誰かにお礼

 
 今日も今日とて用もないのに地元を徘徊してました。
 
 いっときの暑さも小緩んだかと思いきや、またぞろ「生命にかかわる危険な暑さ」だの「不要不急の外出は控えて」だのと朝っぱらから形にはまった警告が聞こえてましたっけ。
 そんなに言うならいっちょ出かけてやっか。なんてね。
 
 近所の喫茶店でコーヒーなんか啜りながら、センセに言われた通り左の手を握ったり開いたりしてました。その内昼も近づき店内混雑、席を譲って再びカンカン照りの下に迷い出ました。
 往く当てもなく大通りをブラブラ歩きながら、週末から連投中の非公開記事『ガバの実射』の最終回、どんな風に進めたら読みやすかろうかなんてボンヤリ考えてたと思います。
 喫茶店で冷えた体に外の陽射しが温かく感じられ、焼けた歩道の熱が靴底を通ってじんわり気持ちよかったです。
 ブックオフだのTSUTAYAだので通りすがりに体を冷やしつつ往きました。道行く人たちはみな背中に汗をにじませて、つらそうです。
 本屋に入ったあたりからかな、なんだか冷房が効きすぎて寒気がするようになってきました。なのに顔は脂あぶら背中は汗だく。ちょっと動悸みたいなもんも感じましたかね。
 慌てて日の当たる舗道に出たら、却ってポカポカと気持ちが良かった。
 なんでえ、生命にかかわるどころか絶好のお散歩日和じゃんか。
 左手はグーパーグーパーの繰り返し。呼吸が速まるほどに調子が上がってまいりました。
 
 バス通り渡ってどっかの会社のガラス張りのビルを通り過ぎようとしました。
 不意にサウナに入ったように周りの温度が急上昇、ビルと舗道からの強烈な照り返しが全身を包みます。見渡すかぎり日陰がどこにもない。
 呼吸が浅く速くなり、心臓もドキドキ乱れます。
 ガラスの中のカバ男、顔が真っ赤に上気して棒立ちです。
 
 マ、マズイ、避難しないと生命にかかわるかも。
 と頭では気付いても足が前に出ない。
 危険かも・・・。
 ふぁ・・・。
 虹が見えて意識、飛びました。
 
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 どこをどうやってこの公園に辿り着いたのか、記憶ないです。
 手には水のボトル。足元には(飲み干した)エナジードリンクの空き缶。
 誰かが助けてくれたんでしょうか。
 まぁだ心臓がバクバクと・・・。
 そんな情況でこの写真を撮りました。
 
 いまさらですが、暑いときゃ日陰選んで歩かないと危ないすね
 どなたさんか存じませんが、お礼申します。
 
 
 
 
 
 
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行雲彩光

 
 言うも恥ずかしい左手首の骨折から、早五十日余りが過ぎています。
 おかげさまで少しずつですが回復も進み、ここ数日で靴のヒモがなんとか結べるようになりました。昨日はとうとう我慢の限界となり、「はせべ」のワンタンメンを食いに油照りの中ウヨウヨと五反田有楽街まで泳ぎ出てしまいました。美味かったです。あの大きなラーメン丼が置かれたときは少したじろぎましたが、大汗掻いてなんとか完食。これも自信回復の一助でした。
 
 ブログでは、四釜裕子さんの製本作品『新聞折本PROJECTを公開したところ当日だけで150近い閲覧があり、目を疑う記録となりました。今後も秘蔵の製本作品は折に触れ、四釜さん以外の作家の許諾を受けつつ公開してゆく予定です。
 といってもこの作家、『隠し砦の三悪人』に出て来る雪姫顔負けの頑固者。右と言えば左左と言えば右を往く意固地の性で、カバ男も今から真壁六郎太なみの秘策を練らねばなりません。
 
 同じく「本のこと」カテゴリーでは『ハンドルは生きている 豪州ラリー駆けある記』著者のご遺族と情報交換しておきたい件があり、こちらも早々に動かねばと焦っています。目論見通りに進んだら、秋口頃に公開できるかもしれません。
 
 放置中の非公開カテゴリー「銃のこと」へは、実弾射撃中のコルト・ガバーンメント(笑)の挙動と速射に関する文書記事を先週より準備中です。ただ、日本人向けブログで今更そんなことを書く意味があるのか結論も出せず、思案中です。仮にアップする価値を見出せなければ、カテゴリーごと削除してしまうことになるでしょう。
 
 ほか、現状で「カバ男のブログ」は「廃墟自動車図書館」の継続として自動車関連図書の紹介が主となるため、標準書庫を「本のこと」に変更。トップページはエントリーの順にかかわらず最後の本紹介記事一本が表示されるようになっています。
 
 
 
 
 
 
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新聞折本PROJECT 酒井潔号

 
 ブログBOOK BAR 5の主宰者・四釜裕子(しかま ひろこ)氏がホームページ「BOOK BAR 4」時代に展開していた<新聞折本(しんぶん おりほん)PROJECT>の、『酒井潔(さかい きよし)号』上下揃いです。
 
 
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 これは朝日新聞名古屋版で1998101617日の二回に分けて掲載された記事紙面を本文に使い、四釜氏自身が軽快な折(丁)本に仕立てたもの。表紙なども記事と同じ日の新聞紙を使って表装されてます。センスありますねー。
 サイト上での付番によればこの本は第一期の第十四巻つことになるのかな。
 キラキラのリボンできっちり〆てありまして、ちょっとした可愛らしさを漂わせつつも中ぁ見んじゃねーよ的な毅然たるオーラもヒシヒシと感じさせる、手製本作品ならではの味わいです。
 
 「2018年の○月○日、アナタは何をしていましたか」え?それはサーティースの回でもやっただろって?いいじゃないすか何遍やっても。東京でカバ男が無駄に過ごした今日一日も、どっかの誰かにとっちゃ生涯忘れられない一日だったかもしんないし。曰く「手首を骨折した日」、曰く「ガリガリ君の当たりが出た日」、曰く「タモリと一緒にブラブラ散歩した日」、曰く曰く。
 この世界ではいろんな人のいろんな特別が次々と出来していて、そいつを新聞がニュースという名で毎日の紙面に固定、記録しています。新聞なんて畢竟、まるで頼まれもしないのにセッセと社会の絵日記を書いてるみたようなもんです。
 じゃ、目に留まった記事の紙面を折りたたんで製本し、その記事の主人公にプレゼントしてみよう。社会の日記をみんなで分かち合おう!
 カバ男の理解した新聞折本PROJECTは、こんな風な見方から始まっていたように思えました。なんかこう、社会の出来事が四釜氏という一個人の感受性にギュウーッと集められ、簡素な折本メッセージとして再び社会に還元されてくっつイメージが、ダイナミックかつロマンチックでしたね。
 
 で肝心カナメ、BOOKBARご本尊の四釜氏なんですが、正直よく知らないんです。お会いしたこともないし本当はお名前の正しい読みすら知らない、典型的なネット上だけの知己っつヤツ。それでいて昵懇みたいに作品紹介なんかやっちゃって、どうなんすかね。
 推察なんですが、公私分かたず文学とか詩歌に深く関与しつつ、折本PROJECTみたく手を動かして物(本)を作るのもお好きな人?なのかな。カバ男より大分お若い行動派、みたいな印象ですね。
 でも・・・多分、世代的には例の「Y2k2000年問題」とかいうフザケたペテンの大波も乗り越えてきたクチのはず。その後かなり早い時期からブログに移行し現在に至る、ト。
 ネット上に夥しい成果を公開していながらも、いつも自分視点をシッカリ守って他人視点に逃げないのは昔っからですね。基本リアルサイドの人で、実体的なものからインスピレーションを掬いとる側にいる人みたい。共感できます。
 
 老舗の風格漂うBOOK BAR 5、今後とも各方面に鋭意ズビズバ展開してってほしいなと思います。
 
 
 
 
 
 
 
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アルタヤ

  
 カバ男のブログを始めた頃の記事『肘まくら軽くち噺』の回に使っている書影、実は差し替えてあるんです。
 構図は同じなんですが、最初に使った画像はちょっとしたイタズラ心で本以外のある物の影も映り込むように撮ったのです。普通に見ただけならどっつこともないんですが、気にしてよく見ても「なんだコレ」「ヘタな写真だな」ぐらいにしか思えない。でも、見る人が見たら「なんじゃこらー?!(優作風)」でのけぞっちゃうような物体でした。
 ま、取り下げちゃったからこれ以上は書いてもはじまりません。
 
 ご覧のとおりトカゲの木彫りです。つか、コモドドラゴンなんす。名前はアルタヤ。
 インドネシアじゃありふれた男名前なんでしょうね、私が付けました。生まれて初めて赤道を越えて南半球のバリという島まで行った時の思い出です。指折り数えたら、もう二十年近い昔のことでした。
 寸度の分からない画像で恐縮です。大体幅30×長さ40×高さ20㎝、本物のジャワマホガニーの一木一刀作り、全身手彫りフルチェッカリング。マホのフルチェッカーつうあたりにガンマンの血が騒ぐ逸品ですね。
 
 
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 あの当時クタの銀行で一万円両替すると、信じられないほど大量のルピア紙幣が目の前に積まれ、それこそ全部のポケットからワラワラと金をこぼしながら商店街を歩くほどの勢いでした。無神経な日本人が空港のごみ箱に、使いきれなかった紙幣を紙クズのように投げ捨てて国際問題になってた頃です。
 愚か者は自分の行いで愚かさを告白する、という良い見本でした。
 そんな中うわべは明るい観光客を装いながら、日が傾くや若い現地アテンダントのアルタヤを呼び出したカバ男は、夜な夜な単身現地人ブローカーの巣窟・古物倉庫巡りに憂き身をやつしていたのです。目指すはアンティーク・イカット(絣織り)ただひとつ。あんときずいぶんたくさん倉庫を巡りました。

 当時でも本物のアンティーク・イカットなど何十年も前に一枚残らず欧米のオークショナーや古物ハンターに持ち出され、観光客用に額装された古代裂(こだいぎれ)ぐらいしかバリには残っていないと言われていました。事実1970年代に始まった日本の岡田コレクションはその収蔵量と質を世界に誇り、情況を知れば知るほどカバ男なんかの手に負えないのは見えていました。でもやる。探す。探し当てる。昔っからカバ男ってそういうキャラクターです。
 そして帰国前夜、つうか当日深夜、叩き起こされて文句を並べる倉庫の主人が自分の身体で隠していたボロ布の山から、とうとう4m近い長さのイカットを探し当てました。モチーフの多様性と色彩の鮮明さでは各島スタイルの中で最も人気が高い、正真正銘のスンバ島イカットです。当然アンティーク完品、しかもオリジナル糸による二枚接ぎ合わせ!・・・こいつを日本に持ち込みゃ誰が幾らの値を踏むか。顔がギトギトと脂ぎってくるのが自分でも分かりましたね。
 
 結局、そのイカットはホテルを出る前にあっさり人手に渡り、カバ男の手に残ったのは序でのつもりで買ったこの木彫りのコモドだけでした。日本人観光客がちり紙みたいに投げ捨てるルピア紙幣すら一枚残らず使い果たし、無一文でジャカルタ経由成田空港に帰り着いたという次第です。愚か者は自分の行いで愚かさを告白する、という良い見本でした。
 分不相応な物は身に付かず、いくら講釈述べようが自分から馬鹿を見せびらかしたことに変わりがありません。
 
 今でもあのイカットの柄ははっきりと思い出すことができますが、品物がどうなっているのか考えたことはありません。思い出されるのはもうひとつ、あの夜丸めたイカットを抱えた私を乗せたアルタヤのスズキ・サムライを田舎道で猛追してきた古いベンツのこと。アルタヤの蒼く引きつった表情と必死のドライブテクニックは忘れられません。

 だからコモドに命名、アルタヤ君です(笑)。
 
 
 
 
 
 
 
 
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八月の六日間 あるレーサーの苦闘

 
 
 「1967年の8月、あなたは何をしていましたか?」なんて質問されて「えーっとぉ、昭和でいうと四十ぅ・・・」なんて遠い目になっちゃうアナタ!ダメダメ、その時点で歳バレのオッサン確定ですよ。
 カバ男の誘導尋問にはご用心(笑)。
 
 『八月の六日間 あるレーサーの苦闘』です。
 著者はマイケル・クーパー・エバンス、高齋正(こうさい ただし)氏の翻訳。本格派エンスージアストによる危なげない翻訳の、今では埋もれた名著だと思います。実業之日本社。
 1967年の86日が決勝当日となるF1グランプリ選手権ドイツGPのレースウイークを通し、著者のエバンスがホンダチーム期待の星ジョン・サーティースに密着して彼の言葉を採録。レースやマシンに対するサーティースの考え方や希望、苦悩を同じグランプリ・サーカスの住人の目で解剖してゆきます。
 
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 ジョン・サーティースという人はもともとバイクレースの出身で、二輪ではイタリアのMVアグスタ、四輪でも同じイタリアはフェラーリを駆ってグランプリの世界チャンピオンを獲得しました。一人で両方の王者を経験したという、今でも史上唯一のレーサーです。1967年のこの時期は、もう全開バリバリのイケイケでアゲまくっていた頃ですね。
 ホンダF1チームもまたノリノリのブイブイでした。戦績こそまだ凡庸ながら12気筒のエンジンパワーは常にトップ。レースのたびにピカピカの改良パーツを装備し、スタッフは日の丸背負って不眠不休、一から十まで自社製の真正ファクトリーマシンで挑戦を続けていたのです。
 そんなホンダを傍目で見ていれば、コイツらとなら一緒にチャンプを目指せるかもしれないなんて希望、サーティースじゃなくても抱いたかもしれません。あるいは「ホンダが勝てないのはドライバーがヘボだから。オレを乗せりゃブッチギリだぜ」ぐらい言うヤツもいたかと思います。
 隣の芝生は青く見える、ですからね。

 ともあれこの1967年シーズン晴れて契約ドライバーとなったサーティースにホンダが与えたのは、二年目の3リッターF1マシンRA273。噂に違わずパワーバリバリながら車重も700Kgを優にオーバーする健康優良児でした。
 彼はたった一人のチームドライバーとしてこの未熟なマシンで戦い続けるのですが、四つ前のオランダGPでは新型フォード・コスワースDFVエンジンを積んだロータス49とジム・クラークがあっさりとデビューウインを果たし、どんどん勝利が遠ざかってゆきます。焦ります。悩みます。
 ドイツGP「八月の六日間」は、こうした情況の中で始まるのでした。
 
 小説というよりは、良く書かれたF1レースのインサイド・レポートという印象が強い本ですね。ちょっと傾向は異なりますが、中島祥和氏『ザ・レーサー』にも通じて、自動車レースに生きる人々の内面を活写しています。
 二輪チャンピオン獲得直後(=F1転進直前)に書かれたサーティースの自伝『勝負とスピード』や、ホンダF1チーム監督だった中村良夫氏の各著作などと併せて読んでゆくと、第一期ホンダF1チャレンジ時代をまた違った見方で振り返ることができるかもしれません。
 
 
  
 
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故障ですか?

 
 なんとなく自分のブログに表示されてる小さなアイコンをクリックしていたら、「アクセス解析」というサイトに飛んでしまいました。
 かなり原始的というか、無料ブログらしく簡素なオマケというか。
 かわいいもんです。

 昔「廃墟」のためにアロウズが用意してくれたログ解析は、ターゲットにされたサイトurlを中心として「入り」、「出」、相手のIPから諸々の情報が一覧表示され、それだけ見てても楽しかったです。「へー、今日は警視庁から随分来てたなー。・・・ボットだなこりゃ」とか、「キーワードは”マツダ787B”かぁ。先週プロジェクトXでやってたし。ありゃりゃ国交省のデスクトップから勤務中に閲覧かよ」なんて呟きながらね。
 あの頃もっと真剣に解析と取り組んでいたら、今時流行りのホワイトハッカーぐらいにはなれてたかもしれません。性分じゃないすけどね。


 で、ブログのアクセス解析なんですけどね。

「男性100.0%」

ってどーゆーことすか?!
 
 
 
 
  

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潤滑剤銘柄便覧 1998年版

 
 潤滑剤・・・、あぶら。ルブリカント。呼び方は色々あると思います。
 たらたら流れるエンジンオイルや水飴みたいなグリース、昔なら動きの渋くなった錠前の穴に鉛筆の芯だけ削った粉を流し込んだりね。そんなのも広い意味での潤滑剤。人生色々、形も色々です。
 あと、「酒は仕事の潤滑油」なんても言いますよね。いえ冗談抜きで、つまり今まで見たことがない人はいないぐらい、潤滑剤は人の暮らしに深く浸透してるというワケです。
 でも、改めてジュンカツなんか言われても、ちょっとピンと来ません。シューカツとかコンカツとか似たような言葉もたくさんあるし。なので、なんかあったら「取り敢えずゴーゴーロクでも塗っとくっぺ」的な対応で済ませちゃうケースが多々ありますね、私の場合。またそれで当座はなんとかなっちゃうもんですし。
 暮らしの中の潤滑なんてその程度でもイイのかもしれません。



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 カバ男のバイブル、潤滑通信社『潤滑剤銘柄便覧1998年版』です。
 「1-1ガソリンエンジン油」から始まって、潤滑機能を謳った商品やその原料物質の比較対照、個別性状データが延々700ページ近くにも亘って展開されてます。
 簡単にいうと国内で入手できる潤滑剤の総合カタログみたいな内容かな。主に工場の資材担当者なんかが使うのでしょう。どんな潤滑剤を買おうかコイツと首っ引きでスペックを比較検討する、といった使い方が想像できます。
 あとは石油会社の営業が製品を売り込む時の理論武装用とかね。文章というか文言も、メーカーやメーカー直系販売店の技術者向けみたいな、ある程度の工学的な素地を前提にした固いものです。
 
 大きな生産工場が年間どれくらいの潤滑剤を買うのか分かりませんが、カバ男が通りすがりの100均でミシン油買うのとは全ッ然意味合いが違うんでしょう。金額もノしますし、費用対効果とかコストダウンの期待値だとか、購買担当者にも数値ベースのプレッシャーが相当に重いのかな、と思います。そんな情況で頼りにされる本といえるかもしれません。
 表紙に小さく「技術資料」と明記されてるだけあって、国際/国内規格に準拠した内容です。

 この本昔っから愛読、つうか必要に応じて引っぱり出してました。この1998年版は最後に買ったもので、旧HP廃墟」にも出ているロードスター「408528を買った時のものですね。十年ぶりぐらいに版元を訪れて、直接購入しました。
 この資料が入手できたおかげで、初めて408528の機械的チューンに進む見通しが立ったといってよいでしょう。
 使うのは車輛用舶用エンジン油のページぐらいなものなんですが、「動粘度」「粘度指数」「硫酸灰分」なんて項目を製品ごとに見比べながら思わしい製品を選んでゆき、実際に使いながらより良いものを模索するやり方で進めます。このやり方はバイク時代から変わりません。
 その過程で「へー、今時シングルグレードのエンジンオイルなんか作ってる工場あるんだ」とか、「化学合成オイルも随分増えてきたなー」とか、楽しい発見もあるんです。

 チマタに溢れるカー雑誌などでやれカーボンファイバーがどうのオイル添加剤がこうの滑ったの転んだのとチャラい講釈述べてる連中を、カバ男が頭っから馬鹿にしてるのも、偏にこういうデータをバックに実地で検証できてきたからですね。クルマ一台を外道に改造するといったって、そこに科学的な基準を持つか否かで結果も大きく変わってきますから。感謝感謝。
 
 気になってネット検索したところ、この本は現在も2018年版が存在している模様です。初版が昭和四十六(1971)年だそうですから、もう五十年近く改訂を重ねて続いていることになりますね。これからも長く続けて、みんなの助けになってほしいものです。
 
 
 
 
 
 
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近況報告

 
 生命に関わる危険な暑さが一服したと思ったら、台風の前触れで東京は朝から細かい雨になりました。
 現在『カバ男のブログ』では書籍紹介のカテゴリーで版元の承認待ち文書が一件、ブログ記事の下書き中も一件といった情況。ほぼ開店休業中です。
 写真はまだスマホの片手撮りですが、さすがにもう少しまともな画像が欲しいと考えています。書影ばかりで構図に変化が出せない分、せめて画質でも。
 片手といえば、こうしてテキストを打つのも右手一本で、いちいちキーボードを見なくてはならないのは困ります。
 
 でも骨もまあなんとか固まったみたいで、手も二日ぐらい前から徐々にむくみが引いて、握り込む練習をしています。午前中その練習をし、午後はその反動でむくむに任せ、太平楽に回復期待、そんなパターンです。
 
 
 
 
 
 

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板門店

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 突然ですが、『板門店 朝鮮半島の非武装地帯に関する事実情報』です。
 どことなく裏町の焼肉屋みたいな響きですけどね、板門店。実際、板門店で検索すると都内では結構な数の店がヒットします。とにかく世紀が改まってもう二十年にもなろうというのに、いまだにイデオロギーに凝り固まって一触即発、角突き合わせてる「世界唯一の冷戦最前線」なんだそうですよ。このまま冷戦百周年なんか目指すつもりなんでしょうかね。
 でも、当事者の南北朝鮮にとってはジョーク要素ゼロです。朝鮮戦争はまだ終わったわけではなく、今は長い長い休戦中、というスタンスなんですからね。

 事実クルマで北緯三十八度線に近づくほど、軍人や軍用車輛をたくさん見かけます。道端に立っている立派な記念碑なんかもほとんどが朝鮮戦争とその後の平和維持関係の出来事を顕彰するようなモニュメントばかり。
 要所要所には南進して来る「敵戦車」を阻むためのごっついバリケードなんかも置かれ、これで○○型戦車の進行を最低○○分遅らせることが可能、なんて説明を受けることもあります。民間人からですよ。
 で、高速道路の料金所みたいな検問所を通過する際には、実弾フルチャージのアサルトライフル持った兵隊さんが険しい面持ちで睨んできます。何故って?そこから先はパスポート必携(身元保証or戦闘に巻き込まれて死んだ場合の身元確認のため)のうえ、身嗜みまで禁止事項ずくめのDMZ(デミリタライズドゾーン)・非武装地帯なんですから。
 
 頭から冷水を浴びせられたような重い沈黙の中、驚くような数のドップラーセンサーやら監視カメラやらが巧妙に隠し込まれた「手付かずの自然環境」を抜けてゆきます。紛争地帯に立ち入る緊張感でみんな押し黙り、前しか見ていません。キョロキョロしてるのはカバ男ぐらいなものでした。そんなDMZツアー(板門店JSAを含まないツアー)の途中で買った本ですコレ。

 著者はDMZ経験を持つ職業米軍人のウェイン・カークブライド。中身は関連の主な施設や休戦維持活動の紹介、歴史解説などで、かなり神経を配った邦訳ですが読みやすいです。1976年に起きた残虐な「板門店ポプラ事件」についても、後日談を含めて(西側にとって)客観的に書かれています。
 もう五年ぐらい前の本ですから、今では先日の北鮮兵亡命事件なども追加されているかもしれませんね。
 二冊写っている下の本は、同じ本の英語版。原書なのかな。ほかにもたしかフランス語版とか簡体中国語版とか数種類あって、「兄ちゃんコレもコレも買ってってコーラも朝鮮人参ガムもあるよー!」的なオバちゃんの売り込みが鬱陶しかったです。 
 久しぶりにこの本を開いて思うのは、あのオバちゃんのことかな。コッチに来て!ワタシを見て!話を聞いて!と、すんごいアピールでしたからね。

 思えば韓国人って、そういうタイプ多かったです。
 韓国という国そのものが、連合軍による解放から七十年以上世界に対してアピールし続けている。大量の移民を送り出し、貧しい中国人と間違われながらもロビー活動を止めず、自国の社会文化を(盛り盛りで)紹介したトンデモ本を多言語に翻訳して配布する。コミュニティーを拡大し、ネット動画を配信し、「ワタシを見て!話を聞いて!ワタシを理解して!」と訴え続けてます。
 その努力自体は偉い、と素直に認めてもいいんじゃないかな。「金持ち喧嘩せず」「物言えば唇寒し」なんか悠長に構えてみるみる国際社会でのプレゼンスを失いつつあるニッポンを内側から見ていると、そんな気持ちになる時があるんです。
 自分は国のためにどれだけ声を枯らしてきたのかな、なんても思ってしまいますね。
 
 でも、だからといって今時冷戦もないワケで。
 退けない気持ちは重々理解してるつもりですが、どうなんでしょうね。
 夏は冷戦より冷麺がイイですよ。
 
 
 
 
 
 
 
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もう八月

 
 ときどきブログの設定をいじっています。先日は画像が貼れるようになり、その次はテキストにハイパ-リンクを貼れることが判りました。
 主にクルマ本の記事になるでしょうが、今後サイト「自動車図書館」で同じ本のページがあればそちらもワンクリックで参照できるようになります。分かりやすいように、クリックできるテキスト部分は本文と色を変えてみました。ポイントしてみると矢印が手の形に変わることでも判ると思います。
 例として上の「自動車図書館」部分に「廃墟・自動車図書館」へのリンクを貼ってみました。これで十五年もの眠りを破られた「HP廃墟」が少しは本好き自動車好きの役に立つかもしれない、とちょっぴり期待。
 アロウズネットの片隅でHTTPサーバーがまたカタコトとドライブを始めると思うと胸が高鳴ります。いやホント。
 ただ、「HP廃墟」は参照以外の機能がすべて凍結され、庵主(すなわちこのカバ男)ですらサーバーにアクセスできないのです。なので、廃墟宛にメールを送っていただいても読むことができず、返信もできません。
 また図書館ステートメントに記した、記事削除申し入れに対する四十八時間以内の対応も、不可能なままです。この点だけは残念ですが、他日を期す気構えだけは忘れないようにしたいと思っています。
 
 今朝、おかげさまで残りのギプスを取ってもらえました。中からはパンッパンにむくんだ手が出てきて笑えましたが、幸い手相が消えるようなこともなく、あとは休んでいた指どもにカツを入れるのみです。
 診察室でギプス開放の風景を撮ったのですが、片手スマホのピンボケでしたから、今回は止めておきます。
 
 さようなら、ギプス。こんにちは、請求書(笑)。
 
 
 
 
 
 
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