当初のラインナップについて

※旧ヤフーブログ・中田商店製アルミ文鎮連作の二『当初のラインナップについて』のオリジナル記事でしたが、後日まとめて再録しましたので、頂いたコメントだけ残して内容を削除しました。
「非日常のこと」カテゴリーに連作全部を再録してありますので、そちらをお楽しみください。恐縮です。
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中田製アルミ文鎮のエントリーについて


※旧ヤフーブログ『中田製アルミ文鎮のエントリーについて』のオリジナル記事ですが 、後日集中して再録しましたので、こちらは頂いたコメントだけを残して内容は削除しました。
コピー記事を「非日常のこと」カテゴリーに用意してありますので、恐縮ですがそちらをお楽しみください。
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Do you want to live forever ?

 
 “Come on , you son of bitch . Do you want to live forever?!
 「来いよクソども。てめえら永久に生きるつもりか?!」
て感じでしょうかね。粗暴な言葉遣いで恐れ入ります。

 今日はね、カバ男のブログに掲げているモットーの話です。
 
 色々調べたんですが、英語圏での歴史的ではない慣用句になっているようですね。あまり口汚いのは嫌い、って場合は”Do you…”だけでも使われるみたいです。
 「キミらは永久に生きながらえるつもりですか?永遠の生命なんかない。だからここ一番、死ぬか生きるか一緒に戦おう!」
簡単な単語を組み合わせた反語的表現として、言わんとする意味合いはこんなところじゃないすかね。
 当然、戦場での雄叫びです。
 有名なところでは、第一次世界大戦フランスはベローウッドの森の大激闘。そこに何故か居合わせたアメリカの海兵隊から出た名文句、とされています。1918年、ちょうど100年前ですね。
 鬼のごとく勇猛なダニエル・ダリー軍曹、つうお方の台詞らしいす。
 男はいずれ必ず死ぬ。戦って死ぬか、年老いて死ぬか。
 わが国の古い軍歌『雪乃進軍』『抜刀隊』なんかと、不思議に相通ずるものを感じます。
 
 カバ男的には映画『コナン・ザ・グレート(Conan the Barbarian)』で窮地に陥った盗賊コナンを救う、女勇士ヴァレリアの決め台詞って感じかな。
「ディユワナリヴフォレヴァ」
なんてサラッと言ってくれてます。
 この場合はシークエンスの流れからすると、
「アンタ死ぬ気で戦ってんの?」
的なニュアンスにも感じられます。アタシ(ヴァレリア)はアンタ(コナン)を救って死んじゃったんだから、ココでアンタがしっかりやってくんなきゃ困んのよね。って気分でしょうかね。
 この映画の監督/脚本はジョン・ミリアスという強硬派の人物だそうで、当然上記の海兵隊エピソードを含んだうえでの台詞回しといえるでしょう。
 情況が込み入ってるんで、気になる人はTSUTAYAにでも行ってみてください。
 
 当ブログの最初のモットーは「かばおってゆうなよ」を掲げてたんすけどね。これがヒッジョーに評判が悪かった。タメ口とか上から目線とかに感じられたみたいで、某1970年代のアメリカ映画から採ったパロディとは誰も気付いてくんなかったです。
 そもそも商業ブログでもないのに、タメ口上からで悪いのか?
 まそこで、老若男女イヌサルすべてに対してフレンドリーたることを目指すカバ男のブログとして、30秒ほど熟慮した結果今のモットーに変えた次第ですハイ。
 
 DO YOU WANT TO LIVE FOREVER ? 
 
 
 
 
 
  
 
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SOGNA

 
 展覧会図録『山崎亮志のランボルギーニ・ソニア “カーボーグ”デザインストーリーとカロッツェリアのすべて展』の画像を公開します。
 1991年・目黒区立美術館発行、ですね。
 先日、たまたまほかの件で同美術館を参観することがあり、そういえばと本棚を探したら発見できたものです。
 
 
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 山崎亮志(やまざき りょうじ)氏の作品展とワークショップで、作品名は「SOGNA(ソニア)」。イタリアのエキゾチックカー・メーカーであるランボルギーニ社からカウンタックのエンジン付きベア・シャシの供給を受け、そこに自主製作した空力ボデーを架装した、コンセプト・カーモデルです。
 山崎氏がトリノに設立した自身のカロッツェリア「アート・アンド・テック」で製作した、プレゼンテーション・モデルですね。
 
 すでに記憶も薄れていますが、たしか展示物としてはそのソニア一台と、石膏やFRP製の検討用縮小モデルが十点程度だったかな。あまり現物のプロポーザルには注力していなかったような印象です。
 むしろ山崎氏自身の講演や、イタリア人モデラトーレ(モデラー)による石膏縮小モデルの実作デモンストレーションなどのワークショップに力点が置かれていたと思います。
 このマエストロ(匠)は非常に高いコンセントレーションのまま、午前から昼飯も食わずに黙々と精力的にモデル造形を続け、質疑応答のために制止されなければいつまで仕事を続けていたか分からないほど仕事熱心な人物でした。この点は大変強い印象があります。イタリア人にもワーカホリックっているんだ~、みたいな。
 
 7月から9月の開催だったんですね。たしかにバンダナで汗を拭き拭き展示されてるソニアの周りをグルグル回っていた記憶があります。
 客は少なかったのですが、女性の比率が圧倒的に高く、しかもその大半がキチンとした身なりの大企業OL風。な~んか変なムードだなーと思っていたら、ワークショップではそいつらがビシビシと鋭い質問の槍を容赦なく老マエストロに投げかけてました。モデラーだったのかもしんないすね、インハウス(企業内部署)の。
 
 この展覧会で山崎氏が表現したかったのは、やっぱランボルギーニ・ソニアそのものだったんでしょうね。でも、ソニアの根源を形作る「カーボーグ」コンセプトというのは、ちょっと伝わって来なかった。
 300/hを超えて疾走するソニアに備わった、空気を理想的な流れに整えながら強烈にラジエーターへと導くアクティヴな外装パネルデザイン。これは実物大モデルもあったし、理解はできました。しかしこっちはカーボーグ・コンセプトとは違う、純然たるカー・デザイン。
 ドライバーの思考に即応する走行機能ユニットの数々。これらの有機的統合的な集合体を自動車のフォルムに納めたものを特にカーボーグと呼び、未来の移動手段として位置付けるという考え方。こっちの方は残念ながら絵に描いた餅状態で、実際当時は世界規模のネットワークも存在しなかったし、そもそもそれを提唱する山崎氏自身がどの程度のサイバー性を仮想していたのか不明です。
 なので展示できる有効なサンプルや作品もなく、少々トンデモ自動車論的な雰囲気がありましたっけ。
 1991年ですしね。
 
 このエントリーを書いている2018年末、自動車テクノロジーの開発はマン・マシンの操作系を洗練する道をあきらめ、一気に自動運転機能の実用化へと舵を取ってしまったように見えます。そこには乗員自身が操縦する移動メカニズムという概念は存在せず、したがって山崎氏の見通したカーボーグは存在意義を失っている情況です。
 
 この展覧会の数年後、つかつい最近、ソニアや山崎氏に関する幾つかのレポートが自動車専門誌に掲載された模様です。カバ男は読み逃しました。
それらの記事では、1991年当時充分に敷衍されなかったカーボーグ思想などが解き明かされていたのでしょうか。
 ソニアは、恐らくこの目黒区美術館に展示されていた車体の流用だと思われますが、新たに内装類を補填した実用可能モデルが一台だけ製作され、日本国内に存在しているようです。
 それと、時々このカーボーグのことを通ぶって「ソーニャ」なんて呼ぶ馬鹿な自動車ライターがいるのが笑えます。田舎者ですよね。
 ソーニャっつったら英文表記はSONJAで、こっちは明々白々SOGNA。しかも作ったご本尊の山崎氏がそう呼んでるんだから、「ソニア」一択です。
 
 恥っつのは、掻いたあとが長いんすよね(笑)。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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オカチにメグロにフドーマエ(笑)!


  一の酉が立って今年は三まであるじゃんと、気の早い連中はもう年の瀬みたいにばたばたザワザワしているという今日この頃。お得意さんに来年のカレンダーなんか持ってって「一昨日おいで」なんか笑われちゃったりね。
 関東人のそそっかしさです。
 
 午前中に来る約束のサガワが一時間も遅れての配達で、受け取った段ボールに打痕擦り傷ないのだけたしかめてテーブルに放置。手ぶらんなってアラヨーと駅に向かいます。
 目指すはオカチ。おおっと、オカチったあ言わずと知れたオカチマチ。上野アメ横界隈のことジジイはそう呼んだりしてますね。
 平日日中の山手線、ダークスーツに取り囲まれてワタクシ一人だけACUカモのECWCS(エクワックス)パーカーが浮いてます。1GEN.T2レプリカっつうヤツなんすけどね。
 軍モノ着るならせめて1980年代以降の装備がイイですよ。時代はどんどん変わってるんですから。
 
 オカチは駅前の老舗「吉池」でユニクロの秋冬もんを物色。あるわあるわ、よりどりみどりの釣り堀状態。なのに「チョトオ待チクタサイ」を繰り返して時間を無駄にするばかりの中国人店員を相手に、辛抱強くコミュニケーションを試みるも、挫折。何も買わずに再び電車のヒトとなる。てオイオイ、いやしくもガンマン自称してるオッサンがオカチの駅下りて、信号も渡らずアメ横に一歩も踏み入れず回れ右?いいのそれ。
 外回りのホームでスカイツリー見ながらぼんやりと、スマホの調子が悪いからアキバで適当なの探そっかな、なんて思いはじめます。でも電車に乗った途端、「ワタシの古い作品が展示されてるので、来て!」と装幀工芸家からメールが来てたの思い出し、即座にアキバ取り止め。そうだそうだ、今日はそっちがメインでしたっけ。
 
 田町を過ぎた頃、ハテ目黒区美術館はどう行ったか、と思いはじめます。
 あそこの近くに電車の駅はない。つことは、バスか。あ、そうだ大井町から渋谷に行くバスが美術館の横っちょに止まるんだ。それにしよっと。
 て考えてたら品川過ぎちゃってました。大井町は京浜東北線の駅、外回り山手線から京浜東北線に乗り換える最終チャンスは品川駅だった。ガビ~ん(古)!
 いや待て待て、まだ望みを捨てちゃダメだ。そのバスはたしか途中で山手線と絡んでるはず。山手線の輪の内と外を頻繁に交差する区間があるんだから。
 あれは・・・、んーと、青物横丁?それ京浜急行。・・・、大崎!そうだ大崎駅を出たとこにバス停があったじゃん!
「おおさき~、おおさき。湘南新宿ライン、りんかい線、埼京線は乗り換えです。高圧線とか梅雨前線には乗り換えできませ~ん」
ばっかもーん、駅員、バスも乗り換えですと放送せんかー!!
 
 ということで残り二時間余りでなんとか目黒区美術館『村上友晴 ひかり、降りそそぐ』展を鑑賞。グサグサ刺さりましたよ。で階段上ったとこにデデーンと鎮座しているルリユウル(美術工芸装幀)作品もキッチリ舐め回すように見倒して、弱くなった午後の日の中、再びバス停に立ちました。
 「五反田で茶ぁでも飲むか」なんか、バスに揺られながらぼんやり考えはじめてました。
 待てよ、途中のTOCにユニクロあったよな。
 トまたぞろ得意の執着心が頭をもたげます。一旦決めたら買うまであきらめない嫌な性格。ええっと、TOCだと広小路のバス停か?いやそれじゃ遠いから郵便局か。上り坂なんだよな郵便局からTOCまで。でもこの際そんなこた言ってらんない。
 なんつってる内にバスは不動前を過ぎてトコトコと郵便局に着きました。下りたとこでそこはかとなく聞こえて来る、豚バラ肉が焦げる寸前のいい匂い。西五反田の老舗ラーメン屋・平和軒がダシの仕込みをしてるようですね。
 ああ、いいね平和軒の醤油ラーメン。食いたいな。
 ハッ!だめだめユニクロ行かなきゃ。
 がんばって坂、上りましょー。

 さてこそ平日の会社退け時寸前、偶然だけど一番ヒマな時間帯に行ったもんだから、ユニクロ超閑散。おかげさまで外人スタッフがぴったりマークで相手してくれて、ありがたかったですわ。
 日本語の練習したかったのかな。でも中国人と違って、下手だけど話し方も文法に気を付けて喋るから、知性的。目にもケモノじみた貪婪そうなヤバイ光がなく、安心感がありましたよ。
 店を出た所で見上げたら、もう夕空暗くなってます。いやはやここまで一日飲まず食わずのイヌカワか。このまんま五反田までシャトルバスん乗ってって茶ぁでも飲むか。
 メシを止められてんのがキツいです。空腹が足にキてる感じかな。 
 結局夕方の交通渋滞でいくら待ってもシャトルバスは来ず、近場のタリーズになんとか避難してようやく今日初めてのコーヒーをひと口。
 いいね、コーヒー。
 暮れてゆく街の風景と、舗道を流れる勤め人の声。
 あ~今日もいちんち終わってくなー。
 なんとなく心と体がほぐれてくるのを感じます。
 逢魔が時とかいうけれど、好きだな夕間暮れって。
 ロマンチックだもん。

 リンリンリン。リンリンリン!ECWCSのポッケで電話が鳴りはじめました。
出るまで鳴り続ける電話です。絶対に鳴り止まない。やれやれ(笑)。
「あーもすもす。こちら丸の内署のカバ男だがね」
なんつって苦笑いしながらタリーズを後にします。何人かOLが目を剥いてこっちを見てましたっけ。冗談だよジョーダン。
 これから首都高荏原線のガード潜って氷川神社の脇を通って東急目黒線の不動前駅まで、古い山っ端の小径を歩いてゆきましょう。行った先ではマヒロが待ってるはずです。
 今夜はお勧めのなんとかいう料理屋で、鴨(白色レグホンだろ)料理だのパルミジャーノ(プロセスチーズに決まってる)掛けのリゾットだのを付き合う約束。
 ハテ、そんな店不動前にあったかな。つうか、そもそもユニクロの袋なんか抱えて入れんの?鴨とか出す店(笑)。
 
 
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 戦前の金銭出納簿。
 コイツを待って出遅れたんです。飛脚、反省しろい(笑)!!





 
 
 
 
 
 
 
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写真集 叫び 裏街道の青春

 
 『写真集 叫び 裏街道の青春』企画室リバティベル・昭和551980)年1月刊の、画像を公開します。
 
 「叫び」といえばムンクですが、この本の場合は違います。暴走族です。
 いつ頃の取材なんでしょうね。出版時期を考えれば前年1979年夏あたりから撮り溜めといて、チャッチャと作っちゃった印象です。中身の写真も撮りっぱなしの載せっぱなし的なアマチュア臭がぷんぷんしてます。
 
 この種の暴走族ものは福田文昭/第三書館の『'69新宿カミナリ族はいま・・・』あたりから始まったものという印象があったんですが、そちらは同じ1980年でも9月の刊行。時経列からいえば『叫び』~『新宿』の流れになり、意外です。
 むしろその前年1979年にこれも第三書館から出された、戸井十月ほか『止められるか俺たちを』が始祖的なのかな。こちらは続編が出されるほどインパクトのある写真集でしたし。
 刊行者・企画室リバティベル/販売・大洋図書という無名同士のタッグで出版された本書は、そんな流れの中で急ごしらえに作られた一発企画だったのでしょう。けれど相手は当時反体制の先端バリバリで鼻息の荒い第三書館。書店での扱いはまるで天と地だったろうと想像できます。
 不遇だったと思いますよ、『叫び』。
 
 
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 この写真集の出された1980年あたりを境に、実際の暴走族は暴力団の下部組織化・系列化の道に進みながら警察によって囲い込まれ、ゆっくりと衰退してゆきます。反面、実態と背反するようにマスコミによるカリカチュアライズが行われ、ファッショナブルなイメージすら定着し、類似の暴走族写真集や専門誌などのメディア化が急展開。暴走族ファッションの猫までがブロマイドになる時代が現出します。
 
 やがて捏造された架空の「神話」「伝説」世界観に憧れた自称暴走族たちが、無意味に外形だけを反芻し、彼らもまた短い期間で空中分解してゆきました。
 
  
 
 
 
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Parts Catalog EUNOS ROADSTER 97-10改訂版

 
 これをお題にすっかと改めて見てみて、頭を抱えてしまいました。
 
 ・・・、困るんだよなあこうゆう本作られちゃ。これじゃあなんか書こうにも、とっかかりっつうもんがどこにもないもんなぁ。
 つうか、本になってねいんじゃねえのこれ。
 いやいや確かに本ではある。本のようには見える。見えはするのだが。さてどおすっかなーコレ。
 
 いえ、「廃墟自動車図書館」的にっつ意味ですけど。
 本の名前がどこにも書かれてないんすよね(笑)。
 表紙には「Parts Catalog/EUNOS ROADSTER」なんてありますね。で背表紙にゃ「EUNOS ROADSTER」あと表紙同様に年号が入ってます。
 目次はあるけど扉もなきゃタイトル頁もなくて、いきなり本文が始まっちゃったりしてます。で奥付もねえのかこの本は!と怒りながら最後の頁まで行ってみると、「マツダ株式会社」「199710月」てああた、・・・。
 
 
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 ま、いわゆるパーツカタログ、ですね。マツダ・ユーノス・ロードスターを構成する部品を取りまとめたものです。マツダが自分たちで生産してる全車種について発行していたシリーズの一冊になります。
 ディーラー(メーカー毎に系列化された自動車販売店)や整備工場でメカさんが使うもので、修理や整備に必要な部品の名前と部番(部品番号)を直感的に検索できるように編集されてますね。モデルライフの長さによって随時アップデイト版が発行され、旧版は廃棄するような指示も書かれてます。
 
 エアツールやシャシダイナモの騒音でわんわんする中、早足で工場を抜けて来たメカさんが書棚からコイツをパッと抜き出して、現在整備中のロードスターんとこに戻る。必要と思われる部品の載った頁をパクッと開く。しばしムズカシイような面持ちで現車と頁を見較べて、デスクんとこで部番を走り書きしてからまた早足で書棚に戻ってバシンッ!と突っ込む。携帯電話ピコピコいじってる事務所のネエちゃんに「コレ発注!」とメモを渡す。
 そんな光景が、昔盛んだった自動車業界ではよく見られたもんす。
 IT革命(笑)のアの字もない、平和な100%アナログ時代の産物といってもイイすかね。
 
 こうゆう使われ方のもんですからして、やれ奥付がーの正式な書名がーの滑ったの転んだの言う野暮天なんかいやしませんて。パッと見りゃどの車種かすぐ分かるし、使い方も分かんないようなメカもいないし、部番が分かればいいだけの実用的な資料です。
 分かってっからタイトルなんか見ねっし。て感じ?
 
 でもね、深夜のロイホで何時間もコレの頁を行きつ戻りつしかめっ面、とかね。国道412号線にポツンとあるコンビニの明かりで「クスコピロ2個」「ジュラコン置換」なんか凍えながら改造メモ書き込んでたりね。そうゆう使い方してましたカバ男は。
 おんなじような公道プライベーター、昔は結構いたですよ。
 パーツカタログを基盤にして改造記録やサードパーティ製パーツの情報を書き込んでくってやり方は、バイク時代からです。紙ベースのアナログ時代は、情報まとめるには良いやり方だったと今でも思ってます。
 で結局、ただのレファレンス資料だったはずのパーツカタログが書込みだらけの手沢本(手垢が付いてテカテカ光るほど繙読を繰り返した本)になってしまう。こいつもそんな風になりました。
 手放す直前までチューンを詰めていたユーノス408528に関して、最後はこれがないと手も足も出せなかった。
 
 今仮にこいつを「本」とか「書籍」として認識するならば、ですよ。社内報やお客様便りなんかいった夥しい自社刊行物ん中で、部品検索だけに内容を絞った一群の膨大な紙資料が厚冊の形で存在している、ト考えることができるワケです。トなると、それはマツダが営々として出版構築してきた、一種の叢書なのだ、と認識することも可能なんじゃねいすかね。
 無名であり、そもそもそんなもんがこの世に存在することすら想像もされない書物群がこの業界にも潜んでたんですね。だからタイトル必須。
 そうゆうワケで、マツダにはせめて最終頁だけでも、なんかそれらしい名前印刷しといて欲しかったです。発行年は表記されてるんだから、あと一息ですよ。
 一応『Parts Catalog/EUNOS ROADSTER/97-10改訂版』と仮題しときますけどね「廃墟自動車図書館」では。
 
 画像手前に見えるのが本書199710月改訂版で、NA8Cはモデル最末期ながらまだ現役続行中。408528もこの中に含まれています。
 下は19985月最終保存版で、表紙の車輛画像がハーフトーンなところが涙を誘います。すでにNAの在庫一掃大乱売セールも終わり、街にはあの下品な雲古メタリックのNBがウロチョロしはじめていた頃でしたね。
 
 NAが終わり、アナログ時代も終わり、やがて紙もんのパーツカタログなんかも終わってったんでしょうなぁ。
 
 
 
 
 
 
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