鯨を追って

 
 大村秀雄(おおむら ひでお)著『鯨を追って』の書影公開です。岩波新書(青版)717として、19696月に刊行されています。
 
 「ニッポン、I.W.C.を脱退!」「商業捕鯨再開へ!」なんて、最近クジラ関係がムダに騒がしくなってますよね。だから本書を取り上げたっつワケでもないんすけど、偶然タイミングが合ってしまいました。
 この本は新書ですから、鯨の生物学的な分類の紹介や捕鯨漁業の経済的な見方など広い範囲に亘って網羅的に書かれています。そして資料やエピソードなんかも当時最新のものが採られているので、鯨関係の知識を得ようと思った人は先ず手に取った本なんだろうなー、なんて察せられます。
 カバ男は二十代の終わり頃、神保町の古本屋で偶然手に入れて読んだのが最初だったと思いますね。鯨という生き物が好きなので、何度も読み返しました。
 
 鯨は、科学的にはあんまりよく判らない生き物だったんすよね。
 戦後の商業捕鯨再開時代になっても、例えばイワシクジラなんつうポピュラーな種類がいて、小笠原諸島あたりでもこのイワシばっかり獲っていた。ところがある日、てっきりイワシだと思って捕獲していたソレをよくよく調べてみたら、似てるけど全っ然違うブライドクジラという種類だった、という衝撃の事実が判明。それまでブライドクジラっちゃあ南アフリカの喜望峰周辺にしか棲まないとされていたのに、調べを進めた結果、遠く離れた小笠原で捕獲していたイワシクジラは全部が全部ブライドクジラだったっつことになりまして。
 でまたまたよく調べてみると、案の定ブライドクジラなんつうのは南アフリカどころか世界中の海にワラワラ泳いでることが判っちゃった、なんつってね。で、日本ではそのブライドクジラがイワシクジラによく似てるからって、「ニタリクジラ」なんて名前を付けちゃったト。そんな一例が紹介されてます。
 どんだけ成り行きまかせだっつの(笑)。
 ほかにも鯨の種類や捕鯨の歴史など内容は多彩です。
 
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 著者の大村氏はもと戦前の農林省(現・農林水産省)から、戦後の商業捕鯨再開に伴って鯨類研究所(現・日本鯨類研究所)所長に転じられた方。漁業生物学(漁獲物を人間が最大限に利用できるよう、対象となる魚や鯨の生態を研究する学問)をベースに鯨と向き合って来られた。
 戦後鯨類研究の最前線におられた方みたいですね。
 
 今回ブログエントリーのために、この『鯨を追って』を二十年近くぶりで読み返してみました。
 当時最新の知見だったはずの内容ですが、出版後半世紀ともなるとさすがに古さは否めません。現在では定説とされているエコーロケーションなどですら、この本の中では鯨の特殊能力である可能性を指摘するに止まっている状態。「と考えられる」「不明である」などのエクスキューズ付きで、今では普通に知られる事実が語られているのには、時の流れを突き付けられたようでちょっぴりショックだったかな。
 でも、一番のショックは、この本自体が当たり前のように鯨を水産資源(つまり獲物・食物)としてだけ扱っていることへの違和感でしたね。
 学校給食でクジラの竜田揚げなんか嫌々食ってた最後の世代なんで、昔この本を読んだ時には、特に引っかかる事もなかったです。
 でも今、読んでいて強烈に居心地が悪い。とにかく捕鯨ありきクジラ竜田揚げありきでなんの疑問も挟ませない書き口が、勿論初見から一字一句変わっていないのに、どうにもうまく肚に納まらない。今回、カバ男はどうしてもこの本を受け入れられなかったです。
 そしてそんな風に変わってしまった自分自身にも、ちょっぴりショック。
 
 たしかに遠洋・南氷洋での母船式捕鯨なんてのはね、今日まったく必要性、ないんすよ。
 戦後の遠洋捕鯨なんつうのは大東亜戦争敗戦に伴う全国的な飢餓が発端となってまして、大型船舶及び舶用発動機の製造技術の向上がそれをバックアップし、遠路はるばる捕鯨船団を繰り出して獲りまくった。殺しまくった。飢えた国民がその肉を貪りまくったっつだけのことなんす。「鯨一尾七浦潤う」わが国の伝統的鯨獲り文化民俗とは全くなんの関係もない、近代漁業の一形態でしかないんです。
 なのにそれが業(なりわい)として上手く回っちゃって、大きな雇用と利益を生んでしまった。
 でも、国が豊かになり牛でもブタでも好きなだけ食える時代になれば、いつ獲ったのかも分からないような真っ黒いクジラの肉に執着する必要性なんか、雲散霧消してしまうのは当然です。
 それでも遠洋捕鯨にこだわるのは、母船をはじめ大量の船腹を抱えてしまった捕鯨会社ぐらいなもんだったでしょう。
 
 彼らは戦後すぐから南極の海に出かけて行って、二年に一回しか子を産まないナガスクジラを毎年三万頭近くも、獲れなくなるまで獲り続けていたんです。
 それだけではなく、B.W.U.Blue Whale Unit)方式とか言ってほかのクジラは何頭でシロナガス一頭分になるかと換算率まで持ち出して、獲って獲って獲りまくった。この『鯨を追って』でも、当時鯨は予想された寿命を全うできる個体は皆無でそれ以前にみな「漁獲死亡」で世を去ると、ブラックジョークのような表現が当たり前のように書かれています。これでは食用動物の捕獲ではなく、明らかな虐殺。種の絶滅を微塵も危惧しない皆殺しだと言われて当然じゃないすかね。
 もともとの出自が捕鯨業者の丸抱えだったとはいえ、卑しくも研究所を名乗る団体の長にこういう書き方はしてほしくなかったなあ。
 一般財団法人化された現在の日本鯨類研究所が実体は捕鯨推進ロビー団体だという非難を浴びるのも、こりゃ無理もないことです。
 
 頭数の適正な管理だの、資源回復のための調査捕鯨だの、鯨が増えすぎたから今度は間引きだの、遠洋での商業捕鯨再開を望む連中の論旨はひとつ残らず「獲って喰う」ベースのもので、ことごとく海外から論破されてます。かつて世界有数の文化国家だったニッポンがお恥ずかしい話ですよ、こんな屁理屈。
 こうゆう立場の人は、いっぺん夜の盛り場をパトロールしてみたら?
「ああ!さらし尾の身が喰いてえ~!」とか「サエズリも赤身も、もう半年も食ってねえ死ぬ~」とか喉かきむしって路地で悶絶してるオッサン、いますか?いるワケないっしょ。
 現在の日本人は誰も鯨肉なんか常食しませんから。鯨肉食は平均的なわが国の食文化ではないのです。そして沿岸での捕鯨もまた、時とともに大半の地域で途絶。伝統的な捕鯨文化も廃絶消滅しています。それを復興しようとする地域もないす。過疎ですから。
 そこよ~く考えてキモに命じるように。
 鯨の話になるとついついこうゆう方向になっちゃって、正直つらいです。
 
 カバ男は鯨が好き。鯨を自由にしてほしい。
 将来、食糧危機が起きるかもしれない。でも今は鯨を食べることを忘れてほしい。
 人間なんかが推し量ることのできない海洋のおっきな生命パワーに任せて、天然自然の姿に戻してあげるべきだと思っています。
 カバとクジラって、祖先が同じなんすよね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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冬の朝

 
 今朝は寒かったですよね。4℃だか5℃だったか、そういえば深夜のニュースではこの冬一番の寒さだよって言ってましたっけ。
 
 枕の下に潜らせたスマホのアラームで目が覚めました。
 毎朝615分の無慈悲な設定。これを止める動作から、ぐずぐず肉体は目覚めはじめるんです。でも頭はぼんやりとまだ夢の中。
 この時期もう花粉で両目がごろごろ。横になったまま目を開けると涙が噴き出して、それが耳の穴に流れ込むのが不快で、仕方なくノソノソと体を起こします。外の空は晴れてるみたいですが、まだ暗い。
 夜の寒気で肩口が冷え切って、頭の芯に弱い痛みを感じながら、カバ男はベッドからずり落ちて背伸びをします。
 部屋着のズボンを穿きつつトボトボとリビングを通り抜け、洗面所へ直行するコース。おっとその途中でカルシウムの錠剤と、今朝はアスピリン2錠。粒を取り出す時、がらがらと虚ろな瓶の音が妙に響きましたっけ。
 
 洗面台の明かりを灯し、お湯で洗った歯ブラシに歯磨きペーストをちょっぴり乗せて口に突っ込みます。そのまま、下あごの右の奥歯の平らな噛み合わせ面から歯磨きスタート。泡を立てすぎないよう注意し、ブラシのトラクションを感じながら機械的に右手を動かしてゆきます。
 
 磨きながら鏡をぼんやり眺めると、そこには見るも無残な老人が一人。
 額の生え際が若い頃に較べると確実に3㎝は後退しています。いわゆる「退却禿げ」という現象ですな。ごま塩頭。無精ひげ。
 さっき滝のように流れた涙の痕が、両目のクマや下まぶたのたるみをダビダビに濡らしています。おまけに顎をナメクジが這ったようなヨダレの痕。
 下の門歯の内側を、歯ブラシを立てて右から左へ磨いてゆきます。
 右の頬っぺに枕の痕がクッキリと残っているのを発見。がっくりです。あと、寒くて鼻水が垂れはじめました。
 「・・・えーと、今日は何日だっけ・・・」
「最初はナニやる?か、誰かに会う?のかな・・・」
左の噛み合わせにブラシが移動する頃、ようやく頭が回りはじめます。
 なんとなく頭の中に一日のイメージがもやもやと湧いてきました。
 そこでブラシの向きを変え、今度は下あごの左の奥歯の、内側を磨きはじめます。このあたりになると、注意していても口の中に少しずつ泡が溜まりますし、唾液も加わって水位上昇。決壊が危ぶまれます。
 もう一度ブラシを立て、下門歯の内側を手早く左から右へ再ブラッシング。素早く左手に持ち替えて、今度はスタート地点の右奥歯に戻って内側を磨きます。
 ブラシの動きにつれて口の中では大波発生、唇の防波堤を越えてダブンダブンと外へ飛沫を飛ばします。その泡は全部胸から腹あたりに垂れて部屋着がべろべろに濡れはじめました。そうなってようやく下を向いてサッと流し、口の中を空にします。
 そのまま歯ブラシを握り直し、ちょっぴり気合も入れ直して上あごの右の奥歯噛み合わせ面から、歯磨き第二ステージを再開します。順番は下あごと同じく、右噛み合わせ面~門歯内側~左側噛み合わせ・同内側~門歯二回目~スタート地点の右奥歯内側、という順路。上あごではデッドアングルがないので左手に持ち換えません。
 鏡の中の老カバ男は、ややあごをしゃくり気味で大口を開け、ひたすら機械運動を続行。でも、覚醒しはじめたんでしょうかね、少しずつ目に光が宿りはじめましたよ。
 と思ったのも束の間で、やはりまだ半分寝てるのか。歯ブラシの往復運動につれて残った泡がどしどしと口から流れ出るにまかせてます。おかげで顎から首にかけて唾液と泡でぬたぬたという、怪電波が途切れた後のガラモンみたいな有様。鼻水も止まらず、もう顔面下半分はまるで収拾のつかない無法地帯。
 汚い!
 
 上下の歯列、噛み合わせる面と内側すべてを磨き終えました。
 一旦歯ブラシを洗ってから、再度少量のペーストを塗り直し、歯磨き第三ステージの開始です。最初と同じく右奥歯の列から始めますが、今度は口を半開き程度にゆるく結んだ状態で、外側を磨いてゆきます。
 このあたりまで来ると左右の三角筋(肩)の毛細血管に血流が増えてパンプしはじめるので、それが脳に良い刺激を与えているのでしょうか。
「そーだ、今日はメシ時に渋谷だから、ひさびさに喜楽のモヤシソバ食うか」
そうそうその調子、段々頭が覚めてきたようです。そして右手は相変わらず機械的に動き、指先は無意識のままブラシの毛先と歯の側面が一定のトラクションで摩擦し合っている感触を探ります。
 奥歯が済んだら素早く歯ブラシを抜き、左手に持ち換えて、次は左奥歯の外側です。この瞬間、案の定歯ブラシや口の端から際限なく泡がだらだらと上着にかかります。手首を伝ってどくどくと袖の中にも流れ込みますね。
 カバ男は上あごの親不知を両側抜いてますので、一番奥の奥歯の後ろ面までブラシが当たるように細かく歯ブラシの角度を変えながら磨いてゆきます。
 すぐにまた歯ブラシを抜いて右手に持ち換え、門歯の外側、いよいよラストスパートですよ。
 機嫌の悪いガキンチョが「イー!」と言うような感じに口を開いて磨くのですが、もうここまで来ると集中力が切れて磨きながら欠伸なんかするもんだから、また夥しい泡が・・・。
 歯ブラシの柄もヨダレと泡と鼻水でヌルッヌルんなっちゃって、もうこれ以上磨き続けるのは無理。
 
 朝の歯磨き、終了です。外はすっかり明るくなりました。
 それで今更なんすけどね、歯磨きするときゃ横っちょにタオル置いとく方が良いと思います。 
 
 
 
 
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地面徘徊

 
 いやはや、すっかり怠け癖が付いたようで恐縮です。
 最後のエントリーがまた『おわりに』なんつうタイトルでしたから、それきり更新停止っつのは大変によろしくなかったですね。なんか、ブログ自体が終わっちゃったような。
 
 すっかり寒くなりましたが、みなさまいかがお過ごし?
 一週間(あまり)のご無沙汰でした、カバ男は元気ですよ。
 つうか、『おわりに』が公開んなる一週間以上も前に予約エントリーが完了していたワケだから、本当は半月以上もブログ放置状態だったんす。無責任ですよね。
 その間、カバ男の魂はブログを抜け出してふらふらとあっちのブログこっちのホームページと迷い歩いていました。でもって役にも立たんようなコメントなどを書き散らし、愚か者は自分からそれを言い触らすという馬鹿の見本を演じておりました。ハタ迷惑なはなしですよ。
 しかしてその実体はというと、まあそこはそれ師走でもありまして、床屋に行ったり渋谷のホテルでランチを食ったりと、わたわた過ごしてます。
 
 気が急いているからかな、ついつい下ばかり見ながら歩き回るのが自分でも鬱陶しいすよね。
 地面しか見ないからつまらない。眼鏡がずり下がる。でも、顔を上げて前を見ながら歩いてて舗道の段差なんかでコケるのは恥ずかしいです。
 そこで折衷案として地面と前を均等に見ながら歩く、というのもあるにはあるんすけど、そうすっと頻繁に頭を上げ下げしながら歩くワケでそれも如何なもんかと躊躇います。だって大の男が歩きながらペコペコペコペコ、張り子の牛みたいで滑稽じゃないすか。
 ああ、もうどうやって歩けば良いのか分かんなくなってきた。歩き方が分からない。到頭俺は二足歩行ができなくなったのか?
 なんつってね。
 要するに何処かでひと休み。したかったんでしょ。

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 川っぷちでボンヤリと冬空を見上げりゃ、空は晴れて気も晴れます。
 いやはや、師走。いやはや。
 
 
 
 
 
 
 
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おわりに

※中田商店製アルミ文鎮連作・最終回『おわりに』のオリジナルエントリー記事フィールドでした。現在は改題再録『中田製文鎮 連作のおわりに』が「非日常のこと」カテゴリーに用意されていますので、恐縮ですがそちらをお楽しみください。当オリジナル記事に頂いたコメントはそのまま保存してあります。
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映画 ボヘミアン・ラプソディ

 
 行ってまいりました、映画『ボヘミアン・ラプソディ』。
 良かったですよ。
 
 エイズによって早逝したフレディ・マーキュリーの物語ですが、良く出来ていると思います。
 90年代あたりからかな、伝記もんの映画っつのはリアルな時代考証が出来てて当たり前みたいになってますよね。その面でもクオリティは高かったです。
 楽曲もみなライヴ・バージョンでパワフルでした。しかも、ボーカルやギターは実際のステージ向けアレンジが完コピで流れて来て、驚きました。
 ひょっとして実音源のリマスターだったのかな。『KeepYourself Alive』なんか70年代の海賊版に収録されてたリフがそのまま再現されてましたからね。
 
 で、フレディのキャラクターそのままにズンズン話が進んで「魂に響くラスト21分間」にナダレれ込む、つうワケでして。
 いやホント泣けましたよ。
 ラスト30分でトイレに行っちゃって。今どきの小箱シネコンなんで席に帰るのも気が引けましてね。でロビーで終了待ちですよ。
 泣けた。
 
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 「あんたバカじゃないの一番イイとこで出てっちゃって。最後はフレディの」あー聞きたくない聞きたくない!やめろマヒロ!!
 
 とゆうコトで、せっかく町まで出て来たんだからとデパートでメシ食って買い物してからバスん乗って帰りましたとさ。
 ・・・泣けたよ。 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
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動力の歴史。

 
 三樹(みき)書房・富塚清(とみづか きよし)『動力の歴史。』
 て、なぁんで本のタイトルに「。」なんか入れちゃったんでしょうねー「モーニング娘。」かっつの(笑)。
 あ、失敬失敬。
 改めまして、『動力の歴史。』、19982月刊ですね。画像を公開します。
 
 奥付(和書の場合は全文の末尾にある、当該書物の出版作業に関するスペックを表示している頁)と本扉(本文の開始に先立って正式な書名を表記するための頁)にだけは辛うじて『動力の歴史』という表記があり、首尾一貫してますんで正規書名はそっちにしてあげたいもんです。
 ですけどね、その他表紙やらカバーの表記には全部「。」が付いてまして。オマケにサブタイトル紛いのコピーまで「動力にかけた男たち。」なんつって、しっかり「。」です。
 なんとなく中島みゆきの『地上の星』が流れて来そうな雰囲気ですよ。
 なので、ここは多数決で『動力の歴史。』の方にしときましょっかチャラいけど。
 泣いてるぞー富塚センセ、草葉の陰で。くっくっく。
 
 
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 トまあそうゆうワケで、本書は著者の没後に出された本なんですね。富塚氏ご自身はこの本が出される十年前の1988年に九十四歳で亡くなられたそうです。明治中期の方みたいですね。
 で本書は、実は新装版でして、元々は岩波書店から1980年に出版されたものなんです。岩波新書(黄版)№115、原題を『動力物語』といいました。これがいわゆる原刊本。
 
 もう我々クルマ好きエンジン好きには堪んない基本中のキッホーン図書。歴史的な名著のひとつと言っても決して過言ではないと思います。
 初めの二十頁余りで工学的な「力」「動力」の基礎的な理解を要領よく記し、それから先はお得意の発動機関発達史ということであんなエンジンこんなタービンと系統立てて書き進めています。ただ内燃機関を重視している風でもなく、動力を生み出すための機械機構全般に関する内容です。
 大変に分かりやすい言葉遣い、ココぞという所でナルホドと唸る図版をほどよく配し、楽しく読んでゆけるんです。で、カバ男的には深夜のロイホでコーヒーのお代わりなんかしつつ読みながら、ふ~んエンジンってこんな風な見方ができるんだ的な発見がたびたびある。ついついポテトフライもお代わりしちゃう。これがこの本の、つうか富塚センセのすごいところでしたね。
 難しいコトを難しく感じさせない文章力。一芸に達した人物の文章とはこれほどのものなのか、ト。
 カバ男は余りにもこの本が面白くて、ついついポテトをつまんだその指で頁を繰ってしまったり、トーストのバターを垂らしたりして、最初の一冊はすっかりダメにしてしまいましたっけ。同じ本を読み返すためにまた買うっつ経験は、多分この本が初めて。
 
 
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 話を三樹書房版の『動力の歴史。』に戻しますが、これもまた(表紙はチャラいが)良い本です。
 原刊本から数えて十八年、絶版状態だったものを丁寧に再編集してカッチリした書籍に仕立て上げています。その過程で時代と共に生じた変化に応じ、必要最小限の文言アップデートを行い、現代の刊本にふさわしい姿の新装でした。奥付には第一刷が二千部と記されています。
 
 今読んでも内容に古さが感ぜられないのは、発動機の発達過程にあった歴史的な事実を記してあるからなのでしょう。そしてなによりも、版型(書物の外形をいい、旧来は本文用紙の原紙のサイズによって自動的に決定されていたため類型的だった)が大きくなって文字も図版も見やすくなったことは、大変嬉しいです。
 このトシになって老眼鏡かけて新書の細かい文字を指で辿るのも、切ないもんがありますしね。
 ともかく、編集部の熱意誠意をヒシヒシと感じる出版でした。
 先ほど三樹書房のサイトを覗いたら、果たせるかな本書は再アップデートした新々装版になり、現在は品切れになっているようです。
 
 著者の富塚清氏は元東京大学の名誉教授で、燃焼工学の大家・熊谷清一郎(くまがい せいいちろう)氏の薫陶を得た生粋の工学者らしいですね。旧東京帝大の学統なんでしょうな。
 でもお堅い人でもなかったみたいで、還暦近くまでバイクを楽しみ、2サイクルエンジンがご専門のことからその関係にも繋がりがあったらしいです。
 つか、今五十代以上のバイク乗りでセンセのお名前聞いたことのない人っているの、みたいな。
 
 ちょっと調べたところ、戦時中なんかは家庭生活方面での寄稿もされてたみたいですから、人間味のある方だったんでしょうね。
 
 
 
 
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