自動車


 奥村正二『自動車』は、昭和291954)年10月に「岩波新書 青版183」として岩波書店より出版されていた。
 新書判仮綴じ、本文総活版刷り208頁。巻頭に薄葉アート紙三葉(六頁)の単色口絵が合綴されている。本文の束は折丁を糸で綴じ付けた正しい仮綴じ製本となっており、栞紐も備わり、いささか古風な成り立ちながらも好ましい。紙もセオリー通りに正しく用いられているため、指先に伝わる本文頁の質感は飽くまでも柔和。しかして開いたまま机に置いても勝手に閉じることのない従順さを兼ね備えている。
 製本材料を熟知した者が編集装幀に携わる時、片々たる新書と雖も「玩弄する楽しさ」を充分に味わえる本が生まれる。岩波書店の古い新書と文庫は、意外なことに愛書趣味の入門図書として絶好なのである。

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 見えているのは毎度のことながら保護用の極薄グラシン紙や帯を失った裸本。毟り取った記憶もないが、1954年の岩波新書でも元来帯ぐらいは巻かれていたかと思う。まあ流石の私もまだ生まれていなかったので、断言はできないが。

 本文は「自動車の經濟學」「自動車工場の斷面」「世界の自動車」と大きく三分され、末尾に主たる参考資料が附されている。各章はそれぞれ自動車産業の国家的な収支勘定、国内工業の技術水準、自動車の発生史と世界的な概況の三方面から考察しつつ、わが国の進むべき道を模索する内容。文中には多くの経済指標や生産データを示す表が掲載され、図解頁もいくつか見ることができる。就中最終節「國
産車が辿ってきた道」と巻末の大判折込「第3圖 國産メーカーの系譜圖」は、1954年という刊年を考えて尚、概説史料として充分な内容を保持している。

 面白いのは見開きの「第1圖 自動車工業は總合工業である」の図に見落としそうなほどの小紙片が挟まれており、これに、左右一体の図が印刷で離れてしまった(版面の案配でノド元の余白を詰めきれなかった)ので「それぞれ中央に寄せて御覧下さい」と記されていること。なんとなく長閑というか手作り壁新聞的というか、岩波書店編集部1954年の美意識に、不図なごむ瞬間なのであった。

 昭和二十九年。大東亞戦争の健闘空しくわが国が連合軍に敗れてから十年にも満たず、サンフランシスコ講和条約の発効によるポツダム的占領体制の正式な終了から数えても、僅々二年しか経っていない時代なのである。戦後の本格的復興がようよう緒に就いたばかりの渦中で編み出された自動車関連図書の一冊が岩波新書であったとは、岩波好きな私にとっても感慨深いものがある。ためしにGP企画センター編『日本自動車史年表』を繙けば、この時代は「成長と競争の始まり」と画期されていた。
 いずれにせよ、「モータリゼーション」のモの字も見えない、遥か七十年前のズタボロ・ニッポン。金はない、インフラ復興に取られて鉄もない、タイヤもガラスも何もない。戦地から命からがら復員して来た壮年の男たちと、生活向上への燃え上がる社会の熱気だけが自動車の生産を支えていたといって、過言ではなかったろう。
 この当時の自動車産業といったら、戦火を免れた工作機械をかき集めてどうにかトラックを作りながら、輸入一辺倒の乗用車市場になんとか食い込まんとその算段で頭を悩ませる日々。しかし古い機械は次々と壊れる、広い土地工場を取得せねば目標とする大量生産は覚束ない、まごまごする間に賃金と待遇の改善を求めた労働者からの突き上げは日々苛烈の度を増すと、課題は時を待たずに容赦なく襲いかかってくるのである。それでも1950年に始まった朝鮮戦争の特需景気で得られた資金を追い風に、各社の動きは活発化を見せはじめてはいるのだが。

 さてこそニッポン自動車産業。果たしてここが生みの苦しみ正念場と、緒彦各位は腹を決められたのだったか否か。

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 著者の奥村氏はこの海の物とも山の物ともつかない自動車という産業世界のどこに着眼し、何を危惧して本書を起筆されたものなのか。時代を遠く遡り当時のムードにどっぷり漬かり、漂いながら読み進むところにこうした古い自動車関連図書の醍醐味はある。挙げた『日本自動車史年表』をはじめ何冊かの信頼すべき史料を机上に繰り広げての読書、色々と手こずりはするのだが、秋の陽を受けながらの短いタイムスリップは決して時間の無駄にはならなかろう。
 トそう念じつつ、次々と頁を繰ってゆく。











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風の中のスカイライン


 石川よし子『風の中のスカイライン ―山梨GC10会の歩み―』一冊本。
 この本は発行元が甲府市の山梨ふるさと文庫で発売が文京区の星雲社となっており、発行年は19951月と奥付に記されている。
 B6判無線仮綴じ製本、総単色刷りの本文は151頁。巻頭にアート紙多色刷り口絵四頁の綴込みがある。仮表紙に施されたデザインを多色刷りに置き換えてそのまま用いた外装カバーが掛けられ、帯は元々巻かれていない。
 本文はオフセット印刷されているようだが、片眼鏡でフォントや写真版の様子を仔細に観察したところ、文字稿の版下(印刷用の原版)だけはタイプ印刷で準備したかに推察された。清潔感のある良い印刷と思う。

 地方と都内の出版社がジョイントするケースは、文芸書などでも頻繁に見ることができる。しかしその意図は出版毎に色々あろうし、これと決めつけることはできない。思うに1995年というのは家庭用PCが爆発的に普及する前夜であり、図書流通の業界にはeコマースなどという言葉すら存在しなかったであろうアナログ&ローテクの最終局面でもあった。なので、取次会社に口座を持つ在京出版社と提携することで全国版の新刊情報などに書名を載せられるのは、地方の書局にとって依然としてメリットではあったかもしれない。店は忘れたが、たしかに私自身も本書と巡り合ったのは都内の大型書店でであった。

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 著者の石川よし子氏は、日産製GC10系スカイライン通称ハコスカのオーナーズクラブである「山梨GC10会(やまなしジーシーいちまるかい)」の創設に、深く携わった人物。有体に言えば初代会長夫人なのである。この著者が会発足の経緯や定例の家族ツーリング風景、折々目にしたマニア特有の面白い生態などを、女性ならではの穏やかな筆致で淡々と綴ってゆく。

 表紙を開くと巻頭に、述べた通りアート紙の別刷り口絵が二葉綴じ込まれている。めくって簡素で外連味のない飾り扉。そして次の本扉(タイトルページ)から目次を経て本文へ、危なげのない編集に導かれ、物語への没入が自然に始まってゆく。
 本文は「一、スカイラインが行く」「二、最初の頃の仲間たち」とクラブ成立前夜の様相から筆を起こし、以下「六、すばらしい出会い、新しい活動」までほぼ時経列に沿って展開され、巻末の「あとがき」で大団円。
 この本には「ソレタコデュアルにオバフェンが」とか、「コニ足入れてチンスポナベハチオカモトリケンの」といった、雲古座りでぶいぶいクルマ自慢的な記述は一切出て来ない。もちろん旧車ニワカに特有のGT-R至上主義など影も形もない。では何がこの本に書かれているのか?言わずもがな、「人」が描かれているのである。


 本稿、実は七月の終わりに投入したエントリー「K’z Chronicle」よりも前に書き起こしを始めていたのである。それが遅れに遅れ、かれこれひと月も公開が延びてしまった。その間に埋め草の一篇も上げられず、遅筆にもほどがあると慚愧はしている。これからその言い訳を縷々述べるので、興味のない向きはここまでにして頂けると幸である。

 書きはじめはいつもの通り、書架から抜き出した本書の再読から始まった。三十年近く時を経ての再読というのは実質的に初見と同じで、新鮮な感興が湧き起こり、クルマ本の枠を越えた情感がしみじみと心に満ちてゆくのを楽しんだことである。本書にはハコスカに心酔しハコスカと共に生きることを選んだマニアたちの姿が、余計な潤色を排して穏やかに清々しく、かつユーモラスに描かれている。人をきちんと描けてこそクルマが生きる、そう信じて自動車図書の蒐集を続ける「廃墟・自動車図書館」の心情にこのうえなく響く、良い読書だったかと思っている。
 この感慨が続く内にと、私は早速エントリー文書の作成に取りかかった。文書投入の目標は七月最終週に決める。ワードファイルを開き、NDL ONLINEなども援用しつつ、まず物体としての書誌的スペック部分から本調べを進めてゆくのである。
 ほぼ同時に、脳内にふわふわと漂いはじめた読後感のイメージを探りつつ、その色を見定めようと試みる。私は子供の頃に共感覚者だったので、その名残りで音やニオイ、形而上のイメージといった形のない感覚は否応なく色と対になって感受されてしまうのだ。詳しくいえば、それは実際に見える色ではない。私の脳内では、ある感覚を得た瞬間に色を見たり特定の材質を触った時と同じ印象も自動的に感知し、それらが混ぜ合わさったものが感覚体験として記憶されてしまうのである。
 ブログを書くというのは、形のない読後感というイメージを一旦脳内で言語に置き替え、それを文章としてワード上に定着させてゆく作業。その際、PCのモニターに現れた文章(文字列)を読んだ瞬間に感じる色(のような感覚)が元々表現したかったイメージの色に近ければ近いほど、私の中では文章化が上手くいったことになる。逆にイメージと文章互いの色が離れていれば、その文節を練り直す。私にとってブログの文書準備とは、この「色合わせ」の繰り返し作業を意味している。

 文書の作成は思いの外進まなかったが、二日ほどで書き終えた。過去のエントリーに較べたら少々長めになったのは、すっかり好きになってしまったこの『風の中のスカイライン』という本の魅力をなんとか上手く伝えたいという気持ちが強すぎ、細々と書き過ぎたからかもしれない。だがそれもアップリンクまでに無駄な言葉を削ってゆけば、全体に締まってコンパクトな文章になってゆくだろう。そんなことを漠然と考えながら、もう次のエントリーには謎の冊子『K’z Chronicle』を持ってこようかなどと夢想を始めてもいた。

 おかしくなりはじめたのは、この頃だったのかもしれない。
 最初は例によって書き終えた文章を見直し、全体の流れがより自然になるように文節を組み替えたり、冗漫な部分を機械的に削除したりしていった。通して何度も読み返し、自分の脳内にあるイメージと文章がよりフィットするように手を入れてゆく。次いでもう少し細かな部分の読点や段落を切り直し、同じ句が頻出して単調にならないよう、言い回しの変化を付ける作業。この辺りまでは自分の文章を読んで感じる色やリズムのような拍動も目指す論旨と大体シンクロし、さほど作業のストレスも感じられなかった。
 しかし人に読んでもらうには硬すぎる部分をこなれた文節に書き崩したり、そろそろ退屈になるだろうあたりで軽いギャグを挿入したり、より細かな部分を弄りはじめた頃からなんとなく違和感を覚えはじめる。改変した文節は脳内のイメージよりも他人にとっての読みやすさを優先するため、当然その部分だけを読み返しても何も響いては来なくなるのだ。色彩に溢れた元文書のあちこちに空白が生じ、斑状に見えはじめる。とはいえ今まで何度も経験したことで、要するに全体として論旨が損なわれなければ上乗なのだと、構わず推敲を進める。しかし作業のスピードは明らかにスローダウンしはじめた。

 やがて、余りに何度も同じ部分を読み返すため、手付かずの文節からも少しずつ色が失われてゆくのに気が付いた。今自分が直している文字や送り仮名といった末端部分が思わしい方向へと変わってゆくのは直感的に分かる。なのに、それを含んだ文節が何について書いたものだったのかを思い出せなくなりはじめる。読んでも意味を汲み取れず、すぐに文章の流れとしてすら認識できなくなりはじめた。これは明らかに尋常ではない事態。一つひとつの文を仕上げてゆきながら、自分は何故こうも長々と文章を書いているのかという肝心の主題が、さっぱり把握できなくなってきた。短い句や文節だけでなく、私は自分が書いて来た文章全体から色を見失ってしまったのだ。
 頭の中では『風の中のスカイライン』を紹介するために起筆した文の筈だと理解しているのに、モニターに浮かぶ文章や文字列からは読後の感慨と結びついた色がすっかり失われている。私は焦った。自分で決めた文書投入の期日はもう目の前に迫っているからだ。それで無理矢理数時間も推敲を続けた結果、私の目は到頭文字を文字として認識できなくなってしまった。生まれてこの方経験したことのない異常な感覚に当惑し、私は自分が発狂したのか、あるいはついにアルツハイマー型の認知症が顕現したのかと恐怖した。
 慌てて公開済みの『カバ男のブログ』を読み直す。「The Last of Us」「国産車づくりへの挑戦」「がちゃガバ様異聞」と長めのものを選んで次々読み続けたが、何故かそれらは普通に文章として読めた。言わんとしていたイメージの色が見える。理解できる。思い付くまま色々なサイトをネットサーフィンしてみると、どれもすんなりと読めた。にも拘らず、推敲中の『風の中のスカイライン』だけはどうしても読むことができない。玉成を目前としていた私のエントリーは、もはや文章ではなくPCモニター上に漫然と散らばった意味不明の線形と化し、そこからなんの色彩も音も感ぜられなくなっていた。代わりに油粘土でも舐めたようななんとも言えぬ不快な味のような感覚が舌を覆う。文字を見ているのに読めず、文章と分かっていながらそれを一面の幾何学模様としてしか認識できないというのは本当に恐ろしく不気味な体験だった。
 そして結局その恐怖から逃れるため、私は到頭七月の下旬に至って文書準備を放棄してしまったのである。

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 以上が本稿停滞の大まかな経緯。私は自分の中でゲシュタルト崩壊かそれにごく近い異常が起きていることを知り、一箇月の間為す術もなく時間を空費せざるを得なかった。
 それで、先ほど思い切って書誌スペック部分だけ残して文書を削除した。時間が経って見返してみたものの、最初は読めた文章もすぐに模様になってしまい、元の木阿弥と見極めが着いたからだ。しかして急遽このような言い訳めいた事情解説を述べてお茶を濁す。余りにも作文に没頭しすぎると感覚が崩壊するという良い体験、身勝手ながらそう思うほかになかった。

 石川よし子氏著『風の中のスカイライン』。いずれ改めて準備するつもりなので、恐縮ながら各位はくれぐれ悪しからず。
















K'z Chronicle 人はパンのみにて生きるにあらず


 キャップガン・プランニング・ジャパン編『K’z Chronicle 人はパンのみにて生きるにあらず』。
 生き馬の目ン玉を抜く東京を発信源として世間のモデルガンマニアを騒がせているウワサの本が、ここにある。

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 20235月発行。A4判無線仮綴じ製本、小口三方裁ち放し。アート紙総多色刷り本文44頁(最終ノンブル)。無外装なうえに正誤表などの別紙もないので、この裸本で完本になる。
 試みにネット検索などしてみたが、意外や本書は大阪のコンサル系企業から玩具問屋筋に商品が卸されているようだ。

 巷間
本書は品川でモデル工房K’z(ケイズ)を主宰する通称「人パン」氏のブログ『人はパンのみに生きるにあらず』のエントリー文書を、そのまま抜粋抄録したものとされている。

 しかし表紙に掲げたブログタイトルからして間違えており、あの大通・人パン氏ご本人が制作に関与したとは俄に思い難い部分も散見される、微妙な編集。出版体制に関して読み取れるものもなく、著作者や販売元のクレジットを欠くこれを一個の図書として見るならば、書誌的には些か据わりの悪い存在かと感ぜられた。
 片眼鏡で見たところ一般的な書籍とは制作プロセスが異なっており、版下までをインクジェットプリンターで自作して最終のオフセット印刷と簡易製本だけ外注しているかに見える。
 畢竟これはブログ切り抜きの二次創作物に近似の手法であり、コミケなどで売っている同人誌と同じような存在と考えるべきなのか。お古い表現で恐縮だが「ファンジン」的な成果物というか。
 だが、トするとブログ記事と画像をコピペしてA4判の判型に合わせてレイアウトし直したという本書のどの部分を二次「創作」と見做すべきなのか、ちょっと私には見分けがつかない。

 このテのファンジンは一発コケてくれればのちのちレアアイテムとして価値が上がるのだが、残念なことにすこぶる順調らしい。
 とはいえ述べたように二次創作物的な本書のこと、K’zから直接買わないかぎり何冊売れても原著者である人パン氏には一銭も入らないような雲行きかと、こちらの面でも些か居心地は悪かった。
 太平楽に「お布施」「続編希望」などと関連サイトやブログで沸いてはいるが、それならそうと、書き込んだファン連中は
(続くなら)次回以降も意識してK’zの直販を利用すべきかと思う。


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 見えている小振りな一冊は、判型などの検討用に極々少数が作られたパイロット版。公式のものなので外観だけではなく内容もすべて市販本と全く変わらず作られている。

 本体がコケる見込みがなくなったので、『カバ男のブログ』としては止むを得ず秘蔵バージョンの公開で自慢をしてゆく情況なのである。
















MGC奇跡の終焉 MGC回顧録・完全保存版


 『MGC奇跡の終焉 MGC回顧録・完全保存版』は、かつて存在していたモデルガンメーカーMGCの盛衰を創業者が自ら語る、神保勉氏としてはシリーズ三冊目の著書。2022年の11月末に突如として福岡のニューMGC通販サイトで刊行が予告され、明くる12月早々には予約者の下に届いていた。先行する同氏のMGC関連図書は20101月の『MGCをつくった男』(推定発売日200912月)と、その増補版『MGCをつくった男 総括編』(同201812月)である。

 B5判無線仮綴じの本冊は無外装で、アート紙総多色刷り本文146頁。奥付に発行日の表記がなく、本文中の囲みに2023131日の応募締め切りとして懸賞付き読書感想文の募集告知があり、この部分と文章の内容だけが本書に記された発行日推定のための縁となっている。このため将来的には、本書が実際にいつ発行されたものなのか、その情報はウェッブ上に残された関連文書などから推定するほかに術がなくなってゆく。書物の寿命は想像以上に長い。今後の時間経過とともに本書の刊行に纏わる情報も間違いなく漸減してゆくので、残念なことだが刊行時期に関する真相が曖昧となってゆく事態は避けられない。
 問題の奥付には執筆・編集・発行人として神保氏の名が記されており、裏表紙に売価の表示こそあるが、今回もまた著者私家版(自費出版)であることが推察される。しかし著者以外に印刷製本所程度しかクレジットのなかった前二著とは違い、今回は「イラスト 坂本佳奈恵」「デザイナー 須田芳正」「写真撮影 安田庶」のスタッフ個人名が挙げられ、体制が一新されたことを窺わせる。また校正を担当した「日々の新聞社」と印刷・製本の「いわき印刷企画センター」はともに福島県いわき市の地元企業であり、本書の制作はいわき市を拠点に進められたものと思われた。
 編集面で唯一残念と思ったのはノンブル(頁番号)の附番で、「見開きの右頁が偶数、左頁が奇数」という和書の基本的なセオリーが見過ごされ、右頁から起算されている点ぐらいだろうか。とはいってもノンブルを外表紙から起算してしまうような素人っぽい編集の前著に較べれば本書は全体としてかなりしっかりと整理されており、まず書容からして安心感が漂っているのである。

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 見えているのは発行直後に取り寄せた一冊で、言うまでもないことだが完本。エスピオナージ風のクールな表紙写真をネット検索したところ、1960年代後半から70年代初頭頃のMGC広告に全く同じものが用いられていることが分かった。背景の建物や外車、モデルの持つスネイルマガジン付きルガーP08の佇まいが構図にドラマ性を与え、当時モデルガンに対して誰もが抱いていた浪漫を余すところなく表現しきった秀逸な一点かと思う。リバーサルから新規に整版し直したものらしく、時代を越えて大変鮮明に蘇っているのが嬉しい。
 その表紙をめくると見返し部分に無題の巻頭言があり、また捲って目次から早速本文「小林太三と2人初の海外旅行(1964年)」が始まってゆく。なかなかに忙しく一服する暇もない編集ぶりではあるが、これが現代的な軽装本のセオリーなのかと却って新鮮の感もあった。

 本書『MGC奇跡の終焉』は前二作に引き続いて神保勉氏の回顧録である。が、今回は自叙伝的な雰囲気がやや退き、創業社主として経営判断の根拠や内部の経済情況をピンポイントで具体的に明かす記述が増えているのが大きな特徴といえようか。初見では前著で述べられたエピソードの繰り返しのように印象されるパートもあり、早々に感想などをネット上に公開している気の早いマニアも散見。だが実際には事件の起承転結を改めて正確に文章化し、かつ一時休業から整理解散へと向かう清算の過程なども貸借の数字を列挙した冷静な回顧としており、再読すればまた新たな資料的価値を発見できるものと思われる。
 本文に時経列的な一貫性はない。本書では述べた1964年の海外視察から始まり、大阪万博への出展や法改正によるモデルガン規制など時代を行きつ戻りつ、MGCの発展途上にあったエポックな出来事が言葉静かに語られてゆく。しかして読み進むにつれ、随所にワキ方である関係者からの寄稿が代わる代わる立ち現れ「その時その場にいた者」でなければ語ることのできない貴重な証言を次々と繰り広げてゆくという、きわめて能的な文章構成となっている。そのため特段に過激な表現もなく淡々と綴られる文章でありながら、気が付けば自分がその場面転換に紛れ込み傍らで事態を注視してでもいるような、奇妙なデジャヴ感を覚えつつの読書体験となった。
 やがて記述はMGCの、モデルガンという玩具そのものの存亡に関わる、二度の大きな法改正と製造規制へと進んでゆく。安全でリアル指向な金属モデルガンの存在を敵視し、検証可能な事犯分析データもないままフレームアップのように印象操作で業界撲滅の圧を高める当局に対し、モデルガン創案者として著者の知られざる必死のロビー活動が行われていたことなどが本書の後半で明かされる。

 私はMGCが創業二十年を越えた1981年になってようやく株式法人成りしたことを、本書で初めて知って驚いた。オリジナルのモデルガンが売れに売れてレジ打ちも追いつかず、販売カウンターの下に置いたリンゴ箱に売上金をバサバサ落としながら商売したという伝説のMGCなのに、である。逆に言えば輸入玩具の改善販売で旗揚げしてから熱狂的なモデルガンブームとプラスチックへの素材大転換を経るまで、MGCは神保氏の個人的な才覚だけで乗り切ってきたというのだろうか。あの繁盛このうえない直営ショップも、独壇場だったスマートな広告戦略も、ダイカストマシンまで設置した自社工場すら全てが個人経営の範囲内で進められてきたとしたら大変な驚きでしかない。各方面に優れた人材が集まったこともあるのだろうが、正に端倪すべからざる途方もないマンパワーとマネジメントが神保氏率いるMGCの中に渦巻いていたのか。

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 あまりにも出生数が多すぎて「砂利(じゃり)」と総称されていた私たち1970年代の洟タレ坊主どもにとって、MGCというビッグネームは単純にイカしたモデルガン製品群であり、年中混雑が絶えないボンドショップであった。御徒町日章ビルのサービス部に行けばいつでもわんわんするような熱気が、ガード向かいのボンドショップではちょっぴり大人びたマニアのムードが、いつでも私たちを迎えてくれていた。しかしそれは飽くまでもお気楽なジャリん子どもに見えている姿なだけで、その背後には多くの社員が活動し、設計製造から財務までのしかるべきセクションが存在していたはずだ。今頃気付くのも愚かな話だが、MGCとはたしかに一個の企業だったのである。本書を読むにつけその感を深める私だった。
 思い出すのは1977年か76年のこと。新型のワルサーP38モデルに「MJQ」という奇妙な刻印があり、国電ガード下のとあるモデルガン商店で「あれはムトベ・ジンボ・クエストなんだよ。ムトベは六研の六人部さん、ジンボはMGCの神保さんのことさ」と鹿爪らしく解釈されたことを覚えている。なんのことか直ちには理解できなかった。MGCが時折発行する冊子体の情報誌などで「神保勉」という名前に憶えはあったが、新製品に名を刻むほどの人物がそのメーカーのどこで何をしているのかも知らず、それはそのまま眉唾ものの記憶として納めたことである。ただこの頃から私は、MGCと神保氏をセットでイメージするようになっていたとは思う。
 思うに、現役当時の神保氏は新技術のリサーチやモデルガン規制への対応、ロビー活動、広告企画に直営店のカツ入れと忙しすぎて、店頭で顔を売るような暇もなかったのだろう。子供は目に見えないものに興味を持たない。したがってMGCのイメージとはまず派手なブローバックで火を吹くシュマイザーMP40であり、サービス部のカウンター越しに「コレ買うの?高いわよ()」と威圧してくる謎のお姐さんであって、姿の見えない神保氏は認識の埒外なのであった。やんぬるかな、この当時のジャリどもが今や還暦を過ぎ、孫の面倒もすっぽかして『MGC奇跡の終焉』でザワついているという有り様である。

 本書は西日本ではニューMGC福岡店に、東日本では名無しの電話番号に架電して注文するという、いささか変則的な販売方法を取っていた。それが発売開始からほどなく「名無しの電話にかけたら神保氏本人が応対してくれた」という真偽不明の怪情報がネット上に流れ、たちまち全国のマニアに激震が走る。その直前に架電し『MGCをつくった男 総括編』を持っていないので今更だがなんとか売ってもらえないだろうかと横車を押していた私は、この怪情報に接しあれが帷幄の人ご本人だったのかと己の厚かましい物言いに激しく慙愧したのである。
 かつて玩具の世界に一つの時代を築き、今では後顧の憂いなく人生を楽しんでおられるはずの神保勉氏。その神保氏が私家版とはいえ一々ご自分で注文の電話口に出られるという酔狂は、一体全体どうした風の吹き回しなのだろう。これもまた不可解といえば不可解な話ではあった。

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 ひょっとして神保氏は、MGCモデルガンで育ったガン・スリンガーたちと直接言葉を交わしたかったのかな。あの頃忙しさに紛れてできなかったジャリん子どもとの交流を、今やってみたくなったのかな。
 春めいた陽射しの窓際でぼんやり『MGC奇跡の終焉』の表紙を眺めながら、私は不図そう思った。

 黒(P08ブラックウィドウ)で始まり金(閣寺)で終わる本だった

















MGCをつくった男 総括編

 

神保勉『MGCをつくった男』増補版。

本書は実質的には先のエントリーで取り上げた『MGCをつくった男』の増刷版なのであるが、書誌的なスペックが混乱しており大変に紛らわしい存在となっている。そのため、今回のエントリーは便宜上タイトルの書名を『MGCをつくった男 総括編』として共通理解を得ようと思う。文書内容に於いては最初の版を「初版」、取り上げている増補版を「総括編」と呼んで記述を進めてゆきたい。
 見えているのはごく最近入手した新刊状態の完本。同じ神保氏の
MGC奇跡の終焉』が発行された折、取り寄せの電話口で偶然本書も入手できると教えられ、プレゼント用にまとめて注文した内の一冊になる。


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 神保勉『MGCをつくった男 総括編』は、20101月に発行されていた初版『MGCをつくった男』に若干の加筆と編集を行って再発行されたものと見做すことができる。一般的な書籍の世界では、初版本の存在に対して「増補再版」もしくは「新訂版」として取り扱われるべき位置にある。初版の内容に関してはすでにエントリー文書を公開しているので末尾にテキストリンクを貼り、ここでは繰り返さない。
 外観は艶のあるコート紙を用いており初版と酷似したデザインだが、普通の平滑な多色刷り印刷である。特徴的だった艶消し地に合羽刷り(かっぱずり)風の特殊コーティング印刷は、今回は行われていない。とはいえ70頁を超える本の全巻が総厚口アート紙に多色刷り、制作には初版同様に相当なコストがかけられているのは明らかなのである。
 もともと「MGC 50TH ANNIVERSARY」とあった表紙下段の文言は「MGC 60TH ANNIVERSARY」と変更されており、且つ「総括編」の表記も新たに加えられている。このため、これらの変更によりブックデザインの天地がやや窮屈になっているのが見て取れる。「MGC」の文字も初版ではシルバー風の明るいグレーだったものがこの版ではゴールド風なダークベイジュとされていた。

 この版は奥付が校正されておらず、初版と同じく「20101月」の発行年表記のままである。だが文中には20185月以降の出来事に関する記述があり、タイムパラドクス的な混乱を生じている。一体いつ頃の出版なのであろうか。私はすでに初版を読んでいたためこの「総括編」はほとんどノーマークで、残念なことに刊行当時の情況がまったく記憶にないので困った。
 試みにネット上で本書に言及しているブログなどを探すと、最も早い文書投入が2018年の12月中に幾つか確認できるので、実際の発行はこの時期だったと考えてよいだろう。初版も20101月の奥付でありながら定期刊行物風に200912月には好事家の手に届いていたらしく、ここから推して本書の奥付は「20191月発行」と表記を揃えておくのが至当なところだったと思われた。
 そして非常に興味深いのは、本書「総括編」が何度も繰り返し販売され、こうしてブログを書いている20232月現在でも新刊本として入手が可能だという点である。

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 本書は初版『MGCをつくった男』と同じく福岡にあるニューMGCから発売されていた。2019年の刊行開始当初は、やはり初版当時と同じようにまだ新刊として入手できる内からネットオークションで頒価の十倍を超えるプレミア価格での落札があり、心あるモデルガン愛好家たちはブログ等でダフ屋に対する警戒を呼び掛けていた。この時点で初版は絶版となって久しく、以降はニューMGCによって何回か「総括編」が再入荷した旨の告知とともに全国へと拡散していったものと思われる。そして現在のところ、述べた通り2022年末に新刊された神保氏の近著『MGC奇跡の終焉』に合わせて再販売が行われているという情況。
 ここでひとつの疑問がある。果たして『MGCをつくった男 総括編』には何刷が存在しているのか。普通に考えれば最初に印刷製本した在庫(増補新版の初版)が大量にあり、ニューMGCはマニアのニーズを見ながら間歇的にこのストックを放出している、というのが順当な見方。しかし異常なプレミア価格で取り引きされる人気を博した本が、果たして刊行後丸四年もの間在庫を切らさずにいられたものだろうか。この点は非常に疑がわしいと言わざるを得ない。
 『MGCをつくった男 総括編』は神保氏の自費出版と思しく、氏がいかに富裕の身であったとしても、余計な経費を投じて捌ける見込みがないほどの大部数を制作していたとは考え難い。となると、この本は一定数を売り切りながら要望に応じて何回か増刷して販売されていた、トそう考える方が道理に適っているような気がしている。
 神保氏本人は現在でも
ご自分で本の注文を直接請けるほど矍鑠とされているようで、誠意を以てお尋ねすればある程度の回答を貰える望みはある。しかし私のように書物の物質的な成り立ちを詳しく確定する趣味があるならいざ知らず、ご本人にしたら何を何回増刷したかなどという記憶は、思いもよらない枝葉末節の部分であろう。なので、そのような問題に拘泥することでレジェンドの身辺を煩わせることは本意でもなく、差し控えたい。

 奥付が初版の刊行年月を表したまま、厳密にいえば『MGCをつくった男 総括編』には制作時期によって複数の隠れた重刷バージョンが存在している。ここではその可能性を指摘するに留めておくだけでよいかと思う。

 『MGCをつくった男 総括編』は初版に対して「特集」と謳った四篇の文字写真稿が追加されている。ただし増補部分は合計8頁だが総頁数は初版の73頁と変わらない。すなわち初版に対して頁のやり繰りがあり、記事の削除やレイアウト変更も随所に見ることができ、配列もかなり変わっている。
 特集の内容を簡単にまとめると、モデルガンの始祖である神保氏とMGCが蒙った不利益と不名誉、及びその処理に関する当事者からの経緯報告とでもいえようか。断章のように短いが、新製品の盗作、取材もせずに伝聞だけでMGCの歴史を書ききってしまう専門誌、モデルガン成立の根幹である銃腔内インサート工法の発明などに纏わる核心を衝いたもので、資料的な価値の充分にある文章。当時は帷幄の人としてモデルガン業界全体の発展のために敢えて円満に納めていたものが、歳月の経過とともにデマや風説を利用して事の真相を捻じ曲げようと画策する存在を知り、資料とともに改めて鉄槌を下した形である。
 それでも本書が刊行された直後から始められたと思しき隠然たる反撃の痕跡は、今でもネットのあちこちに残されているようだが。

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 何もなかった趣味の
野原に一人、誰も見たことのない「安全なモデルガン」という松明を掲げて踏み込んで行ったのは、神保勉氏なのである。

 いやはや、仮令モデルガンの神ホトケと祀り上げられた社員がいたとしても、所詮は神保氏のMGCという器の中で泳ぎ回っていただけのこと。名前に擦り寄ってチヤホヤして来る信者などいう輩ほど無責任な連中はないと、その人物も気付かなかったワケではなかろうに。
 創業者企業の組織にあって主は主、従は飽くまでも従である。



 

カバ男のブログ:『MGCをつくった男』

 

 






 

 

独立独歩

 

野田夏彦著、Parade Books『独立独歩~自己探求家が語る、「独立個人」の生き方とは?!~』書影。これまでも当ブログでは長いタイトルの本を縷々取り上げてきたが、一行で収まらないほど長いのは大変ひさしぶりである。このタイトルを間違えずに打ち込めただけで、今の私は、今日の仕事は終わったぜ的な多幸感に満たされている(嘘)。

 奥付に本書の発行は202210月、発行元が株式会社パレードという表記がある。同じ頁には小さく「装幀 藤山めぐみ」の名前も認められた。小B6判無線仮綴じ、単色刷り218頁カバー掛け。頁数はタイトルページから起算した通しノンブルで、本冊の束を製本した後に小口を三方裁ち放した軽装本である。
 小B6判というのは横112×縦174㎜の小振りな判型で、手に馴染みビジネスバッグやデイパックにも収まりのよいサイズ。実際低比重の本文用紙を使った本書は非常に軽く持ち回りもしやすかった。その意味で本書は版型を生かした良い装幀計画の実例になるかもしれない。
 見えているのはごく最近匿名で送られて来た新刊本で、当然完本である。とりま当ブログの本体である「廃墟・自動車図書館」宛の寄贈本として有難く新収しておいて、こうして簡単な紹介を文書投入する次第。

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 自己探求家を標榜する著者による、精神世界的な思考法への導き。もしくは啓発。タイトルページをめくると無題の巻頭言があり、続いて目次へと早速に導入が始まる。
 本文は「はじめに」「序章 自分を深く知ること」「第一章 孤独がきみを強くする」「第二章 ほんものの幸せとは」「第三章 脱スピリチュアル!! 超現実主義者を目指せ」「終章 目覚めよ、日本人!!」と進み、実質的には五
章立てで構成されている。加えて前後に数頁程度の補足的な断章が添えられている。

 見出しを読んだだけでも「自分」「孤独」「幸せ」と精神世界系には特有のキーワードが並ぶので、嫌いな向きはこの時点でガシャンなのかもしれない。そのうえ「脱スピリチュアル」とダメ押しされたら、普通の人でも控えめに言って警戒心Max()。逆に自分探しの旅に疲れ果てた流浪の民ならば、やっと安らげる本に出会えたと即買いするのかな。いずれにせよ、この目次頁が著者と読者の双方にとって最初のハードルになるとはいえそうだ。

 本文はおおむね第二章までが、幼児体験から始まる著者の精神世界遍歴の振り返り。後半は長年の遍歴から感得した自己探求の極意を縷々開陳する構成となっている。文体は平易で、読者を前に諄々と説き聞かせるような語り口は穏やか、かつ池袋西口で脱法ドラッグを売(ばい)するアニキのようにフレンドリーである。しかし、幸せは自分の外にはないとか自分という存在はないと言い切る著者のスタンスはなかなかにハードで、一歩も退かない決意も見えている。
 読みはじめるとすぐに宗教民俗学や教派神道に特有の術語がワラワラと出来し、くわえて著者の造語までもがなんのエクスキューズもなく飛び出し、心の準備もできぬ間に言葉の坩堝に叩き込まれる。これが第二のハードルか。しかし神佛にはまるで疎遠な世間無用のカバ男であるからして、ここは理解不能な数式が頻出する物理学の教本でも読むつもりで躊躇なくスキップ。委細構わずずんずん読み進んでゆく。
 スピリチュアル系の啓発本など初めて読むが、根を詰めて塙新書を精読するワケでもないので言葉ひとつひとつの解釈抜きで、「静聴静聴!」とか「言語明瞭!ヨーソロ」とか心の中で好き勝手に著者を野次り倒しながらの読書となる。冒頭自分自身を見つめて確立してと「小さな話」で始まって、最後は世界の成り立ちと神々という「大きな話」へと怒涛のように駆け抜ける本書、それにつれて脳内野次もグイグイ盛り上がる。その内黙読の文章と「論旨変遷!」「コンテクストを提示せよ!!」などの脳内ツッコミとが喧々囂々響き合い、いや騒々しいこと夥しい。傍目には身動ぎもしない静かな書見でも、わが空虚なる頭蓋骨の洞には著者の言葉とこちらの野次とが轟々と渦巻くのであった。
 そうしてバラバラ頁が繰られてゆき、二時間ほどで楽しく読了した。土台同じ国語で書かれているのだから難しいことなどないのである。

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 それで、ではお前の中に何が残ったかと野田氏に問われたら、申し訳ないがちょっと返す言葉もないのである。書かれていることは読めました。読めたけど、その内一割ぐらいの文章は覚えているけど、フィロソフィー的には限りなくゼロかな。世間無頼のカバ男には何も残っちゃおりませんて。

 心の癒しを求めて彷徨う民なら再読三読、なんとか食らいつこうと頑張るのかもしれない。もしかしたらこの本と金を握りしめて野田氏の教えを乞いに参じる向きもあるかもしれないし、そうなってもらうのが本書出版の秘められた真意なのかもしれない。
 気付かぬ内に読書を離れ金絡み精神絡みに闇落ちしてゆくこの辺の進退判断が第三の、そして一般的な精神世界系読書の本当に大変なハードルになるものだといっても過言ではない。さてこその正念場である。

 でも、幸せは自分の外にはないと断言する本書に則して言うならば、リアルな野田夏彦氏に対する執着など無意味なのであろう。知らんけど。


 

 

 

カバ男のブログ:「伊勢神宮の古代文字」

 





 

 

 

 

ル・マン24時間 1991

 

 『原田 崇写真集 [ル・マン24時間 1991]』は199111月に発行されていた、47頁立ての可愛らしい小型本。現物の佇まいやブックデザインなどからは駆け出しの写真家が名詞代わりに配って回る作品サンプル帖のようにも見えるが、本書の出版経緯は今ひとつハッキリとしなかった。
 奥付には著者である原田崇©氏のほか、AD(アートディレクター)武井尚武、PD(プリンティングディレクター)新木恒彦、企画飯島清の三氏が制作スタッフとしてクレジットされている。印刷および発行所は光村印刷株式会社でISBNも振られており、全体的には売価表記のある公刊体の出版だったと考えてもよいのだろう。たしかに私は本書を、専門店ではあるが新刊書店で購入していた。
 総多色刷り170×182㎜の横開き桝形本は、無線仮綴じの本冊を多色刷りカバーが巻いているだけの簡素な成り立ち。カバーを外すと全くなにも印刷されていない白表紙の本冊が現れ、写真集らしい尖ったブックデザインを期待していると逆に驚かされる。

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 カバーの背部分に「Bee Books 123」と刷られているのはシリーズと巻次を表しているようでもあるが、同様な表現はほかのどの部分にもなく、これが表すものが何なのかは判然としなかった。
 ダメもとで検索した光村印刷のサイトによれば、この「Bee Books」というのは高品質な私家版写真集の制作をリーズナブルに行う同社のセクション、あるいは制作された写真集全体をシリーズとして扱うブランドということになるようだった。1987年に開始され現在も続いているということは、一種の企業メセナに近い出版活動なのかもしれない。これで本書の成立経緯については少し腑に落ちたのである。
 見えているのは新刊時に一度しか読まれないまま書庫深く眠り続けた極美状態の完本。書影撮影のためにぱらぱら開いたところ、グラビア印刷特有のインクが強く匂って懐かしかった。

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 本書は二十四時間に亙って大排気量のレース用スポーツカーが激闘を繰り広げるルマン耐久レースに取材した、心なごむ写真紀行である。
 カバー袖に「ル・マン24時間・1991」と題された巻頭言がある。附け足り然というか後付けのような文言が並んでいるが、これによれば、写真家として初めて訪れたフランスのルマン二十四時間耐久自動車レースで偶然にも著者は日本車初の総合優勝を目撃することになった模様。新人カメラマンとしては大変な僥倖といってよかったかもしれない。

 1991年のルマンはレギュレーション(レース車輛の製作要綱を規定した競技規約の一部)の改訂に伴う混乱があり、新規格車と旧規格車の混走が行われた。この改訂によって
ヴァンケル式ロータリー・エンジンにとっては出場が認められる最後の年ともなっており、唯一ロータリー車を走らせるマツダ(マツダスピード)にとっても1979年の公式な初挑戦から十三年目となるこのレースがまさにラストチャンス。残された最後の二十四時間だったのである。

 その結果ワークス車輛「マツダ787B55号車は単独トップでゴールインし、わが国の自動車メーカーとして歴史上初めてルマン二十四時間耐久自動車レースに優勝する栄誉を獲得することとなった。および戦前1923年から続く歴史あるこのレースにとっても、一般的なレシプロエンジン以外の内燃機関を搭載した車輛の優勝は、史上初。マツダは一度の優勝によってサルト・サーキットに二つもの歴史上意義深い記念碑を打ち建てることとなったのである。
 しかしこれほど日本のクルマ好きにとって天下分け目の決戦場であったルマン1991を取材した本書なのだが、ワクワクしながら読みはじめたもののその点に関する記述はほとんど見出せなかった。プレスデーに撮られたらしきレナウン・チャージ・マツダの787Bとハイレグ・ギャル(古!)の写真は見開きで掲載されているものの、五十頁にも満たない薄冊の中に展開されているのはプラクティス前らしき小綺麗で平和そのもののピット風景ばかり。排気ガスとトレッドコンパウンドで真っ黒にノーズを汚したマシンや必勝の殺気に目だけギラつかせながら不眠不休で戦う疲れ切ったピットクルーの姿など、何ひとつ写されてはいなかったのである。そして長いレースウイーク中に著者が目にした長閑な観戦風景の数々。まるでただの旅行好きが偶然立ち寄ったレース会場で撮り集めて来たスナップ写真をそのまま合綴した記念アルバムのような趣に、初見当時の私は思い切り肩透かしを食ってしまうのだった。
 ルマン二十四時間の決勝は六月に行われ、十一月の本書発行までに情報を集める時間は充分にあったはずなのにも拘らず、「国産自動車悲願のルマン初優勝!!」の情報補正は一切行われなかったようなのだ。この違和感がどうにも決着を付けられず、結局その後三十年の間一度も再読せず今に至ったという次第。

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 レース関係者が屡々口にする「空力(空気力学)」の意味を知らずに「クーリキ」と外来語表記してしまうほどの原田崇©氏だったのである。本書『ル・マン24時間・1991』は、この著者が初めて目にする色鮮やかなマシンに目を奪われたりベンチュリー開度全開でユノディエールを駆け抜けるエンジン音に耳を塞いだり、びっくりしながらもピクニック気分でエンジョイしていたルマン二十四時間レースの記録。その同じ二十四時間を共有しながら、マツダチームの全員はメルセデスやジャガーなど名うての強豪チームを相手に一触即発の心理戦ともいえるプレッシャーの掛け合いを100%ノーミスで戦い抜き、誰よりも早く55号車をゴールに押し込んだ。最終スティントを務めたジョニー・ハーバートは極度の脱水症状によってマシンを降りることもできず、そのまま医務室へ担ぎ込まれて表彰台に立つことは叶わなかった。述べたようにマツダに、ロータリー・エンジンに最後に残されたルマンの二十四時間。なにがなんでも優勝するという不退転の死闘がそこにあり、それ故の特別な1991年だったのである。そして原田氏にとっては、まあ普通の海外レース、だったのかな()
 1991年のルマンがどんな情況だったのか。ヴァンケル機関のレシプロ排気量換算比率とか830㎏の最低車重規定とか、周辺の情況が理解できていた事情通ほど逆に本書を楽しめたのかもしれない。

 思うに本書は『ル・マン24時間・1991』なんてシリアスなレースレポっぽいタイトルだから良くなかったのであって、「ルマンの車窓から」とか「ほっこり旅景色・ルマン編」「お前とルマンとサーキット」とかソフトムードにしておけば、レースに興味のないアート志向の読者などにも訴求できた可能性はある。いやむしろ、いっそのこと潔く自動車関連図書とは縁を切って、旅ものカテゴリーに全振りでもよかったのにと思う。
 結果、残念なことだ
三十年後の今日では古書目録から本書の姿も原田崇©氏の名前も見出せなくなっている。古書としての稀少性だけなら本書は二村保『The Rally』のクラリオン非売限定版と同程度、すこぶる付きの珍しい本となってしまった。国立国会図書館には架蔵されている模様。


 

 

 

 

 

 

 

 

実物拳銃写真集

 

 鎌倉の啓明社という書肆が発行していた小冊子『実物拳銃写真集』。今を遡ること六十有余年、なかなかに古い本である。

この本は、発見に満ちていた。

 

 A5判平綴じ横開き、本文総アート紙単色印刷60頁。貼り込みの奥付は薄葉ながらも奉書紙風の和紙に活版刷りで、昭和三十六(1961)年七月と発行日が明記されている。一枚ものの本文用紙をホチキスのような軟鉄の針で綴じ付けた製本法が平綴じで、各葉は両面印刷。
 また巻頭の数葉には、モノクロの原版に手彩色した疑似カラー写真を基にした多色刷り印刷が奢られていた。

 大東亞敗戦の痛手も癒えきらず諸物資窮乏の続いたこの当時にあって、見えている通り本書の表紙は艶のある大変に良質なコート紙が用いられている。しかして本文用紙も当時の美術品図録などに劣らぬほど高価なアート紙に稠密なオフセット印刷。同じ年に南青山の本流より上市される杉江博愛(のちの自動車評論家・徳大寺有恒)氏の超豪華版外車写真集『SPORTS CAR WORLD』にも劣らない高級な紙使いからは、版元が本書に賭けた意気込みのほどが伝わってくるようである。

 

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 本書はタイトルそのままに、真正けん銃だけを取り上げた異色の写真集。本文は巻頭に度量衡と実銃取扱い方法の短い解説があるのみで、あとは一頁に一点のけん銃写真と簡潔なキャプションだけで構成されている。ノンブル(頁番号)が一切振られていない点はのちほど一考してみたい。

「全て、実物より直接撮影(外国雑誌等よりの複写は一枚もありません。)」と裏表紙に特記されているように、冒頭の操作解説画像をはじめ掲載されている真正けん銃はすべて国内で個人が所有していたコレクション品。本書では愛蔵家を歴訪しつつ独自に取材し、鮮明な撮り下ろし写真集として成立させている。文中「此の写真は、米軍々人の御好意により撮影した」とか「愛銃家の所蔵品らしく、華麗な彫刻が施されて居る」「此の写真は、特にドイツ大使館の御好意により、最新式のモデルを撮影する事が出来た」といった添え書きが頻出しており、各銃の出所が概ね明らかとなっているのが微笑ましい。
 その主なラインナップは4in版ボロ・モーゼルから始まりS&W.357レジスター・マグナム、ルガー・ブラックホーク.357マグナム、コルトM1911A1など有名どころの大半を網羅しており、あまつさえリャマ.22オート、サベージ1906など玄人好みのマイナーモデルまでもが60頁の薄冊にぎっしりと納められる憎さ加減。爆発的なガンブームのさ中とはいえ、専門誌の一冊すら発刊されず頼れる情報源など求めようもない情況下で達成されたこの内容は、掛け値なしの驚異でしかない。
 本書の編集が相当老練な銃器エンスージアストの主導によるものなのは火を見るよりも明らかであり、その主が六十年経った今の目で見ても正確そのものの本文および画像キャプションのすべてを執筆した無名氏であったのは、まず間違いないと考えてよかろう。

 

 本文を引用しないのが当ブログの原則ではあるが、今回にかぎり引き続きその味のあるキャプションを幾つか紹介してゆこう。

「戦前流行した事があり、昭和5年頃、銀座の洋品屋で5円位で売って居た(豆ピストル)」

「戦前我国に最も多く輸入され、ブローニングと言へば自動拳銃の代名詞の様に思われた時代もあった。戦前派には懐しい銃である(ブローニング32径=M1910)」

「値段は確か昭和15年頃85円程度で、ブローニングより10円程高かったと記憶する(コルト32径=M1903)」

「写真は、この銃を射撃用に改装したもので、装着された照門はこの銃本来のものでなく、ボマーの射撃用照門である(コルトガバメントモデル)」等々。

 齋藤昌三氏の愛書趣味を引き合いに出すまでもなく、戦後に復興した趣味の世界はみな戦前からその系譜を途切れさせることなく連綿と繋がっている。そのことを思い出させるキャプションである。戦前は奢侈税などを別納すれば民間人でも自由にけん銃を所持することが可能であり、商用などで大陸方面に出張する部下に「油断は禁物」などと上司が会社備品のポケットけん銃を貸与することもあったとされている。そんな時代を謳歌したであろう無名筆者の記憶の片鱗が文章の端々に伺えて興味が尽きない。

 またガバメントモデルは複数の掲載があるのだが、キャプションにもあるように、すでにこの時期には固定サイトのナショナルマッチに飽き足りないシューターがアジャスタブルサイトを用いたマイナーカスタムの途に進んでいたトレンドが見て取れる。そして少なくともその最先端の一挺が間違いなくわが国々内に存在していた事実までも、企まずして本書は記録していたのである。

 

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 啓明社という出版社は時期を隔てて首都圏に三社ほど存在していたようである。最初は明治期の木版和綴じ本から始まった、東京麹町の啓明社。これは社会経済関係の専門書を主体として戦争時代の最末期まで継続していたが、敗戦によって途絶した模様。次に現れるのが本書を出した鎌倉の小書局。戦後すぐの頃から文芸書や戦争回顧ものを出していたようだが、本書を出版した頃には社業も相当に低調となっており、ほどなく廃業したと思われる。1980年代に東京で子供向けの学習副読本などを中心に出版を始めた啓明社は、これも短命だった印象がある。この三つの書肆になんらかの関係があったのかは不明である。

 

 実は本書の最終頁には本流株式会社洋書部及び同玩具部の見開き広告が掲載されており、玩具部の頁に掲載されている多くの玩具ピストルの中で唯一ヒューブレイ・オートマチックだけはオリジナルのメッキシルバーではなく黒色仕上げの物らしいことが分かる。そして本流の方でも、当ブログで何度か取り上げた刊行年不明のカタログシリーズ二点の内「第二輯」の巻末に、バーター広告のようにして本書『実物拳銃写真集』の取次広告を載せているのである。啓明社の系譜もさることながら、私としては啓明・本流両社の親密な相関に大変好奇心を掻き立てられる。

 またこの当時は玩具ピストルを取り扱う販売店の広告に屡々「実物拳銃写真」として数枚組のペラもの写真セットが掲載されていたことも分かっている。思うに啓明社は本書『実物拳銃写真集』の版下を使ってそのまま単葉ブロマイドのセットを大量に印刷、業者に卸していたのだろう。本書の頁にノンブルが振られていないことには、もしかしたらそんな理由があったのかもしれない。

 

 

 







 

 

※今回のエントリーは銃器関係図書という事柄の関係上、煩瑣を避けて細かい用語の解釈を併記しておらず、些か解りづらい面があるかと思います。お気付きの点はコメント欄などから忌憚なくご教示くださると幸です。 

ザ・レーサー

 

 中島祥和『ザ・レーサー』は昭和六十二(1987)年三月の発行。編集発行が三推社で発売発行が講談社というヤヌス的出版は、先のエントリー『バイクフリークたちの午後』も同様の建付けで出版されていたことを思い起こさせる。

自動車関連図書の世界で三推社と講談社のジョイント出版は非常に多く、当ブログでもこれまで折に触れ取り上げてきた。しかしよほどの所縁(ゆかり)本か稀覯書でもなければ出版の事情は関知しない『カバ男のブログ』なので、今回もサるッと割愛しておこう。

 B6判仮綴じ、小口三方裁ち放し。本文は総活版の単色刷りで213頁ある。見えているのは比較的コンディションを維持した完本で、無線綴じの本冊に多色刷りコート紙のカバーが巻かれているのが分かるだろうか。画像で「サーキット群雄伝」と大書された肌色の部分は、アイキャッチのための別紙腰巻(帯)である。

 

 本書は、レーシングドライバーの言動から見えてくる特異な精神構造を考察しようと試みた、ルポルタージュ。著者の中島氏は表紙カバーのクレジットに「報知新聞運動部」とあるように、本職はスポーツ系の新聞記者と思われる。パリ駐在の経歴もあるらしい。同じカバーの袖にある著者紹介によると昭和131938)年生まれというから、本書が出版された当時の中島氏は五十歳を目前に脂の乗り切ったお年頃といったらよかろうか。

本文の記述から推して、中島氏は戦後モータースポーツの黎明期を知る人物のようである。同紙のスポーツ欄に署名記事を寄せることも多く、レース記事をメインにモータリング趣味全般の報道にプロパーで携わってきた方なのかな、などとも思われる。いわゆるクルマ業界レース業界の人間ではないため、一定の距離を置いて部外者の目で書かれた記事は冷静で、硬い響きを帯びているようにも感ぜられた。

タイトル頁の裏に洋書風の仮奥付があり、「Book Design JUN KAWADA」の個人名が見られる。ほかに制作スタッフらしき人名のクレジットはなかった。

 

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無線綴じの製本なので遊び紙は存在せず、表紙デザインを縮刷されたユニークな見返し紙をめくると早速に「孤独のコックピット」と題された六頁立ての前書きが始まる。以降「目次」「第1章 死神を見た男たち」「第2章 駆け抜けていった男たち」「第3章 時間を飛び超す男たち」「第4章 超能力を持った男たち」「おわりに」と、実質四章立ての構成で記述が進んでゆく。

 

 「死神を見た男たち」として、本文はいきなり19746月のレース中に発生した多重死亡事故の詳しい解説から始まる。富士グランチャンピオンシリーズ第2戦「富士グラン300kmレース」第2ヒート。才能に溢れた風戸裕、鈴木誠一の両名が命を落とすこととなり、これ以降に編まれた国内レース史料では例外なく特筆されることになるこの大惨事から筆を起こした中島氏の思惑は、全体那辺にあったのであろうか。

本書はその後の全篇に亙って死の影を濃く曳き、重い読後感を残す。人によっては読了を待たずに頁を閉ざすことにもなったかもしれない。レーシングマシンの中で生身のドライバーが絶命してゆくという事故の悲惨な事実を、中島氏が新聞記者らしい削ぎ落した文体で綴るその一言ひと言が鋭く刺さる。否応なく読む者の心を抉ってくる。それほどの重圧が文章の端々から感ぜられる、自動車関連図書としては異常ともいえる息苦しさを漂わせているのである。

 モータースポーツといわずスポーツ全般の特性として、プレイヤーが落命もしくは重篤な障害を負う事故の危険性は、常に内包されている。中でも、残念ながらレースに於ける死というのは、ほかのスポーツイベント以上に屡々発生している印象はある。500から時には1,000馬力以上を発生するマシンにガソリンを満載し、ストレートではジェット旅客機の離陸速度を超えるスピードで疾駆してゆくのがレースなのである。その間レーサーは起きている事すべてを認識しているワケでもなく、むしろ単純化された運転操作を繰り返しながら、少しでも速く誰よりも先にゴールすることだけに強く集中しているといってよい。なので、予期しないアクシデントは大事故に直結する。

本書が採り上げるようなトップカテゴリーだけではなく、地方選手権やマイナーイベントに組み込まれた入門クラスに挑戦するアマチュアレーサーの世界でも、死は身近にあるものだ。1980年代の後半から趣味で二輪・四輪のレースに関与してきた私自身、テストやスポーツ走行中の何人もの残念な事例を見聞している。これはと思える光った走りの新人が頭角すら現さぬまま斃れてゆくのを目の当たりにすると、無常などという生易しい感情では言い尽くせない衝撃を受けるものである。ただ、名も無い若手レーサーの死は専門誌に訃報の一行すら載らないままひっそりと過ぎてゆくのに引き較べ、数万人という観客が見守るレースイベント中のアクシデントでトップレーサーが失われる出来事はニュースとなり、場合によっては社会現象にまでなってゆく。その違いがあるだけなのだ。彼を取り巻く人々に永く癒えることのない喪失の痛手を残してゆくことには些かの変わりもなく、起きてしまった事実を避けて通る術はないのである。
 にも拘わらず、それを承知でより速くパワフルに最高峰の勝利だけを求めて平然と戦い続け、それを職業にまでしてしまうプロレーサーの面々。彼らが抱え込む繊細で複雑なメンタリティーを「タフネス」「名誉欲」「狂気の沙汰」とありきたりな言葉で言い表すことはできない。

 

 本書には写真やカットが一枚も挿入されていない。曲がりなりにも本書は自動車関連図書であり、クルマ本には解説図版や写真が当たり前のように援用されているところ、その常識はまったく無視されているようだ。時代はとうに文芸書にまで本文イラストが用いられる「ビジュアル化」全盛だったというのに、中島氏は終始タテ書きのテキスト一本で読者には視覚的な休息を一切許さずに、最後まで押し通している。この点は興味深く、文章によって生きて来た新聞記者の気骨であったのかとも思える。
 テキストだけで写真が一枚も用いられていないクルマ本がどの程度存在するものか。不図私は、1991年に若一光司氏が国道上に供えられた生花の写真だけの構成で世に問うた異色の写真集『国道1号線の手向け花』を思い出した。本書『ザ・レーサー』とこの写真集は視覚的に全く対極でありながら、底に流れる雰囲気が驚くほどに似通っている。

 

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 読書中は終始ゴワゴワした本文用紙の手触りと活版明朝に特有のフォントから来る刺激が、重大事件を報じる号外でも読んでいるかのような錯覚を起こさせていた。その焦燥感と緊張感が非日常的で、これも本書の内容に大変よく沿ったものという印象がある。
 もし、これらがレーサーの死を起点にメンタリティーの解剖を目指した本書に対する自覚的な装幀の結果であったとしたら、当時の三推社には人の潜在意識を操る恐るべき編集者が実在していたことになる。そんな荒唐無稽な妄想をぼんやりと繰り広げつつ、私は本書を閉じ、写真やイラストが一切ないクルマ本はどれくらいあるのだろうと書架を見上げるのであった。

 

 

カバ男のブログ:『国道1号線の手向け花』 

 

 

 

バイクフリークたちの午後

 

 山川健一『バイクフリークたちの午後』。

この本は編集兼発行人が三推社、講談社が発行所(発行元)というお定まりのパターンで、昭和五十八(1983)年七月に刊行されている。B6判無線仮綴じ製本の単色刷り203頁、カバー掛け。
 書影は同書の極美サンプルである。

 奥付に「ベストカーブックス②」の表記があり、シリーズと巻次を示しているものと思われる。編集スタッフの数がやたらに多く、本文末に頁を分けて「PHOTO 花岡弘明 長濱治 清家富夫 さいとうさだちか 山辺達義 山田真人 橋本玲 二石友希」「イラスト 古橋義文」のクレジット。奥付にもダメ押しで「カバー装幀 川上成夫」「カバーイラスト マーチン荻沢」「本文イラスト 古橋義文」と人名が犇き合っている。

全体で何点の刊行があるのかは知らないが、四輪の専門誌である『ベストカーガイド(当時)』から派生した叢書が初手からバイク本というのは拍子抜けするのである。見えている外装カバーもまた相当な脱力もので、マーチン荻沢氏によって描かれている二十七人の内で似ているのが一人もいないというヘタウマぶりに呆然としてしまう。星野一義氏に至ってはフルフェイスヘルメットを描いているだけなのに、そのヘルメットすら似ていない()
 あいやこの時代にのちの破壊的ヘタウマイラストブームの到来を正確に予見していたのか、と却って感動を覚えるべきだったか?違うだろう。

 

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 本書はバイク生活をエンジョイする芸能人をはじめとした有名人二十六人へのインタビュー集。本文は『ベストバイク』誌の連載「素晴らしきバイクフリークたち」より一部を抜粋、加筆再構成したものであると巻末に記されていた。及び文中に「Tea Break」として山川氏自身の既発表バイクエッセイ十篇ほども再録されている。

自身もバイクに乗るという山川氏がライダーとしても知られる有名人一人ひとりと一対一で対峙し、インタビューを進めてゆく。清貧と高潔を旨とする二輪業界誌と違ってむせ返るほどカネの匂いが漂う自動車業界誌をベースに企画された本だけあり、さすがに制作体制も豪華なら取材対象も落語家から俳優、歌手、写真家等々とそこはかとないセレブ感が漂っているのである。


 本書が出された1983年といえば長引く円高不況からゆっくりと経済が回復基調に乗り、社会全体がバブルに向かってパッパラパーなピンク色に染まりはじめた時期。バイクの世界にもようやく陽が当たり、なにやら流行の大波が寄せて来るのを実感できた。今日では芸能人が美容整形歴とか在日朝鮮族の出身をカミングアウトするのがブームになっているように、この当時は我も我もとライダー宣言をはじめて、古いオートバイ乗りの面々は苦笑を禁じ得なかったものだ。

失われた三十年と言われて好景気を知らないまま親になる世代もチラホラ出現している昨今からは到底想像できないが、国の根幹となる重厚長大産業を切り捨てたわがニッポンの1980年代は、ビックリするほどお気楽でチャラかったのである。


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 米山義男氏が1990年に出した『バイク伝説の神様たち』を思い出させる構成の本書、二百頁の本文にこれだけの取材対象を取り上げて自前のエッセイまで盛り込んでいるので、当然ながら一人当たりに割く紙幅はとても少ない。ディープに斬り込んで取材対象の人物像を顕にするというよりは、有名人それぞれの「今」を掬い取ってぱらりと文章化しつつ、オシャレな構図でカットを二三枚キメてハイ一丁上がり。そんな軽さの一冊といえようか。

しかしながらそこはマルチ文化人の山川氏。相手から短いながらもこれはと思う言葉をキッチリと引き出していて、一言が、一行が光るのである。なので、ソファに寝転がってちょっとお気楽にナナメ読みでもしとこうか、という気も起きなかった。かといってデスクに畏まって書見するほど堅苦しくもなく、そのファジーな編集スタンス自体が図らずも今の私に時代の雰囲気を思い出させてくれたといってよいかもしれない。
 インタビューそのままに対話形式で再現していったのは、時代の熱を文字として定着させるのに効果的であり、利口なやり方でもあった。

 

 

カバ男のブログ:『バイク伝説の神様たち』