高田透(たかだ とおる)著『大聖寺伊万里(だいしょうじ いまり)』の書影です。
平成九(1997)年十一月、京都書院発行。文庫判256頁。
この二百六十になんなんとする頁の末尾十五頁ほどを除き、全巻が大聖寺伊万里と通称される工芸磁器の作品写真で占められています。その組数はなんと百九十三組、加うるに現存する公式原色下絵の数々。
すべて厚口のアート紙に稠密なフルカラー印刷を行い、高度な視覚的再現性で、見る人の感受性に強く迫って来ます。圧巻です。
余りの再現性に不図ため息を吐きながら本を置いてみて、自分が今まで繙いていたのが小さな文庫本だったことに気付き、改めて嘆息するほどでした。
「本の中の宇宙」、まさにそんな常套句がぴったりの一冊です。
大聖寺伊万里、九谷柿右衛門(くたに かきえもん)。これらは異名同体であり要するに九谷焼、と考えてよいかと思います。
どうなんでしょうね今、大聖寺伊万里って。工芸作品としての認知度、というかカテゴリー分類的に。
この本が出版された平成九年当時、一般の焼き物コレクターにとって大聖寺伊万里というモノの鑑識はどの程度だったのか、分かりません。またその価値観も。そもそもその変なネーミングが示す骨董作品群の、具体的な製造年代すらも、まだ詳しく確定されていなかったのではなかろうかと思います。
「変な」というのはほかでもなく、石川県の窯業地を指す大聖寺と同じく九州は佐賀県の伊万里、ふたつのかけ離れた地名がひとつの作品群に並べて附されている違和感です。陶土釉薬の発掘から成型焼成に至るまでひとつの地域で完結される陶磁器産業では、普通このようなネーミングはあり得ませんからね。
逆にこの奇妙なダブルネームが大聖寺伊万里の真骨頂となるのですが、簡単に言えば大聖寺地区で焼かれたナンチャッテ伊万里焼?みたいな。
身も蓋もない表現ですが、大聖寺伊万里とは基本そうした産品、と表現することはできると思います。「大聖寺伊万里とは何か」という素朴な疑問に対して、はっきりと具体的な答えが得られる時代になったんでしょうか、今は。
アート好きの基本認識として、幕末開国の直後から欧米では日本産品の熱狂的な蒐集ブームが巻き起こっていた、という視点があると思います。のちのジャポネズリー/ジャポニスムという欧米アートシーンの大きな動きを強烈に起爆した、わが国工芸品のすぐれた価値への気付きですね。
その中でも、洗練されたデザインや高度で精緻な絵付け技法が施された色絵磁器が、支配階級の面々にとって得難い宝物として珍重されてゆきます。つまり、窯業というのがわが国の主要な輸出産業であった時期があるんです。
当然大聖寺地区でも、その起源はさておき、封建体制の瓦解や経済の激変といった歴史の大波を乗り越えつつ粘り強く窯業を維持継続する努力が続けられていました。やがて明治維新となり、地域が産業の近代化を受け入れ、率先して磁器生産の工業化に向かう中で生み出されたのがこの大聖寺伊万里だった、といえるでしょう。
述べたように元々は欧米からの需要ありきでしたから、求められれば当地では柿右衛門、染付、金襴手から色鍋島、その他人気のある焼き物のほとんどをコピーしていたようです。表現を変えれば、幕末までの窯業が因習的に持たざるを得なかった地域的属性を、商売として軽々と飛び越えてしまった。そしてその生産体制はより近代的な分業制に向かい、窯元は地場産業の生き残りを賭けて会社組織化を果たしています。
分業化によって一体何が変わるのか?それまでは一人の作陶家が陶土の採集から生地作り轆轤引き、デザインの考案、絵付け焼成と全工程に携わってきたものが、分業制によって各プロセスに専従の工人が配されるようになります。殊に製品の完成度を左右する絵付けでは、専門職が描画技巧だけに集中できる環境が生まれたワケです。これは実に決定的な革新で、繰り返し同じ作業(だけ)を行うことが許され、一人の工人が手の内に蓄積する経験値(すなわち描画技巧と工人自身の審美眼)は飛躍的に高まってゆくのです。
その結果、もともとコピーから始まった大聖寺伊万里の絵付け描画に、達人の筆遣いが現れることになります。その描線の巧妙は本歌(手本としたオリジナル)を凌ぎはじめ、畢竟この精密絵付けが大聖寺伊万里に顕著なアイデンティティーを与えたと言っても過言ではないでしょう。
現在のように年代を特定しながら大聖寺伊万里を論ずることはありませんが、巻末の『解説』はこのカテゴリーに関する事実を丹念に取り上げ、逆説的ですが今でも充分に役立つ知見を提供しています。
本書はそうした意味合いからも、入門編として長く座右に置ける本だと思いますね。或いはどこかから再版覆刻されているかもしれません。
この本は残念ながら新刊で買ったワケではなく、ゾッキに出た本です。これを買った頃、市中ではまだまだ『アーツコレクション』を大切に取り次ぐ新刊書店はあったものの、すでに京都書院の前途には暗然たる噂が流れ、いつ供給途絶するとも分からない緊迫感がありました。なので、神保町を散策する機会があれば日本特価書籍のようなゾッキ本専門店は必ずチェックし、落穂拾いのように買い逃した巻をピックアップしていたのです。
焼き物について、ちょっと真面目に勉強してみようかと思っていました。
しかし、還暦を迎える今に至るまで、焼き物は分からずじまいでした。頑張ったんですけどね。都内の美術館は言うまでもなく、わざわざ金沢くんだりまで現物を見に行ったことすらあるというのに、です。
絵柄や姿の良さは、分かる。数を見て好き嫌いもできた。でも、美術館のケースに納められた至高の名品が武蔵小山商店街のマルセイで売っている一個数百円のラーメン丼にしか見えないのでは、これはまったく時間の浪費という以外の何物でもありませんでした。