MODELGUN LEGEND(仮)

 

 上阪光氏の写真集『Modelgun Legend(仮)』が上梓に向けて最後の山場を迎えている模様です。

 

 Hikaruさん、と書いた方が分かる方、多いのかな。長くアメリカ在住だった写真作家で、国際出版の専門誌『Gun』ではライター/フォトグラファーとして参加されていた方だそうです。国内では若い頃から銃の関係を全く身辺に寄せ付けない暮らしぶりでしたので、残念ながら私は全く知りませんでした。

 過日とある集まりで紹介され、越し方など昵懇にお話ししたところ驚くほど似通った経験をお持ちで、肝胆相照らす思いをしたものです。

 

たはむれにSIGを握りて そのあまり軽きに 泣きて三歩あゆまず

 

 上阪氏も同じ感慨を経て、金属モデルガンに回帰されていったのだとか。同時代人のモデルガン愛というか情熱は、伺うほどに痛いほど私の心に刺さりました。

 

過去、とかくオモチャであることを逃げ道に、風聞想像知ったかぶりが横行してきたモデルガン回顧本の世界です。私が言うのもなんですが、ただの一冊としてまともな本は出されなかった。ゴミばかり。古典籍の書誌でいうところの「未見」「未詳」が書けない、分からないとすら書けないダメな執筆者ばかりが放し飼いにされている、レベル最低限の子供だましの世界。

その愛のないやっつけ仕事に我慢ならず、全て現存する実器サンプルと正確な資料であの世界の「正史」を編み出そうという、途方もない企画が上阪氏の『Modelgun Legend(仮)』というワケです。

 詳しい説明は私ふぜいの任にあらず、最近公開された氏のホームページを一読するに如かず、です。

 

 ところでモデルガンって、なんだか分かりますか?

 

 

 

関連記事
スポンサーサイト



ブータンスタイル

 

本林靖久(もとばやし やすひさ)著、京都書院アーツコレクション第127巻『ブータンスタイル 仏教文化の国から』。平成十(1998)年五月発行の文庫本になります。

カバー巻末には「旅行関係シリーズ」として、本書を含めて数巻の紹介があります。といっても特にシリーズ化を目指した風ではなく、偶々同じ傾向の巻を挙げて余白を埋めた、みたいな感じでですけどね。

 

  

 

 

 岩波文庫『ブータンの瘋狂聖 ドゥクパ・クンレー伝』のエントリーを書きあぐねている間、なんとなく引っかかるものがあり、書架の奥を探索したところ発見したのが本書です。二十年も前に買って読んだきりでしたので、すっかり忘れていました。これでは秘蔵というより退蔵。ただ持っているだけで本を生かしていない、と反省したものです。

 この『ブータンスタイル』もアーツコレクション文庫の例に漏れず、良い紙に良い印刷、画主文従の編集によって、楽しめる本になっていると思います。

 250頁余りの本文は、大半が写真頁です。ブータン王国の暮らしの様々な局面を三十数篇に分け、「歴史」「宗教世界観」「農作業」など短い概説に合わせて、スナップ風な珍しい写真が展開される構成。ありきたりな旅行書では採り上げられないブータン人の暮らしぶりをつぶさに見るようで、かの地に憧憬を抱く向きにはまたとない視覚資料になるのではないでしょうか。

 殊に建築や生活雑器、民間習俗を捉えた写真には見るべきものも多く、その辺が“アーツコレクション”的で良かったです。

 

 よく国民総幸福量のことを引き合いに出して、天然自然に幸せの溢れる地上の極楽のようにいわれるブータン王国です。実際に軍隊といえるほどの武力すら持たないところをみると、平和で良い国なんでしょうね。

でも、その他の国々同様にブータンは、国境を接している中国からの間断ない不法行為や威嚇にさらされて苦しんでいるのも現実なんです。絶えざる領土の蚕食、狂暴な人民解放軍による実効支配や強硬植民と、その既成事実化。それでなくとも時代はどんどん変化しているのですから、ひとりブータン王国だけは止まった時間の中に清浄無垢でいられる、とも思えません。

第二のチベットにされてしまうかもしれない。そんな危うさは常に存在しているのです。

 

なんとなくですが、この本を再読し終えて、日本を含めたアジア全体の平和と安定ということを考えてしまいました。

ちょっとカバ男は考えすぎる癖があるんで。 

 

 

 

 

関連記事

大聖寺伊万里

 

高田透(たかだ とおる)著『大聖寺伊万里(だいしょうじ いまり)』の書影です。

平成九(1997)年十一月、京都書院発行。文庫判256頁。

この二百六十になんなんとする頁の末尾十五頁ほどを除き、全巻が大聖寺伊万里と通称される工芸磁器の作品写真で占められています。その組数はなんと百九十三組、加うるに現存する公式原色下絵の数々。

すべて厚口のアート紙に稠密なフルカラー印刷を行い、高度な視覚的再現性で、見る人の感受性に強く迫って来ます。圧巻です。

余りの再現性に不図ため息を吐きながら本を置いてみて、自分が今まで繙いていたのが小さな文庫本だったことに気付き、改めて嘆息するほどでした。

「本の中の宇宙」、まさにそんな常套句がぴったりの一冊です。

 

 

  

 

大聖寺伊万里、九谷柿右衛門(くたに かきえもん)。これらは異名同体であり要するに九谷焼、と考えてよいかと思います。

どうなんでしょうね今、大聖寺伊万里って。工芸作品としての認知度、というかカテゴリー分類的に。

この本が出版された平成九年当時、一般の焼き物コレクターにとって大聖寺伊万里というモノの鑑識はどの程度だったのか、分かりません。またその価値観も。そもそもその変なネーミングが示す骨董作品群の、具体的な製造年代すらも、まだ詳しく確定されていなかったのではなかろうかと思います。

「変な」というのはほかでもなく、石川県の窯業地を指す大聖寺と同じく九州は佐賀県の伊万里、ふたつのかけ離れた地名がひとつの作品群に並べて附されている違和感です。陶土釉薬の発掘から成型焼成に至るまでひとつの地域で完結される陶磁器産業では、普通このようなネーミングはあり得ませんからね。

逆にこの奇妙なダブルネームが大聖寺伊万里の真骨頂となるのですが、簡単に言えば大聖寺地区で焼かれたナンチャッテ伊万里焼?みたいな。

身も蓋もない表現ですが、大聖寺伊万里とは基本そうした産品、と表現することはできると思います。「大聖寺伊万里とは何か」という素朴な疑問に対して、はっきりと具体的な答えが得られる時代になったんでしょうか、今は。

 

アート好きの基本認識として、幕末開国の直後から欧米では日本産品の熱狂的な蒐集ブームが巻き起こっていた、という視点があると思います。のちのジャポネズリー/ジャポニスムという欧米アートシーンの大きな動きを強烈に起爆した、わが国工芸品のすぐれた価値への気付きですね。

その中でも、洗練されたデザインや高度で精緻な絵付け技法が施された色絵磁器が、支配階級の面々にとって得難い宝物として珍重されてゆきます。つまり、窯業というのがわが国の主要な輸出産業であった時期があるんです。

当然大聖寺地区でも、その起源はさておき、封建体制の瓦解や経済の激変といった歴史の大波を乗り越えつつ粘り強く窯業を維持継続する努力が続けられていました。やがて明治維新となり、地域が産業の近代化を受け入れ、率先して磁器生産の工業化に向かう中で生み出されたのがこの大聖寺伊万里だった、といえるでしょう。

 

 述べたように元々は欧米からの需要ありきでしたから、求められれば当地では柿右衛門、染付、金襴手から色鍋島、その他人気のある焼き物のほとんどをコピーしていたようです。表現を変えれば、幕末までの窯業が因習的に持たざるを得なかった地域的属性を、商売として軽々と飛び越えてしまった。そしてその生産体制はより近代的な分業制に向かい、窯元は地場産業の生き残りを賭けて会社組織化を果たしています。

分業化によって一体何が変わるのか?それまでは一人の作陶家が陶土の採集から生地作り轆轤引き、デザインの考案、絵付け焼成と全工程に携わってきたものが、分業制によって各プロセスに専従の工人が配されるようになります。殊に製品の完成度を左右する絵付けでは、専門職が描画技巧だけに集中できる環境が生まれたワケです。これは実に決定的な革新で、繰り返し同じ作業(だけ)を行うことが許され、一人の工人が手の内に蓄積する経験値(すなわち描画技巧と工人自身の審美眼)は飛躍的に高まってゆくのです。

その結果、もともとコピーから始まった大聖寺伊万里の絵付け描画に、達人の筆遣いが現れることになります。その描線の巧妙は本歌(手本としたオリジナル)を凌ぎはじめ、畢竟この精密絵付けが大聖寺伊万里に顕著なアイデンティティーを与えたと言っても過言ではないでしょう。

現在のように年代を特定しながら大聖寺伊万里を論ずることはありませんが、巻末の『解説』はこのカテゴリーに関する事実を丹念に取り上げ、逆説的ですが今でも充分に役立つ知見を提供しています。

本書はそうした意味合いからも、入門編として長く座右に置ける本だと思いますね。或いはどこかから再版覆刻されているかもしれません。

 

 この本は残念ながら新刊で買ったワケではなく、ゾッキに出た本です。これを買った頃、市中ではまだまだ『アーツコレクション』を大切に取り次ぐ新刊書店はあったものの、すでに京都書院の前途には暗然たる噂が流れ、いつ供給途絶するとも分からない緊迫感がありました。なので、神保町を散策する機会があれば日本特価書籍のようなゾッキ本専門店は必ずチェックし、落穂拾いのように買い逃した巻をピックアップしていたのです。

 焼き物について、ちょっと真面目に勉強してみようかと思っていました。

 

 しかし、還暦を迎える今に至るまで、焼き物は分からずじまいでした。頑張ったんですけどね。都内の美術館は言うまでもなく、わざわざ金沢くんだりまで現物を見に行ったことすらあるというのに、です。

絵柄や姿の良さは、分かる。数を見て好き嫌いもできた。でも、美術館のケースに納められた至高の名品が武蔵小山商店街のマルセイで売っている一個数百円のラーメン丼にしか見えないのでは、これはまったく時間の浪費という以外の何物でもありませんでした。

 

 

 

 

 

関連記事

けん銃博士 池田浩理氏


 親切な友人から「けん銃博士」池田浩理(いけだ ひろまさ氏という方のことを教えてもらい、先日その文章を読むために永田町の国立国会図書館へ行ってきました。

 

 因果なもんで、朝五反田の駅前で地下鉄にすっかヤマテにすっかと一瞬迷っただけで、階段上ってヤンキーグリーンの電車ん乗ったらあとは何も考えず体が勝手に進んでましたっけ。

有楽町の駅で改札出たらそのまま読売ホールの螺旋階段どたどた下りて、気が付いたら地下鉄有楽町線の人になっていましたよ、ト。

 次に階段上って出たとこがその名もずばり「国会図書館前」の交差点。気の早いミンミンゼミが心許なげな声で鳴いてるのを遠くで聞きながら、やけにウロチョロしている私服のお巡りさん方をかき分けかき分け、汗かく間もなく新館の受付へ。

何年経っても覚えてるもんなんすねー、道順なんて。

 

 最後にここを立ち去ったのは、あれはもう、指折り数えりゃ四半世紀も前のことになるんですなぁ。Georgeと一緒にココの自写室(スタジオ)で、戦前の検閲制度下で闇に葬られた稀覯書の撮影したんだっけ。

 ココにしか残ってない本、世の中に存在するなんて当時誰も気付いてなかったような本の撮影。『エロエロ草紙』とかね。あんときゃずいぶんアチコチ、頭あ下げさしてもらいましたよ。

機材かついだGeorgeと二人、あの年は芝浦の港を振り出しに京都や本牧、神保町。あちこち写真撮って歩いたもんです。でその大詰めがココ国立国会図書館の奥深くにひっそり扉を閉ざす、自写室でした。

「カタログや挿絵風に構図を作った形では、絶対に撮影しないでくださいね」

なんか窓口のおばさんにキビシく釘刺されて、

「かっしこまりあしたぁ!」

と元気よく揃って最敬礼。ドア閉めちまえばこっちのもんだとばかりバンバン撮りまくっちゃってね。

こっそり持ち込んだ秘蔵の本とツーショットとか、「ああン、こんなポーズらめえ!」なんか恥ずかしいアングル(稀覯書の写真としては、ですよ)で秘密の撮影会()

なつかしいですよ。

そんな国会図書館、見た目はほとんど何も変わってませんでした。

 

トまあノスタルジーは適当にしといて、です。

昔はなかったIDカードとパスワードを発給してもらい入館。これまた昔はなかった検索用PCに池田先生のお名前をカタカタ打ち込むと、出るわ出るわけん銃に関する鑑識資料・論考の類がイヤっつほど表示されてきました。ま、その程度は事前に自宅のPCから検索で掴んでいたことではあるんですがね。

でもネット経由では閲覧できないような感じだったんです。だから来た。

カタカタカタ・・・、カタカタカタカタ。ん~、おかしいな。何度試しても蔵書閲覧が申請できない。カタカタカタの・・・、ポチッとな。

ダメだ。

おかしい。何か私が知らない、検索のルールか情報があるようでした。

「あ、ちょ、すいませーん。コレどうなってんすか?」

 

こんな風にモニター睨んで悩みはじめた時点で、すでにスタッフらしきオネエチャンが遠巻きに私をロックオンしてまして。で言葉をかけた時にはもうダッシュで傍らに立っている、ト。

このサービス精神!時代が変わったんでしょうかね。彼女たちは本当にあの不愛想だけが取り柄だったオバサン係員の末裔か?

今や入館者は知識の大伽藍に畏む愚かな信徒なんかじゃなく、お客様。そして館内スタッフの方こそ(たとえ業務委託の外注だったとしても)そのお客様の膝下に侍る奴婢下僕となっているのか。主客顚倒。んへへへへへ。

なんて妄想に耽ってる間にその婢役のオネエチャン、もう素早くマウスを操作して、私のやった通りに検索し直しています。

「・・・ああっと、これはデジタル資料ですねー。しかもこのPC端末から閲覧するようになってますねー」

「んあ?じゃ昔みたいにカウンターで資料を預かって、デスクで」

「申し訳ありません、これの場合はできないんですよー。画面からファイルを呼び出して」

「でこのままココで、モニター上で読むっつこと?」

「そうですねー。デジタルコンテンツのみ閲覧が可能な資料になりますねー」

「手に持って読めないの。オレ現物現金至上主義なんだけど」

「すみません資料の請求自体が不可能なんで、手に執る方法がないんですねー」

「あ、ふぅ~ん」

 

 けん銃博士の文章なんですからして、掲載されてるのはほとんどが警察鑑識の内部資料だっつ情況自体は理解できますよ。でもね、シチョー(警視庁)の受付に押し掛けてマブチャカ(実物のけん銃)寄越せっつってんじゃあるまいし、丸腰の善良な入館者にまで「見せない貸さないイジらせない」の三ナイ押しつけるってどおゆうこと?ナメてんのか?

 なんちゃってね。

大丈夫、分かってますよ。

特殊分野の稀少な文書資料なんですから、守らなきゃなりません。おかしなヤツに破られたり書き込みされたり、一度損なわれてしまったら永久に補充は不可能なんですからね。

もっと悪いことは、盗難。警察の内部資料がかっぱらわれることによって図書館では資料亡失、警察ではその資料を悪用した犯罪の発生危惧、カバ男は読めなくなってムカつく。三方一両損で誰にとっても良いことなんかないワケすから。

 イイでしょう我慢しましょー、現本を直に触れないぐらい喜んで。「けん銃バカボン」、失敬もとへ「けん銃博士」池田浩理氏の文章を読ましてもらえるんですから。なんでも言いなりに我慢しちゃいますって。

 カタカタカタのぉ、・・・ポチッとな()

 

 

 

 

 トいうわけで、いやー良かったですよ池田浩理先生の各研究報告。目からウロコが落ちまくりで、オレの目ってこんなにたくさんウロコが貼っついてたのかと驚くばかりでした。

 銃だの弾だのの現物ありきで書かれている専門誌の記事と、僅かばかりの痕跡からその現物を特定して見つけ出すための鑑識。論理の方向が正反対なんですなぁ。勉強になりました。

 

 荷物まとめて憑物が落ちたみたいに放心状態で外に出て、ボンヤリ歩きながらピース・アロマロイヤルなんぞ徐に咥えましてポッケのライターで。

ハッ、いかんいかん、なにやってんだオレ。時代は変わったんだ、千代田区は全面歩行禁煙、しかもココはまだ国会図書館の敷地じゃないか。ケムなんか吐こうもんなら大変なことになるぞ。

慌てて口からピースをむしり取り、かといって一旦咥えたものをまた箱に戻すのも納まりが悪く、仕方なく耳に挟んだまま丸の内まで地下鉄に揺られて帰りましたとさ。

時代は変わったんですよ。あのオネエチャンだって本気で入館者の手助けをしようと心を砕いてくれたじゃないすか。巨乳だったし。

 

ジジイは四の五の抜かさずに、せいぜい時代に棹差してゆきますか。

ほら、お濠の向こうにゃ、もう入道雲ですぜ。

 

 

 

 

 

関連記事