の志怪はみな徹底したドキュメンタリーの手法ですので、読者に対するサービス精神ゼロ。「それがどうした」「ここで終わりかよ」的なツッコミ所満載の、起伏に乏しい断章程度の文が、放り出されるように羅列されているだけの退屈な代物なのです。ですが中に少数こちらのツボに嵌まる話でもあろうものなら、昼間でさえ総身の鳥肌がいつまでも消えないほど、怖く不気味です。その落差刺激が強烈に面白く、十年来病みつきで伝奇本を漁ることになりました。 

素朴だから、単純だから、飾られていないからこそ感じてしまう、本物の恐怖。何故なら、志怪で語られている全てのエピソードは本当にあった(と古代の話者が信じた)真実の怪異なのですから。したがって、この志怪の話法を色濃く受け継いだような『山怪』も、怖いエピソードは心底怖かったです。 

余りにも怖すぎて、読み終わってからも本自体が書架に巣食う一種の怪異みたいな気分になって持ち続けるのも忌まわしく、結局友人に押し付けてしまいました。嫌な性格ですよね我ながら。

 

 ずっと『山怪』でブログを書きたかったんですが、そうゆうワケで現物もなく、悶々としていました。なので神保町の書泉で先日この文庫版を見付けたときには後先考えずに即買い。こうしてエントリーしているという次第です。

 そろそろ当時の恐怖も薄らいでますし、このまま開かず書架に投げ込んでしまえば大丈夫。じゃないかな、と思ってます。

 

 でもね、果たして本当に読まずにいられるでしょうか。

 

 が、我慢。・・・できるよな。

 

 

 

 

 

 

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DUTY DAYS

 

 どこかの駅ビルの、なんとかいうチェーンのコーヒーショップの一角。

 いつだったか、何処かへゆく途中、何の気なしに立ち寄りました。

 

 奥の席、誰かが立ち去った直後なのかな。

十連休は遥かな昔の夢物語。そして夏休みにはほど遠い。そんな都心の、平日の昼下がりでした。

つまり、スーツと書類とタブレットの時間帯()

 

 

 

 

この椅子で彼(彼女)は、この蒸し暑さでみるみる大粒の汗をかいてゆくアイスコーヒーのグラスを眺めながら、移動の疲れを癒したのでしょう。

  

 何か考えていたのかな。

 仕事上の差し迫った問題を解決しようと、知恵を絞っていたかもしれない。逆に予期しなかったトラブルの報告を受け、困惑したのかも。

 いえ、仕事から離れて、心配ごとは下の子供の保育園探し?

 或いは実家の村が限界集落化して、昼間からイノシシが出没しはじめた件?

 なんてね。私の想像も尽きることがありません。

 カバ男は、世間無用のヒマ人ですから。

 

 単純明快な空間構成なはずなのに、パースが狂ってどこにも消失点を結べないような不安感。

 どことなく初期のジョージ・グロス(最近まではゲオルグ・グロッスと表記されていた)や柳瀬正夢(やなせ まさむ)を想わせる色遣い。なのに狂躁な熱気がないのは、一世紀近い隔たりのせいでしょうか。

 カンバスに両手を突っ込んで描かれている群像をごっそりと抜き取った、そのあとの抜け殻みたいな繪面になりました。

 

 

 

 

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夏、の、お菓子

 

 最近・・・・

 

 

 

 

 

 

 

  

 


 こんなお菓子を食ってます(笑)。 

 

 

 

 

 

 

 

 


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おもちゃ腕時計でGO!!

 

おもちゃ時計とリボンベルト、シンプルな組み合わせが見つかったのでアップしてみます。

 

 

 

左右の同型機は「グルカ」というモデルだそうです。ケーシングの形や文字盤のデザインがベトナム戦争時代の米軍官給品を連想させる、一種のミリタリーウォッチ・レプリカと言えるでしょうか。アメ横のガード下なんかで山積みしていそうなムードですよね。

よく見てほしいのですが、このグルカは文字盤が普通の向きではありません。時計回りの方向に30度ばかり捻じれているんです。バイクやクルマを運転する時に文字盤をこの角度に捻じっておくと、ハンドルを握ったままでも読みやすい。なんて屁理屈ですね。「ドライビング・ウォッチ」という、二十世紀初頭あたりにはもう存在している、腕時計の基本デザインのひとつでした。

当時はモダニスムの黎明期で、かつベル・エポクゥを目前に富貴な趣味としてのグランツーリスム(高価な大型自動車でヨーロッパ大陸を旅して回る贅沢)の勃興期。富裕な自動車オーナーがお抱え運転手(兼メカニック)に支給したのが、小振りな懐中時計を敢えてチョッピリ捻じって腕時計に仕立て直した、ドライビング・ウォッチだったと言われています。使用人に与える品々にまで趣味の見識を充分反映させることは、主人の心映えとして当然でしたからね。

このグルカの場合も、恐らくはその顰に倣っているのでしょう、竜頭の位置まで律儀に30度捻じってある点がちょっと蘊蓄のタネかもしれません。

 

トまあ、ここまではエンジン出力数十馬力、最高時速数十キロが限界だった長閑な時代の話です。この二十一世紀、生き馬の目を抜く東京の夜をシェイクしながら時速200キロに迫る速度で雁行を繰り返す狂った面々は、ドライビング・ウォッチなんか誰も巻いていませんでしたっけ。こんなデザインのためのデザイン、全然まだるっこしくて使い物にならなかったことは容易に想像がつきます。パッと見た文字盤の残像を一度頭の中で逆時計回りに30度ズラしてから正しい時刻を認識する、そのタイムラグの繰り返しに厭気がさし、早々にこの手の変態時計は工具箱に投げ込まれたもんです。百年前とは時間のテンポが段違いなんですからね。事実、高空で瞬時の判断を求められるパイロットが実用する腕時計にも、この文字盤捻転デザインの採用例はほとんど存在していません。

しかしですねぇ。このところカバ男もすっかりジジイになりまして、チューンドカーの腰に悪いような振動よりも電車バスのアナタまかせな揺れが心地よく、もうキイキイ草臥れることは止めませんか、ト。となると必然的に「軍用レプリカ風なのにドライビング・ウォッチ」なんていうヒネッたデザインの腕時計だって許せるようになったものです。オモチャ時計でもありますし。

 

 そういうワケで、今年の夏はキツくなっちゃったオメガを暫く置いといて、おもちゃ時計を写真の組み合わせのまま使ってみようかと思います。18ミリ幅のリボンベルトも多少は数が集まりましたしね。

 NATOタイプのリボンベルトも、この幅のヤツって意外と売っておりません。

 

 

 

 

 

 

 

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