ヨーロッパ 歴史の中の手紙

 
根本謙三(ねもと けんぞう)『ヨーロッパ 歴史の中の手紙』の表紙画像を公開します。辞典や民俗工芸関係の出版も多い木耳社(もくじしゃ・きくらげしゃに非ず!)から1984年に発行された本です。
 この本は、先に当ブログでアップした京都書院アーツコレクション文庫『フランスのオトグラフ』で参考文献の第一に掲げられた本で、文中にも著者根本氏への簡単な言及がありました。
 
『フランスのオトグラフ』が1998年の発行ですから、そのまた十四年も前に出された正真正銘オトグラフ趣味の先駆的出版としてよいでしょう。判形は略A4版、カルトン(表紙に厚紙の芯を用いた製本法)表紙のしっかりした本です。本文は総アート紙モノクロ印刷及び部分カラーで糸綴じと、普及本の画集として定石通りの成り立ちになっています。
 
 
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 「私は人間の書いた文字というものに異常な関心を有つ(もつ)者である」と、あとがきの一行目にありました。
これです。この一言を自分から言い放てるか否か、自分の蒐集癖衝動を素直に認められるか否かで、その蒐集家の「人としての格」が定まるのです。コレクターだけではなく、すべからく変人変態習癖者は、強烈なまでに自己を自覚肯定することによって初めて、凡夫の到底なし得ないアルスマグナ(大偉業)へと自らを導いてゆくことになるんです。
とにかくこの自然体がイイんです、クゥ~(慈英風)。
 
 しかもこの根本氏、元々はわが国戦国時代の武将の手紙をコレクションされていた。武蔵坊弁慶よろしく手紙を一千点集めることに一念を凝らし、東京国立博物館の小松博士に真贋鑑識の応援を仰ぎ、時代の範囲を拡げながら集められるもんはどしどし集めたらしいです。
やがて集めたくとも出物がなくなり、五百余りで手紙コレクションを終了。区切りと渡ったヨーロッパで今度はオトグラフに巡り合う、と。まさに神の采配の妙としか言えない天然自然の出会いがそこにありました。
古筆古墨の世界で充分すぎるほどの素養を蓄えてきた堂々たる肉筆コレクターと、全く新たな蒐集の地平、オトグラフとの邂逅。いやはや、ドラマチックな展開ですね。
 
つうことで、この本にも欧州史上の有名人三十人余りが残したオトグラフが、おおむね一人分ずつ見開きで紹介されています。キャプションはほとんどありませんが、その代わり充分な大判ですからとても見易く面白いです。
惜しむらくはせっかくのアート紙を存分に生かせなかったモノクロ印刷で、ややコントラスト過大のコピー画像のような平板な仕上がりとなってます。その点さすがに後発の『フランスのオトグラフ』は丁寧で、写真頁は全て色校正の行き届いたカラー図版が嬉しいところ。
ただ、これは飽くまでもカバ男の私見に過ぎませんが、それでも『歴史の中の手紙』、全然オッケー。この本の精華はむしろ図版よりも、巻末にある根本氏の、コレクションに纏わる短い冒険譚や「あとがき」の中にあるように思いますので。
おそらく根本氏も、製本出来に向けた校正作業で写真頁の仕上がりには頓着されなかったんじゃないかな。
だってオトグラフ趣味というのは、現物を目の前にして初めて語れるものなんすからね。写真の頁なんて、それこそ古人の糟粕(いにしえの思想家の思考の残り滓)の、そのまた幻影でしかないわけです。
 
1984年といえば、カバ男はまだ社会に駆け出したばかりの青二才。それでも本好き探索好きの性分はすでに蕾を開き、時間を割いては神保町の田村だの玉英堂だのと徘徊を始めていた頃じゃなかったかな。
そんな時、すでに遥か遥か別次元でこの根本センセ、こんなに凄いことやっちまってたんすよねー。ちーとも知らなかった。
一度で良いからお目にかかりたかったです。
 

 
 
※今回のエントリーから文書の記述を通常の日本文式に改めました。センテンスが長く文字の多いカバ男の文章は、行頭一字下げの一般文的書き方の方が読みやすいのではないかと考えたからです。
 どっすか?
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フランスのオトグラフ

 
 あなたは誰かにサインをねだったことがありますか?
 
 誰か高名な人物と食事なんかご一緒して、別れ際に「恐れ入りますが、本日の記念にしたいのでこのハンカチに揮毫を頂けませんでしょうか」とかね。
 あるいは東京駅の八重洲口で偶々並んで人待ちしちゃった某タレントなんかに、「いつもテレビ見てます。すっごい好きなんでぇ、サインください!!」なんか口走っちゃって有り合わせのシステム手帳かなんか千切って渡し、興醒めされたりね。

 カバ男もありますよ。
 あれは・・・、あれは1969年ぐらいだったかな。
 近所の放送局で「よしだたくろー」とかいう歌手のラジオ収録があるっつんで、受付で適当なこと言ってスタジオに潜り込んだんです。で収録が終わって客が全員帰るまで隠れてて、ギターを片付けてた「たくろー」にサインをねだりました。
 その痩せ形でちょっとハスキーボイスな「たくろー」は小学三~四年生だったカバ男の突き出したポスターに、気さくに大きくサインしてくれたんすけどね。調子ん乗って「住所書いてよ」と要求したんです。
 書いてくれましたよ。東京都杉並区堀・・・「おじさん東京に住んでんの?じゃ番地も書いてよ」「なにぃ?うっせえガキだな」・・・、書いてくれました。要求通りマンション名と部屋番号まで「!」マーク付きで。
 
 ぶっきら棒でまるで愛想なかったけど、腹の悪い男じゃなかったですね。
 自分の中に絶対壊れない何かを持っているな、トそうカバ男は思ったもんす。
 
 
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 高野純子(たかの じゅんこ)『フランスのオトグラフ』です。平成十(1998)年、京都書院の発行ですね。アーツコレクション文庫201巻。
 「フランスの」という冠が付いていて、オトグラフ趣味に関する日本の書籍としては大変先進的で類書の少ない基本図書といってよいでしょう。
 英語でもオートグラフなんつう言葉はあって、スィグネチャーとかサインなんつのと同列な使い方するんじゃないすかね。この本の場合オトグラフというのは、ま「直筆」とか「手稿」というような意味になるでしょう。歴史上有名な人物が自ら認めた文書類を蒐集する、歴史趣味文芸趣味がクロスオーバーしたものですね。
 
 オトグラフ蒐集の眼目のひとつは、先ずもって有名人の真筆(たしかにその人物の自筆)であることです。その人が手紙魔だったり自己愛が強くて自分の原稿は必ず出版後に回収していたりすると、大した人物ではなくてもオトグラフが多数残されていたりします。某署名本濫造詩人とかね。
 逆に物にこだわらず作品も金銭もパッパと取り巻き連中にくれてやり、それが故に極貧に落ち、終局無名のまま墓も知れないような人物。百年を経てその優れた業績が初めて世界を驚かせたような、究極的大アーティスト。そういった人物のオトグラフなんつうのは、当然極稀。しかも探求する人夥しく、結果偽物が流行する、ということになります。
 ロートレアモン伯爵ことイジドール=デュカスなんかいい例じゃないすかね。
 そして例えばすけど、そんな人物の「○月○日夕刻必ず当家宛お運び下さりたく重ねてお願い申し候」なんつうオトグラフ、その正に○月○日夕刻が刺客の凶弾に倒れた日だったりして。そうなると一枚の書付に歴史的な証言要素などが加わって、骨董的な価値なんかより文化的価値の方が遥かに高まり、スーパーなコレクターズアイテムになってゆくワケです。
 
 トまあそこまでのことはこの趣味の沼な部分であって、『フランスのオトグラフ』はもうちょっと入口のあたりで気楽な内容。ギョーム・アポリネールとかアンリ・マティスとかのオトグラフを写真と解説でタッタと三十件余り掲載してあります。
 ほかに、わが国ではほとんど知られていない趣味、という立場でこのオトグラフ趣味に関して縷縷解説などがあります。
 その辺かな、ちょっと疑問な部分。
 我田引水すぎるんすよね。
 わが国だけじゃなく、東洋全般に連綿と続いている書道の系譜、扁額(古い能筆を額装したり実際建物の看板として掲示すること)の嗜み、古筆(古代の能筆家の真筆)を尊ぶ文人趣味。巻末にちょっぴり触れてはいるけれど、この著者てんで別物みたいに思ってるし。
 オトグラフ趣味は何百年?古筆の嗜みは数千年ですぜ、高野さん。

 

 京都書院のアーツコレクション文庫についてはまた追々取り上げてゆきたいですね。本当に真価を持った文化事業だったと、今でも頭の下がる思いです。

 

 あの夏、小学校低学年だったカバ男にもしオトグラフの趣味があったなら、例の住所付きポスターは失われずに残っただろうか?そして今でも彼の住まいのどこかに、黄ばんで褪色しきったそれは貼られているのだろうか?

 ・・・、どうなんでしょうね(笑)。
 
 
 
 
 

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にんげんドキュメント 乗り物に生きる

 
 檀上完爾(だんじょう かんじ)『にんげんドキュメント 乗り物に生きる』という本で、現代旅行研究所より昭和五十五(1980)年に発行されています。
 
 
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 タイトルに言葉を繋げるとしたら、乗り物に生きる・・・熊?牛?は冗談として、乗り物に生きる「人たち」っつことになるんじゃないすかね。表紙にもいろいろな姿で乗り物に携わる十六人の顔が載っています。
 
 フェリー船々長、航空自衛隊パイロット、観光バスの車掌、都電運転手、海外旅行の添乗員、赤帽、などなど。この本は乗り物を媒介としたさまざまな職業に生きる人たちの、生き方や思い出、希望を取材したルポルタージュです。
 十六の章から成っていて、つまりその主人公十六人が、表紙にお目見えというブックデザインですね。赤帽ったって、今の人は軽トラを使ったフランチャイズの配送業を連想するんじゃないでしょうか。
 
 総花的な本というのは、えてして内容が薄かったり粗密があって、読み終わるとなんだか物足りない感じが残っちゃったりしませんか?書く方にも読む方にも得手不得手があって、読みながら「あぁーっと、ソコもうちょっと詳しく書いてくんなきゃ」なんて無言の突っ込み入れちゃったりして。
 この『乗り物に生きる』は、そうゆう意味ではたしかに総花本の域は越えていないと思います。どの職種もソツなく纏めてる。でも、この著者が見てるのが飽くまでも人間、人の生き方なとこが、全体にしみじみとした落ち着きを与えて読み続ける楽しさを感じさせるんです。まあトラック野郎の章でデコトラの説明なんか延々やられても困りますけどね。
 
 『ドライバー実録』なんか読んでもちと思ったんですが、人が生業を選ぶとき、どうして乗り物絡みの仕事に携わってゆくのか。事務職とか商売なんかに較べりゃ身体なんかもキツイ部分、あるでしょうに。
 勿論そっから離れてゆくヤツも沢山いるだろうし、でも逆に乗り物に惹かれて携わり、色々あっても頑張ってその道で生きてく人もいる。乗り物に生きる人たちの心には、どんな思いがあんのかな、なんつって。
 この本、著者の檀上氏は特別そういったメンタリティーを掘り下げるような書き方はしてません。ある意味淡々と乗り物人生のスケッチを積み重ね。で、一冊読み終わってみると、なんとなくだけど彼ら彼女らに対するその「どうして?」が分かってくるような気になりました。
 そして、それをたしかめてみたくてまた読んでます。
 
 檀上氏はもともと鉄道がお好きで、若い頃から国鉄一筋の仕事人生だったようです。その後鉄道をベースにした旅もんなんかのライター業となり、今まで知らなかったんすけど鉄道ファンの世界では有名な方だったらしいすよ。
 この方ご自身が「乗り物に生きる」人たちだったんすね。
 2016年に多くのファンに惜しまれながら世を去ったと、ネット情報にありました。遅蒔きながらご冥福をお祈りします。
 
 
 
 
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秘策なし

 
 このところカバ男のブログが更新してないからサビシー!
 とおなげきの皆様、すいません。
 ボーッとしてんじゃねえよッ!とお怒りの、そこの五歳児。
 おめえは関係ねいよ(笑)。
 
 カバ男は怠けてませんよ。
 今、まいんちパソコンに向かってエントリー記事を書いてます。
 この忙しい秋なのに、なななんと連作エントリーだなんてああた。
 元通り両手で打てるようんなったからって、カバ男は自分の能力過信してんじゃないすかね。ダメだよーなんつって。
 
 今日は五番目まで書き終えました。
 あと七番ぐらいは書かないと。でも、良く考えなきゃいけない部分がたくさんあって、とても迷っているんです。
 
 これでモノんなんなかったら、前後二週間がまるまるパー。
 ブログの人気も(今以上に)ガタ落ち。
 男性100.0%。
 
 悩むなー。
 
 あ、そっか。
 これがもの想う季節っつことなのか。
 
 
 
 
 
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洋式帳簿製本の変遷と思い出 特装本レプリカ

 
 
 
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 帳簿、てあるでしょ。あの、現金出納帳とか総勘定元帳とか。「会計帳簿」っつのが正しい呼び方なのかな。
 見かけはちょっと厚手の大学ノートみたいで、黒革の背表紙には金文字で勘定科目なんかがカッチリ印刷してあって、中を開くと赤や青のインクで縦横の罫線がたっくさん引いてあるやつです。頁用紙も薄く稠密な特漉き(需要者の要請で製紙会社などが用途に特化した専用紙を製造すること)で。
 会社を興した最初っから記入が始まって、以降営々と日々の色んな会計行為を細大漏らさず記入し続ける手書きの帳簿。企業活動の原点でもあり、経済活動の極秘領域を赤裸々に数字で書き留めた、重い意義のある文書でしょうね。
 経理部のオネエチャンとかお局さんとかが毎日「書損ゼロ」の気魄で一行一行書き継いできたという意味で、一種の手稿本(内容をすべて手書きした書物)という考え方もできます。
 
 となると書物コレクションの対象としても興味は尽きないワケなんですが、内容が内容なだけにそうホイホイと古書市場に出て来るはずもありません。まして背・角革で小口マーブル染、背文字24金箔押しの社名入りなんて極上の帳簿なんか出るワケがない。
 そんなものが古書市場に流出するということは、自社専用帳簿を大量に使うような大企業が瓦解した時だけでしょうからね。
 いやいや、そんな会社なら最後の最後まで帳簿類は門外不出、いよいよとなれば粉々に裁断したうえ薬品でどろどろに溶かして廃棄ですか。畢竟、良い帳簿ほど古文書としては残らないんですなぁ。
 というワケで、この世にまだまだ大量に存在しているにも関わらず、誰も手に入れることのできない稀覯稿本がある、という事実のご紹介でした。
 はッ?今時そんな帳面使わない?
 法律変わったの?
 みんな勘定奉行にお任せよって、・・・いいのそれ?!
 
 
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 間野義光『洋式帳簿製本の変遷と思い出』私家版(出版を業としない者が業とせずに出版した本)一冊本。青猫書房の阿部秀悦氏に勧められて読んで以来、もうかれこれ三十年も愛蔵してきました。
 この本は元々、二番目の画像の姿でした。いわゆる仮綴じの軽装本。
 日本経理帳簿株式会社の会長だった間野義光氏が同業関係者や知己に配った本で、奥付には昭和五十二(1977)年とあります。
 帳簿製本と聖書製本。明治の文明開化で一気に花開いた、わが国洋式製本術の両輪ですね。戦前からこの洋式帳簿製本というモノづくりの世界で生きて来た職人経営者の見聞に加え、明治期の製本術舶来当時の様相などを大変詳しく解説してある、内容の濃い良書だと思います。
 その業界の重鎮が、稼業に就いて語った本を「紺屋の白袴」とばかり素っ気ない仮綴じ本として世に出した。そこに言葉にならない謎をかけられたような気が、読後のカバ男にはしていました。
 「お前さんコイツをどおするつもりでい」
 苦労人そうな優しい目の著者近影が、そんな風に問いかけてくるようで。
 
 カバ男はこの本を、間野氏が生きて活躍した東京で、東京の正統派帳簿製本術でキッチリと作り直してみたかったんです。つっても自分で製本できるワケじゃないんで、誰か作ってくれる人を探さなくちゃなんない。
 途中は省きますが、簡単にいって今のニッポン、全国的に帳簿の需要は激減し、それを作る職人もほぼ絶滅。当然のことながら、洋式帳簿の製本技術など跡形もなく雲散霧消してました。
 「ハイハイできますできます」と調子のイイこと抜かす製本所は幾つもありました。でもちょっと突っ込んで技法を質すと、途端に言葉はあやふや目線は虚空。外注だからの滑ったの転んだのと言い訳が始まります。
 くわばらくわばら。一冊しか持ってない本、こんなヤツに託してめちゃくちゃにされたら目も当てらんねえ。
 ・・・コンピューターの時代だもん。もう、そんな時代じゃないのかな。オレは幻を追いかけてロマンに浸ってるだけなんじゃないか。そんなやるせない失意を感じはじめていたときだったと思います。
 デスクトップに一通のメールが届きました。
「この本は私の父が発行したものです」
最初の行に、いきなりそう書かれていたんです。
 
 
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 つうことで、この本この姿でココにあり。です。
 『洋式帳簿製本の変遷と思い出』刊行者特装本レプリカ・一冊本。
 
 小口マーブルだけは正真正銘の絶滅技法になっちゃって再現できなかったけど、あとはすべて東京流にて再製本。表紙平に使った「雲形」、丸背の溝、何から何まで昭和五十二年当時の帳簿製品に見立ててあります。
 2017年の東京にも、どうにかこれだけの技術技法は伝承されておりました。明治時代に御雇外国人から伝わって以来途切れることなく承継されてきた、洋式帳簿製本技法です。その証明標本としても、廃墟マーブルコレクションでは末永く愛蔵することになります。
 この本を再製本してもらう過程で得られたいくつか興味深い事実、いつか当ブログで改めてエントリーできるとよいのですが。
 著者のご子息で洋式帳簿製本技術者の間野和義さん、今回の製作を引き受けてくださり本当にありがとうございました。いやはや、恐れ入りました。
 
 ・・・え?
 著者とか会社とか、消息たずねんのって最初にやる基本でしょ、て。
 カバ男はやってなかったの?ですか。
 三十年間何やってたのって・・・。ままあ、そりゃあ。 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
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A DAY

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 土禁かよ!
 てことで、ご覧の通り土足厳禁なんですなぁ。
 しかも漆塗りに金文字って、江戸時代かっつの(笑)。
 
 ここは横濱の古い町。
 「よこはま」という土地の名前よか古いようなお寺の、本堂です。
 よく見ると看板の下にはご丁寧に「Please take your shoes off」なんかテプラで貼ってありますね。こんなとこが外人観光客の多い港町らしい雰囲気なんでしょうか。
 ペルリ提督の開港以来、東洋の神秘に誘われてついつい「日本の家屋では地面と建物の境界で靴を脱いでから中に入る。ただし靴下はこの限りではない」というマナーを忘れて靴のまま本堂に闖入してしまう、フレンドリーな西洋人に悩まされてきたんでしょうなぁ。

 當山墳墓なんつう墓石の下に母親の遺骨を閉じ込めて、早五年。
「死んだら終わりさ」なんか嘯いて線香の一本も上げずにぴいらかぴいらか遊んで過ごす(ように見える)カバ男は、到頭業を煮やした住職に呼びつけられてお灸を据えられることになりました。
 これがそんときの写真。
 
 土禁きゃよ!!
 
 
 
 
 
 
  
  
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進駐軍モーターサイクルクラブ

 
 蔦森樹(つたもり たつる)『進駐軍モーターサイクルクラブ』、二種類の刊本を画像公開します。
 
 小さい方は昭和五十九(1984)年に群雄社より出された原刊本、下にある大きな方は1987年に山海堂から出された新装版になります。判型は山海堂版がA4ですので、手前の群雄社版は略菊判といって良いでしょう。
 在日米軍横田基地を拠点に、軍人軍属によって運営されてきた最大の米軍モーターサイクルクラブ「AJMCAll Japan Motorcycle Club)」。このクラブに伝わる三冊の古びたアルバムから、1950年代の日米バイカーズコネクションを解き明かしてゆく、異色のルポルタージュです。
 
 
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 1950年代といえば戦争が終わってようよう十年、モータリゼーションなんてスカした言葉もない時代ですね。
 一級国道ですら都県境を越えたら途端にアスファルト舗装が切れちゃって、そっから先は果てしなく延びる砂利道泥道。下手すっと農道に毛の生えたような「国道」を、下肥積んだ大八車が牛に引かれてごろごろ往くような、長閑な時代でした。
 そんな時代に高価な欧州ブランドのバイクを乗り回し、レースにツーリングにと遊び興じるAJMCの米兵たちは、やっぱ異次元の存在だったんでしょうね。と同時に彼らの姿は、スピードとパワーに恋焦がれる貧しい日本の若者たちに強い印象を残し、のちに訪れる国産バイクブームの隠れた起爆薬にもなったことでしょう。
 この本を「在日米軍」「基地」「日本女性」なんて言葉でくくってゆくと、どうしても占領時代もん特有の薄っ暗いイメージが頭をもたげがち。また「アメリカ兵」「戦争」とかで斬ってみても、なんか青春ノスタルジー的に安っぽい筋書きを連想しちゃいます。映画『アメリカン・グラフィティ』や『ビッグ・ウェンズデイ』の後の出版ですしね。
 またバイク趣味をベースにした本ですから、色々専門的だったりマニア的な記述も散見されます。
 でも、著者の蔦森氏はその辺の落とし穴を充分理解してて、ギリんとこでスルーしてますから、とくに詳しくない人でも安心して読めます。
 むしろ大量の写真から受ける古き良き1950年代の雰囲気なんかを、屈託なく楽しんで読み進めばよいかもしれません。
 
 丁度良いので、これからも「本のこと」カテゴリーで頻繁に使う、言葉の説明をしてみます。
 冒頭で群雄社の版を「原刊本」と書きましたが、これはある原稿が初めて印刷され世に出た本、という表現です。著者の蔦森氏が取材メモやご自分の脳内にあるイメージを(当時は恐らく)原稿用紙に文章として固定したもの、これはこの世界に初めて出現した『進駐軍モーターサイクルクラブ』の姿で、通常では「草稿」「草稿本」と呼ばれる唯一無二の直筆もんですね。
 これを基に版元(書籍のメーカー)の群雄社がAJMC保有アルバムの写真などを適度にレイアウトしながら、いわば市販用マスプロ製品の書籍として完成させたものが、原刊本(最も早く成立した印行本)と位置付けられるワケです。
 カバーに印刷された奥付にある発行日は昭和59330日。公式にはこの日初めて本書が世界に出現したことになり、ファーストロットのその個体は「初版本」と呼ばれます。
 つまり、ここで取り上げた群雄社版『進駐軍モーターサイクルクラブ』の個体は原刊本でありかつ初版本でもある、とカッコつけて表現することも可能なんです。カバ男はそうゆうお利口っぽい言い方しませんけどね。
 
 やがて群雄社は倒産し、原刊本『進駐軍モーターサイクルクラブ』の出版は途絶します。何があったんでしょうね。それでもこの本の独自性ある内容は輝きを失わず、そこに着目した山海堂が自社の書籍として新しく出版することになったようです。
 恐らく権利関係の整理を待ち、本書は版元を移りながら出版を続けられる、ということになったワケです。学術書ではありがちですが、自動車図書ではあまり例のないことでしょうね。
 こうゆう事例、著者にとって栄誉なことなんすよね。
 山海堂ではこの本にある豊富で珍しい写真に着目し、読者がそれを充分楽しめるように判型を大きく変更します。そして、特に校合(複数の異本を突き合わせながら内容の異同をチェック)していないのでこれは推測なんですが、原刊本を底本(これから作る本の基準にする本)にしながら文章を整え、奥付によれば1987820日に初版を成立させました。
 文言もやや変更されているので、もしかしたら著者による推敲(一度完成させた原稿を著者自身が見直して訂正する作業)も経ているのかもしれません。これが『進駐軍モーターサイクルクラブ』の、山海堂新装版(文章の内容はともかく、外見を新しくした版)初版本になります。
 すでに群雄社で初版本が存在するのですが、こちらは新しく別の版元から初めて印行されたため、版は初版に返るのです。
 また、山海堂自身はこの本を出版したのが初めてなワケですから、この本は版元にとっての「初刊本(自ら初めて印行した本)」という表現もできます。つまり、画像で下に隠れている大判は『進駐軍モーターサイクルクラブ』の山海堂新装版で初刊本で初版本、という表現ですね。ややこしいす。
 でも、こうゆうことが頭に入ってっと、群雄社版の存在を知らないアホな古本屋の店主相手に「この新装版じゃなくて原刊本の方はないんでしょうねえ」なんて上から目線で遊べます。
 
 これからも適宜書誌や製本技法などの用語に関するコメントを盛り込むつもりなんで、余路紙供ネ。
 
 
  
 
 
 
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シーサーあいらんど

 
 沖縄文化社刊『シーサーあいらんど』です。
 ネーミングが絶妙すよね。南の島らしく「シーサー」なんてユルめの語感に、後半は弾むようにテンポのよい「あいらんど」でタイトルを〆る。軽い中にも変化を持たせたリズム感に、だらしなさは一切見受けられません。
 
 
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 「ヤーはシーサージラー(お前はシーサー男の意?)」なんてね、昔はウチナァンチュから呼ばれていたほど顔も脂も濃い口のカバ男なんすけどね。さすが本場モン、表紙で突っ張らかってる屋根獅子のイラストには降参です。

 これは沖縄を旅する人は必ずあちこちで目にする、どことなく剽軽なあの獅子像「シーサー」の解説書です。
 ほぼモノクロで120頁余りと軽快なハンドブック風の本なんすけど、これがまたどうしてどうして、油断のならない面白さ。
 “そもそもシーサーとはなんなのか”あたりから始まって、その由来、分類、製作技法解説と、編集委員のセンセ方が得意な分野を分け合って深く易しくキッチリとキメてくれてます。
 
 目次から少し拾ってみます。「シーサーはどこから来たのか」「シーサーにも雌雄はあるのか」「獅子舞とはなにか」「屋根獅子の向き」などなど。みな文献資料や年表を明らかに、ご自分たちの知見を惜しげなく公開。
 といってまっ四角なお堅い本ではなくカラーの口絵もあり、要所要所に「村落獅子写真集」「おもしろシーサー写真集」なんか塩梅し、楽しい本に仕上がってます。
 でもって読み進む内にシーサーが身近に感じられちゃった読者に向けて、巻末にゃ写真付きで作り方まで掲載されてますからねー。
 
 ところで一冊の本の著者名に○○編集委員会なんつう表記をするのって、胡散臭くないすか?「××教五千年史編集委員会」とか「無限○○原理編集委員会」とかね。ネットの掲示板じゃないすけど、本当は一人一人の個人が執筆してるのに微妙に匿名性かざして文責回避、みたいな無責任さがプンプン匂ってくるもんです。
 あるいは映画でよくある「となりの○▽□製作委員会」みたいな、本当は利益分配が目当ての投資ファンドでした的ズブズブのいやらしさとか。大体そんな外道なヤツらにかぎってなんとか委員会だの懇話会だのキレイな看板で本性隠したがるもんなんす。
 その点『シーサーあいらんど』編集委員会、こりゃ嘘偽りのないホントの委員会っつ雰囲気です。やっぱお土地柄っつことなんでしょうかね、みなさん丁寧な語り口で心がこもってます。シーサー愛すよね。
 こうした地元愛の活躍もあるのか、最近じゃ都内でもシーサーはすっかり普及、ヒョッコリお家の門柱なんかに据わってて微笑ましいです。
 おー頑張ってんなー、なんつって。
 
 奥付は2003年の発行になってますが、国際通りでこれを買ったのはもっと後だったような気がするんすよね。
 あの頃なんで足しげく沖縄に行ってたのかなぁ。
 海水浴とかお呼びじゃねっし。
 
 そもそも誰と行ったのかも思い出せない。
 トシですなぁ。
 
 
 
 
  
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ドライバー実録

 
 「カバ男のブログ」で「廃墟自動車図書館」を続けることに決めた時から、ずっとこの本(冊子)を紹介しようと思ってました。
 恐らく、この本の存在がネット上に公開されるのは初めてのことでしょう。平成二十年の発行、私家版『ドライバー実録』です。
 ご覧のとおり表紙には「朝日新聞社の-」云々とサブタイトルのような文言も刷り込まれていますが、奥付の表記を重んじる「廃墟自動車図書館」ハウスルールによって、タイトルは単に『ドライバー実録』としておきました。
 無線綴じのごく簡素な造本でカバーなど一切なし。この状態が製本出来の極美完本になります。
 
 
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 これは朝日新聞東京本社にかつて存在していた社内部署「運輸部」に所属していた、乗務員たちの証言集です。簡単にいうと社有車輛のドライバーさんっつことになるんでしょうかね。
 創設は戦後間もない昭和二十一年で、平成八年まで続いたとあります。その間いろいろな事件もあり、世代の交代もまた続いてきたことでしょう。
 報道機関ですから二十四時間・365日稼働しているワケで、記者さんたちも当然夜討ち朝駆けと飛び回ってます。地回りの事件事故はもとより政治、経済、世相全般などなど、ニュースなんかいつ発生するか予測がつきませんからね。
 ほかにも〆切り迫る連載小説のセンセから原稿取り、ゲストや論説委員の送迎などなど、新聞作りに携わるあらゆる人々を乗せて走り続ける業務車輛。そこには当然、報道に特化したエキスパートのドライバーさんが存在してなきゃならなかったんす。
 こうゆう本を読まなきゃ想像すらしなかった、まったく無名の特殊な世界。
 
 「○○君、象潟署で▽▽記者を乗せたらそのまま夜回りだ。(捜査)本部が置かれたから長引くかもしれんぞ」
「××君は参院のトンネルで▽号車を引き継いで待機。記者にはクルマのナンバーを伝えておくよ」
てなこと配車デスクに指示されて、ドライバーさんは、必ず帰れる保証のない業務運行へと出てゆくんでしょうなぁ。
 実際東日本大震災の日、取材先からそのまま仙台に向かい二週間帰れなかった記者さん知ってます。クルマも当然、二週間行きっぱなしだったんでしょうしね。
 覚悟の必要な仕事です。
 
 この本にはそうした彼らの見聞が、年表形式で縷縷掲載されています。
 仕事自体はクルマの運転にほかならないんすけど、そこは報道専従、事件を追う目と熱意は記者さんにも退けを取りません。当然社会の動きにゃ敏感で、ある意味新聞報道の最前線を張る気概がヒシヒシと伝わってくる文面です。いやはや、すんごい世界。
 これほど刺激的な体験を積み重ねてきた報道車輛の世界なのに、誰も知らない。見えない。想像すらしない。
 そんな世界がかつて存在していたんですねー。
 
 そうそう、この本は私家版の常として、非売品です。
「お、受け取ってくれるのか」と嬉しそうに手渡されたこの一冊、カバ男一人の知見で終わらせず、今ようやく自動車図書館としての役目を少し果たせました。
 多分大手新聞社ではほかにも同じようなセクションがあって、同じように資料的なものを刊行しているはず。
 えーと、「廃墟自動車図書館」ではそうした方々からの寄贈も受けてますから、このエントリーを見てたらよろしくネ!
 
 
 
 
 
 
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飯能スケッチブック まちなか編2006-2016

 
 『飯能スケッチ帖 まちなか編2006-2016』です。
 Yahooブログ「日本風土記」を主宰されている根立隆氏の、これでもかといわんばかりの飯能愛に溢れたイラスト作品集ですね。氏の最新スケッチを展観する「飯能スケッチ展2017」で頒けていただきました。
 私家版というには余りにもコナれた造本で、ほぼ総カラーの本文も大変手際よく編集されています。サブタイトルにもある通り、飯能の町角風景をひとつひとつ丁寧にスケッチしたものに、主題となる建物の来し方現在を優しい言葉で解説してあります。この本片手に町歩き、なんて一種のガイドブック的な用途にもなる優れモノかな。
 
 
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 飯能って、行ってみて初めて知ったんですが、本当にタイムカプセルみたいな町なんですね。もうそこかしこに古い蔵が立ち並び、それが本来の蔵として立派に暮らしの役に立っています。
 だけじゃなく、その蔵が建ってる町中の道も家も、戦前からの面影をしっかり残したまま静かに佇んでいます。
 勿論使われない蔵を改装してお店にしているケースもあるんですが、変に小じゃれた最先端っぽいようなダサさはありません。みんな町に溶け込んで、新しい飯能の景色になっている。観光ありきのみみっちさ浅ましさが全然感じられない、ライブな蔵の町。そこが凄いです。
 
 バイク三昧だった若い頃、東京から秩父目指して下っ走りでゆくと、飯能は通過点以外の何物でもなかったですね。
 国道16号で米軍横田基地を過ぎ、高麗から正丸の峠に向かって気合を入れてベンチュリー開度をどんどん上乗せしてゆく丁度そのあたり。飯能っつ地名は分かっちゃいたものの、正直そんなの眼中ナッシングでしたから。
 きっと世間のクルマ、物流、同じような感覚だったんでしょう。なので二十一世紀の今に至るまで、戦前の絹取引で栄華を極めたまま静かにフェイドアウトした華のある町がそっくりそのまま保存されました。
 飯能、奇跡としかいいようのない空間です。
 
 スケッチ展の会場となったあの絹甚蔵、重々しい中にもどこか懐かしい内装を思い出します。
 もちろん「こくや」の饂飩もです(笑)。
 
 
 
 
 
 
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