バイクメ~~ン

 

 

 

 望月峯太郎(もちづき みねたろう)『バイクメ~ン』四巻本コミック。

 いやはや、「カバ男のブログ」で取り上げる初の多巻本がコミックとは恐れ入りますが、モノが『バイクメ~ン』なら本望です。つか、光栄です。

 

 講談社<ヤンマガKCスペシャル>というコミック叢書の第194214242248巻で、19903月から911月にかけての刊行。判型はB6判、各巻単色刷り240頁前後、青年コミックによくある標準的な構成です。叢書タイトルからすると、成人コミック雑誌の『ヤングマガジン』に連載された作品を取り纏めているみたいですね、ヤンマガKCスペシャルって。

 『頭文字D』とか『湾岸ミッドナイト』なんかもココなのかな。

 

 

 

 

 

 家族の中心だった母が世を去り、残された本木家の三人が一人ひとり、自分にとっての家族像とか家庭像を悩みながらも模索してゆく、というホームドラマの王道的な筋書きがベースになっています。

 そこにロックの神(=悪魔)との契約でバイク人間となったモンローライド・ボニーとガスマン・ドトキンという二人(二台)の時空を超越した果てしない戦いという全く異質なアクションストーリーが絡み、でも最後の最後まで親子とは、家族の愛とは、というテーマがとことん突き詰められてゆきます。

 終盤のボーリング場からクライマックスにかけてのダイアローグは圧巻ですね。

 

 今回、書架から抜き出して二十年ぶりぐらいで通読しましたが、読後感は良かったです。昔、渋谷は百軒店のジャズ喫茶『音楽館』に入り浸ってヤンマガの初出を読み耽っていた頃のインパクトは、全く薄れていませんでしたね。

 この『バイクメ~ン』は連載が終わってからも、コミック本が書店に並ぶのを手ぐすね引いて待ち構えていたほどで、揃えてからも何度も読み返しました。なので自分でも驚くほど多くの場面を覚えていたんです。好きだったんですね~。

 

作者の望月氏に関してはよく知りませんが、195060年代の世相風俗に非常な造詣をお持ちの方なんじゃないでしょうか。また同じ時代のTVドラマや映画のコンテやスクリプト、雑誌などのヴィジュアル情報も、誰も気が付かないような部分を作品に大量に援用していますね。優秀な資料蒐集チームを雇っていたとしても、ちょっと資料の量だけで押しても描けないような、望月氏個人の蘊蓄の領域がうかがえるような描写の連続でした。

つまりこの『バイクメ~ン』、50年代当時の若者風俗を反映した重いB級ドラマツルギー的雰囲気と、ロックンロールを下敷きにしたSFオカルトっぽい70年代ポップカルチャーのサイケな色彩をマーブル模様のように溶き交ぜた濃厚な世界の中で、現代的ホームドラマが進んでゆく、ト。そんな複雑で韜晦な構成を目指したのかな。そう思って読み進めば、些細な場面転換ひとつをとっても、「実はこのシーン・・・」的なヒソミというかマネビが隠されている感じもあって、なかなか気が抜けないです。

キリスト教に於ける行路者の守護聖人・セントクリストファー(聖クリストフォルス)なんて名前、平気で持ち出してきますしね。

 

 よく人気のあるコミックは連載が終わっても単行本、スペシャルバージョン、コンプリートパックなんかいって何度も豪華な本に作られますよね。でもこの『バイクメ~ン』は全然そんなの出た気配もないです。

 せめて原画サイズの一冊本にでも仕立てて、記念出版みたいな形で再刊してくれればいいのにと、改めて思いました。あの『こぐまRENSA』ですら、特別版が出てたんですからね。

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手控帖より(ウソ)

 

 

 

アメ横は日章ビルなるMGCサービス部にて

新発売のプラスチツク製モデルガンを手に

カバ男といふなる馬鹿の詠みける

 

 

 

たはむれに SIGをにぎりて

その あまりかろきに

泣きて三歩あゆまず

 

 

 

なん~つってね(笑)。

 

 

 

 

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栄光なき天才たち 浮谷東次郎

 
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森田信吾『栄光なき天才たち』№1112

 モータリゼーション初期のレーサー浮谷東次郎(うきや とうじろう)の全生涯を描いた、青年向けコミックです。

 版元は集英社で、奥付に「ヤングジャンプ・コミックス」という名前が見えます。雑誌『ヤングジャンプ』誌上で発表されたコミック作品を網羅的に集めた、文芸書でいうところの叢書なんでしょうかね。その中の森田氏の連作シリーズの内の11,12番、トいうことになります。妙に細かい書き方ですが、そこは「廃墟自動車図書館」の継続ということで勘弁してちょ。


 浮谷東次郎の生き方に共感して初めて市川のお宅を訪ねたのは、まだ三十そこそこの頃だったと思います。レーサーとしての伝説みたいなものはバイク雑誌なんかで知ってはいたんですが、その頃初めて『がむしゃら1500キロ』を読んで訪問を思い立ったんじゃなかったかな。
 なので、茅葺の母屋がある代々の素封家と聞いていたのに地元で教えられた場所には綺麗な教会が建っていて、心底驚いたものです。浮谷和栄さん朝江さんより、東次郎亡きあとの来し方など色々と伺うことができました。

 以来何度か訪問の縁となり、今でも亡くなった八月が来ると東次郎を思い出す、というワケです。


 いろいろネット検索したところ、『栄光なき天才たち』には年を隔てて何回かに分かれたシリーズがあり、ここに取り上げた浮谷東次郎の巻は最初の十七巻ものに含まれていました。力作です。森田氏は驚くような想像力で当時の情景や主人公の心象風景を骨太にぐいぐい描き出し、とうとう全シリーズ中で唯一の二巻完結という大作に仕上げてしまいました。ただ資料をたくさん使えた、では説明がつかないような、神がかったインスピレーションを感じます。読みはじめたら最後まで一気に持ってかれますマジで。


 この本、今でも新刊で買えるんでしょうかね。それとも新陳代謝の激しい青年コミックの世界では、とうに忘れ去られた存在なんでしょうか。カバ男はいつでも読み返せるんで別に問題ないんですが、もし絶版して読めない人がいるのなら残念なことと思います。レースとかバイクとか関係なく、人が苦しみながら成長してゆく物語としても優れてると思うんですよね。


 うっかり書き忘れるところでした。
 コミックの下に敷かれているのは、1985年船橋の西武デパートで開催された「浮谷東次郎展」でグッズを入れていた封筒です。詳しい内容は分かりませんが、肝煎りのイベントだったのでしょう。
 
 
 
 


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ブータンの瘋狂聖 ドゥクパ・クンレー伝




ゲンデュン・リンチェン編・今枝由郎(いまえだ よしろう)訳『ブータンの瘋狂聖(ふうきょうひじり) ドゥクパ・クンレー伝』。238頁。

201712月岩波書店の発行で、タイトルページには岩波文庫33-344-1、と附番されています。

 

 

 

 

 十五世紀の末から十六世紀にかけて実在したチベット仏教の遊行僧で、ドゥクパ・クンレーとして広く知られる人物の評伝、といえば良いのかな。彼についてブータンの民間で言い伝えられてきたエピソードが、縷々綴られています。

普通のお坊さんと違い決まったお寺にも住まず、思うまま求められるがままにフラフラと各地を巡りながら無明に喘ぐ大勢の人々に功徳を施した、成就者とも崇められているお聖さんですね。

今枝氏による巻末の解説を読んだところ、この本の原題は『衆生の守護者クンガ・レクパ法主(ほっす)の伝記、名付けて「大海真随一目有義」』というそうです。長いですね。ここから私たち日本の読者にも理解できそうな、主にブータンに於けるエピソード部分を選び出した、抄訳(部分訳)本という成り立ちです。

 

 原題に見える人名らしきものがクンガ・レクパ。文庫タイトルにはドゥクパ・クンレー。ちょっとそれだけでも混乱してしまいますが、彼の本当の名前は「クンガ・レクペー・ベルサンポ」、というそうです。

元々はチベットの生まれで、その頃は混然一体としていたチベット/ブータンの広大な地域を股に掛け活躍しました。

 やがて生まれ故郷のチベットでは早々に忘れ去られてしまい、対照的にブータンでは偉大な成就者として、ことに民衆の間に様々な記憶が伝わってきたワケです。親から子、子から孫、代々の言い伝えですね。

その過程で話が盛られたり端折られたり、それでいてブータンの人々は真面目な気持ちでこの有難い聖の行いを誤ることなく伝承しようと努めてきた。偉いことだと思います。

 

それでですね。

そもそも若くして教義の深淵を会得していた彼の行動は、一般ピーポーの理解なんか遥かに超越してまして、同じチベット仏教の高僧同士ですら理解に苦しむほど破天荒だったみたいですよ。つうか無茶苦茶?今のニッポンだったら歩いてるだけで逮捕、立ってるだけでも性犯罪?みたいなね。

なので、タイトルにも「遊行僧」なんつう通り一遍の表現ではなく、わざわざ「瘋狂聖」なんて掲げてあるワケなんです。「瘋」とか「狂」とか、イッちゃったアブナい人にしか使わないような文字ですもんね。もうそっからして尋常ならざる人柄がニジみ出てます。

その無茶苦茶で開いた口が塞がらないような、でも仏陀の教えの真髄をためらうことなく実行に移したようなドゥクパ・クンレーの記憶は、教科書的な資料データなんかにではなく、彼を崇め讃えるブータンの貧しい人々の言い伝えにたくさん残されていました。ドゥクパ・クンレーという人は決して内陣の結界から踏み出すことのない高僧ではなく、進んで民衆の中に分け入って仏陀の教えを体現する、本当のお聖さんだったのでしょうね。

 

 ここで面白いと感じたのは、チベットやブータンでは、そうした偉人の言行を文書や書物の中に固定して世々伝えようとしてこなかったという点です。出版へのモチベーションがまるで低調で、誰もそうした物質的な媒体の必要性を感じていなかった世界みたい。

人から人、口から口の、いわゆる口承伝承の類。一瞬で消えてしまう言葉によってだけ近世まで連綿と伝えていたのが驚きです。大変なことだし、危ういといえばこんな危ういやり方もないんじゃないすか。

 そしてクンレーのひ孫のまた孫、十七世紀半ばまで生きたツェワン・テンジンの代になってようやく遠いご先祖にまつわる情報を集めはじめ、恐らくは手稿資料として蓄える努力をした。でも、どういうワケかここに至ってもなお本としては成立させなかったらしいです。すでに十七世紀ですよ。

 で、時代は更に下って二十世紀は1966年、頭の上を米ソの有人宇宙船がぐるぐる飛び回る時代になって、ブータンの大僧正ゲンデュン・リンチェン師が埋もれていたそれらの資料や口伝を纏め、ようやく「ガリ版刷り」で出版したっつうことになります。ああっと、国教の最高権威者である大僧正がガリ版刷りの自費出版っすか!と余計なツッコミは入れないように。

ドゥクパ・クンレー伝が世に出るまでの経緯は、こんな感じだそうですよ。クンレーの没年は1529年とありますから、ここまで漕ぎ着けるのに約四百四十年弱。あんまり関係ないけど、カバ男がこの岩波文庫版を横っちょに置いてブログを書きはじめている今、クンレー没後四百九十年。です。

 

識字率とか、色々な理由を考えることはできるでしょうね。でも、基本になるのはブータンの人々の心の持ち方なんじゃなかったかな。偉大な成就者の行いは自分の親の親のそのまた何代か前のご先祖様がその目で見ている。だから代々の口伝えを正しく受け継げば、今生きている自分自身もご先祖様の言葉を通して有難くクンレーの奇跡を目の当たりにしていることになる。本など無用。そんな感じでしょうか。

で、そうゆうことが代々営々と続けていられるブータンという国のお国柄。世紀単位でゆっくりと流れてゆく民衆の時間。文庫一冊読んだだけですが、なんとなく分かるような気がしましたですハイ。

 

 ちょっと謝らなきゃならないことがあります。この本、2017年の岩波文庫ですからして、当然デザインを施したカバーや帯が付いて売られてました。でも、文庫本を読むときの習性で何も考えずそれらを剥ぎ取って、捨てちゃったんです。アッと気付いた時にはもうどこかの喫茶店のゴミ箱に。多分五反田駅前のカフェ・集。なこたどうでもよろしい。

そうゆうワケで、写真の姿は世を忍ぶ仮の姿()。読んでみようかなと思ったら、飽くまでも分類番号かタイトルを基に書店で探してください。

ごめんね。



 

 

 

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異色のライダー 清原明彦物語

 

 

『異色のライダー 清原明彦物語』。種子島経(たねがしま おさむ)著、198611月グランプリ出版発行の、バイク人物列伝になります。

B5判変形、というかむしろ菊判(戦前の文学書に多用された美しい判型で、戦後のJ.I.S.規格導入による出版界のA列偏重で敵視され、現在ではほとんど絶滅してしまったサイズ)に近い判型と表現した方が分かり易いような、竪長型です。グランプリ出版の専門書シリーズではちょっと珍しいサイズですね。

以前ヤフーブログで取り上げた『進駐軍モーターサイクルクラブ』の群雄社版原刊本と全く同じ大きさです。本文179頁、多色刷りカバー付き。

 

 

紙幅の過半を表題の伝記『清原明彦物語』に費やし、同じくバイク人物伝『アントン・マング物語 (11=∞)』およびその続編でルポルタージュ/エッセイ『ダッチTT観戦記(第51回)』を取り集め、再録構成しています。三作ともバイク専門誌『ライダースクラブ』への連載が初出となっており、あとがきによれば単行本化に際して細かな加筆訂正が施されているそうです。

 

「勉強嫌いやから(カワサキの)工場に来たんや」

と嘯いて易々と社員を手玉に取る、型破りで手のつけられない悪ガキだった清原氏。その清原氏がいわゆる金の卵、養成工として川崎航空機に入社した頃から『清原明彦物語』は始まります。清原氏が入社した当時のカワサキは航空機産業の一部門としていよいよバイクの本格的な開発生産に進もうと鼻息荒く、著者の種子島氏もまたカワサキバイクの将来性に大きな夢を抱き、その仕事に賭けようとして苦闘を始めていた時期です。

その生え抜き社員と、自分を持て余して行き場を見つけられないまま悶々と時間を浪費していた若い養成工との、奇縁ともいうべき不思議な出会い。

「僕、テストライダーになりたいねん」

誰からも見放された悪ガキが頭を下げて願い出た進路の相談が、停滞していたカワサキバイクの体制に新風を吹き込み、やがて全世界を驚かせるザッパーバイク「Kawasaki Z1」の出現へと結実してゆくサクセスストーリーが痛快です。その中で清原氏自身も一介のテストライダーから破格のレース参戦を経て、多くのバイク好きから「ノーマルのキヨさん」と敬愛を博すほどの好人物へと姿を変えてゆきます。

 それでもキヨさん、現役時代はカワサキの看板背負って世界中のレースに出かけて行き、トップを走るライダーをがんがん煽りまくってたんですよね。二輪レースの世界では珍しいオラオラ系()。さすがです。

 

 ほかの二篇も含めて、本書は人情の機微を丹念に描き尽くしている点で大変に味わい深く、バイク専門書の枠には収まらない優れた文芸書といっても過言ではないと思います。この本もう一冊あったら、ブラデル製本(ルリユウル製本法のひとつで、パッセカルトンよりもやや簡略な工程ながら堅牢さは劣らない技法)で良いからきちんとした文芸書のデザインで綴じ直し、愛蔵したいくらいです。表紙平の芯にはカーボンファイバーのプレートなんかを使ってね。

 

 え?そんな子供じみた趣味本のルリユウルなんか作家に頼むの失礼だ?

 どういたしまして。実はこの本、正しい折丁仕立ての仮綴じ製本なんですよ(笑)。

 

 



 

 

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ある日の手首

 

 

 「私はFC2ブログで生き残るつもりです」

なーんつってサッサとヤフーブログから鞍替えしてきたカバ男でした。

 なのに、どうしたワケなのか中々こっちのブログは進みません。宙ぶらりんなまま二箇月近くも放置してしまい、申し訳ないことだと日々反省は、しております。いやホント。

自分ではもっとドライな気分で、あと白波と飛び出したつもりのヤフーブログ。やっぱり引き摺ってるんでしょうかね、気持ちの中で。

ダメですね、歳を取ると自分を攻める元気が萎えて。

煽りも利かなくなってきましたし。

この季節になっても太ったまま戻らねっし(関係ないか)。

 

 

 

 

 ひどい話ですよね。なんすかこの手首の跡。朝から腕時計を巻いて出かけると、昼にはもうこんな風になっちまう。畳の上で昼寝した後みたいに、裏側の模様がクッキリと手首に乗り移ってるじゃありませんか。

 愛用のオメガは毎年夏になると痩せた手首で空回りするのが常だったんですがね。今年はバックルを緩めても追いつかず、ぴったり密着。毎回手首にカプリコンのマークだの「FLIGHT-QUALIFIED BY・・」だのの文字が裏返しでクッキリと印象されてしまうんです。

 去年手首を折ってますから、その影響が主なんでしょう。骨折の部位は、骨が太くなりますからね。

 

 「んーと、どうも最初のレントゲン写真撮ったときから骨の形が曖昧でハッキリ見えてなかったんでぇ」

なんかセンセも言ってくれちゃって、結局私の手首は橈骨が粉砕骨折で尺骨は単純骨折、その他も何本かは「折れてたみたい」、ということだったんだそうです。何本かってセンセ、そこんとこどうなってんすか()

 まあそれでも普通に動いてますからイイんですけど。

ただできれば正確な骨折本数を知りたかったな。George(悪いオートバイ乗りだがカバ男よりも速い)みたいな横濱のバイク仲間は、骨折だのケガだのの数を自慢し合う風習がありますからね。

大体若い頃のケガはみんな知ってる。アイツは骨折二本と脱臼一回とか、アイツは本当は折ってないのにツクバで飛んだ時のケガを骨折にカウントするから信用がおけない、とかね。どうゆう風習だっつの。

それまでの私は左の足首、左の鎖骨、右手の親指と小指、以上四本で勝負してたんすけどね。まあ明日の事考えずにバイク走らせるような連中の中で、四本ぐらいは普通です。

しかし、例えば今回左の橈骨と尺骨を折ったことで、カウントは一気に六本に躍進。ちょっと数の自慢はできるようになりました。

 

でも、まだ、トップではない。上には上がいますからね。そこなんですよ、本当は何本折れていたのか特定することが重要なのは。センセ的には、先に手を付いたんだから先ず掌の内部で骨折が起き、それでも吸収できなくて主たるエネルギーが手首を砕いたんだ、ト。

ということは、やっぱり掌の中にあるなんに使うのかよく分からないような小骨がグズグズっと砕けていたんでしょうからして、ここは最低でもプラス一本のカウント貰っときたいな、トそうカバ男は思うのです。

 

骨も付いて普通に治っちゃったから、今更その小さな骨が何個壊れたかなんて医者的にはどうでもイイのかもしれませんがね。でも、仮に一本プラスできれば、私は合計七本の骨折でトップを充分狙える位置に行けます。

さすがに七本折ったようなバカは多くないし、そうゆうのは大体終戦直後から乗っていたキャリアの長い爺さん連中なんだから、もうすぐいなくなる。そうなりゃ自動的に私がトップになるっつう計算です。

頭に王冠戴っけてふんぞり返れる日も近いですぜ。んへへへへ。

 

 ま、それでなくても退屈しのぎにブログなんか始めるキッカケにゃなったワケだし、ね。痛い思いはしたけどそれこそ怪我の功名というもんでしょうかね。

 良い経験でした。

 

 

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