ぼくの日本自動車史


 ホンリウ・・・、ホンリウ・・・。
 どことなく日本語離れしたエキゾチックな語感、不思議な名前だと今でも思います。
 子供の頃アメ横で、ハドソンのちょっと不恰好なあのモーゼル・ミリタリーを構えながら、「ホンリューモーゼルね」と店員さんが話していたのを聞きました。その時ハドソンと一言も言わなかったこともあって、耳にホンリューの名が謎めいた呪文のように強く残ったのです。

 言葉の響きが中国語っぽく感じられて、どこか遠い秘密の工場で辮髪に黒眼鏡の悪い中国人どもが汗だくでモーゼルを作っているシーンが浮かびます。
 中国人といえば馬賊、馬賊の武器なら青竜刀とモーゼルだ。だとしたら、昼飯には餃子を食うかもしれない。餃子の横に肉団子も付くだろう。奇妙に長い箸でザーサイ茶漬けをかっ込む中国人工員の腰には、黒光りするホンリューモーゼルが・・・。次から次、子供らしい支離滅裂な妄想が拡がったものです。
 そのホンリウという言葉自体は分からないまま、ホンリューモーゼルが我が国初のモデルガン(当時はモデルガンという言葉すら存在しなかった)らしいこと、映画『狙撃』でこれも初のブローバック発火シーンに使われたこと、など少しずつ私の中に情報が蓄積されてゆきました。

イメージ 1
 
 徳大寺有恒『ぼくの日本自動車史』です。『間違いだらけのクルマ選び』で有名な自動車評論の大御所が、国産自動車の隆盛と自分史を重ねながら淡々と綴った、回想録かな。色々懐かしいクルマが著者の生活エピソードと絡めて次々と採り上げられ、開くたび時を忘れて読み耽ってしまいます。決してマニアックに深く掘り下げる書き方ではないけれど、その時そこにいた人の言葉にはいつでもハッとさせられるものです。
 ここになんと、ホンリウのことが書かれていました。我が国モデルガン史のミッシング・リンクは、自動車エンスージアスムの中に遺されていたんですねー。いやビックリ。

 1963年までの数年間、まだ世に出ていない徳大寺氏は青山の本流株式会社で働いており、この回想記に会社の様子を丁寧に書き残しています。そこにはモデルガンのモの字もないけれど、なるほどこんな社長ならやるだろう、と思わせる活き活きとした描写ですね。
 繰り返しますが1963年、なんですここ注意。
 ホンリウは陰謀渦巻くいかがわしい秘密工場なんかではなく、東京は青山のオッサレーな会社だったんですね。当時の青山六本木といえばラテンコーターです。野獣派です。大原麗子ですったら(また妄想)。
 
 この本、クルマ本には珍しく心のこもった良書として、廃墟自動車図書館の推薦図書に指定しています。199312月の発行なんですが、今頃はどこかの文庫に入れてもらってるんでしょうかね。

 同じ年代の「本流玩具部」のカタログと一緒にパチリンコ。





 
関連記事
スポンサーサイト



退屈は死なり


 モハメッド・サイシャ(才者)を自称した酒井精一は知られざる戦前のモダニストで、そのモットーは「退屈は死なり」だったといいます。しかしその心は決して遊び呆けて明け暮れたいという愚かな願望ではなく、人は限られた自分の力を短時間に集中して質の高い仕事を成し遂げるべきである、といういかにも明治生まれの男らしい実直な生活ポリシーだったと思われます。
 京都で終戦を迎えた彼は昭和二十七年に世を去るまで、子供たちに「重点的に生きよ。無駄を省け」と言い続けたとされますが、畢竟言葉の意味するところは全く変わっていなかった。すなわち酒井自身は終生一貫して実質を追い続けた人物だったのだ、トそう私は思っています。
 
 思わざる骨折からもうすぐ四週間。カバ男は退屈しています。
 とはいえ、変わらないように見えても少しずつ身体は変化を続け、おかげさまで回復の兆が全然ないわけでもありません。資材の面でも医療はずんずん進歩しているらしく、ギプスは超が付くほどの軽量高剛性メッシュで楽ちんだし、Amazonで買い込んだラテックス製防水カバーのおかげで水濡れの心配なく心ゆくまで風呂にも潜れるようになってますし。
 やっぱ一日一度は水中に帰らないと、カバは干上がってしまいますからね。
 ただね、ただ、背中が自分で洗えない。背中、右腕は肩から先まで、左の尻、が右手一本では洗えないんです。これはちょっぴり困りものかな。なので仕方なく防水装備したマヒロさん(カミさん)に洗ってもらってます。
 
 逮捕された人みたいに素っ裸で風呂の壁に両手を突いて、後ろからごしごしとやられ放題なのは本当に情けないです。しかもどこをどう洗うかはその日のマヒロさんの気分次第。機嫌が良い日は隅々までていねいに洗ってくれて、束の間の殿様気分満喫なんですがね。ムカついてると二三回擦ってハイおしまい。女のくせに三こすり半かっつの。
 足りない部分を自力でリカバーできないのが悔しいです。
 でもまあ、この歳になってマヒロさん相手にたわいもない会話なんかしながら風呂に入れるのも、功名とは言いませんが怪我のおかげかな。なにもなかったらこの先死ぬまで風呂も別々でしょうから。有難いことです。
 
 「分かってんでしょうね、アンタ骨治ったら今度はアタシの背中洗うのよ」
さっき頭を拭き拭きリビングに戻ったら、アザラシみたいにソファに寝っ転がったマヒロさんにそう言われてしまいました。
 知らない内に借金していた、みたいな感じです。





 
関連記事

肘まくら軽くち噺

 
 
 画像挿入の練習です。
 
 こういう無料ブログってのは、昔でいえば「ファイルメーカー」みたいに書式の中にテキストをタカタカ打ち込んでゆけば出来ちゃうようなお手軽さがある反面、一から苦労して作り上げるホームページに較べてナニかと自由にならない部分も多々あるようで、折合いが肝心なんでしょうね。
 あまり我ばかり張ってても進みません。

イメージ 1
 
 画像の本は『肘まくら軽口噺(ひじまくら かるくちばなし)』という、今では稀少な江戸時代の雑本の類。いわゆる復刻版、履刻版の典型的なスタイルで出版されたものです。
 すなわち、木版の底本(原書)から一文字一文字を読み起こし、添え書きまで丹念に活字に置き換えて現代風な文庫本としての体裁を整えるト。古典文庫という版元の途方もない大事業の一冊ですね。トいっても中身は小噺・ジョークのネタ本で、若干量のエロ味あり。太平の世に退屈しきっていた町人連中がせっせとコイツを読み耽って、寄合やら遊郭やらで馬鹿っぱなしをやらかしていたワケです。
 これが通行していた当時の江戸っ子なら、「しじまくら かるくちっぱなし」なんか呼んでたんでしょうね(笑)。
 
 でもこの本、古典は古典ですが、そこはそれ町民向け。「げにめしいましましてぃ」なんかドコで区切ったら良いのか分かんないような文語ではなく、普通の言葉で書いてありまして、長くてせいぜい四頁短けりゃ数行というものです。流石にジョークのセンスは今とは違うので、笑えるのは一割ぐらいなものなんですが、でも次々軽快に読み飛ばしてゆくのが楽しいワケで。
 文庫版ということもあって常時携帯、寸暇を惜しんで喫茶店でも電車ん中でも飛ばす飛ばす。
 
 なコトほざいてる内に自分の方が飛んじゃって、今中断です(笑)。





 
関連記事

夏日暇人



 骨折してもうすぐ一箇月になるワケですが、時折ブログの設定などいじったりアイスを食べたりして日を送ってます。

 退屈なので持ってるDVDBDを片っ端から観てまして、『TOMMY』、『丹下左膳・百萬両の壺』、『摩天楼ブルース』、『ガキ帝国』、『八点鐘が鳴るとき』、『セントルイス銀行強盗』、などなどなど。といっても、普段は地元のTSUTAYAでレンタルするのが主なので、手持ちは早々に在庫一巡。『ベイマックス』なんかマジで三回は観てしまった。トホホ。

 ギプス姿で会う人会う人「暑いから大変でしょう」なんか労わられ、喫茶店では「お席までお持ちします」と言ってくれるのを笑顔で断り、生命に関わる危険な暑さの中フラフラと地元を徘徊しています。

 右手で左の耳の掃除ができなかったり、風呂に潜れなかったり、小さなストレスが重なってはいました。でも元来無神経な方なので、普通の人みたいにストレスがストレスを呼ぶようなつらさはないんです。すぐ忘れる。後に引かない。楽でイイです。

 今日、手足の爪を切りました。ちょースッキリ。
 毎回血がにじむほど深爪を切るのですが、今度ばかりは右手一本でそこまでできません。そこはオトナの分別で寸止めかな(笑)。形もなんとなくカクカク切れてるとこに味があります。

 何年ぶりかで大相撲のTV中継を初日から千秋楽まで通して観ました。力士もずいぶん入れ替わりがあって新鮮。何日かは幕下から通しで観てしまったですよ。
 
 じたばたしても始まりませんからね。
 気楽に気楽に。






 
関連記事

これから

 「本のこと」というカテゴリーで、まつわる体験なんかを書いていこうかと思っています。
 体験つっても、例えば趣味の製本教室でこんなの作れちゃいましたーとか写真付きでアップしたりはナシですよ。らしくないし、そもそもカバ男がそんなカワイイおっさんなんかじゃないのは「日記」の方読めば見当付いてゆくと思います。

 蔵書の自慢だの書評にかこつけてペラい知識の受け売りだの、薄っ気味悪いしね。
 今時は意識高い系だか知らないけど、ネットの世界にゃそんな勘違いの阿呆が犇めいてますから。今更おんなじ阿呆を増やすこともないでしょう。
 
 ま、普通の愚かな老人の、普通の書物備忘録かな。
 場合によっちゃ下手くそな写真なんかも添えるかも。
 とはいえ、それはそれで各方掲載(執筆)許諾が必要な内容が出来しないともかぎりません。あんときゃオッケーしたけどやっぱ削除してとかもね。

 「でも・・・大丈夫。HP「廃墟」でみんな経験済みだから!」
 ト、とりあえずアニメ声で言ってみる(笑)。




 
関連記事

「折れてるんでぇ、」

 そう言いながら子分(推定三十二歳・女性)を連れてセンセが入って来ましてね。そりゃ左の手首が折れてるぐらいカバ男みたいなボンクラにも分かります。だって痛いもん。
 「ちょっとチクッとしますよー」の「ょっと」あたりでもう関節めがけてブスッと来まして、針の向き変えながら麻酔薬グイグイ入れ込んでくるのを、まるで現実感のないまま悪夢のワンシーンみたいに見入ってました。
 つい先日、六月の二十九日だったかな。

 痛みには強い方なんですよね。子供の頃から生っ傷の絶え間もなかったし。でも四十過ぎて色々絡んでくるもんも増えてからは、まあ痛いことは止めましょうか、ト。いえ決してブル噛んで腰引いたワケでもないんですけどね。
 ケガなんかして残り少ない時間を無駄にするのが惜しいと思いはじめていたんです。
 最後に病院来たの何年前かなー。薬が効いて肘から先が消えたようになり、痛みも消えて楽っちゃ楽になったところで、ボンヤリそんなことを考えてましたっけ。
 で何気に左の方向いて驚いたですよ。センセ、子分と二人がかりでカバ男の手首を力一杯引っぱってるじゃないですか。子分が肘を全力で押さえる、センセが体重かけて手首を引っ張る。この暑いのに他人の腕で綱引きかっつの。
「もっと力入れて固定して!・・こっちかな、あ逆か。んん?こうか?」なんか言いながら、モニター見ながら色々骨の向きを試してました。
 今時は折れた所をレントゲンで撮りながらリアルタイムでズレ直しができるのかー、とか一緒になって見ている内に、全身ずぶ濡れになるほどだった冷や汗がすぅっと引いてゆくのを感じてました。
 
 ま、そんな感じで三十年ぶりの骨折となりました。七本目。
 昨日ギプスを半分切って楽になりました。
 切られながら、あの日必死で二の腕にしがみついてた子分(推定二十四歳・女性)のオッパイの感触を、カバ男は思い出していましたとさ。

 馬鹿なヤツですよ。




 
関連記事

遠くに入道雲


 
 
 
 
Komさん
 あれからもう十五年が経っていたことに、ちょっぴり驚いています。
 何も分からず始めた個人HP「マーブルコレクション」。そしてそのエボリューション版「廃墟」。今まで削除せず公開を維持してくださったプロバイダーのアロウズ・ネットと関係者全員に、改めて心からお礼を申し上げます。
 アロウズのスペシャルPC「marble 01」なき今、当時から繋げられるデータは何も残っていません。結婚して暮らしも変わり、いつしかあの頃のスピリットを忘れてしまっていました。でも、私自身がマーブルそのものであったのなら、始められるはず。展開できるはず。そう思ってまたやってみようと思います。
 ネットの世界は信じられないほど商業化され、悪意と敵意に満ちています。
 十五年。タイムスリップしたような眩暈を感じます。
 私に何ができるんでしょうね。
 見ていてください。
 
 
 
 
 


 
 
関連記事