春宵薫風


 
  FC2ブログ『カバ男のブログ』に当ヤフーブログ記事の大半を移動し終わりました。現在は中田商店製の、アルミ総形鋳物けん銃に関するリポートがイヤというほど並んでいます。

 こちらと同じく、あまりカテゴリーは細分化しないで骨太にやっていこうと思います。ただ銃に関する情報公開や、普通一般的な日本人には馴染みがないような事柄も、様子を見つつエントリーしてゆくつもりです。なので、ここで展開していた「銃のこと」から少し範囲を拡大して「非日常のこと」というカテゴリーを立ててみました。
 「日々のこと」「本のこと」「非日常のこと」の三本柱ぐらいがあれば、大抵事足りるでしょう。
 
 U.S.自動拳銃M1911タイプの射撃に関するリポート『ガバの実射』連作。これだけはあっちに持ち込もうかどうしようか迷っています。
 この連作は登録済の読者だけが閲覧できるエントリーでしたから、どこにもエントリーの痕跡がありません。.45ACPの実弾を発射した際に、手の中でどんな事が起きるのか。それを理解してレンジで役立てるための、詳しいリポートになります。銃自体のリポートではありません。
 実際問題、文章の大部分は人間の骨格や筋肉、姿勢制御に関するものですから。自分でも読み返してみて、つまんない。恐らく、専門誌なんかを読み耽ってガンマニアを自称しているような、オモチャいじりのお子ちゃま連中には、まるで青天霹靂な内容。
 しかも千代田あたりの背広着たお巡りさんなんかが読んだら、どこのテロリストが書いたのかと目を白黒させないともかぎりません。
 百害あって一利なし。
 止めとくか。
 
 トまあ、カバ男はなかなか当ブログから足を抜けられません。なんとなく事業を清算している管財人のようで、気持ちは陰陰滅滅。後ろ向きな作業です。
 ぼちぼち手仕舞いしたいものです。
 でもね、こっちにエントリーしてるとね、ホッとするんです。
 ・・・、クスン。
 
 
 
 

 

 

※旧ヤフーブログの告知を再掲しています。




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中田製文鎮 連作エントリーのおわりに

 
 中田商店の金属製文鎮、個々の思い出話は前回の「モーゼルミリタリー」で終了しました。最後に連作自体の簡単な解説で終わりにします。

 数えたら十二の連作エントリー、意外と少なかったなというのが正直な印象です。就中ワルサーP38とルガーP08はダブっていますので、カタログ的なモデル数では十種となります。
 これまで古い『Gun』誌などの広告から拾った文鎮けん銃のラインナップは全部で十四種。今回取り上げられなかった(つまり当時集めきれなかった)モデルは「南部式大型けん銃(パパナンブ)」、「南部式小型けん銃(ベビーナンブ)」、「S&Wサービスリボルバー」、「コルトS.A.A.」の四種ということになります。
 まったく広告されなかったモデルもないように思われます。なので、中田商店製初期文鎮のラインナップは全十四種十六モデルだったのかな、とカバ男は暫定的に考えています。
 
 今回エントリーのタイトルに各々のモデル名を挙げていますが、これは飽くまでも当ブログ固有のモデル名とお考えください。
 そもそも当時の広告で見るかぎり、同じ品でも都度「米軍コルト45」とか「アメリカ コルトガバーメント」とか多様な表示がありました。個々に定まったモデル名を付けようという気もなかったように感ぜられます。文鎮自体が応急措置、芝居でいえば場繋ぎのコントみたいな企画でしたしね。
 なので当ブログでも必要に応じて「ワルサーP381330E」とか「帝国軍用十四年式」とかと表記しておきました。
 
 メモを作った1977年(推定)当時のカバ男は、ごく簡単に「中田文鎮A群」「同B群」という分類をしていたようです。
 その基準は実銃での作動方式(オートかリボルバーか)や製造国とかではなく、文鎮自体に顕著に表れた鋳造技法の違いでした。単純に原型の正中面で左右二分割した鋳型を用いたものを「B群」、二分割鋳型プラスなんらかの技法によってより複雑な形状再現を試みていたものを「A群」と分けています。
 あれから今回のエントリーまでにLytle NoveltyCo.製のアルミ文鎮群という、中田文鎮の始祖的存在の情報が加わりました。単純な製品情報というだけでは看過すべからざる重要なファクターです。このアメリカ製文鎮をそのまま原型に用いた可能性の高いモデルを新たに「中田文鎮C群」として分類しました。
 
 これは子供時代の稚拙なメモを基に、四十年ほど昔の遠い記憶を呼び覚ましながら書き継いできたエントリーです。記憶違いも含まれているとお考えいただきたいし、逆に書かなかった部分も少なくないです。
 文鎮式の一体無作動モデルが所持規制の対象となっている現在、改めて現物を入手しなおしてブログの内容を立証するという作業は考えていません。国禁侵犯の懼れもあり、敢えて実行する意味はないと思われるからです。ですから所詮は書きっ放し、トいう批判も甘んじて受けることになるでしょう。
 それでも、書き続けている最中は楽しかったですよ。
 
YonYon HOMEPAGE主宰のmaimai氏、ならびに
『国内規制適用外』主宰Sunny210氏、
『ウエスタン・モデルガン・GUN・空手・洋画』主宰こうのすけ氏、
『懐古趣味を老眼で覗いた日』moncoのモデルガンブログ』主宰monco氏、
『MAMOSUN』主宰MAMOSUN氏の諸先輩ガンメンには、激励を含めお世話になりました。
 またナイスボタンで辛抱強く応援くださっていた淑女ブロガーの各氏、特殊な内容なので敢えてリンクはしませんが、ホントにお礼申します。

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中田製文鎮 モーゼルミリタリー

 連作を続けてきた「中田製文鎮」シリーズ、モデル別エントリーの最終回、「モーゼルミリタリー」文鎮の回想になります。

 当ブログに於ける中田製文鎮のエントリーはすべて今から四十年ほど前の記憶とメモに基づいた文書記事ですので、画像は一切ありません。また好き嫌いがありますので、モデルによって記憶に遺漏粗密があります。敢えてネット情報などで補完せず思い出すまま記述しました。
 お気付きの点やご要望などありましたら、是非コメントをお願いします。


 
 数ある中田文鎮ラインナップを見渡して、一番優れた造形と仕上がりを見せるモデルがこのモーゼルだったと思います。いわゆるC96ブルームハンドル・モーゼルをモチーフにしていました。フレームの両サイドに軽め加工を施し、タンジェントサイトを載せた、最も普及した仕様をモデルアップしています。
 大変カッコ良く、真に迫る造形。砂型鋳造やヤスリ成形、二色の塗り分け塗装、すべてに亘って出色の完成度を誇っていました。
 にもかかわらず発売時にはある程度の量が出回ったとみえ、特に探しもせず易々と三~四個は入手できました。
 
 カラー写真の文鎮総合カタログでは「中国 モーゼルミリタリー」という国籍表示が見えますが、この中国という国名はモーゼルの生産国を表しているのではありません。要するに事変当時に国民党軍や軍閥、馬賊らが使用していたモーゼル軍用拳銃、という程度の意味だったのでしょう。
 中田文鎮ではワルサーP382タイプ、加えてルガーP08にもスタンダード及びランゲラウフと、ドイツ軍としてすでに4タイプが出されていましたから、もうドイツ枠は一杯。なのでこのモーゼルは押し出されて中国枠になってしまった、トいうことだったのでしょうか。
 事変下では上海などで中国人がC96の粗雑なコピー銃を密造して抗日分子に供給していたそうですが、当然その文鎮化という意味でもありません。
 つうか、鋳物文鎮相手にその辺を色々詮索してもはじまりませんので、止めましょう。
 
 あまりに優れた出来栄えに、視覚が惑わされてしまいます。しかし、残念ながら一度持ってみるとその小ささに当惑することも、また事実だったのです。1975年当時にはすでにMGC製の可動モデルガンがありましたから、並べてみれば一目瞭然でした。惜しいです。
 ネットオークションなどで合法化処理されたこの文鎮が出品されることもあるかもしれませんが、その点は要注意ポイントですね。驚くほど小さいのが送られてきたというクレームは、多分利かないと思います。
 ということは、これもワルサーP381330E文鎮と同じくLytle文鎮を原型に流用した複々製文鎮だったのかな。Lytle文鎮を掲載していた本流の冊子式カタログでも偶然P38C96の文鎮が掲載されていましたし。今更検証なんてできませんが、一応「中田文鎮C群」にしておきます
 企んだつもりもなかったのに、本連作は最初と最後がC群になりました。
 
 単純な左右割り鋳型ですが、面といいエッジといい実にシャッキリ出来ています。各部の造形バランスも大変良く、センターもビシッと決まり、実銃C96が身に纏う無機質で冷徹なほどの精密性までも再現しているかのようでした。カバ男はこの文鎮にシビレましたねー。
 色合いはかなり艶味のある半艶消しブラックのスプレー塗装に、グリップパネルだけ赤味の乏しい茶色艶あり塗料を手塗りしています。基本的にグリップスクリューは茶色塗料を拭き取って下地ブラックを生かしてありますが、個体によっては茶色のままの場合もありました。
 リヤサイトには例によって目立てヤスリのV字照門ノッチが切られています。この部分はサイトブレードが非常に薄く、荒い扱いは厳禁でしたね。
その前方にあるタンジェントサイトのヒンジ部分、実銃では中央部分が低く削り込まれてサイトラインを通してあるのです。しかしなぜかこの文鎮では鋳っ放しのままで、構えてもフロントサイトが見えず著しく興醒めでした。遊べません。ほかのモデルでは無意味な後加工に拘っているのに、このモーゼル文鎮では必要な加工を施していないという、重大な手抜かりでした。

 結局非常な出来の良さの割に遊べる要素がなく、この文鎮はディスプレイに用いられることが多かったのかもしれません。事実、当時集まってきたC96文鎮はほとんど手擦れしていない個体ばかりでした。
 実際、あまりにもカッチリと出来過ぎており、ちょっとコレ持って馬賊ごっこなんて勿体なくて。そもそも矢鱈に触る気も起きませんでしたね。
 まあ、その代わりといってはなんですが、フロントサイトにタコ糸を絡げてぶら下げたこの文鎮を爪で弾くと、涼やかな余韻のある良い音がしました。夏の風鈴には良かったですよ。
 
 ほか、ボルトエンドの露出部分には滑り止めのモールディングあり。タンジェントサイトのスライダー右側にチェッカリング表現があり、距離ノッチもしっかりとモールド再現されていました。
 リングハンマーは小径タイプで指掛け部分にサレーション、軽め穴明け加工。ただし塗装が良すぎてほとんどの個体はペンキで塞がっていました。
グリップパネルの滑り止め溝の数、左右共12本。グリップ下部にランヤードリング装備用の穴明き突起あり。
 グリップフレーム後方にはホルスターストック用の溝切り、なし。当然。
 
 マーキング刻印などは簡素でした。
◆チャンバー部左
253
◆フレーム左下
253
◆フレーム右後方
WAFFENFABRIK MAUSER
 OBERNDORF A. NECKAR
 コンディションの極上な個体では、フレームの軽め加工部分にフライス切削痕のような、実銃C96にも特有なツーリングマークの再現モールドが見られます。
 
 今、もしこのモーゼル文鎮を持っていたら、カバ男は馬賊ごっこなんか絶対にやりませんね。
 東宝映画『狙撃』ごっこにします(悪役かっつの)。
 
 
 
 
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中田製文鎮 トカレフ

 中田商店製「トカレフ」文鎮の回想になります。
 当ブログに於ける中田製文鎮のエントリーはすべて今から四十年ほど前の記憶とメモに基づいた文書記事ですので、画像は一切ありません。また好き嫌いがありますので、モデルによって記憶に遺漏粗密があります。敢えてネット情報などで補完せず思い出すまま記述しました。
 お気付きの点やご要望などありましたら、是非コメントをお願いします。


 
 前後に較べ上下方向が極端に寸詰まっていますが、実銃のムードをよく表現したモデルと思います。
 もともとトカレフのグリップフレームは短めなので、違和感はありません。握ってしまえば迫力は文鎮ガバを越えていました。かなりありふれたモデルで、部屋に常時三四個は転がっていましたね。
 ラインナップの大半を占める「中田文鎮B群」のひとつ、単純な左右分割鋳型から出来ていますので、エジェクションポートなども実銃とは違ってただ凹んでいるような造形でした。
 
 全体はトカレフTT33をモチーフに作られていて、マガジンのボトムプレートにはカタログ写真通り半円形のランヤードリングも表現されていました。ただしリングはスチール製の別部品などではなく本体と一緒の鋳造なので、強度がなく、当たり前ながらほとんどの個体で失われていました。
 そう考えると、ガバメント文鎮のグリップ底部に本来あったランヤードリングが製造段階で削り取られていたのは、賢明な判断だったのかもしれません。
 リヤサイトは目立てヤスリで切ったVノッチ照門こそ他のモデルと変わらないものの、実銃とは逆のR形状で造形してありました。拙い表現になりますが、後ろから見たときの輪郭が「M」のようになっていまして、ちょっと滑稽な印象です。
 TT33だけの特徴あるスライド滑り止めは左右共に7組(細と太の二本で一組)、左右グリップパネルの中央には丸囲いの中に共産党の星マークが造形されています。
 グリップ左側下部にもランヤードリングの造形表現がありました。ここはマガジン底部に較べると安全で、かつ環状に造形していないため強度もあり、無事な個体がほとんどでした。
 ハンマーの露出部には滑り止めスプライン状の溝あり。マガジンキャッチボタンの頭は平滑、フレーム右側にはスライドストップピンの固定用クリップが造形表現されていました。
 どの個体にもエジェクションポートの下に筋状の凹みがあり、形も同じでした。原型モデルに傷があったのだろうと思っています。
 トリガーガード及びトリガー部分だけがやけに大きく、全体のバランスを崩していました。
 
 表面の塗装は例の如くツートンカラーで、省力型のブラック一色というのは見た記憶がありません。グリップパネルの茶色はルガーP08文鎮と同じ黄味がかったコヨーテ色で、星マークなどもそのまま塗りつぶしてありました。
 六人部氏はモデルガンの原型を作る際にシリアルナンバーを執拗に刻印するのと、本来プラスチック製グリップパネルが正規仕様であろうが、お構いなしに木グリを装備させることが多かったです。なので文鎮も初期ロットの良品はそれ風に、手間をかけて黒と茶で塗り分けたのだと思っています。
 しかしこのトカレフ文鎮の場合は共産主義ソ連の悪役けん銃なワケですから、カバ男的には真っ黒のツヤツヤ塗装オンリーでやってほしかった。
 
 トカレフ文鎮は全体になぜか実銃以上の厚みがあり、グリップパネルも実銃より相当厚手にムックリと造形されていました。そのため持ち重りがし、握り心地も手応えがあり、妙に迫力がありました。実銃のトカレフはガバに較べればかなり薄く華奢な外見のはずだと思うのですが。
 もともとカバ男はガバが好きなのに文鎮ガバは薄く小さく貧相だったため、手近に置いて常時握って遊んでいたのは、ルガーP08とこのトカレフでした。
 当時でもガバ文鎮は稀少な部類で、実銃としてはマイナーなトカレフの文鎮が沢山残存していたのは、もしかしたら同じように感じてこちらを選んだマニアが多かったのかもしれません。黒く・大きく・重く、が当時でも金属モデルガンの必須三要素だったでしょうから。
 中田商店複製のG.I.ホルスターにガバ文鎮を挿しても、スッカスカで情けなかったですからね。
 
◆フレーム左側面マーキング
203711 ☆1937
◆左右グリップ上☆マークの周囲
CCCP
マーキングの表現は以上三箇所だけです。リヤサイトの合いマークや小さな検印以外、実銃のトカレフTT33にもこの程度しか刻印はないようです。
 
 同じ文鎮シリーズで中田商店は、戦後派のベレッタ1951MAS1950も出していたワケです。
 それならば、ムックリしたラップアラウンドグリップとサムセーフティを装備した戦後派の「トカジプト」も出しといてくれたら良かったのにな、と今でも思っています。
 個人的にはトカジプトの方が好き。
 
 
 
 
 
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中田製文鎮 ルガーP08 ランゲラウフ

 中田商店製「ルガーP08ランゲラウフ」文鎮の回想になります。
 当ブログに於ける中田製文鎮のエントリーはすべて今から四十年ほど前の記憶とメモに基づいた文書記事ですので、画像は一切ありません。また好き嫌いがありますので、モデルによって記憶に遺漏粗密があります。敢えてネット情報などで補完せず思い出すまま記述しました。
 お気付きの点やご要望などありましたら、是非コメントをお願いします。


 
 今思えばこのモデル、超が付くほどの極稀少モデルだったんですね。
 友人の従妹の親父の甥とかいう知らないヤツから流れ流れてカバ男の下に辿り着いたこのモデル、正真正銘中田商店製のルガーP08ランゲラウフ文鎮でした。
 とはいえ、その当時はカバ男もすでに半分以上モデルガン趣味から足を抜いておりました。中田文鎮自体も同好の仲間で興味を示す者は一人もおらず、当然知見のあるヤツなんかいませんでした。で、あちこちでなんだコレ的な邪魔物扱いの虐待を受けた末に、窮鳥懐に入らばなんとやらカバ男の庇護下に入ってきたワケです。
 当時カバ男の部屋には、中田六研をはじめ得体の知れないメーカーもんまで含めて玉石混交、足の踏み場もないほど文鎮が転がっていました。だから、却ってどのモデルが珍しいとか、稀少性を鑑識するような着眼点はありませんでしたね。
 へえ~こんな変なのまで作ってたんだ程度の認識でしかなかったのです。言い訳する気は一切ありませんがね。そして、それ以上を補完するための情報なんかどこにも存在しなかった。
 あれから幾星霜、同じランゲラウフ文鎮はただの一度も見かけません。そんなモノがあったと憶えている当時のモデルガン友達もいません。
 誰の記憶にも残っていないのです。
 そしてランゲは幻になりました。
 
 一般的に知られているルガーP084インチバレル版とは全く鋳型が異なっており、当時開発が進められていた可動モデルガン版のP08と原型を共有しているという、実に興味の尽きないモデルです。今思えばですけど。
 つまり、この文鎮モデルを観察することは、少なくとも外形に関して可動モデルガンP08のマスターモデルを仔細に観察することそのものなのです。
 中田商店の文鎮、広告の上では4インチ版に先立ってこのランゲが登場しています。ただトリガー周辺の様子からして、その広告写真は一点製作された、可動モデルガンの検討用マスターモデル。文鎮そのものではありません。
 つまり可動と無可動が、現物でも広告でも分かち難く錯綜する瞬間があったワケです。
 
 全体の寸度はスタンダード(4インチ)版に較べて若干小さいかなという感じでしたが、ロングバレルなのでそれほど違和感はなかったです。グリップもやや厚みがあり、握った感じは4インチ版よりは銃っぽかったかな。
 塗装状態はほかのモデル同様、艶消しブラックの塗り潰しに対して赤みがかった茶色のグリップ塗り分け。持っていたのは意外とぞんざいに塗られていましたので、1965年当時ある程度の数は作られていたのか、とも推察できました。
 フロントサイトはサイトベースが高いランゲ特有の形状を良く再現していて、基準ウインデージ微調整のためのスクリューがサイトベースの左右にしっかりモールド表現されていました。リヤ・タンジェントサイトも基準エレベーション調整用のスクリューらしき部分まで造形、素晴らしい形状表現でした。
 そしてサイトスライダー左のプッシュボタン頭にはチェッカリングの表現もありました。ワルサーP38174e文鎮同様、二種のルガー文鎮も相当に良い立体資料が存在していたのでしょう。そして1965年という時代、その資料は実銃だった可能性が相当高い、ト現在のカバ男は考えています。
 ただ、違和感がないとはいえ、サイトブレードやマガジンキャッチといった小部品のモールドはいかにも小さく、推して全体もそれなりに小さいのだと感じざるを得ませんでした。そこがちょっと寂しかった。
 その他の表現はおおむねP084インチ版と同様です。リヤトグルリンクのツマミにはU字形の削り込みも存在し、かつ本来リヤサイトがあるべき部分はツルッペタン。このU字溝加工によってサイトラインが通り、ちゃんと構えて狙いを付けられます。遊べます。
 ちょっと面白いなと思ったのは、サムセーフティが安⇔火のどっちつかず中途半端な位置に造形されている点でした。文鎮として初期の広告に現れていた可動モデルガン原型流用の写真、同じようにセーフティ中立。近似の状態です。
 
 この文鎮モデルの特異な部分は、やはりトリガーガード周辺の造形でした。
 すでに可動版モデルガンはスライドアクションの採用が決まっていた時期だったのでしょう。検討用原型モックアップも、前後のトリガー遊動代を取るために本来なら真円に近いトリガーガードの内側は長穴にアレンジされており、不恰好です。
 しかし当時の広告や製品版中田ルガーP08モデルガンの形状は、当然この長穴トリガーガードとなっており、ランゲラウフ文鎮もまったく同形状。まさに原型モデル共有の動かぬ証拠でした。
 そもそも無作動文鎮の原型を新しく作るのであれば、モデルガン的な作動を考慮した形状にアレンジする必要性はまったくなかったワケですし。
 よく中田文鎮は「展示用無作動ガンをそのまま原型にして作った」なんて言われますが、このP08ランゲラウフ文鎮こそその事実を明らかに証明できるほとんど唯一の物体だったと思います。
 
 そのほかグリップフレームの下端にある特徴的なストック用の固定ラグはやや小振りながら良い造形で、ロッキングボルトの嵌まる切欠きも後切削で再現されていました。
 どうせならストックも鋳物で作り、カービンタイプにして遊べるようにしてほしかったものです。冬は最初の頬付けが冷たいでしょうけど、一度体温を与えてしまえばアルミは温かいですから。
 
 マーキングそのほか
◆チャンバー左側面
5427
◆バレルロッキングボルト
27
◆サイドパネル
27
◆フレーム左側面
P08
その他に刻印類のモールド表現は記録にありません。
 フレーム左にある刻印はP08の間にカンマが認められませんでした。ただし塗装も厚塗りだったし、もしかしたら埋まってしまうほどの浅いモールドがあったかもしれません。
 
 せめて写真の一枚でも残してあれば、もう少し具体的な文書が書けたのですが。慚愧の至りです。
 イベント会場なんかで現物を見せびらかせないのもまた、残念無念(笑)。
 
 
  
 
 
 
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中田製文鎮 ブローニング ハイパワー

 中田商店製「ブローニングハイパワー」文鎮の回想になります。
 当ブログに於ける中田製文鎮のエントリーはすべて今から四十年ほど前の記憶とメモに基づいた文書記事ですので、画像は一切ありません。また好き嫌いがありますので、モデルによって記憶に遺漏粗密があります。敢えてネット情報などで補完せず思い出すまま記述しました。
 お気付きの点やご要望などありましたら、是非コメントをお願いします。


 
 文鎮ハイパワー。とても小さかったです。
 すでに中田商店のハイパワー可動式モデルガンが存在している時代に、遡ってそれ以前の文鎮モデルを玩弄している情況でした。モデルガンとはいえ複列弾倉装備「ハイ・パワー」本来の握り心地を知ってしまったうえでこの小さな文鎮を握った時、ペテンにかけられたようでムカつきましたね正直。
 でも今、中田文鎮時代に想いを馳せると、どこか切ない気がします。1965年モデルガン創生期、本当に何も資料のない時代、開拓の苦労があったのでしょう。
 この文鎮、握った感じはCMCラーマ380オートと同じくらいだったかな。縦横共に寸詰まりで、というか全体が縮んでしまったミニチュア的な印象でしたね。実銃では特徴的なゴロッとしたグリップも、ちょっと太いなぐらいの感じでした。
 
 ブローニングハイパワーはLytle文鎮にラインナップがないので、同じ文鎮のワルサーP381330Eタイプとは違ってその小ささの根拠を推定できるものがありません。強いて言うなら、原型製作者の六人部氏が実銃の寸度を知らずに写真だけで作った可能性ぐらいでしょう。
 神様にも駆け出しの時代があったのですから。
 そもそも中田文鎮の原型というのは、カタログや店頭を飾る目的で作られた無作動のモックアップだったといわれています。そうした用途の物ならば実寸である必要はなく、多少小さかろうが問題は生じません。
 しかしそれをそのまま市販用アルミ文鎮の原型にしてしまったとしたら乱暴なことでした。
 
 実銃は早い内からカナダでライセンス生産されたこともあり、細かな仕様外見の違いがたくさんあるので、鑑識は難しいそうです。
 当文鎮の全体的なデザインは、ベルギーFN社製造のオリジナル版を表現しているのかな。フロントサイトがハーフムーン、リヤサイトもガバメントと同じシンプルなダム形、照門ノッチは目立てヤスリで切ったVノッチでした。
 グリップボトムにランヤードリングの造形がありません。M1935ハイパワーにランヤードリングのないモデルがあるのかは知りませんが、もし実銃に存在していたのなら、それはコマーシャルモデルだったかと思います。
 スライドサレーション左15本、右14本。全体に半艶消しブラックのスプレー塗装に、グリップパネルだけ赤味のあるチョコレート色で重ね塗りしています。グリップパネルも、四辺を枠状に残して内側の平面のみチェッカリングしたタイプをモールド表現していました。
 ハンマーは穴明け加工、指掛け部分に滑り止めサレーションの表現あり。フレームのバックストラップ部分にはホルスターストック用の固定溝なし。
 
 この文鎮もMAS1950同様にトリガーガードが薄く、脆そうでした。
 中田文鎮は元々パーテーションラインを粗目の金属ヤスリでガリガリと削ってフォルムを成形しますので、カバ男は偶然たくさん削られた個体を手にしていたのかもしれません。状態の悪い個体が一個だけでしたから、それ以上は分かりません。
 カバ男が当時控えたメモには、ペンキの剥げた部分から見える地肌が明るいシルバーで、良質のアルミを用いていると察せられる、とありました。
 
 刻印モールドを読んだ記録です。
◆スライド左側面
FABRIQUE NATIONALE D’ARMES DE GUERRE
 HERSTAL BELGIQUE
 BROWNINGS PA(以降スライドストップ造形に隠れる) DEPOSE
◆スライド右側面
BROWNING ARMS CO  NO 2105531
◆フレーム右側面
NO 2105531
スライド/フレームでシリアルナンバーは合致しています(笑)。
 メモによると、ほかに刻印類はありません。また当時のカバ男は、鋳物表面の状態が悪く刻印の判読には苦労したらしかったです。
 
 今同じように刻印を判読しようとしたら、きっと老眼で苦労するでしょう。
 
 
 
  
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中田製文鎮 コルト・ガバーンメント

 中田商店製「コルト・ガバーンメント」文鎮の回想になります。
 当ブログに於ける中田製文鎮のエントリーはすべて今から四十年ほど前の記憶とメモに基づいた文書記事ですので、画像は一切ありません。また好き嫌いがありますので、モデルによって記憶に遺漏粗密があります。敢えてネット情報などで補完せず思い出すまま記述しました。
 お気付きの点やご要望などありましたら、是非コメントをお願いします。


 
 たしかガバは一個しか持っていなかったので、これから書く特徴が現存するすべての中田ガバ文鎮に共通すると断言することはできません。
 幾つかあった、主に表面塗装のバリエーションの内のひとつ、と考えながらお読みください。
 
 カバ男が持っていたのは早い時期のロットと思われて、再塗装などのないオリジナル状態でした。全体的にはコルトM1911の特徴をよく掴んだ造形で、まだCMCからモデルガンが売り出される前の代物と考えれば、それなりに説得力のある外観ではあったと思います。
 スライド方向の長さはかなり実銃に近かったと思います。対してグリップはやや短く、握った感じはちょっと窮屈でした。
 実銃のガバメントに較べると総じて薄く小さくひ弱なフォルムで、今振り返るにアストラやスターといった9mm口径のコピー銃により近い寸度だったと思います。
 半艶消しブラック塗装。全体をスプレーガンで塗りつぶし、その上からグリップパネル部分を暗い黄土色に塗り分け、すぐスクリュー部分だけ簡単に拭き取って下地のブラックを出してあったような風合いでした。芸が細かいです。
 この暗い黄土色塗料は、ちょうどP38174e文鎮では中期ぐらい、生産に追われて元々鮮やかだった赤茶色塗料が段々と濁ってきたあたりの色合いにソックリでした。
 もしかしたら文鎮ガバメントのグリップ部分、最初期のロットではもっと色目のはっきりしたコヨーテ色もしくはチョコレート色だったのかもしれません。だとするとカバ男が持っていたのも、ある程度生産が続いた頃のロットだったのかな。
 グリップパネルは中央に大きなサークルランパントコルトの表現があり、かつ前後にチェッカリングのない細い帯状の部分があるという、どちらかといえば戦後のコマーシャルタイプ的な造形でした。
 スライドのサレーションは左右共に18本。スライドストップの指かけはチェッカーではなくこれもサレーションで、サムセーフティは指かけ部分の短いミリタリータイプだがチェッカリングなし、です。
 マガジンキャッチの頭はチェッカリングの表現。なんとなく軍用なのか民需品なのか分からないような混然としたモールド表現でした。
 
 フロントサイトはハーフムーン、リヤサイトは特徴なしで、恐らく目立てヤスリを使ってV字にノッチが切ってありました。
 ハンマーはナロウスパーで、実銃では極初期のエクスペリメンタルモデルなどに装備されていたような、反りのないストレートスパーになっていたのが特徴的です。指掛けにはチェッカリング風な細かい突起の表現がありました。
 グリップセーフティはA1タイプのロングテールなのですが、妙に先端が尖っていました。のちのガバメント可動モデルガンはCMC版もMGC版も何故かこの部分が尖っていて、一体何を元に図面を引いたのかと思います。
 メインスプリングハウジングの後面にはチェッカリングの表現がありました。
 広告写真ではこのハウジング底面にミリタリータイプの象徴であるランヤードリングの造形が認められるのですが、カバ男の持っていた文鎮では製造時に思い切りよくヤスリで真っ平らに削られていましたね。なので本当にオリジナル状態なのかどうか、かなり悩んだものです。
 またそのせいでマガジンのボトムパネルも極端に薄く削られており、いつ折れるかと神経を使った記憶があります。
 フレームはフィンガーリリーフの窪みがない1911タイプで、トリガーも前面チェッカー入りながら、ロングトリガーです。この部分の造形によって中田ガバ文鎮はモデル的に考えてもM1911M1911A1の混成的なスタイルになってしまいました。
 1965年当時原型を作っていた六人部氏の、鑑識レベルの限界だったのでしょうか。のちの六研真鍮ガバメントでも、同じように1911フレームと1911A1パーツの混成をしていますので、存外六人部氏はこういうのがお好きだったのかもしれません。
 中田ガバ文鎮には恐らく、生産情況に応じてグリップパネルを塗り分けない、ブラック一色のバージョンもあったのだろうと思っています。
 また広告写真の通りメインスプリングハウジング底面のランヤードリングが削られていないタイプも、あった可能性は高いです。
 
 当時どうしても理解できなかった点にエジェクションポートとチャンバーの造形がありました。円柱状のチャンバー部分が深く奥(下)の方まで造形表現されており、左右分割の原型では絶対に鋳造不可能な造形なのです。
 中田文鎮では近似のエジェクションポートを持った「トカレフ」「フレンチMAS1950」などのモデルもありますが、そちらはごく常識的な左右分割モールドなので、なぜガバにだけ敢えてこんな面倒なモールドを使ったのか理解できません。またどういった鋳造手法だったのかも、今もって不明です。
 しかし、当時このガバ文鎮の完成発送が遅れたことも事実らしく、その原因の奈辺にあるかを推察できる縁にはなりました。
 ほかにも数種、単純な左右分割モールドでは表現できない造形のモデルが存在したことは、前回までにご紹介しました。当時のメモによるとカバ男はこれらを「中田文鎮A群」と分類していました。青い表現ですよね。
 現物があればダイキャストメーカーなどで検証できるのでしょうが、今更それを言うのは野暮。
 
 マーキング等の表現に関して記して終わります。
◆スライド左側面
COLT GOVERNMENT MODEL
 AUTOMATIC PISTOL CAL.45
◆スライド右側面
M1911A1 US ARMY NO11507218
合衆国国有資産ほかのマーキングはなかったです。
 
 もし、当時このガバ文鎮の二個目を入手できていたら、カバ男は早速にヤスリでグリップセーフティとメインスプリングハウジングを削り落としていたでしょう。その二箇所を修正してしまえば、中田ガバ文鎮は簡単にM1911タイプになるからです。
 リヤサイトも小型に削ってしまえば、極初期型にも変えられます。
 
 
  
 
 
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中田製文鎮 .455ウエブリー&スコット MKⅠ

 中田商店製「ウエブリー&スコット」文鎮の回想になります。
 当ブログに於ける中田製文鎮のエントリーはすべて今から四十年ほど前の記憶とメモに基づいた文書記事ですので、画像は一切ありません。また好き嫌いがありますので、モデルによって記憶に遺漏粗密があります。敢えてネット情報などで補完せず思い出すまま記述しました。
 お気付きの点やご要望などありましたら、是非コメントをお願いします。


 
 意外かもしれませんが、中田商店と六人部氏は、ウエブリー&スコットの文鎮を過去に二度製作しています。
 最初はこれから記述する大型けん銃、二度目は1990年代半ばに販売した(帝国軍将校が私費購入した)小型けん銃シリーズの文鎮でした。
 ディテイルや仕上がりの精度はいうまでもなく後者の方が優れていたけれど、武器の持つ野蛮さや無慈悲さのような雰囲気は、雑で荒っぽい作りだった初代文鎮の方が存分に漂わせていたように思えます。

 このウエブリー文鎮、元になった実銃ウエブリー&スコットM1912MkⅠは1912年のイギリス軍制式けん銃です。.455ウエブリー・オートというセミリムドケースの弾薬を使用していて、実質.45口径ながら、識別などのための呼び口径ではガバメントや米軍M1917リボルバーを凌ぐ大径モデルになります。
 この口径のけん銃はのちの時代に生まれた金属製可動モデルガンとしては全メーカーを通じて一度もモデルアップされず、プラモデル時代になりようやく製品化されました。
 とはいえ実質は.45口径ですから、製品化とはいえ在りもののガバや各リボルバーを流用した、ほとんど刻印バリエーション程度の内容。実銃ではセミリムド弾薬用のヘッドスペースや細かな寸法変更が問題視されますが、モデルガンの場合は所詮オモチャですから、大した改修もしていないでしょう。
 つまり、.455口径専用の大型けん銃としてわが国で具象化されたモデルは、後にも先にもこのウエブリー&スコットM1912MkⅠ文鎮しか存在しない。トいうことをカバ男はここで確認しておきたいです。
 このウエブリー文鎮は、そういう意味で製造後半世紀以上を経た現在でも、非常にユニークな存在であり続けています。
 
 実銃同様に直線と直角を基本とした機関部と、円柱状のバレル。アングロサクソン族特有の鈍感ながらも繊細なデザインをそのまま再現しています。
 塗色は、早いロットが半艶消しブラックと濁ったチョコレートブラウンのツートン、遅い方はブラックのみでした。ツートン版の場合、左グリップパネルにあるスライドストップボタンや両グリップスクリューは塗り潰されていません。なんらかの材料でマスキング処理されていた様子です。
 まったく無骨そのものの造形ながら、実はフロント・リヤサイト、トリガーガードなど極端に薄く鋳込まれているために脆いです。原型製作の六人部氏はアルミという素材に関して全く配慮していません。
 文鎮を蒐集しはじめた当初に入手したウエブリー&スコットはコンディション抜群の黒塗装版でしたが、机の角に軽く触れた程度で簡単にリヤサイトが折れてしまったという苦い経験があります。
 
 ウエブリー&スコットというけん銃自体わが国では知名度が極端に低く、かつ可動式モデルガンにもならず、多くのマニアにとっては今もってミステリアスな存在といえるでしょう。私も作動原理以外の細部は正直よく分からない。
 けれど、フォルムはかなり忠実に実銃をトレースしており、MAS1950文鎮のように不明な部分を適当に誤魔化すようなマニアを舐めた仕事はしていません。
 単純な左右分割では表現できない形状のある、「中田文鎮A群」です。しかもその部分は例によってエジェクションポートとエキストラクター。ガバや十四年式なら分からないでもないのですが、なぜ人気も知名度もゼロに等しいこのウエブリー文鎮にこんな手間な工法を採ったのか。理解に苦しみます。
 
 例によってメモによると、リヤサイトはVノッチ、スライド滑り止めサレーション状の細溝は左右共13本。穴あきリングハンマーに滑り止め溝あるも塗料で穴が塞がれているもの多し。グリップフレーム下部にランヤードリング装備用の突起あり。トいったところでしょうか。
 
 刻印など
◆スライド左側面
WEBLEY SCOTT LTD
 PISTOL SELF-LOADING .455MARK1
◆フレーム左側面
1941
ほかにプルーフマークなどの文字刻印は記録されていません。

 イギリスのオリジナル兵器に特有の、露出した内部部品の一部やネジの頭などスチームパンク風のデザインが、丹念に造形再現されていました。
 私見ですが、このごつごつと無骨一点張りなウエブリー文鎮が初期の中田商店製文鎮の中で最も古拙の趣深く、産業革命時代の骨董品的な重い風格を湛えているようで、大変好もしかったです。
 
 
 
 
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中田製文鎮 帝国軍用十四年式

 中田商店製「南部14年式」文鎮の回想になります。
 当ブログに於ける中田製文鎮のエントリーはすべて今から四十年ほど前の記憶とメモに基づいた文書記事ですので、画像は一切ありません。また好き嫌いがありますので、モデルによって記憶に遺漏粗密があります。敢えてネット情報などで補完せず思い出すまま記述しました。
 お気付きの点やご要望などありましたら、是非コメントをお願いします。


 
 文鎮発売当時の中田商店では、帝国軍用十四年式けん銃のことを広告で執拗に「南部14年式」と表示していました。
 帝国陸軍の制式けん銃にこの表記は絶対あり得ないわけで、それは中田氏も六人部氏も分かりきっていたはずです。大東亜戦争の実体験者ですから。
 なのに敢えての「14年式」。ちょっと理解に苦しみます。
 バカっぽい表示ですし根拠が判りませんから、当エントリーでは採りません。
 
 手許にこの南部十四年式文鎮があった当時、今に較べたら遥かに情報が乏しい時代でした。もし当時今ほどの知見がカバ男にあったなら、まずこの文鎮はオリジナルの原型だったか、或いは「南部14年式文鎮」が原型になったのかを追究していたと思います。
 文鎮の原型に文鎮を使うって、ああまたLytle文鎮のことだろう、ですか。 
 違います。Lytle文鎮には南部式大型けん銃(パパナンブ)はありますが、十四年式はラインナップされてません。
 実はこのアルミ文鎮に先立つことおよそ二年、1963年頃に中田商店は初期型南部十四年式の文鎮のような物体を、ごく短い期間販売していたのでした。Gun誌には「火薬の臭いが嫌い」で無作動にしたなどと苦しい言い訳を展開していたこの文鎮、要するにマガジンの抜き挿しぐらいしかできない出来損ないの中途半端な半モデルガン・半文鎮
 1965年鋳物文鎮シリーズは手近の在りものを原型にラインナップの数で勝負をかけた泥縄企画だったので、現在の知見から振り返れば、この半文鎮をそのまま原型に利用するぐらいは平気だったのかとも思えました。
 今ここで回想する中田十四年式文鎮には幾つか記憶に残る特徴があったのですが、中でトリガーピンの位置が妙に前寄りにモールド造形されていたという点があります。実銃ではあり得ない位置にありました。
 ネット上に残る1963年の半文鎮画像にそれはありません。また全体に華奢でカバ男の記憶にある鋳物文鎮とは相当に隔たったフォルムです。これが二年後にアルミ文鎮の原型になった可能性は、かなり低いと今では思っています。
 
 「中田文鎮A群」すなわち、左右単純分割の鋳型では決して表現できない造形部分を持った文鎮のひとつでした。その部位は、同じA群のガバと同じくエジェクションポートになります。
 実銃の場合、南部十四年式けん銃は左右の中心にエジェクションポートを持っています。文鎮ではこのエジェクションポートから覗くボルト、エキストラクターを共に段下がりの造形としているため、左右に引き割る鋳型では不可能な凹状断面の造形が見られたのです。
 この部分だけ別の型を併用したような、鋳物として見るかぎりちょっと工法が推し量れない違和感に溢れた造形でした。
 
 以下、メモを基に記述してゆきます。
 全体は略実銃大でトリガーガードの小さい初期型、コッキングピースも三段のラジエーターフィン型です。グリップフレームやバレルが細身で軍用けん銃の凄味はありません。
 フレーム後端にはランヤードリングの造形あり。ただし穴は明いていない単なる突起ですから、ランヤードは通せません。その代わり頑丈なので、折れる気遣いはなかったです。
 カバ男は僅かに一個持っていただけですから、すべての十四年式文鎮が同じとは断言できませんが、バレルがちょっと右を向いていました。全体スッキリした良い造形なので、この点は大変惜しかったです。
 例によってまず艶のある半艶消しブラックで全体を塗り潰し、その上から赤茶色の艶あり塗料でグリップパネルを手塗りしています。グリップパネルはフレームとの境にモールドがないため、巧みにフリーハンドで塗り分けてありました。
 左右のマガジンキャッチボタンは他のモデルと異なり、グリップパネルを塗った塗料のそのまた上からブラックを手塗りしていました。ルーペで見ると下から黒→赤茶→黒の三層になっているのがよく分かりました。
 実銃ではアルミ地肌のマガジンボトム、この文鎮はアルミ素材なのでそのまま塗らずに置けば良いのですが、驚いたことにこの部分はわざわざシルバーの塗料を上塗りしていました。メモではここもルーペで色の層を数えています。
 つまりこの十四年式文鎮には、半艶消しブラック、艶赤茶、艶シルバーの三色使いがされていたワケです。塗り分けは巧みで、色の混じりは見受けられなかったような記憶もあるのですが。
 簡易なマスキングテープが入手できなかったか、そういう資材は高価で手塗りの方が安上がりだったのか、とも考えられました。
 ここに1965年という時代性を読むことができるかもしれません。
 
 リヤサイトの照門ノッチは目立てヤスリのV型、前庭部分にワルサーP38文鎮同様な後加工がされています。グリップパネルの滑り止め溝は左22本右24本。マガジンボトムのツマミにある溝は左右共に9本でした。
 形状表現から追うかぎり、実際の南部十四年式けん銃では存在し得ません。
 
 奇妙な後加工がありました。この文鎮の左右側面にはフレームとトリガーガードの部品分割線がモールド表現されており、このモールド線同士を繋ぐようにフレーム前側にわざわざ分割線をヤスリで彫ってあったのです。
 こうすることによって前から見たときのリアリティがちょっぴり向上するのかとも思いますが、文鎮自体がダルダルな外形なのですからして、そんな筋一本どうでもよろしい。手間の割にやる意味を感じにくい変な加工でした。
 こうした後加工はメモにある初期中田文鎮のラインナップ中、十四年式文鎮にしか見受けられません。結局当時のカバ男は南部式大型けん銃が入手できずじまいでしたから、もし現物を見られれば、そちらの方にも同様な後加工があったかもしれませんが。
 カバ男の持っていた十四年式文鎮は非常に丁寧な仕上がりの、良いコンディションのものでした。おそらく極初期のロットかと思われます。したがって、後期ロットでもこのヤスリ加工がされていたかどうかは分かりません。
 
 刻印その他のモールド表現は次の通り。
◆レシーバーフレーム左側面
「(半円状)→ 安   十四年式」
◆レシーバーフレーム右側面
「昭15.3
※左側面の半円状→左側には「火」字がセーフティレバーに隠された造形表現あり。製造所記号やシリアルナンバーの表現なし。
 
 塗料の剥離した隙間(いわゆるゲーハー・ポイント)から覗く地金の色は暗く、ルガーP08文鎮の材質に近い印象でした。
 五個ほど持っていた同じルガーP08文鎮にしても、アルミらしい明るい銀色地肌のものもあったので、金属素材の質はロット毎に不安定だったのかもしれません。
 
 
 
 
 
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中田製文鎮 フレンチMAS1950

 中田商店製「MAS1950」文鎮の回想になります。
 当ブログに於ける中田製文鎮のエントリーはすべて今から四十年ほど前の記憶とメモに基づいた文書記事ですので、画像は一切ありません。また好き嫌いがありますので、モデルによって記憶に遺漏粗密があります。敢えてネット情報などで補完せず思い出すまま記述しました。
 お気付きの点やご要望などありましたら、是非コメントをお願いします。

 
 
 そもそもフランスにこのような軍用けん銃が存在していること自体、1965年当時のわが国ガンマニアの大半は、知らなかっただろうと思います。
 ベレッタM1951ブリガディアの文鎮と同じく、実銃は第二次世界大戦後に開発されました。中田初期文鎮シリーズの中ではこの二点が戦後モデル、一点コルトSAAが西部開拓時代の銃として広告に謳った時代を外しています。
 またベレッタ1951MAS1950共に構造のシンプルな大型けん銃で戦後新世代にもかかわらず、その後可動モデルガン化されることなく今に至っているのも不思議な因縁を感じます。
 このMAS文鎮ずっと実売を疑っていたところ、暴走族の友人がガソリン欲しさに手放したガラクタ数個の内に混ざっており、初めて市販を確認できました。それほど珍しいモデルでした。
 しかし形は適当、造形もいい加減、それでいて金型かと思うほど面の平滑度が良く出ており、実銃同様とても不可解な成り立ちでした。
 
 このモデルも縦横は充分に寸法があり、グリップも文鎮ガバと違い握って指が窮屈ということはなかったです。
 特徴的な一段上がりのリヤサイトには照門ノッチが切られておらず、しかもリングハンマーの上辺がそれよりも高いため、狙いをつけられず興醒めです。実銃もそんな感じですけどね。
 スライドサレーションは左右共15本。スライド右側にエキストラクターの表現、及びサムセーフティの「シャフト端面」だけ左右にモールド表現がありました。
 実銃では左側に小さなセーフティレバーが存在するのに、この文鎮は何故かシャフトのみの造形です。
 リングハンマーはドリルによる穴明け加工、滑り止め溝あり。マガジンキャッチのボタンは同心円状の溝になっており、かつ周辺のフレーム形状も含めて「MAS」ではなく「MAC」バージョンの造形になっています。
 実銃に特徴的なディスコネクター&マガジンセーフティ&トリガーバースプリングの共用ピボットが造形されておらず、曖昧にグリップパネルで覆ったような形状。トリガーガードが極端に薄く削られており、簡単に折れそうで遊ぶ気が起きませんでした。
 全体に半艶消しブラックのスプレー塗装、グリップ部分はチョコレートのような濃い茶色でグリップスクリューまで上塗りされています。このツートンカラーがブルー仕上げと木製グリップを表現しているとしたら、なるほどMAS1950的ではあります。
 実銃のMASオリジナルは金属部分がハイポリッシュのブルー仕上げ、溝付き木製グリップ装備。MACバージョンは金属部分をグレーのパーカライジング、グリップパネルはブラックの波型エボナイトという取り合わせでした。

 このグリップパネルの造形表現がまたいい加減で、何を根拠にこうなったのかと思いました。
 文鎮ではモールドを含めてワルサーP38のようなラップアラウンドタイプの表現になっているのに対し、実銃は単純な左右別個のグリップパネルです。実銃を後ろから眺めると、メインフレームのバックストラップは上から下まで露出しています。
 実銃の場合、メインフレームのバックストラップ部分はロックメカニズムごと簡単に脱着できるようアセンブリー構造の設計がされているため、ラップアラウンドにしようがないのです。
 六人部氏は側面写真だけで原型製作していたので、そんなこと思いも寄らなかったんでしょう。
 
 当時の六人部氏にはこの銃に関する理解がほとんどなかったと思われます。
 そもそもM.L.e1950ピストルにMAS(サン・テチエンヌ工廠製オリジナル)とMAC(シャテルロー工場製増産版)のバージョン違い及び細部の異同があるという認識はなく、尚且つ左右一枚ずつ程度の不鮮明な写真以外に資料もなかったのでしょう。
 市販を急ぐ情況ではそのうえの資料探求に時間も割けず、見切り発車的に製品化したのかもしれません。
 造形されていない実銃の部分は、装填インジケーター、サムセーフティレバー、共用ピボット、グリップ下部のランヤードピンです。
 
 以下刻印モールドを列記します。
◆スライド左側面
MAS NO 1933057
◆スライド右側面
TYPE S1 MAS 1950
 CAL 9MM
◆フレーム右側面前方
NO 1933075
ほかにマーキングはありません。

 よく注意してほしいのですが、フレームとスライドはナンバーミスマッチです。面白い現象ながら、マーキングは一体鋳物の鋳込みモールドなので、スライドとフレームの組み合わせ違いということはあり得ません。
 そうすると、六人部氏はもしかして「MASスライドにMACフレームの混成バージョン」という見立てで、人知れず孤独なジョークを発していたのでしょうか。
「キミこういう細かい部分に注意を払ってこそマニアですよ」
なんて例の曖昧な笑顔で言われそうですね。
 
 あまりにも出鱈目なフレンチMAS1950文鎮のインパクトが強く、後年ずいぶんこの銃を詳しく調べることになりました。かなり判ったと思います。
 しかしオフ会などで言葉を交わす国内ガンマニアは、モデルガン製品化していない銃について興味のない方が多く、カバ男の薀蓄は空振り続きです。
 
 
 
 
 
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