自動車
奥村正二『自動車』は、昭和29(1954)年10月に「岩波新書 青版183」として岩波書店より出版されていた。
新書判仮綴じ、本文総活版刷り208頁。巻頭に薄葉アート紙三葉(六頁)の単色口絵が合綴されている。本文の束は折丁を糸で綴じ付けた正しい仮綴じ製本となっており、栞紐も備わり、いささか古風な成り立ちながらも好ましい。紙もセオリー通りに正しく用いられているため、指先に伝わる本文頁の質感は飽くまでも柔和。しかして開いたまま机に置いても勝手に閉じることのない従順さを兼ね備えている。
製本材料を熟知した者が編集装幀に携わる時、片々たる新書と雖も「玩弄する楽しさ」を充分に味わえる本が生まれる。岩波書店の古い新書と文庫は、意外なことに愛書趣味の入門図書として絶好なのである。
見えているのは毎度のことながら保護用の極薄グラシン紙や帯を失った裸本。毟り取った記憶もないが、1954年の岩波新書でも元来帯ぐらいは巻かれていたかと思う。まあ流石の私もまだ生まれていなかったので、断言はできないが。
本文は「自動車の經濟學」「自動車工場の斷面」「世界の自動車」と大きく三分され、末尾に主たる参考資料が附されている。各章はそれぞれ自動車産業の国家的な収支勘定、国内工業の技術水準、自動車の発生史と世界的な概況の三方面から考察しつつ、わが国の進むべき道を模索する内容。文中には多くの経済指標や生産データを示す表が掲載され、図解頁もいくつか見ることができる。就中最終節「國産車が辿ってきた道」と巻末の大判折込「第3圖 國産メーカーの系譜圖」は、1954年という刊年を考えて尚、概説史料として充分な内容を保持している。
面白いのは見開きの「第1圖 自動車工業は總合工業である」の図に見落としそうなほどの小紙片が挟まれており、これに、左右一体の図が印刷で離れてしまった(版面の案配でノド元の余白を詰めきれなかった)ので「それぞれ中央に寄せて御覧下さい」と記されていること。なんとなく長閑というか手作り壁新聞的というか、岩波書店編集部1954年の美意識に、不図なごむ瞬間なのであった。
昭和二十九年。大東亞戦争の健闘空しくわが国が連合軍に敗れてから十年にも満たず、サンフランシスコ講和条約の発効によるポツダム的占領体制の正式な終了から数えても、僅々二年しか経っていない時代なのである。戦後の本格的復興がようよう緒に就いたばかりの渦中で編み出された自動車関連図書の一冊が岩波新書であったとは、岩波好きな私にとっても感慨深いものがある。ためしにGP企画センター編『日本自動車史年表』を繙けば、この時代は「成長と競争の始まり」と画期されていた。
いずれにせよ、「モータリゼーション」のモの字も見えない、遥か七十年前のズタボロ・ニッポン。金はない、インフラ復興に取られて鉄もない、タイヤもガラスも何もない。戦地から命からがら復員して来た壮年の男たちと、生活向上への燃え上がる社会の熱気だけが自動車の生産を支えていたといって、過言ではなかったろう。
この当時の自動車産業といったら、戦火を免れた工作機械をかき集めてどうにかトラックを作りながら、輸入一辺倒の乗用車市場になんとか食い込まんとその算段で頭を悩ませる日々。しかし古い機械は次々と壊れる、広い土地工場を取得せねば目標とする大量生産は覚束ない、まごまごする間に賃金と待遇の改善を求めた労働者からの突き上げは日々苛烈の度を増すと、課題は時を待たずに容赦なく襲いかかってくるのである。それでも1950年に始まった朝鮮戦争の特需景気で得られた資金を追い風に、各社の動きは活発化を見せはじめてはいるのだが。
さてこそニッポン自動車産業。果たしてここが生みの苦しみ正念場と、緒彦各位は腹を決められたのだったか否か。
著者の奥村氏はこの海の物とも山の物ともつかない自動車という産業世界のどこに着眼し、何を危惧して本書を起筆されたものなのか。時代を遠く遡り当時のムードにどっぷり漬かり、漂いながら読み進むところにこうした古い自動車関連図書の醍醐味はある。挙げた『日本自動車史年表』をはじめ何冊かの信頼すべき史料を机上に繰り広げての読書、色々と手こずりはするのだが、秋の陽を受けながらの短いタイムスリップは決して時間の無駄にはならなかろう。
トそう念じつつ、次々と頁を繰ってゆく。
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