捨てられなかった男の言い訳

 
 特に深い理由もなく、多分サドルレザーの古いベルトかなんかを探すつもりでクローゼットの棚をかき回してた時でした。奥の方でなにやら冷たくて重い物が手にかかったんです。
 ん?
 ちょっとその物体を手探りしてみました。心当たりもないけど、なんとなくその大きさやすべすべザラザラしたとこが、妙に懐かしいような手触りでもあります。
 んあ?
 訝りながらも握った右手が奥の方から戻ってきたのを見て、唖然としてしまいましたよ。

Docomo デジタルmova F101ハイパー!(大山のぶ代風)」。

 馬鹿みたいに大げさな名前の、初めて買ったマイ携帯電話()です。しかもLタイプ(大型)バッテリー・パック付きの直行直帰ワーカホリック仕様か~。なあつかしいなー、これで電車ん中といわず運転中といわず電話かけまくって、顰蹙買ってたよな。
 あの頃はまだ携帯電話なんか持ってるヤツも少なくて、そん中でもわざわざLパック付きのを鷲掴みにしてノシ歩いてると、いかにも仕事デキます的でカッコ良かったですよね。実際、マジで私はバックアップのバッテリーまで持ち歩いてましたし。
 ははは、こんな物捨てずに持ってたんだ俺。
 
 これ使いはじめて一年ぐらいした頃かな、何かが変わって携帯電話は一気に普及してゆきましたね。
 それまでは誰かに貸してやっても使い方が分からなくて、「市外局番から入れるんだよ」なんてアドバイスしないといけなかったです。それがアッという間にあっちでピコピコこっちでカチャカチャ、金のない学生なんかは「ピッチ」なんて呼ぶPHS持つのがちょっとステータスっぽくなっちゃって。
 でも乗り物に乗ると学生のPHSは電波が即切れするもんだから、クルマの移動中は堰を切ったように私のムーバで電話かけまくってましたね。
「今どこ?あたし今ケータイからかけてるんだけどぉ」
とか無意味な枕詞を必ず付けて。
 でも逆に、映画館でこれから本編始まるっつ時に隣のオヤジが携帯かける仕草をするもんだから、注意してやろうと睨んだら耳たぶを擦ってるだけだった、とかね。ちょっとした携帯電話ノイローゼみたいな現象も広まった時期がありました。
 いろんなものがアナログからデジタルに変わってゆく間際の、のどかな時代ではありましたよね、今振り返れば。
 
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 クローゼットに頭から突っ込んでサルベージした電話の一部です。
 出るわ出るわ、金メダルの一個も作れちゃうぐらい。は大げさか。
 ナニ考えてたんでしょうね、ワタクシ。こんな物溜め込んで。
 歳取っても朝鮮戦争時代のことはハッキリ思い出せるのに、ここ十年前後のことはサッパリ思い出せないんです()
 
 真ん中がモンダイのムーバです。「オバQ」って呼んでましたね。今見ると流石にデザインの古さは隠せません。
 その向こう二台はモトローラのレイザーV9、同社のフューチュアフォンとしては最終形態に近かったんじゃないすかね。シンガポールだったかマレーシアの華僑ブローカーから買ってました。
 使い勝手は最高で、操作性は他の追随を許さない直感的なものでした。形はともかく、とりわけ左側の最終ロット、機能は既にスマホになってましたよ。当然ですがオバQ以外のフューチュアフォンは、全てSIMフリー機です。
 あとは・・・、あと四角いのはみんなスマホで、中でもブラックベリーのストーム2は抜群の安定性とセキュリティーで思い出が深いです。元々は日本語がプリインストされていないのですが、R.I.M.(リサーチ・イン・モーションという、ブラックベリーのメーカー)のユーザー向けサイトが公開していた日本語プログラムをダウンロードして、メールなんかも普通に使っていました。
 画面を「押して」操作する構造になっていて、スマホなのにカチカチとメカノイズがするのもちょっと面白かったです。
 
 この頃はなんでも華僑ブローカーもんを直接買い取ってましたが、よくよく話を聞くと、彼らは本土の深圳にあるブラックマーケットでダブついた品物の、売り捌きを委託されていたようです。まともに届けられる保証なんかなかったけど、日本人が誰も使わない進んだ電話、安く買えて良かったですよ。
 時々オーダーしたのと同型だけど国内の電波を掴めない、仕向け先違いのバージョンとか平気で送り付けて来るのも笑えましたね。
 メールで指摘すると、「次は間違えない」という返事が必ず返ってきました。次って、私とキミとの間に必ず「次」があるって保証は、ないだろー(笑)。
 
 日本市場を見切ってしまったのは、R.I.M.の完全な失敗でした。
 日本人ほど高度なセキュリティーに「お任せ」で身を委ねることに慣れた国民など、世界中探したって見つけられるはずもないのに。R.I.M.にとって日本はこれ以上を望むべくもないような超優良市場だったのに、何故かそれを見抜けなかった。
 もっとエンタープライズの価値を詳しくアピールしていれば、みんなグイグイ喰い付いて来たことは疑いありません。
 リサーチの怠慢、だから潰れたんすよね。

 え?潰れてないの?

 

 
 


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エンジンの話

 熊谷清一郎(くまがい せいいちろう)著『エンジンの話』。岩波書店は19815月の発行。「岩波新書(黄版156)」になります。
 この版元は時折古い新書も復刻しますので、初刊から四十年近いこの本でも入手はそれほど難しくないと思いますが、どうでしょう。
 
 本題に入る前にちょっち一言お詫びと訂正を。
 先のエントリー『動力の歴史。』では、著者の富塚清(とみづか きよし)氏のことをこの熊谷清一郎氏の弟子みたいに書いちゃいまして、大っ変失礼いたしました。逆です。富塚センセが師匠、熊谷センセが弟子、とそんな関係のようですので、謹んで訂正します。
 今回本書『エンジンの話』のあとがきをつらつら読み直したところ、熊谷センセは富塚センセのこと「恩師」と書かれてて、慌ててエントリーを読み返して間違いに気付いた次第。
 いけませんね、ブログを拙速に書き飛ばすのは。
 
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 本書『エンジンの話』は、前年同じ岩波新書から出された富塚清氏の『動力物語』(上記した三樹書房版『動力の歴史。』の原刊本)と対を成す姉妹(師弟)本のような成り立ちとなっています。『動力物語』は文字通り「動力」というものの原始的な姿から書き起こし、徐々に近代的な発動機関の開発史へと筆を運ぶ、歴史概観的な記述を基本にした本でした。で、内燃機関の発展史としては、今日見られるガソリンエンジンの原型であるゴットリープ・ダイムラーのレシプロ(往復運動サイクル)式エンジンあたりまでを紹介したところで終わっていました。
 これを承けるようにして、本書は巻頭から「エンジンってなんですか」という破壊的な疑問の提起から始まるのです。

 エンジンって、なんですか?ってああた、エンジンの本に最初っからそんなコト書いちゃっていいの?!と思わず突っ込みを入れたくもなっちゃいますがね。生憎この質問をするのが「わが国内燃機工学の大家」と崇められる東京大学名誉教授ときてますから、ちょっと突っ込みようがないです。
 そしてこの大家は畳みかけるようにこう続けます。
<みんながしっているらしい、誰にもわかっているらしい、エンジンという言葉。しかし、私はききたい。「エンジンってなんですか」>
 ぼんやり生きてんじゃねえよ!!と叱り飛ばされたような気がしますハイ。
 
 トまあ、そんな破壊的な一言から始まる本書ですが、当然ながらそのスタンスは「熱」と「力」の具体的な考察です。加うるに、それを発生させ利用するための構造解説。また「燃料」や「空気」、機関を円滑に運転させるための「潤滑」などへも記述が及んでいます。
 後半では今日実用されているレシプロエンジンについて燃料別、着火方式別、換気行程別、と大半の形式を詳しく解説してあり便利が良いです。
 全体的に、『動力物語』から一歩進めて具体的な記述が多い印象ですね。途中では工学書特有の数式などが頻出する章もありますが、数式なんかイラストだと思ってどんどんすっ飛ばしてっても全然平気です。正しい日本語の使い方を重んじる熊谷センセの文章は、文系の頭でも充分に楽しめますから。
 
 で経験からですけど、この本読み終わった人はみんな、ちょっくら遠い目をしながらこう呟くんじゃないすかね。
「そうか。エンジンって、こうゆうことだったのか・・・」

 熊谷センセ、草葉の陰でガッツポーズ()



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ベンツと自動車

 
 『ベンツと自動車』。D・ナイ著、川上顕治郎(かわかみ けんじろう)訳、19974月玉川大学出版部発行の書籍です。
 四六判120頁余りの小型本ながら本文は総アート紙二色刷り、カルトン厚表紙にカバー付きのしっかりとした造本。束もきちんと折丁仕立てで、糸を使って綴じ付けた製本にはさすが大学肝煎りといった品格があります。
 全七巻のシリーズ「原図で見る科学の天才」に含まれている本なのですが、各巻には順序がないようでどこにも表記が見当たりません。外装カバーに記されたラインナップによると、本書は最終巻になっているようです。
 
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 著者のD・ナイとはイギリスのモータージャーナリスト、ダグ・ナイ氏のことで、自動車の歴史的文化遺産に関する見識には定評があります。
 そのナイ氏が「自動車発明の父」として有名なドイツ人のカール・ベンツの生い立ちから死に至るまでを、あまり自動車に詳しくない人でも分かり易い、日常的な文章で綴っています。
 とはいえそこは専門家。執筆の準備では各地の史料や残された原図などを相当詳しく調べたであろうことが、文章の端々に伺えます。その労苦を一々自慢げに書かないところがまた内容への信頼感を増し、登場人物や時代背景への温かな言葉遣いでの言及に、自動車愛を感じさせる好著と感じました。
 
 述べたようにカール・ベンツは自動車の「発明者」として夙に有名な人なのですが、エンジンや駆動装置をはじめ多くの要素から成り立つ自動車という機械の全部を一から生み出したというと語弊があります。むしろ、自動車という機械に必要とされる機能や性能をはっきりと把握し、それに合わせて既存の技術を洗練統合して形にした人、という表現の方が近いかもしれません。発明の多くには技術統合的な側面が必ずあり、そのことは発明自体の評価を下げるものではありませんから。

 ベンツが自動車製作に興味を示しはじめた頃、すでに産業革命の世界的な伝播が進み蒸気機関は実用化され、その動力を伝える歯車機構やチェーン減速といった機械要素技術は日常的なものとなっていました。
 低回転低出力ながら据え置き式のエンジンも商品化が始まり、実際ベンツよりも前にそのエンジンを台車に合体させて町を走った人物も現れてはいた、という情況でした。しかし続かなかった。それは、そうした先駆者は在りものの部品をそのまま組み合わせて動かすことに注力し、自動車という機械の持つ画期的な意味をイメージするに至らなかったからです。
 馬車のような準備を必要とせず乗り込んだらすぐに動き出し、五頭立て馬車に匹敵する力を発揮して仕事に役立ち、安全で小回りが利いて操作が簡単、などなどなど。ベンツはそうした自分のイメージをはっきりと持ち、それに合うように機械部品をひとつひとつ修正し、一台の自動車という総合機械を完成させたというワケです。同じように見えても、先駆者とベンツの違いはとても大きかったと思います。
 
 その結果、ガソリンエンジンをミッドシップ(車体中央部)に搭載した三輪車という今見ても大変バランスの良い優れた姿で、世界初の実用自動車がドイツはマンハイムという町に出現することになりました。 
 
 本書は同じ玉川大学から、のちに別人による新訳で新版が出されています。
 いずれ改めてエントリーすることになるでしょう。お楽しみに。 
 
 
  
  
 


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AGAIN 追悼・青猫書房 阿部秀悦氏

 
 青猫書房の阿部秀悦氏が昨年十二月に亡くなっていたことを知りました。
 ネットの情報ですが、間違いないところなのでしょう。
 
 今年に入ってすぐ、阿部氏や青猫書房という屋号をキーワードに当ブログが参照を受けるケースが増えていました。そしてエントリー『洋式帳簿製本の変遷と思い出』の閲覧も日々切れることなく・・・。
 誰かが阿部さんのことを調べている。情報を得たがっている・・・。
 胸騒ぎがしていました。
 
 最後にお会いしたのは、神田神保町の道端でした。思えば因果なものです。
 一別以来のことは立ち話なんかではとても語り尽くせるはずもなく、慌ただしい中、私の方からはインターネット上で自動車の本を紹介し続けていることやルリユウルのことなどを手短かにお知らせ。
 阿部氏の方もあの明朗そのものだった奥様のことなど交えて、例によって恬淡としたリズムで越し方をお話しに。
「そうか、まだ本に関わっているんだね。それなら良かった」
その言葉を汐に、次を約すこともなく、互いに背を向けて別れたことです。
 目の端に残った阿部氏の飄々とした後ろ姿、それ以来私にとって決して忘れることのない古書街夕景のひとつとなりました。
 
 まだ改装する前の青猫書房で、阿部氏とは色々な話をしたものです。もちろん教わることばかりでしたが、互いにこれからこんな事をしたいあんな物を作りたいと語り合う夢は、古書店での会話としては異例なほど未来志向でした。非常に短い期間の中で、濃密に凝縮された知識と経験を受け取ったという実感があります。
 今想うに、そのスタンスの核心は、稀覯書を入手したり読んだだけで満足してはいけないこと。満足した時点で愛書趣味は失われ、愛書家はただ美書を溜め込むだけの書豚に化けてしまう。
 稀覯書を探求する行動の中で得られた珍しい情報経験は、公開してゆくべきこと。惜しげなく知見を知らしめ広めることが、物欲や所有欲に囚われて書豚に化けてしまうのを避ける唯一の手段。そんな方向性だったと思っています。
 戦争を挟み営々と人から人、書物から書物へ途切れることなく承継されてきた愛書趣味の王道。その主人公たちが最も輝き、貴重な成果を次々と発表していた時代の真っただ中でした。
 そうして阿部氏が着々と築き上げてゆく独自の世界を見ながら、私もコレクターとして自分の道を歩んできたのだと思います。おかげさまで豚になることもなく、カバ男。
 
 ただ感謝の言葉だけです。
 阿部氏の存在が私の精神的な支えであること、これからも変わりません。
 ご冥福をお祈りします。

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 小寺謙吉『寶石本わすれなぐさ』総ヴェラム装幀一部本書影。本邦初公開。
 青猫書房を訪れて初めて買った本が、この本の普及版でした。
 今に至る私の古本に対するスタンスを決めた一冊です。
 
  
 
 
 
  
  
 
 
 
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Lovers of the world

 
ん・・・、ゲホゲホゲホ、はぁーっくしょん!!
 
ダメだ、治らない・・・。
熱はないし、さっき医者行ったけどインフルじゃないって話だし。
原因が、原因が分からない・・・。
 
ダルい。もう半月もこんな状態で、自分が自分じゃないみたいだ。
ごほごほ、ゲホンゲホン、くしゅんズビ~・・・。
気分だだ下がりだ・・。
 
そ、そうだ。こんな時はアレ聞こう。
サゲたおやじの心に一発入れるには、あれしかないんだ・・・。ゲホ
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