Korean Buddhist Sculpture(朝鮮の佛像)

  
 Kang Woobang著『Korean Buddhist Sculpture(朝鮮の仏像)』の書影を公開します。
 元々は『The Principles of Ancient Korean Sculpture(上代朝鮮の造像儀軌)』Ⅰ(1990)・Ⅱ(2000)として出されたものを、2005年に英語版の一冊本として抄訳出版したものです。A4程度の大判本ですね。
 ネット上では複数の異なった装幀デザインが確認できますので、重版の度にアップデイトしているのかもしれません。もしくは仕向先地ごとにデザインを最適化しているとか(笑)。
 
 一応「朝鮮」「仏像」と仮に訳していますが、実質的には南朝鮮(大韓民国)国内の石造仏がメインです。中でも慶州石窟庵内に安置されている有名な推定阿弥陀如来坐像に過半の頁を割いているのが特徴的です。
 朝鮮仏教史・造像史の中で今もってミステリアスなまま特異な存在であり続けるこの仏像に興味を抱き、韓国の書店で買い込んで来た一冊でした。
 
 
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 この本は論文、なのかな。図版の数はそこそこですが、朝鮮総督府時代の日本側調査資料から借用した図は巧妙にトレースし直されて鮮明です。
 韓国の本らしく、頁用紙に用いられている短繊維・中厚紙の風合いや表紙クロスの渋い色合いがなかなか枯淡の味わい。戦前の第一書房などに見られた東洋風洋製本の流儀をそのまま承継しているかのような、落ち着きのある装幀デザインです。
 折り丁を綴じつける糸の引き込みも強く、全体わが国の製本所でも余程なコストを覚悟しないとここまでの本作りは難しそう。こうした本がなにげに書店で売られているところをみると、まだまだ韓国には紙と文字に重きを置く古い書物文化が生き続けているのでしょう。
 
 旅でソウル周辺にいる時は、何事によらず李点馥(イ・チョンボク)氏が頼りでした。謎めいたキャラクターの韓国人です。
 朝鮮語を話せないカバ男にとって唯一のコミュニケーション手段は、相手が分かりそうな簡単な日本語を連呼することと大袈裟な身振り手振り。あと指さし(笑)。
 メシを食ったり電車バスに乗ったりなどはよいとして、それでは見知らぬ現地人と必要な情報をやりとりして目的を達することは不可能。コミュニケーションの限界は低かった。
 そこで登場するのがこの李氏。
 基本単独行動のカバ男は一人で移動しながら「今鐘路でこれから国立博物館に行きたい」とか「今夜パンソリの舞台は見られますか」「道に迷ってる。教会で神父と険悪なムード」なんて要所要所だけ携帯電話で李氏と相談しつつ、あとは自力で斬り抜けるワケです。
 オッケーGoogleSiriだとチャラいアプリケーションがどれほど宣伝したって、地元情報じゃアナログの李氏には到底太刀打ちできませんて。
 まあこのオバハンのおかげで随分行動範囲も広がり、普通の旅行者じゃ見られないもんも沢山見て来られました。感謝感謝。
 
 そんな李氏が唯一まったく無反応、情報も提供してくんなかったのが、「ソウルで一番大きな書店に行きたい。古書店でも可」という打診でした。
 「ああそう」とか「調べとくわ」なんか全っ然やる気のないナマ返事を続けて夜になりそうだったので、いい加減見切りを付けて手近なビルの地下街(ソウルは万一の朝鮮戦争再開に備えて避難壕を兼ねた地下施設がとても多い)に潜り込み、見付けた書店でこの本に巡り合ったという次第。
 あとから『ロンリープラネット』を読み返したら、多分そこはギョボ(教保?)書店というソウル最大の本屋だった模様。見切ってよかったですよ。
 
 李氏、本が嫌いなのかな。
 最初はそんな風に考えていた。
 でもそうじゃなかった。
 本屋に客を紹介しても、キックバックが望めなかったんです。彼女(笑)。
 
 
 
 
 
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世界の迷路と迷宮

 
 ジャネット・ボード著、武井曜子訳『世界の迷路と迷宮』の画像を公開します。19774月佑学社刊。
 黒ベースのブックデザインでちょっと重い感じですが、内容があって楽しい印象の方が強かったです。
 
 
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 迷路、迷宮。
 この本は迷路の本です。
 世界中にある迷路の遺跡や庭園迷路、芝生迷路、文様デザインに表れた迷路や迷路になってない迷路、気が付いたら迷路になっていた文章、とたくさんの迷路バリエーションを図版や写真で見せてくれる本です。本文160頁余りに採り上げられている迷路の数はぎっしり268
 と同時に迷路に関する伝説や考察も簡略にまとめて収録してあります。
 わが国で迷路だけをテーマにした本は類書がほとんどなく、基本図書としても欠かせません。
 総モノクロームの簡素な構成ですが、きちんとした糸綴じのクロス装(カルトン厚表紙を布で化粧張りして品位を高めた製本法)上製本。大判で図録的で難しい文章もなく、こうゆう絵本的な本は好きだなあ。
 
 地中海地方にクレタ島文明っつのが大昔にありまして、ギリシア神話など読んだことのある人ならミノス王とかパシパエー妃とか、アリアドネーなんて名前も懐かしいかもしれません。最古のエピソードが残されているという意味で、このクレタ島が迷路発祥の地だそうです。
 哲学とか医学と同じように非常に西欧的な事象、つかカテゴリーと言ってもいいんじゃねいすかね、迷路っつのは。
 古代のアジアには人為的に作られた迷路や迷路デザインというのがほとんどありません。強いて探すなら、歴山(アレキサンダー)大王にぶった斬られたとされるゴルディオスの複雑結びぐらいかな。むしろ東洋人全般には饕餮文(とうてつもん・獰猛な怪人の顔)とか雷渦文(らいかもん・ラーメン丼の縁にある例の渦巻き)とか、単調化された図像の反復を面白いと思うメンタリティーの方が強いです。
 暗喩(同じ知見を持つ者なら全く別の真意を汲み取ることができるような図絵や詩文を作ること)暗号を潜ませた図像は東西ともにありますが、迷路のような幾何学的図形それ自体をじーっと見詰めて宗教的なドグマ(信仰を補強するための補助的な理論)をそこに当て嵌めたり、なんらかの教訓や論理を引き出そうなんてことはしませんね東洋人は。陰気臭いもん。
 
 そもそも牛人ミノタウロスという怪物(とそれに纏わるパシパエー妃の牛姦スキャンダル)を閉じ込める一種の牢獄として考案されたのが、クレタ島のミノス王地下迷宮でした。図案化すると、複雑に入り組んで頻繁に前進と反転を強いられるものの、入口から淡々と道を辿りさえすれば必ず出られる一本道の構造になっています。
 時が下り、これを模した小規模の地上迷路を駆け抜ける遊びから、疑似的な生命再生や宗祖御復活の儀式が生まれます。つまり、迷路に進入して一目散にグルグル走り回ると、目まぐるしい方向転換で耳の奥にある三半規管が攪乱され、眩暈に似た感覚が生じます。気持ちが悪くなる。で、やっと出口から出て水やワインで一息つくと、次第にそのグルグルが収まって元の平衡感覚が爽快感とともに蘇ってくる。これが死と死後の世界と再生のシミュレーションと信じられ、年中行事など民間の信仰風俗として根付いていったワケです。
 
 ミノス王の迷宮は地下のものでしたから、一旦真っ暗な地下で死を体験してから生命の光溢れる地上に戻るという英雄テセウスの行為が、再生復活のアナロジーとして都合がよかったのかもしれません。
 迷路はかなり早い時代からそんな風に信仰と結び付き、やがて西欧固有の一種秘教(教理が一般的でなく存在を公開もしない信仰の形態)的な活動にまで取り込まれていった施設、デザインでした。
 
 本書は図版主体ですので、スーフィダンスのように仮想の迷路上を旋回しながら辿る宗教舞踊など、目に見えない事象は取り扱っていません。
 文中に書名のある研究書Matthews(マシュウズ)著、『Mazes and Labyrinths(迷路と迷宮)』は1980年代後半に京都の人文書院から邦訳の告知があったものの、果たされなかったようです。ひっじょーに残念な出来事でした。
 
 どっすかね人文書院さん、もっぺん仕切り直しで。
 
 
 
  
 
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超能力者 エス1号

 「2018082120181008
 「2016070820160726
 「2015102420160414
yyyymmdd」ってヤツですよね。時系列を取り扱う際の。
 
 寒くなりはじめた近所の公園で、秋の陽射しを浴びながら、私は皺くちゃんなったこのメモをじーっと見詰めていました。
 かなり真剣な目付きだったと思います。
 もしかしたら、今までで一番。
 じーっと、長い時間、身動きひとつしなかった。
 あまり動かないので、野良猫が私の足を踏んでゆきました。
 
 821日のエントリーに「ガリガリ君が当たった日」の記述あり。
 108日深夜、ガリガリ君ソーダ味、本当に一本当たった。
 なにげなく書きつけた例え話が、およそひと月半後に現実の出来事となっていたんだ。
 
 なんであんなこと書いたんだろう。
 『新聞折本Projectの記事は、内容の割に文書作成が一発で決まり、すんなりと投稿できた記憶。
 サラッと書いてスパッと投稿。気持ちはもう次のテーマに向いていました。
 一昨日だったかな、息長くコンスタントに読まれている記事なのでなんとなく読み返してみたんです。
 で、あの記述が目に飛び込んでちょっと驚愕。
 思うところあり、すぐにメーラーを起動、過去の送信文を探しはじめました。
 
 一番古く残ってたのは20151024日の在米邦人宛メール。
 すっかり怯えた文面で、関東縁辺が震源となる地震が頻発していることや、深夜東の空に青白い閃光を見ることが多くなったことが書かれていました。
 巨大地震を恐れていた。
 明けて2016414日、熊本地方に大地震発生。
 その間およそ半年。
 
 201678日付け同人宛メールでは、手向かいできない弱者を襲うホームグロウンテロリストについて、テロなんかではなく独善的な理屈を振り回すだけの殺人だと強く非難。怒り狂った文面。
 726日未明に相模原市の障害者施設で大量殺人事件発生。犯人は障害者に対する独善的な論理によって犯行を決意、護送されるパトカー内では薄笑いを浮かべ終始カメラ目線だった。
 これがメールからわずか二週間余り。
 
 ・・・、こんなことってあるのか?
 気が付かなかったけど、俺は未来の出来事を感づいてメールしたんじゃねいのか?
 俺って・・・、俺って・・・、
「予知能力者だったのか!」
思わず呟いて立ち上がったとき、メモ用紙はくしゃくしゃになって握られていました。
 

 あ、今笑ったでしょ。
 いえ出来事やメールは実際にあったんすけどね。全部実話です。
 まさかねー。まあこうゆう偶然なんかよくあることですから。
 今は冷静んなってます。ダイジョブ(笑)。
 
 でもね、そうゆう偶然にしばしば遭遇するタイプの人って、身の回りにいませんか?
 気がかりが出来てちょっと戻り道したら同窓生にバッタリ出くわしたとか、胸騒ぎがしてブレーキ踏んだら自分を抜いてったスポーツカーが先の方で事故ってたとか。似たような経験ありませんか。
 もしそうゆう人が、ほんとに未来予知の力で行動していたのだったら、それって超能力者でしょ。気付いてないだけで。
 でも今現在の人間社会、そんなのSFの世界としか思われてないすからねー。「アタシ超能力あんの」なんか口走ろうもんなら、速攻変人扱い。ヘタすっとキの字のワゴン車呼ばれちまいますぜ。

 こう考えたらどっすかね。
 例えば陸上競技でもロック歌手でも、自分の優れた力に気付けた者だけがそれを伸ばしてゆける。一流になれる。ナミエだって友達のコギャルとぷらぷら遊んでただけなら、今頃ただの太ったカラオケババアだったんじゃねいすか。なんてね。
 だとしたら、フトしたキッカケで気付いちゃった人はそれを伸ばしてかなきゃ。やればできる子になんなきゃね。
 偶然を必然に変えて知りたい未来を自由に知ることができるよう、是非とも特殊な能力を鍛えてってほしいもんです。人類のために。なんつって。
 
 あ、カバ男はやんないすよ。
 私は変人扱いされんのイヤですから。
 でも、いつかそうゆう人が現れたら楽しいな、映画みたいじゃん。みたいなお話でした。
 そんときゃきっとこう呼ぶね、
「超能力者・エス1号!」。
 
 
 
 
 
 
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歴史に残るレーシングカー

 
 ダグ・ナイ著『歴史に残るレーシングカー』。グランプリ出版、19918月刊になります。
 翻訳は高名なエンスージアストの高齋正(こうさい ただし)氏と、ニフティ・サーブ上で高齋氏が行った共訳の誘いに呼応して参加した清水伸一、浜田貴志両氏の三人です。
 
 一人の翻訳者が「パソコン同士で通信」しながら同志を募り、遂には300頁近い一冊の公刊本を訳出するまで漕ぎ着けるって作業でした。進んでる人は進んでましたよねー、1991年ですよ。これ読んでるアナタ、この頃何やってました?え、まだ生まれてない?いや失敬(笑)。
 恐らく訳出作業自体はその前年と思って差し支えないですから、8990年頃?世の中バブル景気でアゲアゲのコレもんだった時代だけど、やってるこたてんでアナログ一色。お立ち台の上でパンツ見せながら扇子振ってたワケですからね。カワイイもんでした。
 なのでまだ個人間の「通信」つったら、でっかいアンテナ立てたアマチュア無線とか電報ぐらいしか思い浮かばなかった時代じゃないかな。
 カバ男なんかも同じ頃に北九州地方の方言を調べる必要が生じ、友人を介してこのパソコン通信フォーラムの支援を受け、便利な時代んなったもんだと感動すら覚えたもんです。
 
 
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 いやはや、脱線脱線。『歴史に残るレーシングカー』に戻りましょう。
 この本を書いたダグ・ナイという人はイギリスのジャーナリストだそうですよ。ゲール語みたいな名前の響きからすると、アイルランド系?ハイランダーなのかな。
 欧米では無名のモータースポーツ・ファンが自動車専門誌のライターからキャリアを積み、やがてフリーランスの投稿者となって内容のある専門書を出すっつうエンスージアスム(特定の趣味に関して広範囲に探究する熱意ある心情)が普通にあるみたいですね。経済情勢などに関係なく一定の読者層が常に存在し、それが職業として成り立ってる。
 イタリアにもフェラーリの伝記で有名なジーノ・ランカーティなんつ大御所もいるし。
 ダグ・ナイさんの場合は古典的なレースやマシンに関する造詣が深く、自動車の世界に於ける一種の産業考古学者みたいな位置にまで到達している人です。
 世界最初のガソリンエンジン自動車を発明したカール・ベンツの伝記『ベンツと自動車』など、初心者にも分かりやすい語り口でしっかりした歴史考証もんも書いてます。裾野の広い視野を持った人なんでしょうね。
 
 それで、今回は色んな縛りをとっぱらって、自分の好み100パーで新旧のレーシングカーを五十台集めてみよう、という内容。一種の集覧(同じカテゴリーの物件だけを羅列して展観させるカタログ的な構成の本)と言う事もできると思います。
 そうはいっても自動車の歴史自体が百年、つまり原書の刊行時点でレースも100シーズンないワケで、そん中の五十台ですから当然誰でも知ってる名車もたくさん採り上げられてます。でも、それでイイんです。名車は誰にとっても名車ですからね。
 この本の場合、そうした有名どころに加えてミラー8気筒だのドゥラージュだのといった聞き慣れない古典レーサーや、戦後派だとファーガソン・クライマックス四輪駆動とかブラバム・アルファBT46Bなんつう変わり種マシンが混ざり込んでて、ボデーブローのようにマニアの心を打ってくるワケです。
 そう、この辺が一種の分かれ道になんのかな、この本の。
 
 カバ男はこの本、後ろから読みました。だって戦前のアルファロメオだのデューセンバーグだのったってチンプンカンプンで分かんねっし。形だってクラシックカーなんだかレーサーなんだか区別つかねっし。
 仕方がないから近い所でフェラーリ312Tとかウイリアムズ・ホンダW11とかね、雑誌で見かけたようなマシンから読んでゆきました。で、段々昔のマシンがどんなだったか読み進み、最初の頁に至るト。そんな読み方でも充分に面白かったですよ。
 百年に満たないような自動車レースの世界でも、それなりに歴史を刻んできたんだなーって感じました。
 
 昔っからそうなんすけど、レースファンとかクルマ好きと呼ばれるヤツらに長い時間の観念はないすよね。
 そもそもクルマ自体がどんどん新しいモデルを出して消費者を惹きつける高額商品。言っちゃ悪いが目先の商売。消費は美徳で女房とクルマは新しいにかぎる、の世界ですから。
 彼らマニアは、だから今現在サーキットで戦っているレーシングドライバーやレーシングカーに惹かれる。でも戦前の多摩川スピードウエイでブッチギリ優勝したダットサンとかには、正直興味を示さない。今が最高、それがクルマ趣味では普通のことなんです。
 そんな「今を生きる」だけだったクルマ好きに、時を遡り戦前のそのまた以前の自動車原始時代をたずねるキッカケを提供してくれるのが、この『歴史に残るレーシングカー』という本だと思いました。自分の大好きなこのレーシングカーっつ機械が、どうやって今みたいなカタチになってきたのか。どんなドラマがあったのか。そんな小さな疑問に引っかかれるか否かの分かれ道があるという意味で、この本は凡庸な集覧自動車カタログとハッキリ一線を画したユニークな本だといってよいかと思いますね。
 いつまでも版を重ねるべき価値のある内容です。
 
 すでに刊行から四半世紀を経過した本です。無線綴じ(折り丁を作らず、一枚ものの頁用紙を糊付けして本のような形に成形した、安価簡易な製本法)なので、繙読に堪えず束(一冊の本を形作る本文用紙の集合体)の真ん中からパックリ割れてしまう場合があり、ちょっと悲しくなりますが。 
 
 
 
 
 
 
 
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Blackwater Rising

 
 ここは副都心。
 
 連休の最終日とはいえ、午前0時を過ぎた今もオフィス街をサラリーマンやOLが行き交ってます。
 つうか、休日出勤の打ち上げやりすぎて終電逃したんでしょうなぁ(笑)。行き交うというよりは、途方に暮れて彷徨ってんのかな。
 明るい公園の喫煙コーナーなんかにも屯って、無駄にスマホなんか覗いてますね。
 
 「なぁにアンタ。変質者?!」みたいな強張った険のある目付きで、ベンチから若い女がカバ男を睨め上げてきました。
 いいや違うって。オレは変質者なんかじゃねえよ。
 待てよ?ガンマンっつのは変質者枠に入んのかな、ニッポンの社会では。
 んへへへ。
 棒立ちのまま右手につまんだアイスの心棒をその女に突き出しました。濡れたままテラテラと不気味に光ってます。
 女は一層険しい表情。
「コレな、なんて書いてあんのかな。老眼なんでぇ」
瞬間、間抜けな顔つきでその棒を受け取りました、女。
んぁ?みたいな(笑)。
「・・・一本、あ、一本当たりって書いてある。当たってる」
「おお、やっぱ当たり?」
「そうそう、当たったのよコレ。すごい!!」
「おーよそうだろーと思ってたぜ。ざまーみろワハハ」
「やったやった、なんのアイス?すごい、もう一本食べれる!アタシ一度も当たったことないのに!」
 もう最前の警戒心はどこへやら。立ち上がってピョンピョン跳ねてます。
 眼なんかキラッキラ。
 
 騒ぎを聞いて灰皿の周囲でケム吐いてたオッサンが数人近寄ってきました。
「なんだなんだ」
「なにがなんだ」
「当たったの、このオジサン当てたのよアイス。ホラ」
「どれどれ、おーホントだ当たってる」
「おめっとさん、一服点けねえ自分のタバコで」
「あ私にもちょっと・・・なるほど当たりですなコレは。これホームランバー?」
「いえ、ガリガリ君のソーダ味です」
「もう一本食べれる!」
「めっちゃテンション上がった~」
「オレも当たったことあるよ。もう五年ぐらい前かな」
「私は新婚以来だから、これで十五年目ぐらいですかね」
「いやはや、是非ともあやかりたい」
拝むなっつの。
 
 ト、まあそんなことで、なんでしょうかね。イイ歳こいたオッサンねえちゃんが、たかがアイスの当たり棒一本で輪んなって盛り上がる盛り上がる。
 品川もここらあたりになると、妙に「誰でも地元民」っぽい下町のフレンドリーさがあるんですなぁ。
 
 ウチ帰ってきて、マヒロさんに起きて見てもらいました。
 ・・・、反応微弱(笑)。
「でもさ、オレたちが結婚した頃以来なんだぜ当たったの」
「ふ~ん。・・・だから?」
「ちょっと待っててね」
カバ男、深夜だっつのにごそごそキッチンでスパイスホルダーを漁りはじめます。クミンやフェンネルの壜が耳障りにガチャガチャと音を立てました。
 「あったあった、取っといたんだホラ」
出てきたのはガリガリ君の心棒一本。
「なあに、おんなじ物じゃん」
「だからさ、あん時の当たり棒なんだよ。記念に取っておいたんだ」
マヒロさん、寝ぼけ眼でじーっと見てましたっけ。
「ほら、ふたつを並べると十五年前の方が古くなって色が濃くなってるよ。でもおんなじ字が書いてある」
「あらホント、こんなに違うのね・・・」
「ね。時の経過って物をこんな風に」
寝るわ、と言ったきりマヒロさんはすたすたと自分の部屋に入ってしまいました。
 振り返らなかった。
 おやすみも言ってくれなかった。
 カバ男は、喋りかけた口を開いたまま、その場に棒立ちで取り残されてしまいました。
 
 真っ暗な中、手探りで洗面台の一番小さな明かりを点けます。
 鏡に映ったカバ男は、どんな顔をしていたでしょう。
 ちょっと萎んだみたいな感じです。
 しばらく二本の当たり棒を見詰めて何か思っていたようでした。
 やがてキュッと口元を引き締め、明かりのスイッチを切りました。
  
 また、真っ暗になりました。
 その瞬間、鏡の中でカバ男は唇を苦く歪めて、かすかに笑っていたのかな。
 
 残像が暗闇に少しだけ残って、消えてゆきました。
 
 
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飯能なう

 
 この秋口んなってまぁた台風が来るっつんで、なんか掃き付かない天気でしたよね今日は。
 で軽く朝飯食ってから、オモムロに出かけてまいりました、飯能。
 ブログ『日本風土記』の根立隆氏が毎年行ってる「飯能スケッチ展」
 今年はその十回目っつことらしく、ポスターのタイトルは「Hanno Sketch 10」となってます。スケッチ展の展と10(テン)を掛けてたんすね。ゲーコマです(笑)。
 
 
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 今年は会場の店蔵絹甚さんへは二回目っつことで、ちょっとリラックスしながら根立氏ともお話させていただき、良かったです。作品も大判の別作が数点出ていて、これはまたこれで良い味でした。
 でリラックスついでに厚かましくも蔵の二階まで見せてもらっちゃって。そしたら女性スタッフの方に「屋根裏まで見られますよ~」なんかお勧めされちゃって、見てきました。
 流石に昔の店蔵は使ってる木がぜんっぜん違いましたね。太いし、屋根の形に沿った木を選んで、そのまんま使ってる。
 こうゆうのは棟梁の腕もそうだが、見えないとこに味な技を残すって心意気のある人じゃないとなかなかね。できません。
 
 
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 終わって少々雲行きが妙になってきたけど、霧のような雨に当たりながら飯能河原なんかでブレイクしたり、路地裏散策なんかしながら帰ってまいりました。根立氏にも絹甚スタッフの方にも感謝です。
 イイです、飯能。癒されました。
 
 
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砂時計

 
 以下、引用文------
■■■■■様
 
拝啓、寒くなって参りましたがいかがお過ごしでしょうか。
■■■こと■■■■■さんへの取材音声■■■■・■■セットをお送りいたします。なにとぞお納めくださり、ご活用いただければ幸甚です。
ケースに貼られている1aとか1bというのが目次で、先日メールでお知らせした■■■■内容に対応しております。納品された品物に敢えて手を加えておりませんので、ご随意にタイトルをお付けになると紛れることがなく便宜かと思います。定法通り全く同じ物を二セット作らせ、一は秘蔵となりました。
 
出版の世界は書物という記録が残りますので、半世紀以上も前の出来事に纏わる人物群像を描きやすいカテゴリーともいえます。現物と人物を丹念に組み合わせてゆくと、芝居の舞台のようにある時すべての辻褄が綺麗に符号し、快刀乱麻の晴れ晴れとした気分になるものです。ですが、それは往々にして資料再構築者の陥る落とし穴でもあると痛感しております。
人の行動はそれほど整理整頓されたものでもないし、逆に自らの行状を淀みなく語る相手ほど用心すべし、というのが私の習性となっております。その意味では、本件の取材音声は支離滅裂な中に本物の記憶錯誤と韜晦、巧妙な知らんぷりなど複雑に絡み合った面白い応酬といえるかもしれません。
 
実は■■■さんに対する取材から今日まで、どうしても気になっていた『■■■■■■』に関して断続的に調べておりました。ですが、不思議なことに■■■には殆ど痕跡らしきものがありません。同じ■■関係でも、■■労組の闘争支援のための■■■だったのかな、などと今は思いはじめております。メールにも書きました■■■■爆殺計画の件とともに、書物とは離れますが、■■■■■という男の人間理解にまで立ち入るならば、外せない課題かと思います。
ベトナム戦争当時■■■で発生した■■■■と■■系■■■との■■事件を■■した折、■■というのは一般社会から見えにくいけれど労働運動の拠点として相当に特殊尖鋭的なものだった、とそういう印象を得ました。そうした労働風土の中に■■■さんの人柄を置いてみると、意外に齟齬が感じられないのです。
ともあれ、向後この方面の探究深化は偏に
■■■様御一人のご活躍に恃むの外なく、ご苦労なことも多々出来いたしましょうが、含めてよろしくお願い申し上げる次第です。
冬に向けご自愛ください。敬具
 
二○■■年■■月吉日」
 
------引用終わり。
 
 
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キンモクセイの匂いが北風に乗ってそこはかとなく聞こえてくると、この手紙と一緒に桐箱に入った■■■■を送り出したときのことを思い出します。

そっか。あれは今頃だったのか。
遠く離れた■■■■の地で、戦前の伝説的装幀デザイナー■■■■の幻を追うジャーナリストに、あれを送りました。遡ること二十年余り、カバ男が最晩年の本人に直接行った、ロングロングインタビューの記録です。
「廃墟自動車図書館」そいつがネット上に出現するもっともっと前から、カバ男って書物にまつわる冒険を続けていたんですね。

書物にまつわる疑問を放っておけない性分。疑問を解くため人にも会い、廃墟を探り、事件に遭い、歳を取ってきたのか。
何か得るもんは、あったのかな。
 ロマンだけだったのかな。
 なんつって。
 
「砂時計」って言葉、最近時々頭に響くんすよね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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